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過去日記

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愛ってなんだろう?  

2012-06-07 13:23:14 | ■生きるとは・なんぞや?■
欲しいと思うのに、未だにそれがなんなのか、解らない。

中学にあがる頃までに、たくさんの人に触られました。
身内にも、ある時期、毎日触られていました。トイレにも着いて来られました。
私を押さえつけ、泣き叫んでいる私の足を割り、下着を脱がせて笑い転げていました。
それが嫌で、公衆トイレを使うようになりました。
今度は知らないおじさんたちが、公園の裏で私を触るようになりました。
(大人になって思うのは、どうして私ってこんなにバカだったんだろうということです。 
これは、後に過去日記・小学校時代等で触れていきます。)

小学校の修学旅行。
私は人の気配がとても嫌いなので、寝付けずにいました。
目をつぶり、静かに寝付くのを待っていました。
すると、隣に居た彼女が私の布団に近づいてきました。
なんとなく、寝たフリをしてました。
彼女は私の髪を触り、頬や頭を撫でた後、次第に顔を近づけてきました。
息が掛かり、私は寝返りを打ちました。
するとまた暫らくして、私の髪や頭や頬を撫でています。
   気   持   ち   が   悪   い   ! 
気持ちが悪くて、気持ちが悪くて、どうしようもありませんでした。
なぜ?あなたなの!!
あなたなんて、大嫌い!私を、イジメたこともあるじゃない。
私もあなたを、イジメたことがあるじゃない!!それなのに、なんで?
気持ちが悪い。。。。。。。。。。。

この時、私の中で、全てがどうでもよくなりました。
男の人だけじゃなく、女の子にも、そういうことされるんだあーと思ったら、もう自分がどうでも良くなりました。
諦めた様な、乾いた様な笑いが込み上げてきました。
彼女は新学校へと、進んでいきました。

中学に入って、好きな男の子も出来ました。付き合えそうな雰囲気にもなりました。とっても幸せでした。
だけどなぜか、全然知らなかった同じ小学校の女の子と同じクラスになりました。
気が付くと、彼女とそんな関係になっていました。
中学を卒業する2年半くらいの時間を、彼女と関係してました。
彼女は、いつも一線を越えてこようとします。だけど、私は嫌でした。
だから、キスと胸までしか、しませんでした。
それ以上は、自分自身が気持ち悪くて、嫌だったからです。触られるのも触るのも。

けれど、彼女が居たから、私は中学時代を乗り越えたのだと思っています。
だから、拒絶することができなかったし。それは私の打算でしかなかったのでしょうけれど。

高校へ入って。勉強が面白くなりました。
中学時代までオール1と言っても良いほど、成績は悪かったのですが。
高校に入り、あることを境に、私は進学する意志を固めました。
すると、高校生活を通して、平均成績を9以上にキープしました。卒業近くには9.6くらいにはなっていたと思います。
そのくらい、進学率の低い学校でしたが、推薦が取れるまでに初めて頑張りました。

けれど、高校最後のクリスマスに彼女に告白をされました。
なんとなしに、酔いつぶれているほかのメンバーの横で、彼女の告白とキスを受け止めていました。
大学へ行くために頑張っていたのですが、母の事情で専門学校へ行くことになり、もう全てがどうでも良くなっていたのもありました。
そんな私に彼女が私の耳元で「私、下がいい」と言い出しました。

はぁ~~~~~~~~~~~?????????????????????????

驚きました。びっくりしました。パニクリました。
「ちょっと、待て!」と、思わず口走りそうになりました。
そんなこと、初めて言われました。
じゃあ、私が上?私がリードするの?私がするの?
私の意志でしたことも、望んだこともなく。
その私が、私の意志で、これからするの?
なんだか、笑っちゃいました。
そうしたら、それもそれで、まあ、、、いっかあーと、思うようになりました。
いったれ!GO!!と、いうようなノリになってました。
なんだか、自分自身、変なスイッチが入ってしまいました。
隣で寝ている同級生に、バレるならバレてしまえ~というような、ゲーム性を強く感じていました。面白かったんです、きっと。
それから、毎朝学校で彼女と二人、エッチをしてました。
その帰りは気分がノレば、私が彼女の家へ寄り、エッチなことをする関係になりました。

彼女は私より15cmくらい背が高く、私より顔もスタイルも良く、可愛い感じの美人タイプの人でした。
私はロングだった髪を切り、彼女はロングのままキレイに揃えてました。
自分より、大きな人を抱く。なんだか、救われたというよりは、楽しくて楽しくて仕方がなかったという言葉が一番ぴったりと来ます。

私はいつも、同性に心を救われている気がします。
でも、愛ってなんだろう?人を好きになるってなんだろう?
なのになぜ、、私は彼女を傷つけて遠ざけたんだろう。。。。。。。

男性とも、何人かと付き合いました。
体はプラトニックでしたが、私の性根は下品な媚びた娼婦のようでした。
女性とも、何人かと付き合いました。
女性とは、一度付き合いだすと、割と数年単位で付き合うことが多かったと思います。
別れる時は、いきなり目の前から消えました。
こじれたのは、私の名前と住所を知っていた女性のときだけでした。

