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過去日記

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いい人・優しい人。     (20061212)

2012-06-07 13:32:12 | ■生きるとは・なんぞや?■
父方の祖母が、体力の衰弱から入院して、そろそろ1年になります。それに伴って、痴呆症も併発してしまったそうです。

祖母とは、家の性質上、よく賭け花札をしました。( 中学生くらいまで。 )
花札を止めるまでの数年間は、本当によく、打ち合いました。
「 ババァーブックだ!死にやがれ!ったー! 」と、札をめくったり。
「 雨四光だ!このハゲ! 」と、追い討ちをかけたり。
大抵は、調子に乗っていると、おばあちゃんがカス逃げをしたりして、逃げられてしまう事の方が多かったですが。
「 おばーちゃん!五光はやめて~! 」とか、
「 トリプルブックはやめて~!! 」とか、本気で喜怒哀楽MAX気味で、打ち合いました。
おばあちゃんも、「 このガキ!手役だ!さっさとよこせ! 」と、双方、結構口が悪かったと思います。

おばあちゃんとは、時々食事に行きました。
手を引きました。(手を繋ぐのは、好きではなかったのですが。)
足が弱って来ているおばあちゃんの、背中に手を添えたりして、転ばないように気をつけました。
父や母に言われていたので、必要以上に花札以外では、優しく接していたと思います。
二人で、歌舞伎にも行きました。家族で、何度か旅行もしました。旅行先でも、花札を打ちました。

父母が6~7年前に離婚をして以来、おばあちゃんとは会っていません。
10月ごろ、弟が父と一緒に祖母の病院へ行き、見舞って来たと言いました。
弟は、おばあちゃん、長くなさそうだと言っていました。
おばあちゃんは、私の事をずっと話していたそうです。
「 今日も、○○○(私)が来てくれたから、心配ないよ。 」
「 さっきも、○○○(私)が散歩に連れて行ってくれたから。 」
「 この後、○○○(私)が来てくれるから、大丈夫だよ。 」と。

父は困って、「 ○○○(私)はもう、ここ(病院)へは来ないから 」と何度か言ったそうですが、
その度に、おばあちゃんは「 ○○○(私)は、毎日来てくれてるから。 」と。
「 さっきも、来てくれたから。この後も、来てくれるから。 」と、繰り返し言っていたそうです。

私は、行きません。これからも。たとへ、この先。おばあちゃんのお葬式だったとしても、私は行かないでしょう。
父方、母方のシガラミが。人間関係が。相続の問題が。
幼い頃から、目の当たりにして来て。冷たいようですが、躊躇してしまいます。

弟と母と私。夜に立ち寄った弟が、一通り報告をしてくれました。
私は、「 そっか、私が毎日、おばあちゃんのお世話してるのかー。 」と、笑ってみました。
母は、「 それが、そんなに嬉しい事なのか!?自慢なのか!? 」と、蔑むように、嫌そう言いました。
母は、祖母が嫌いです。父との結婚の挨拶の際、なじられた事が、忘れられないようでした。
「 このパンスケ! 」「 泥棒猫! 」「 乞食ヤロウ! 」と、散々、罵られたそうです。
母のお腹には、私が居ました。何人かの流産の後に、やっと出来た子供だと言っていました。
結婚してからも、ずっと。母は、父の母と姉に強いられて来たそうです。
結婚式にも、出てくれなかったのも、家に上げてもらえなかったのも、きっと母は辛かったのでしょう。
祖母の方は、家が衰退して、生活は父が子供の頃から困窮し、やっと父がプロデビューして、
生活が楽に成ると思っていたた矢先に母と結婚する事になった経緯が、許し難かったのでしょう。

私は、ただ。。。居たたまれなかっただけ。
どうして、そんな風に思われているのか、悲しかっただけ。
自分自身が、やりきれなかっただけ。

私は、昔から。人の記憶に残るのが、イヤでたまりませんでした。
良くも悪くも、人の印象に残る事が、とてもイヤでたまりません。それは、今でもあまり変わりません。
ですから、写真を撮るのも、携帯を持つのも、嫌いで成りません。
仕事で、仕方なく撮らざるを得ない場合を除き、プライベートでは、ほとんど撮ったりもしません。
( 携帯やメアド交換は、いろんな意味で制限されるのが嫌いで、持ちません。 )

なのに何故?良い意味で「 誤解 」されるんだろう。(嫌われる事も、たくさんありますけれど。)
「 良い人 」「 優しい人 」。何度、言われただろう?
その度に、私は自分が大嫌いに成って行く。居たたまれなく成って行く。泣きたくなって来る。
嫌われて、スルーされた方が、とても気がラクなのに。

