子供の頃、三条に行くと八幡宮で猿や孔雀をみたり
姉妹で遊んだ楽しい記憶はあっても、
お祭りだからと遊びに行ったはずなのに
お祭りなんて見たこともない(笑)
同時期東京の会社に就職した父の妹が里帰りしてた時に
一度だけ一緒にデパートに連れて行ってもらったことがあり、
子供心に楽しみについては行ったけど
デパートの宝石売り場に直行し、
おばあさんが叔母にネックレスを買ってあげ、その後寄り道なく帰ってきたり、
挙句
夜寝ている時、おばあさんに手を踏まれて、
骨にヒビが入ってしまったことがあって、
痛くて泣いていた私におばあさんが
「そんなとこに手を置いて寝てるのが悪い」
と言われる始末(笑)
三条に行く時は両親が送ってくれ
数日して迎えにきてくれる感じで
家族5人で泊まったこともない。
迎えにきてくれた日から、
新潟の海近くの民宿や佐渡に行ったり
2日くらい家族旅行をして帰る感じで、
正直その2日間の方が楽しい。
三条での楽しい記憶なんてほとんどなくて、
指の怪我をした翌年から私が嫌だと言い出し、
姉も妹も行きたくないということで
それ以来行くことはなくなりました。
先日三条の八幡宮に父の同級生が会いに来てくれ、
父が同級生とお喋りをしているとき、
私たちは私たちでまったりとお喋りしながら、
「そう言えばさ、、、」
と懐かしい景色を見ながら
不思議に思ってた事を聞いてみました。
母は
夏休みにお友達はおじいちゃん、おばあちゃんの
ところに遊びに行くから、
子供たちにもそういう体験をさせてあげたかった。
って。
お祭に連れて行ってあげてください。
子供たちに何か買ってあげてくださいって
お願いしたんだよ
と。
姉と私はお祭りなんて行ったことないし、
何も買ってもらったことないよね。
と言っていたら
そうなんだよね、三条の帰りにそう言ってたよね…
と母。
更に
預かってやるから日当と小遣いよこせ!
と言われて、いつもお金包んでお願いしてたんだけどね。
って(笑)
それを聞いてデパートでの事とかが妙に納得できてしまい、
「えー!そうなんだー
じゃあ、お母さんも私たちの話を聞いて
悔しい思いしてたんだね。
そういうことなら別に行きたくなかったのにぃ〜 」
と私たち。
母が、孫くらい可愛がってくれると思ったんだけどね、、、
と。
私は
「可愛くなかったんだよ、きっと(笑)」
「それにしても、すごいな…」
といったら、
聞いていた私の旦那さんが
怒っているというより呆れた感じで、
「なんだそれ…、ふざけてる」と。
確かにそうなのだけど、
既に亡くなってる人だし
月日も経ち過ぎているからか…、なんだろう?
怒りとかの感情より、なんだか妙に可笑しくて話していたら笑いが出てしまい、
それに釣られて母も笑い出して
何がおかしいのか正直わからないけど、
母と姉と私で
「すごいよね」といいながら大笑いしてしまいました。
日当だせとか…
そんなとこに手を置いてるのが悪いとか、
今思い出しても なんだか笑っちゃいますが、
その祖父母が年老いて生活が大変だといい
三条から出てきて、
両親が私たちのウチの近くのマンションを用意し
お米がないと電話が来ては届けたり、
生活費全ての面倒をみていたにも関わらず
長男だから当たり前だと言われ、
何があれば長男なんだから長男なんだから…。
祖父が亡くなり、葬儀のあと兄弟で遺品分けをし、
父が貰った遺品まで取り上げて何も渡さなかった
おばあさんの徹底ぶりが意味がわからなすぎて。
でも、それが大きなきっかけとなり
祖父の葬儀後これ以上は無理だから
と、神奈川に住む弟に引き取ってもらいました。
父と弟妹との関係は決して悪くはなかったので、
おばあさんが神奈川へ行った後も、
弟とは連絡をしあったりもしていて、
まもなく神奈川に家を新築し
新築祝いに行ったときに
話の流れから弟が
「お母さんが1000万出してくれた」
と言ったのが決定的になり弟との関係も悪くなってしまいました。
結婚してからずっとお金の無心をされ
20年以上送り続けていたお金だったのです。
ウチは商売をしていて
うまくいっていたとはいえ、
父が家を建てた時は、まだお金の余裕もない時。
上棟式に母の兄妹も集まる手前、
出席して欲しいとお願いをしたら
日当だせといわれ、
お金を払ってきてもらったそうで、
その時父は母の前で初めて情けないと言って
泣いたそうなのです。
それなのに、弟のために出した、
しかも父達が働いて送っていたお金とわかり
しかも父達が働いて送っていたお金とわかり
それは悔しかったことでしょう。
いくら親だからといえ、
今でいう毒親と何故そこまでして
付き合いを続けなければならなかったのか…
と思ってしまうわけですが、
向こうから連絡をしてくるのも一つの理由は
あるものの、
親なく育った母が
どんな親でも親がいるだけいいじゃない
と言って、出来ることをやってあげようと、
父より母が陰で頑張って付き合いをしていたのですが、
結局思い出の遺品まで取り上げられ悔しい思いを
することになった父を見て
母も見切りがついたわけです。
そんな神奈川のウチに行った祖母も亡くなり
父の弟妹をはじめ、
その子供たち(私のいとこ)たちも葬儀の際
泣いていたのですが、
父を含め私も家族は誰も泣かなかったんです。
私の家族それぞれの気持ちはわかりませんが
私個人の気持ちとすれば、
色んなことに頭に来ていたということもなく、
決して悲しくないわけでもなく…、
ただ、身内というより、ご近所というか
少し距離のある知り合いの葬儀に参列
しているような感じというのか…?
涙が出てしまうことはなかったのです。
でも、葬儀が終わって会食時に
喪主である父の弟に
お前たちは冷たいな。
あんなに可愛がってもらったのに
悲しくないのか?
と言われて。
冷たいと言われた言葉が妙にショックで、
その時は、涙が出なかった自分を責めるような
感情でいっぱいになってしまい、
自分だけでなくうちの家族は冷たいのかも…
なんて思いながら、
冷たいという言葉を引きずっていました。
でも
時が過ぎ思う事は、
「あんなに可愛がってもらった」
の 「あんなに」の意味が全くわからないし
弟妹の子供達は、私たち姉妹とは少し違った
接し方をしてもらっていたって事ではないか…
と思ってたりしてます。
長くなりましたが
ここまで読んで下さりありがとうございました。
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