徳島に住むカメさんのつぶやき

 さながらカメさんのような一老人が、小さな池(徳島県の片田舎)から覗き見た世の中の出来事や心象風景などを書き留めたもの。

「まな板の鯉」になった心境?

2018年09月30日 | 随想
 いま、大型で非常に強い台風・24号が、串間市の南方面を北上中のようである。
このまま進めば、徳島県全域が巻き込まれ、我が家もその直撃を受けそうである。

 なにしろ、この台風という奴。
世界中の科学者が束になっても、どうにも手の打ちようが無い代物だろう?

 それなら、我々市井の一般人は、ただもうひたすらに、亀のように首をすっこめ、
台風の通り過ぎるのを待つよりほかに方法がない。

 ということで、我が家でも昨日から家の周りを見て歩き、強風に吹き飛ばされる物
はないか、倒れるものはないか、雨戸は閉っているか等々の点検をした。

 とは言え、築ウン十年のボロ家である。
とれる対策にも、限度があろう。致命的な打撃が無けりゃ、“御の字”である。

 これぞ、まさしく、まな板の鯉! 

 そうそう、「まな板の鯉」と言えば、大阪府警富田林署で弁護士の接見後に逃走した
男のことである。

 なんでも、昨日の夕方、山口県周南市で万引きしたところを捕まったらしい。
ご当地「道の駅」に配置されていた、女性警備員のお手柄らしいが、本当によかった。

 今さら、ここで警察署のお粗末さ加減を言っても仕様が無い。
それより、これまで逃げ回っていた犯人に言いたいことがある。

 樋田容疑者と言ったかな? 今まで逃げ回っていて、少しはいいことがあったかい?
本当は、苦しくて、辛かったんじゃないのかい?

 そのことも含め、心からの反省をし、今後の歩みに生かしてほしい。
それが、せめてもの、重ね重ね世間を騒がせた“罪滅ぼし”というもんだろう。

 とか、言っても、カメさんの単なる願望に過ぎないか・・・・

管理職には、なりたくないか・・・

2018年09月28日 | 随想
 会社員のほぼ60%が、「管理職以上に昇進したいと思わない」と答えたそうである。
当然ながら、「管理職以上に昇進したい」人は38,9%と、少数派!

 2018年版「労働経済白書」が明らかにした、現役会社員の「考え方」である。

 今年の2~3月に正社員を対象に調査し、1万2355人から回答を得たそうであるが、
昇進したくない理由(複数回答)としては、次のようなものだった。

 「責任が重くなる」・・・71・3%。
 「業務量が増え、長時間労働になる」・・・65・8%。
 「現在の職務内容で働き続けたい」・・・57・7%
 「部下を管理・指導できる自信がない」・・・57・7%。

 これらの数値を見て、「だから、現代っ子はダメなんだ!」という声が聞こえて来そう。
だが、フーテンの寅さんではないが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」なんて気がしない
でもない。

 それにしても、何やら“身につまされる”話ではある。
ITだ、それAIだと、次から次への技術革新。果ては、「人間が要らなくなる」なんて暴論まで
まかり通る現代社会だ。

 サラリーマンも、さぞやお疲れのことだろう。そして、時には“夢や希望を”見失うことも
あるに違いない。

 だが、その本心では「なにくそ、会社や家族のために頑張るぞ!」と思っているのではなか
ろうか? 

 と 密かに想像を巡らしたりするのであるが、どうだろう? 
だって、そうでなきゃあ、「日本沈没」が現実の話になって来るんだよ ネ ・・・・
 

閑古鳥(かんこどり)と、諫鼓鳥(かんこどり)

2018年09月27日 | 随想
 “閑古鳥が鳴く”と聞けば、何やら寂れてひと気の少ない、寂しそうな店の様子
が脳裏に浮かぶ。

 あの「カッコー・カッコー・カッコー」という鳴き声が、何やら“もの悲しい”
ことから、そんな雰囲気の店を指して“閑古鳥が鳴く”と形容するようになった。
と のことである。
 
 まあ、その辺のところは、どこかで勉強したような記憶もある。 
だが、問題は、もう一つの諫鼓鳥(かんこどり)の方である。

 生来の不勉強で、こんな「鳥」があること自体を知らなかった。
ある本の中で、その名前を見た時も、何のことやら、チンプンカンプン。

 カンコチョウとも読めるが、やはりカンコドリと読むそうだ。
へー? 一体全体何のこと?

