■日本円の購買力が1970年代に逆戻りしてしまったことの意味とは
東洋経済 2021/9/12
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87089
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1990年代に、日本人は海外で貴族のような旅行をすることができた。
ところが、その後、円の購買力が低下した。
最近の購買力は、 2010年の7割程度で、1970年代前半の水準にまで戻ってしまった。
こうなったのは、円高になるとそれを阻止して、円安に誘導する政策が行われてきたからだ。
つまり、日本は自ら望んで貧しくなったと言える。
この結果 、人材を日本に呼ぶことができなくなる。
高齢化が進む日本にとって、これは深刻な問題だ。
・90年代の夢のような豊かさ
1960年代の末、1ドル=360円の時代に、私はアメリカに留学して、貧乏生活を強いられた。
当時の私の日本での月給は、2万3000円程度だった。
ところが、留学先のカリフォルニア大学ロサンゼルス校の周辺にあるアパートは、独身用一部屋でも、すべて100ドルを超えていた。
日本とアメリカの豊かさの差を思い知らされた。
それから20年後の1990年代、事態は一変した。
わが家は、家族5人で、何度か欧米を旅行した。
観光地で最高級のホテルを泊まり歩き、貴族さながらの旅をした。
オリンピック、バルセロナ大会の頃のことだ。
由緒あるロンドンのクラリッジズホテルに、家族全員で泊まったこともある。
アメリカでの貧乏学生生活のカタキを取った気分になった。
それから暫くも、外国で優雅な生活をできる時代が続いた。
2005年には、アメリカ、カリフォルニア州のシリコンバレーにあるアパートに、1年間ほど住んでいた。
スタンフォード大学の近くの、緑の環境に囲まれた素晴らしいアパートだった。
ところが、いまではこれらは、夢のような話になっている。
家族5人で欧米の豪華ホテルを泊まり歩くことなど、想像もできない。
シリコンバレーのアパートも、高くて手が出ないだろう。
1990年代、外国の学者は、「日本の大学に1年滞在したいのだが、生活費が高いので無理だ」と言っていた。
いまはそれが逆になっている。
日本の学者は、外国に収入源があるのでないと、簡単には外国で研究生活をするわけにはいかない。
日本の学生が欧米の大学に留学するのも、ますます難しくなっている。
・70年代から90年代まで、円の価値が高まる
上で見たような変化が生じたのは、為替レートが変化したためだ。
1960年代の後半、最初の貧乏学生を強いられていたとき、日米の為替レートは、1ドル=360円というレートに固定されていた。
1971年8月15日の「ニクソン・ショック」で米ドルと金の兌換が一時停止された。
72年には、ドイツ・マルクが変動を始めた。
この時、私はエール大学の大学院の学生だった。
ちょうど国際金融の講義の時間に、ドイツ・マルクが変動を始めた。
教室にいた学生の1人が、”The Mark is floating"と大声で叫んだことを、いまでも覚えている。
73年2月には円もフロートを始めた。
そして、76年1月に、変動為替相場制度が導入された。
その後、ドルに対する価値は、日に日に上昇していった。
つまり、円高になっていった。
この動きは、80年代、90年代を通じて続いた。
それがピークになったのが、90年代の前半だったのだ。
・購買力平価、実質為替レート指数とは
ある国の通貨の国際的な価値を表わすのに、購買力平価と実質為替レート指数という概念が用いられる。
円とドルを例に取って示せば、つぎのとおりだ。
ある基準時点から、アメリカでは賃金や物価が上がり、日本では上がらないとする。
この場合、日本人がアメリカで同じものを基準時点と同じ負担で買えるためには、基準時点より円高になる必要がある。
この為替レートが「購買力平価」(PPP)と呼ばれるものだ。
購買力平価と実際の為替レートの比率が、「実質為替レート指数」である。
この値が100を下回るのは、実際の為替レートが購買力平価より円安である場合だ(逆なら、逆)。