人と話すとき、大抵笑顔で、嬉しそうに応対してる。それは、ケンカや詮索されるのがメンドウだから。
私から、会話やジョークをする時は、話せない人が居るから、その人に話を振っているだけなのに。
イジメみたいで、気になってしまうから。気になるくらいなら、アクションを起こして、後悔する方が、マシだから。
私は、ラクなことばかり考えている。譲っている方が、ラクだから。
主張するほど、執着するほど、なにかにポリシーがあるわけじゃないから。

「 純粋な人 」「 リーダーシップがあるよね 」。何度言われただろう?
嘲笑が、クセになる。そんなヤツ!いねーよ!!   心の中は、こんなに最低なのにね。
いつも一緒に居た子を、傷つけた。「 いつも、おまえばかり何でも決めてズルイ! 」
泣かない子だったのに。気の強い子だったのに。人前で、取り乱すほど、私は彼女を傷つけた。
きっと、私の全てが。言動が、態度が、高校時代の友人を傷つけてばかりいたのだろう。
気をつけていたつもりだったのに。良かれと思っていたことだったのに。私は、身近な少女を傷つけていた。

おとなしくしている「 つもり 」だったんだ。目立たないようにしている、つもりだったんだ。
なのに、私の存在が、誰かを傷つけてばかりいる。
それに気付くたび、どれほど嫌悪しただろう。どれほど、自分自身を嘲笑しただろう。

人に、「 優しい 」と言われる度に、その人物に怒りがわいてくる。
傷つけたいとすら、追い詰めてしまいたいとすら、感じてしまう。だから、優しく笑う。
次に、出来るだけ出会わないように、優しく接して逃げるように成っていた。
傷つけたくないから、言葉や態度。シチュエーションを利用して、いたぶりたくないから。
「 優しい人 」のまま、終われるように。次の出会いがないように、行動をとるようになった。
実際に傷つけて、自分が苦しむのがイヤだったから。
もしくは、傷つかずに。何も感じない事に、気付きたくなかったから。
それを、「 楽しいゲーム性 」だと感じてしまう事が、怖かったから。
だから、次の出会いを、やんわりと断るようになっていた。

私は、人を意図して傷つけた後、「 どう感じるのか 」知りたくなかったから。怖かったから。
それは、きっと。自分自身すら、自分自身を信じていないって事なのだろうと思います。
このまま。誰とも関わらず、生きるのも悪くないと思い始めてる。
ずっと、誰とも変わりたくないと、願っていた事もあったから。それが心地よいと、思っていたこともあるから。
。。。それでも、「 無理せず 」誰かと出会えたら、いいなあとも思う。全力で愛するのにとも、思う。
何かに、情熱を傾けられる何かに、出会えたらいいのになあとも思う。全ての力を試してみたいとも思う。
傲慢だね。改めて思う。自分がどれほど醜いか、文章にすると良く解かる。
言っている事と、思っている事と、願っている事の方向性の全ての違い。
だから、動けない。動きたくないのかも知れない。
何かに、どれか一つに決める事が、まだ、怖いのかも知れない。身の程知らずだねとも、同時に思う。
それでも、何かを強く思っている時の自分自身が、好きだったから。その安定感を、覚えてる。
「 誰か 」「 何か 」が、私には、必要なのかも知れない。

でも、「 一番 」「 特別な何か 」を作る事の怖さも、覚えてる。

既成事実。     (20060830)

2012-06-07 13:30:44 | ■生きるとは・なんぞや?■
私は、温泉が好きでした。家族や友達、年に何度か行きました。
お酒を飲みました。カラオケも歌いまくりました。
私は自他共に認める、極度の音痴です。
シカトです。吹っ切れると、歌うことが大好きになりました。
歌詞にたくさんの英語が入っていると、適当な日本語で好き勝手に、ナレーションに切り替えてしまいました。
接待でよく歌っていた軍歌も、時には大熱唱しました。もちろん、適当なナレーションも入れました。

私は、バッティングセンターが好きでした。弟や従姉妹、友達とも何度も行きました。
週に1~2回は、少なくても行くようになってました。90キロの球を、好んで打っていました。
それ以上の速さだと、好きな場所に、好きなように、打ち返せないことが不満だったからです。
マイバットも持つようになりました。車の運転席の下に、無造作に置くようになりました。