 因みに、あの新明解さん(新明解国語辞典)にも載ってない。
「されば・・・」と思って調べた広辞苑にも、掲載されてはいなかった。

 それも、その筈。
この言葉、実は古代中国に由来する話のようである。

 とある国に王様がいて、その王城の門外に「王の治世に不満のある者は、これを打つ
べし」と大書した太鼓を置いてあった。

 この太鼓は、「諫める太鼓」という意味から“諫鼓(かんこ)”と呼ばれていたが、
治国治世は整って、民に不満もなく、太鼓が打たれることは無かったそうだ。

 やがては、放置されたままの太鼓に鳥が飛来し、羽を休め、盛んに囀るようになる。
このことから、名君が現れて平和と豊かな暮らしを実現した状況を「諫鼓鳥が鳴く」と
比喩されるようになった。と のこと。

 要するに後者は平和な状況を表し、前者は寂れた様子に譬えたもので、同じ“かんこ
どり”でも全く違った意味を持つということである。

 いや~、この歳になって、まったくの新発見。
やっぱり、書物というのは素晴らしい。

 「もう歳だ」なんて諦めず、「出来るだけ、読まなきゃならん」と 思った次第。
だが、はて、さて、この気持ちがいつまで続くことやら・・・・
 

ニュース、斜めに読めば・・・

2018年09月26日 | 随想
 それにしても、日本相撲協会ってのは、やりますなァ!
公益財団法人(相撲興行しても、税金が安い)の認可団体でありながら、身内だけでやりたい
放題。

 理事会は力士出身者でガッチリ固め、評議員会も協会ビイキの応援団。
これで公益財団とは、聞いて呆れる。内閣府(認可官庁)も、嘗められたものである。

 守旧派ばかりの理事会となれば、改革派の貴乃花を排除するなんてのは朝飯前。
孤軍奮闘の貴乃花を窮地に追い込み、自ら退職させるとは!その深謀遠慮には、脱帽?である。

 だが、貴乃花のいない相撲界に魅力があるか?
出身国がどうとか言わないまでも、大相撲の“現状”に満足するファンは、果たしているのか?
 
 協会のお偉いさんも、その辺のことは、一向に無頓着のようである。
だが、そのうち、自らの大失態に“うろたえる”日が来るのではなかろうか?

 さて、“相撲と同列”とは言わないまでも、アメリカの大統領も、困ったものだ。
こともあろうに、全世界の首脳が集まった国連総会において、冒頭から「わが政権が達成した並外れ
た進歩を共有する」と高らかに宣言し、

 さらに「この2年足らずの間、わが政権は米国史上の全ての政権よりも多くのことを成し遂げた」と
自慢した。と いうのである。

 当然、会場からは笑いが起きたそうであるが、元はと言えば、国内の支持者の集まりで喝采を浴びて
きた成功体験。

 会場の失笑が理解できずに、顔を引きつらせながら「まあ、構わない」と無理に笑顔を作ったと報じ
られている。

 いやー、アメリカの大統領ともあろう人間が、何てこと!
でも、これって、笑っている場合じゃなくて、恐ろしいことでは? 