基準年次と同じ購買力を維持できるほど、実際の為替レートが円高になっていないのだ。
・いまの円の購買力は90年代の半分以下
2010年を100とする実質実効為替レート指数の変化を見ると、下図のとおりだ(「実効」とは、対ドルだけでなく、さまざまな通貨との総合的な関係を示していることを意味する)。
1970年には実質実効為替レート指数は58程度であった。
変動制に移行して以降、70年代後半まで、一貫して円高に動いた。
その後一時的に円安になり、80年代の中頃までその状態が続いたが、80年代の後半から再び円高が生じ、1995年4月には実質実効為替レート指数は150.8となった。
これは、1970年代初めの3倍程度の水準だ。
その後下落して1997年には100程度になったが、99年ごろから再び円高になり、2000年には120台となった。
下落傾向は続き、2007年には80台となった。
リーマンショック後の2009年ごろに再び円高になり、100を超えた。
その後、2013年から顕著な円安が進行した。
結局のところ、最近の実質実効為替レート指数は、90年代中ごろのピークに比べると、半分以下の値になった。
そして、最近時点では、日本円の購買力は、1970年代と同程度にまで低下してしまった(図には2020年12月の値までしか示していない)。
その頃の留学生生活を思い出してみると、街を歩いても商店に入っても、豊かさに目も眩むほどだった。
あらゆるものに対して、「アメリカは何と豊かな社会なのだろう」と驚嘆した。
80年代と90年代にそれが逆転したのだが、いまにしてみれば、つかの間の夢に過ぎなかった。
そしていま、アメリカに最初に留学した時と同じ状態に戻ってしまったのだと思うと、感慨深い。
なお、ここで言っている「豊かさ」とは、絶対的なものではなく相対的なものだ。
例えば、1970年代には日本人はロンドンの3流ホテルにしか泊まることができなかったが、80年代、90年代には1流ホテルに泊まれるようになった。
ところがいまはまた、3流ホテルに戻ってしまったと言うようなことだ。
3流ホテルといえども、いまの設備は、70年代の1流ホテルよりよいかもしれない。
例えば、70年代には一応ホテルにもエアコンがなかったかもしれないが、いまは3流ホテルにもあるといったことだ。
・日本は自ら望んで貧しくなった
なぜ購買力平価を維持できず円安になってしまったのか?
それは円高が進むと、それを食い止め、円安にするような政策が行われてきたからだ。
円売り・ドル買いの為替介入は、1990年代から断続的になされていた。
そして、2001年の1月から、顕著な介入が行われた。
その背景は、円高が進んだことだ。
アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーン スパン議長(当時)が政策金利の引き下げを示唆したため、アメリカの短期金利が低下するとの予測が市場に広まり、円高が進行したのである。
為替レートは、02年初めの1ドル=130円台から、03年初めには110円台まで上昇した。
さらに、100円に近づいた。
政府・日銀は、これを危機的な状況と捉え、03年1月から頻繁なドル買いを開始した。
04年3月まで継続的に行なわれた介入の総額は、38兆円を超えた。
これによって円高の進行は止まった。
2010年頃にも円高が進行し、民主党政権は必死になって円安を求めた(ただし、成功しなかった)。
2013年からのアベノミクスの異次元緩和では、市中から大量の国債を購入し、利回りが低下。
このため、円安が進行した。
日本の購買力が低下するということは、日本に所得源があって外国で使うと、いままでのように高い価値のものを買えなくなるということだ。
逆に、外国に所得源があって日本で使えば、いままでより価値があるものを買えることになる。
1980年代、90年代には、日本で所得を得て外国で使えば、贅沢な消費ができた。
それが、いまでは、70年代に逆戻りしてしまった。
繰り返すが、日本は自ら望んで、そのような状況を作り出してきたのである。
誠に愚かなことだと言わざるをえない。
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