いつか、、、、、、、、、、、。
生きることに誤魔化せなくなったとき、温泉でたくさんのお酒を煽って、楽しんだ後にサウナでの「 調子に乗って飲んだ上での事故死 」を考えていました。

週末の集会に、ときどきギャラリーとして暴走行為やドレスアップした車を見に行くことがありました。
クラクションを鳴らし、あきらかに煽るように鳴らすこともありました。
すると、一緒に同乗していた人物はこぞって、私をとめました。私は、笑っています。
「 調子に乗った上での乱闘死 」。それでいいと、思っていました。
バットを持っていたのは、相手を煽るためです。けれど、私は趣味でバットを「 たまたま持っていた 」だけでした。
会社には、「 自殺 」とは、映る事はないだろうと、時間をかけて年月をかけて、印象付けました。。。

いまは、死にません。ずっと、長生きをしようと思います。稚拙な自分自身の思惑が、とても恥ずかしい限りです。

けれど、一度もからまれた事が無いのが、今もって皮肉だなあと思います。

・・自殺予告・・     (20060824)

2012-06-07 13:29:12 | ■生きるとは・なんぞや?■
23~24歳の頃、付き合っていた女性が自殺の予告をしてきたことがあります。
成人してからは、初めて私の名前と住所を教えた人でした。原因は、私の別れ話からだったと思います。

彼女からの電話は、切羽詰ったものでした。子供を連れてこれから自殺する、、、と。

数分迷った後、私は母に全てを打ち明けました。
「 私はバイセクシャルで、いま付き合っている女性から自殺の予告を受けたので、直ぐに行って来る 」と。
母は、私をとめました。本当に自殺するハズがないと。会社はどうなるんだと、私をとめました。

私は、彼女の命より、、、これから襲い掛かってくるだろう私の内の良心の呵責を一番に恐れていました。
そしてもし、本当に子供たちを死なせてしまったとしたら、その命の重さに恐れていました。
けれど、きっと彼女は死なない。そんな確信もありました。
理由はいくつかありますが、それはやっぱり、結果論や仮定でしかありませんけれど。。

結果。彼女は自殺をせずに、新しい命を儲けていました。
私は安堵と共に、少しの拍子抜けを感じていました。けれど、これで良かったんだと思います。
しばらくして、母と父が離婚に至りました。

母が私に言います。
女の顔で。女のどこか媚びた声で。
「 優しくして 」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私がどれほど、失望と絶望をしたのか。。。きっと、あなたには、解らない。
どんな気持ちで、私が「 バイセクシャル 」だと告白したのか、あなたは気付かない。
信じたかった、最後の絆を断ち切ったのは、おかあさん、あなたの方なんだよ。
私の中の最後の欠片を壊したのは、あなたのそんな一言だったんだよ。

人として、最後に残していた希望。
それを粉々に砕かれた気分だったんだ。本当に、やりきれない気持ちで、どうしようもなかったんだ。
私は更に人を愛せなくなった気がする。
27歳のときに、高校のときに付き合っていた彼女の葬儀の知らせを受けてから、恋人を作らなくなった。
もうずっと、一人で居ます。それでいいと、どこか思いながら。それでも、誰かを、探しているのかも知れません。

自殺の予告。。。。。。。。。。。
ねえ?本当に、死ぬ気があった?それほど、私が好きだった?
だけどあなたは、お金のことばかり。
いつも、「 生活はどうするの? 」「 どんな暮らしをさせてくれるの? 」としか、言わなかったね。
あなたはより良い生活がしたかっただけ、、違う?
私の手を取って、セックスの後に「 この指が好き。もうほかじゃ感じない。 」って、言ってくれたよね。
私は笑っていたけれど、本当は傷ついていたんだよ。悲しかったんだよ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

そんなことを言う資格は私には無い、解ってる。
そう仕向けていたのは。。。私自身なんだから。。。お金やセックスに溺れない恋人が欲しかった。
そんな妄執に溺れているのは。。。私自身なのにね。

母や家族。恋人に言われたことがあります。
「 人間らしい感情はないのか? 」「 人間らしいリアクションをしてくれよ 」。。。ごめん、良く解らないんだ。本当に。
全ては、どんなことも幾パターンにも分類されたシチュエーションを予測できるでしょ?
そして応用したり、臨機応変に応じて、幾パターンかを組み合わせてみたり、差し引いてみたり、、
時には、予測した反対のシチュエーションすらも、射程圏内であったりと、、いろいろな事があるでしょう?
どんな事も、大抵は、、、その中の一つにしか過ぎないと、思うんだ。