 こんな単細胞?が、アメリカの大統領だよ! 覇権国家アメリカを支配する、本物の大統領だよ!
その判断一つで、世界を何回でも吹っ飛ばせるだけの兵器を持っているんだよね。

 だが、今さら逃げる場所も無い。あゝ、クワバラ、クワバラ・・・・


 

懐かしいなァ、お店屋さん

2018年09月25日 | 随想
 ある本に「お店屋さん」という言葉が載っていて、カメさんの目はもう“釘付け”状態。
いまどき、こんな懐かしい言葉に出会うとは!

 “消えてしまうのが勿体ない言葉”の一つとして、挙げられていたのであるが、これには、
カメさんも同感である。 

 何を隠そう。齢を重ねて、80年。
我々の小さい頃はスーパーなんて代物(商業施設)はなく、あったのは「お店屋さん」だけ。

 「お米屋さん」「八百屋さん」に始まって、「魚屋さん」「肉屋さん」「お豆腐屋さん」等
の食品関係(あのころの田舎には、「パン屋さん」はなかったな~)。

 更には「さか(酒)屋さん」から「お菓子屋さん」「おもちゃ屋さん」「つり具屋さん」と
いった趣味・嗜好品・おもちゃのお店。

 はたまた「くすり屋さん」「散髪屋さん」「パーマ屋さん」など、健康・衛生面でお世話に
なったお店群。街には、「お風呂屋さん」もあると聞いていた(田舎では“五右衛門風呂”が
当たり前という時代)。

その他、ちょっとした町には「本屋さん」もあったよね(我が家の近くには、無かったが)。 

 カメさんが今 思い出すだけでも、以上のように多種多様な「お店屋さん」があったもの。
それが、現在はどうだろう。

 高度経済成長や車社会の到来、あるいは社会構造の変化に伴って「お店屋さん」はその姿を
消し、代わって現れたのが「スーパー〇〇」とか「〇〇モール」いった大型の商業施設。

 いや、それが「いけない」なんて言うつもりは、さらさら無い。
ただ、ただ、幼いころが懐かしく想い出される。と いうだけのこと。

 だが、あの頃には、あの頃の良さが、あったのかなあ・・・・   

頼もしい、ドクターヘリ

2018年09月24日 | 随想
 こんな嬉しいニュースなら、いつ、なんどき、いくら聞かされても大歓迎。
なにしろ、ドクターヘリが大活躍したとの嬉しいニュースだ。

 川で溺れて心肺停止状態になっていた少年が、現場にドクターヘリで駆け付けた?
医師と看護師の適切な救急措置と、速やかな病院搬送によって一命を取り留めた。

 少年の発見から約40分後には、医師と看護師が現場に到着。
肺から水を含んだ大量の痰が出る中、気管に管を通して気道を確保し、人工呼吸を続け
たそうである。

 ドクターヘリで岐阜大学病院に収容後には、人工肺を使った高度な救急医療が施され、
未来ある少年の命を救うことに成功したというわけであるが、日本の救急医療は本当に
大したものだ。

 この少年に後遺症はなく、既に退院して元気に暮らしているとのこと。 
本人は勿論のこと、ご家族のお喜びになる様子が目に浮かぶようである。

 大災害も頻発し、事件事故死が数多く報じられる中、こんな嬉しいニュースに接する
と、カメさんまで嬉しくなる。

 医師・看護師の先生方、本当にご苦労様でした。そして、ありがとうございました。




花より団子か、団子より花か。

2018年09月21日 | 随想
 ご存知自民党総裁選は、予想通り安倍首相の三選で決着した。
それぞれの獲得票数は、首相553票に対し、石破氏254票。これだけを見ると、首相の圧勝
である。

 だが、党員・党友からなる地方票では、首相224票に対し、石破氏181票と大接戦。
首相は自民党国会議員票の8割から支持されたものの、地方の自民党員からの票は5割少々に
止まったということである。

 その国会議員票でも、面白いことが報じられていて、カメさんも笑わずにはいられなかった。
なんでも、首相陣営が投開票直前に「必勝出陣の会」を開催し、首相自身も出席のうえで結束を確認
した。と のこと。

 その席では、首相を支持する衆参議員用に験担ぎの「カツカレー」が333食分振る舞われ、完食
だったそうである。

 ところが、首相が得た議員票は329票。
少なくとも、4人がカレーを食べながら首相には投票しなかったという計算である。

 安倍陣営の幹部が「カレーは食べておいて、首相に投票しなかった議員がいる」と嘆いたそうだ。
自民党議員にも、けっこう猛者がいたわけで、カメさんなんかは“拍手”を贈りたい心境である。

 ところが今朝のテレビ番組で、ゲストの長嶋一茂が「情けない奴だ。カレーの食い逃げなんて恥ず
かしい。他の候補に入れるならカレーを食うな!」とか何とか論評していたが、それって、彼自身の
ユーモア不足が露呈した、だけのことではあるまいか?

 所詮は、海千山千の古狸と古狐の化かし合い。
派閥の親分が集まれっていうから、集まって食っただけ。投票は「石破」にしたって、良いじゃない!

 以前から、「地方票は国民大多数の意思に近い」と言われて来た。
恥ずべきは、国民の意思から大きく離れた議員票そのものである。

 相も変わらぬ、大臣病。
選挙民の意思(花)よりも、時の権力者に擦り寄って処遇(団子)を得たい。そんな議員が、多過ぎる。

 とか 何とか、言っても、しょせんはカメさんの独り言。なんの影響力も、ありゃしない(泣き)。

 これから、また また 三年間。
目立ちたがり屋の〇〇夫人・強圧的な物言いをする〇〇大臣・如何にも官僚の親玉といった〇〇長官と
いう、これまで見飽きた顔ぶれが出揃いそうだ。

 想像するだけでも、気が重くなる。
さりとて、一般国民には「異議あり!」といった手段も無い。

 どうせ そうなら、(立った腹も横に寝かせて)“団子より花”を決め込んだ方が良さそうだ。
折もおり、我が陋屋周辺には、写真のような花が咲いている。

三種類の野生アサガオ


赤い野生アサガオ


ブルーの野生アサガオ


オクラの花と実


バラ・アイスバーグ

事実は小説より奇なり、と言うが・・・

2018年09月20日 | 随想
 仙台市宮城野区東仙台の交番で、交番勤務の巡査長(33)が、訪れた男に刺されて死亡する
という事件が発生した。

 県警の発表によると事件直前、相沢容疑者は白いマスク、黒の半袖シャツに青のジーパン姿で
交番を訪れ、「現金を拾った」と千円札1枚を示したそうである。

 交番では清野巡査長と巡査部長の二人が応対し、清野巡査長の方が外に面した「見張り室」で
話を聞き巡査部長は奥の執務室に下がっていた。

 するとほどなく怒鳴り声がし、巡査部長が戻ってみると、清野巡査長が血を流してうつぶせに
倒れていて、床が血まみれになっていたそうである。

 巡査部長が「刃物を捨てろ」と警告するも相沢容疑者が従わず、結局のところ別の巡査部長が
発砲した弾に当たって容疑者も死亡した。と のこと。

 亡くなった巡査長の胸や腹には複数の刺し傷があり、県警は強い殺意があったとみて、殺人容疑
で相沢容疑者を容疑者死亡で書類送検する方針だそうである。

 まさに警察ドラマを地で行くような犯罪で、本当に恐ろしい世の中になったものである。 
亡くなった犯人は大学の3年生であるが、大学生の心の中に、どんな不安や不満があったのか?

 こんな理不尽な事件が起こるたびに思うのは、加害者・被害者それぞれのご家族や身内の人々の
ことである。

 一瞬にして大切な働き手を失った、被害者ご家族の悲しみ・怒りは如何ばかりか。。
また、“犯罪者の家族”という烙印を押されてしまう、加害者の親や兄弟姉妹の辛さ・無念さはどれ
ほどか。

 事件が報じられる度に、気分が落ち込んでしまうのである。
ところが世の中、悲しいことがあれば、嬉しいことも、また、あるものだ。
 
 朝日新聞デジタル版に、次のような記事が載っていた。 
いやー、手の裏を返すようだが、「本当に、この国も捨てたもんじゃない」 ネ!
  