でもね?それでもね、私だって傷つく事だってあるんだよ。
悲しいと思うことだってあるんだよ?悔しかったり。。。やり切れないと思うことだって、たくさんあるんだよ?
苦しいと思うことだって、、、たくさんあったんだよ。
人事がどれほど苦しかったか、解らないでしょう?フォローがどれほど苦しかったか、知らないでしょう?
接待がどれほど、私を責め苛んだが、気付きもしなかったでしょう?
だって、私は笑っていたもの。涼しい顔をしていたもの。それがウソだって、誰も気付いてくれなかったでしょう?
毎日、頭痛が消えなかった。それも知らないでしょう?
ずっと、シミュレーションを繰り返していた。ソレをよりよいものにするために、繰り返し信頼度の高いものにするために。
。。。。。。。。。タイトルと、、話の内容がずいぶん、、ズレてしまいました。。。
書きなぐりの文章。。。上手くまとめる事ができませんでした。それも、自分らしくって、いいかなあと、思いました。
人を呪わば穴3つ。。。くらい、ありそうだなあと、、そんな感じの反省文でした。
。。。。。。。。。。。穴掘って、落ちまくっているのは、、、きっと、私自身なのかも知れないですね。。。。。。。

この頃はまだ、母と会社。。そして自分に課せられた「 責任の重圧 」に、もがき苦しんでいた時期でした。
恋人は、正気を保つための手段のようになっていた時期でもありました。
けれど、「 変わらない想い 」を私に教えれくれたのなら、私はいつでも、恋人を選び取る用意と覚悟がありました。
私はずっと、本気で愛したいと思える人を、自分勝手なルールの中で、待っていたのですから。
自業自得。。因果応報。。やっぱり、人を傷つければ、自分も必ず傷ついていくんだなあと、思います。

キャノンボール       (20060822)

2012-06-07 13:28:10 | ■生きるとは・なんぞや?■
とても自由で、私が男性だったなら、彼のように生きたかったと思ってました。

彼に。彼の存在に、一時期救われた時期もありました。

私は、彼に成りたかったのかも知れません。

けれど、自分自身の手で、全て壊してしまいました。

彼を探してくれていた人がいました。嬉しかった反面、自分自身の感情が怖かった。

ごめんね。。。。。。。

私はいつも、逃げてばかり。逃げ出してばかりいる。

人の、好意から。

私はいつから、人の好意や善意が怖くなったんだろう?大事に思われることが、苦手になったんだろう?

人から憎まれている方が、嫌われている方が、気がラクだと、、、いつから思うように、なってしまったんだろう?

喜怒哀楽。。。MAXの人の感情が、いつから善意であれ好意であれ、苦痛になってしまったんだろう。。。?もう、解らないや。。。

不感症。  (20060819)

2012-06-07 13:26:22 | ■生きるとは・なんぞや?■
私が小学校3~4年生の頃、何度か弟に胸を触られたことがあります。
私の上着をたくし上げて、キスしたり。
私は信じられないほど、恐くなるほど、、、体が敏感に反応してしまいました。
弟に「やめて!お願い!いやだ!」と、言いました。(とても、恐かった。感じてしまったことが、とても恐かったんだと思います。)
2~3度、そんなことがありました。たぶん、好奇心からなんだと思います。
もしかすると、私が身内の人や、知らないおじさんにイタズラされているのを見たことがあるのかも知れません。
ですが、何度か拒否をして、弟もいつしか何もしなくなりました。

何かが、、壊れています。
何かが、、欠けているようにしか、思えません。
それは、私?
私が壊れているのでしょうか?私が欠けているのでしょうか?
もう、解りません。

私が誘っているのでしょうか?
笑いがとまりません。自嘲癖が抜けません。深く考える気が削がれてしまいます。
なんで?服装がいけないの?笑っている私がいけないの?
殴られたくないから、母の選ぶ服を着る。酷いことをされたくないから、解らないフリをして笑う。
どうすれば、自分で自分の身が守れたの?>子供の自分自身を??