  ~
    散歩「一緒に行こ」 目の不自由な81歳に寄り添う小2
                        
 「僕も一緒に行くよ」。炎暑が続いた夏休み。茨城県守谷市内で目の不自由なお年寄りの犬の散歩に
朝夕、付き添い続けた小学生がいる。市立黒内小学校2年の松本泰志(たいし)君(8)。
 19日、学校で小池義寿校長から善行表彰された。優しく献身的な行動に、松丸修久市長らも駆けつけ
拍手を送った。

 夏休み明けの9月3日、学校あてに手紙が届いた。松本君が手助けした染谷ちよさん(81)からだった。
「泰志君をほめて頂けましたら幸いです」。感謝の言葉がつづられており、児童の行動が学校に伝わった。

 集会では、松本君と染谷さんらが壇上に並び、北見裕教頭が全校生約690人に行いを紹介。染谷さんが
「優しさにふれてものすごく感動しました。優しくするのは簡単なようで難しい。『おはよう』とか『暑い
ですね』と声をかけてもらった人はうれしいと思います」。松丸市長も「一人ひとりが誰かのために何かが
できる」と呼びかけた。

  ~
  
 マスコミ各社も、こんな“良い話”をドンドン発掘し、広く紹介して欲しいものである。
そうすれば、この日本という国が、もっともっと素敵な国家になると思うのであるが、どうだろう・・・・

秋ジャガイモ、植え付け完了!

2018年09月18日 | 随想
 高齢者には、キョウイク(今日行くところ)とキョウヨウ(今日の用事)が欠かせない
そうである。

 そこで、カメさんの、今日の用事は? と 考えてみる。
すぐ思いついたのが、秋ジャガ(イモ)のこと。雨に邪魔され、植え付けが未だ終わって
いない。

 幸いにも、今日は秋晴れ。
急きょ、ミニ耕運機のお出ましである。

 5年ほど前にヤフーオークションで落札した代物で、数日前にも手入れ(エンジンオイル
の交換)をしたばかり。

 幸い、エンジンもすぐにかかった。
機体が小さくて馬力も弱いが、素人園芸には十分である。

 耕運したら、次は畦立て。これが結構しんどい仕事で、多少は腕力も必要だ。
なにしろ、カメさんも立派な?高齢者。少しは息も上がろう、というものである。

 種イモの“植え付け作業”そのものは、(毎年)妻がしてくれている。

 以前は、6キロもの種を植え付けていたが、何しろ食欲も落ちてきた。
たくさん作っても、余って捨てるというのが“落ち”である。

 そこで、今年は考えた(考えるほどの事、でもなかった?)。
植え付けの量を、思い切って減らすこと。

 そうすると、まあ 準備から植え付けまでの楽なこと! アッと言う間に、出来上がり!
こんなに“楽ちん”なら、来年からも大丈夫。

 心も晴ればれ帰ってくると、庭先の「玉すだれ」と「バーベナテレナ」が笑顔?で迎えて
くれた。

ジャガイモの植え付け


玉すだれの花


バーベナテレナ

 

 


増えるのは、喪失体験ばかり?

2018年09月17日 | 随想
 昼間のテレビは、どのチャンネルも、樹木希林さんの追悼番組一色だった。
それほど、彼女が広く国民から愛されていたということだろうが、中には今まで
知らなかったエピソードも紹介され、つい涙ぐんでしまう話もあった。

 樹木希林さんの場合は、国民的あるいは国家的な「喪失体験」ということになる
のだろうが、人は誰しも、年齢とともに喪失体験が増えばかりだ。

 かく言うカメさんも、幼いころに母を失い、十代では祖父母を失い、二十代後半
には父を亡くした。

 その一方、結婚によって妻や子が増え、妻の両親や弟妹で賑やかにもなった。
だがその両親や弟も早々と世を去り、残された我々夫婦の姉妹たちも年を加え、その
“連れ合い”には他界した者もいる。

 ましてや、叔父叔母の健在者はもう数人。
カメさん自身の年齢を考えると、無理もない。

 そのことは、十分に分っている。だが、それでも、度重なる「喪失体験」というもの
は、本当に寂しくて悲しくて辛いものである。

 折しも、今日は敬老の日! 
新聞もテレビも、“鬼の首を取った”ように高齢者問題を論じているが、該当者の一人
として、何やら申し訳ない?ような気持にもなってくる。

 そんなこんなで、ちょっと“落ち込んでいた”その時に、電話のベルが鳴り響いた。
妻が出ると、どうやら電話の主は孫のよう。それは、妻の口ぶりで、すぐ分る。

 「敬老の日」を祝ってくれる、嬉しい電話! 思わず、目頭が熱くなる。
あゝ、これも、やっぱり、生きていりゃこそ、味わえること。

 樹木希林さんも、生前に語っていたそうである。
「苦しいことや悲しいことがあっても、思いつめないで、一歩下がって別の観点から
見てみることよ。そうすれば、開けてくるものよ」と。

 さあ、カメさんも、カラ元気を出して頑張るか!




樹木希林さん逝く

2018年09月16日 | 随想
 大好きだった樹木希林さんが、とうとう亡くなった。
ガンとの壮絶な戦いの末、75歳でもってあの世に旅立たれたわけであるが、一人の
ファンとして、まことに残念な思いである。

 04年に乳ガンが見つかり、翌年には患部の全摘手術を受けたそうであるが、その
後も腸や副腎あるいは脊椎などにもガンが見つかり、治療は約20か所にも及んだとの
こと。

 彼女はガンに罹ってから、人生観や死生観が変わり、「ガンがありがたい」と思える
ようになっていたそうであるが、誰でもが到達しうる心境ではあるまい。

 「私の場合、体に広がる全身ガン。でもガンには感謝している。経験していなければ
『死』に向き合うこともなかった」と述懐されているのを、何かで読んだ記憶がある。

 また「ガンが見つかっても、驚かない。ガンには必ず原因がある。簡単に治らないから
こそ、自分に客観的になれ、生き方がつましくなった」とも、語っていた。

 彼女を苦しめたのは、ガンだけはない。左目の網膜剥離を発症し、役者には致命的とも
いえる失明宣告を受けた事もあったが、その後視力が戻るという、奇跡にも恵まれた。
 
 だが、今回だけは、その奇跡も起こらず、とうとう旅立ってしまった。
樹木希林さん、長年にわたり我々を楽しませてくれて、本当にありがとう。

 心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
 
 

地方議会に、存在価値はあるか?

2018年09月15日 | 随想
 徳島県の西部に、「東みよし町」という、人口14,478人の自治体がある。
この自治体、極めて平凡な町で、我々徳島県民ですら格別注目に値するような事は
ほとんど無かった。

 それが、こともあろうに、町議会議員(14人)に対する“スーツ購入費助成”の
可否なんてバカバカしいことで、一躍注目を浴びることになったのだから、皮肉な
ものである。

 東みよし町では、慣例として、以前から町議会議員にスーツ購入費の公費助成を
行っていたが、ほとんどの町民がその事実を知らなかったようである。

 都市住民の方から見れば、「随分潤沢な予算がある町なんですね!」と驚かれる
だろうが、(財源が潤沢なのではなく)ただ単に“田舎町の鈍感さ”だけのこと。


 今まで、そんなバカげたことに疑問を呈する議員も無く、また町長や理事者側も
「税金の使途として、如何なものか」という、至極まっとうな指摘も無かったという
ことである。

 だが今回、そのことが地元紙・徳島新聞に大きく報道されたものだから、さすがの
“のんびり議会”も大慌て!