もう、疲れました。
疲れ果てるほど、何度も何度も反芻しては、その意味を考えました。自分をなじりました。
それでも、対処法を考えました。理由を探し出したいと思いました。
彼らの私が仮定する性格に当て嵌めて、「なぜ?」そういう事が起こるのか。
何度も何度も、その意味と、なぜ未然に防げないのか、どうしてそうなってしまうのか、考えました。
軌道修正を、何度も何度も考えました。その引き金を引いてしまわないように、地雷を踏まないように。
その「引き金」は、なんなのか?考えました。地雷はなんなのかを、可能な限り考えました。

その人の性格や思考、嗜好などを考えて、会話などをするようになりました。
人から見た「その人物像」と、私から見た「その人の人物像」を、照らし合わせていくようになりました。
少しずつ照合し、今で言うプロファイリングの真似事をするようになっていました。
プライベートでの失敗の中で、培っていく実戦データ。それは、後に仕事でも多大な威力を発揮していくことになりました。
(仕事などのことは、後ほど過去日記の方で触れていくと思います。)

私は、この日を境に、誰に「胸」を触られても、反応することがなくなりました。
胸だけは、どう触られても、なにも感じなくなりました。
精神的なダメージが思いのほか、強かったのかも知れません。
思い出すと、未だに意味も解らずに、泣けてきます。あまりにも自分が情けなさ過ぎて。アホ過ぎて。泣けてきます。

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大人になっても、私たちは子供のフリをお互いにしてました。気付かないフリを、お互いにしてました。
私が弟にアドバイスをする。それが功を奏し、次のステージへ進む。
その報告に、弟は嬉しそうに来る。私がお風呂に入っていても、構わずに満面の笑顔でお礼と次のアドバイスを聞きに来る。
私は、父の後ろ盾でもありました。母の命令で、父のフォローから、弟の全てを守りなさいと命令されました。

いま、私は自由です。全てから、自由になりました。「お金」なんて、要りません。私は私で居たいだけ。。。。。。。。
いま、私には何の力も権限もありません。収入も、ほとんどありません。
それでも、いくつかの思惑が悪意のものも、善意のものも、私は気付かないフリをしています。
何も見たくない。何も聞きたくない。何も関わりたくはない。それが「仕事」となるのなら、余計に。。。。。

弟が言います。「お前は、人が羨む生活がしたくないのか?贅沢な暮らしをまた、したいと思わないのか?俺は嫌だ。もう、金の心配はしたくない」。
弟は、父の会社へ還りました。私はそれで良いと思います。
弟に、何百万貸したか解りません。返してもらうつもりもありませんでした。
ですが、先月から毎月10万円ずつ、返してくれています。
350万円ほど返してもらったら、今度は母がそれ以降、弟から「弟への投資分」を返してもらうと言ってました。

弟は言います。
「もう一度、役員として戻って来い」
「金は金なんだから、綺麗も汚いもない」
「俺が、もう少しして本社に戻ったら、親父に言ってやるから、会社に来なくてもいいから給料だけもらっとけ」と、言います。
私は決まって、「イヤ」。と、言います。母と弟は、「お前は金に困ったことが無いから、キレイゴトばかりを言っている」と、言います。
お金なんて、要らない。必要ない。
何に使うの?仕事をしているときは、お金も含めたゲーム性が無ければ、生きていけなかった。
一瞬でも、自分の足元がすくわれるかも?と言うような緊張感や、エクスタシーが必要だった。
自分自身を少しでも誤魔化す為に。少しでも、麻痺していたかった。
だけど、いまは必要が無い。私は、「責任」を背負ってもいないから。自由でいられるのだから。
他に、なにも必要ない。どうして、それが解ってくれないんだろう。
私は何も要らないのに。欲しくないのに。それが重荷でしかないことに、どうして気付いてくれないんだろう。

お金。。賃金が発生すれば、必ずそこに、「責任」が発生してしまうのに。。。。。。。。。。。。
「ただの役員」?
そんなものが、あの会社で通用すると思っているの?>それを、今の体制が許すと本気で思っているの?
私はもう、関わりあいたくはない。一度手にした自由を、もう、手放したくは無い。それだけなのに、、言葉が通じない。

振り返ってみると。。。私は人を傷つけてばかり。
「ギブ & テイク」だからと。
「恋愛は、フィフティ・フィフティでしょ」と。。。。。。。。。。。。。。酷いことばかり。
いま、私は自分と向き合っていたい。自分がしたことを、誤魔化さずにちゃんと、直視していたい。
それでも、本気で誰かを愛したかったんだ。それはウソじゃない。
私が変わらないなら、変われないなら。お金やセックスに溺れない恋人が欲しかった。それを試してばかりいた。傷つけてばかりいた。
人を信じずに、試して欺いてばかり。そんな自分に、本気で愛せる人なんて現れるわけがないのに。
はじめから、ふるいにかけてばかりいたのだから。いつか、これは誰かに言われた言葉だったね。
誰だったんだろう。。思い出せないよ、馬鹿だね私。こんな言葉をかけてくれた人を、離してしまったんだから。馬鹿だよね。