 どうやら、新人議員を中心に“良識派”が「見直し」を主張し始め、慣例に色濃く
染まった“守旧派”も、次の選挙のこともあって?助成廃止に賛同したようである。

 いま全国各地で地方議会議員の「なり手不足」が言われているが、東みよし町では、
既に、その対策と称して、議員報酬も引き上げ済みとか。

 なんと、手回しの良いことよ!
それにしても、このような地方議会というのは、本当に必要な存在なのか?

 全国的には、相当な経費がかかっている筈である。 

 今まさに、自民党総裁選も真っ最中! 
安倍首相にも、石破元幹事長にも、そのことを是非ともお聞きしたいものである。

 だが、カメさんの繰り言なんか、“聞く耳”を持ってはくれまいなあ・・・・

粋な生き方

2018年09月14日 | 随想
 今日は、生憎の雨。
それも断続的な雨で、何やら未練がましく、野菜畑で仕事に取り掛かろうとすると、
降ってくる。

 「えゝい、もう畑仕事は諦めた。本でも読もう」と いうことで、積読状態の本の
中から一冊を取り出した。

 大して気も乗らなかったが、パラパラめくっているうち「人として“粋な生き方”
をしたいものである」なんて、文章に出くわした。

 どうやら、発言の主は哲学者か宗教学者のようだった。
でも、一口に「粋」と言ったって、それってどんな意味なんだ?

 新明解さん(新明解国語辞典)で探してみると、『着ている物や仕草が気が利いて
見える様子』とあり、『副次的には、遊び慣れていることや、花柳界の事情に通じて
いることをも表す』とも、書いてある。

 はるか昔に、カメさんも、“粋筋”なんて言葉を聞いたことがある。
だが、本の著者が言わんとするのは、そんな“副次的”な意味ではないようだ。

 なおもページをめくると、粋な生き方とは、「あか抜けしていて」「はりがあって」
「色っぽい」ことだ。と 書いてある。

 はゝア、要するにカメさんの反対か!
どう見たって、このカメさん。「あか抜けしていない」し、「はりは無い」し、その上
「無骨もの」と来た。

 だが、ここで、その本を放り出しては、おしまいよ!
我慢して更に読んでいくと、結構いいことが書いてある。

 「あかぬけしている」というのは、諦観。諦めのことで、何事も貪欲に最後まで追及
しないで、一定の所で満足して諦めるのが肝要とある。

 たとえば、50歳には50歳の、80歳には80歳の、それぞれの健康がある筈である。
少々おしっこの出が悪くても、耳が遠くなっても、目が見えにくくなっても、グダグダと
文句ばかり並べず、それはそれで良しとする。

 現在の状況を受け入れて、許された範囲で楽しく毎日を過ごす工夫をすれば良いのだ。
と のこと。

 さらに嬉しいのは、ここからである。
「年をとっても、恋をして良いのです。素敵な人を、ただ遠くから眺めるだけでも良いの
です。手の届かな大スターに恋をしても良いのです。そして最後までは追い求めず、ある
一定のところでブレーキを利かせるのが大人です。
 すると、そこで心の中に渦が巻き、一種の“ときめき”が生まれます。その“ときめき”
こそが、人の心を若く、元気にするのです。」と のご託宣。

 そうか、なるほど!
それって、“高齢者若返り”の秘訣かも。
 
 ひょっとして、寝たきり状態の人が跳び起きたりして・・・・

 

歯科治療で、「歯の型取り」をする。

2018年09月13日 | 随想
 歯科治療の一環として、「歯の型取り」をして頂いた。
最初は、先生が「今日は、型を取らせて頂きますので ネ」と軽い口調で仰るので、
「ハイハイ、よろしくお願いします」なんて、気軽に構えていた。

 そして、いつものように口を大きく開いて施術開始を待っていると、先ずは何やら
“ごぞごぞ”と、口の中で準備作業?をしているかのようだった。

 程なく、先生が「それでは、これから型を取ります」と言いながら固い鉄の物体を
口の中に押し込むと、「ウン?これは小さいか・・・」なんて言いながら、また違う
鉄の物体を嵌め込んでみたりしていた。

 やがて「あゝ、これで合いそうだな。これでいこう」ってなことで、その鉄の容器
の中に何やら塗り込んでいた様子。

 しばし沈黙のあと、「それでは、お口を大きく開けて下さい。すこし匂いますけど、
ご辛抱ください」と言いながら、下顎にヒヤッとした物をググっと押し付けてきた。

 先生が「シタをウエに出してください」なんて言うのであるが、「エッ、下を上に
出せって?」 それ なに? 

 だが、それも一瞬。「ハハア、舌を鉄の容器の上に載せろってこと?」と気がつき、
どうにか こうにか、舌を上に載せることに成功!

 「ハイハイ、そのままで5分間我慢して下さいね。お鼻から息をしてくださいね」
と ご親切なこと。

 だが当方、ものも言えない身の上である。「ハイハイ」と、頭を振って合図した。
だが、この5分間というのが、また長いこと!待っても 待っても、なかなかである。

 その間、上を向いて横たわっていると眠ってしまうので、自分の姿を思い描いている
と、鉄のワッカを咥えている自分が牙を剝いた“カバ”のように思えてきた。
 
 思わず吹き出しそうになったが、何とか我慢しているうち、やっと終わって「ホッ」
とした。

 と 一安心したところで、「ハイ、次は上顎の型取りをしますね」と ありがたい?
お言葉である。

 「え~、まだやるの!」なんて思ったところで、どうにもならぬ。
なにしろ、カメさんの為にして頂いていることである。
 
 だが、この上顎の型取りこそが、最難関。
何やら、上顎に鉄の容器が触れると“変な感覚”が走りそうになる。なんでも、上顎の
奧には“嘔吐神経”というものがあって、人によっては大変らしい。

 だが、そこは耄碌(モウロク)進行中?のカメさんである。
吐き気を催すこともなく、5分間じっと我慢の子。

 そんな、こんなで、「型取り」も無事終了という次第。
次回はいよいよ「ブリッジ」という段になるが、さて・・・・


東山魁夷の「唐招提寺御影堂障壁画」を鑑賞

2018年09月12日 | 随想
 東山魁夷の「唐招提寺御影堂障壁画」は、本当に素晴らしい。
小泉元首相ではないが、感動した!

 奈良の唐招提寺御影堂(現在修復工事中)の室内を原寸大で復元し、生誕110年記念展
の一環として展示されたものであるが見応え十分、素晴らしさに見とれてしまった。

 この障壁画は全部で68面の襖と床の間に描かれたもので、東山魁夷が唐招提寺から依頼
を受けてから10年の歳月を費やして完成させた、画伯畢生の作品である。
  
 唐招提寺を開いた鑑真和上の出身地・唐の国と、日本へ来る途中に失明した和上がその目
で見たかったであろう日本の風景を描いた壮大な作品で、如何に芸術に疎いカメさんでも、
その圧倒的なボリューム感と、あまりの美しさに心を打たれ、いつまでも、その場に佇んで
いたい気分であった。

 この展覧会は東山画伯の画業をたどるため、御影堂障壁画の他にも、その代表作が数多く
展示され、“国民的風景画家”と称される画伯の表現世界を、十分に堪能させて頂けるもの
となっている。

 それに加え、この美術館のレストランが、また素晴らしい!
岡崎公園の一角・琵琶湖疎水に面したテラス席には爽やかな風が吹き渡り、「湯葉カレー」
の味も格別だった。

 
御影堂障壁画の一部
 

御影堂障壁画の一部


代表作の一つ「道}


展示会の看板


湯葉カレーと野菜カレー(テラスの背後は琵琶湖疎水)