振り返ってみても、愛していたのかなんて解らない。好きだったのかも、解らない。
ただ、一人。彼女だけ。高校のときの彼女だけが、死んでから私の中で特別な存在になりました。
彼女には、たくさんのことを教えてもらいました。
「もう、ダメだ」と思っても、割と笑い飛ばせることもあるんだと言う事や、
「潔癖」だと思っていたけれど、実はそうでもなかったんだと言う事や、
「一つの答え・真実」に、囚われなくてもいいんじゃないか、と言うことや、、、、、
多くのことを、死んでからも更に教えてもらえている気がしてなりません。

死んでから、人を好きになる。
病んでるなあと、思います。

誰かを愛したい。強く誰かを大切に思いたい。
男?女?どっち?と聞かれても、それは私にも解らない。
ただ、誰かを強く、一番に大切に思いたい。愛したい。好きになりたい。抱きしめて欲しい。抱きしめたい。
それには、やっぱり、、心身ともに健全にならないと。
いつまでも、過去に引きずられていても仕方がない。前を見て歩く方向性を決めなくちゃ。
これから、小学校、中学、高校、専門学校と、過去日記は続いてく。
きっと、私の中で、ぐちゃぐちゃになっちゃうときもあると思う。
今まで、向き合ってこなかったことばかり。それでも、逃げ出さないで、気付かないフリせずに、向き合っていこうと思う。

うん。自分勝手なことばかり。解ってる。
私は自分勝手。自己中心的で傲慢で、人の気持ちなんて考えていない。
それでも、誠実でありたいと思う。そう望む。いつか、誰かに許してもらえる日まで。
最後まで、続けることが出来たら、きっと、いつかは誰かに許してもらえる日が来るかも知れない。
自分自身に許される日が来るかもしれない。自分が「許す」って言ったら、それはズルくても、やっぱり凄い力になると思うから。

やっぱり私は、どんなに誠実で在りたいと望んでも、偽善的でしかないのかも知れない。
ウソがいつか、真実になれるまで、、、、、、、、、、、、、

ベッド。。そして会社の仕組みの中で。。。  (20060811)

2012-06-07 13:20:10 | ■生きるとは・なんぞや?■
。。「愛してる」。。「あなたが好きよ」。。「大好き」。。「結婚しよう」。。「ずっと一緒に居よう」。。

私がベッドで言う言葉。口癖のように、繰り返す愛していると並べ立てていく言葉。
優しい気持ちで、ささやいている。けれど、真実なんて、きっと一つも無く。
真実にするために、口にする。
           それは、私だけの中の、私だけに通じる最低なルール。

いつか、もし。
私に「本気の気持ち」を見せてくれたのなら、私は誰よりもあなたを愛す。
あなたを選ぶ。あなたを守る。あなたを全力で愛するのに。。。。。。。。。。。。。。。そんな、願い。
人を愛するのに、覚悟が必要だから。>私にとっては。
母よりも、会社よりも、、、、誰かを一番に愛したい。それが、私の中の密かな願いだったから。
誰も愛さないために。。愛さないだろうタイプしか、付き合って来なかったのにね。私はウソツキだから。。

男性と、ちゃんとした挿入をしたのは2回。一回目は、22~23歳の頃。
クルマ関係で、知り合った人。とても強い目をしてたから、断れなくなった。
断りたいと、思えなくなったから。コンドームをつけてもらって、初めて挿入した。

荒々しかった。労わってくれているのは解ってた。でも、怖かった。
体を揺すられて。。。。。。。。。。気持ち悪かった。吐きそうだった。
揺れているのが、気分が悪かった。だけど、言えなかった。
「愛してる」と抱きしめて、キスを繰り返し彼にした。
何度も何度も、頭や頬、肩や唇、届く範囲に繰り返しキスをした。
「愛してる」「大好き」と、ささやきながら。だけど、彼の前から姿を消した。もう2度と、出会わなかった。

二度目は、私から一方的に連絡を取っていた女性とその連れの男性との3Pでした。
私が彼女に、「そのうち3Pでもしよっか?」と言っていたから。
たまたま、温泉から帰って来た私が、久しぶりに彼女の携帯にかけたとき、
彼女はその男性と私を探してたと言われ、私はそのままラブホへ向かうことにした。
普通のホテルしか、私は使わないのだけど、指定されたので断るのもどうかと思い、OKをした。
男性にエイズ検査をしたことがあるかと聞き、奥さんの出産の際にして陰性だと言われ、コンドーム着用でお願いをした。
男性は、私だけを抱いた。
彼女は、バスタオル一枚で、ベッドの下に座り、テレビを見ていた。
彼女に「一緒に混じらないの?」と私は聞いて、
男性は「彼女は一度抱いてるから、もういいんだ」と私を抱いた。
私たちは、お互いに冷えていた。お互いに抱き合いながら、最低だなあと思ってた。
事が終わり、男性がシャワーを浴びに行ったので、私は彼女を抱き寄せてキスをした。彼女を脱がし戯れていた。
男性がシャワーを浴び終わり、私たち二人を驚きの眼差しで凝視してた。
笑いながら、「帰りましょうか?」と言って、ホテル代の半分を男性に渡し、駅まで送った。
それが、2回目の最後の挿入でした。後に病院へ膣が切れてしまい行くことになるのですが、自業自得ですね。
その後、車の中で彼女を抱き、そして彼女とも、音信不通になりました。

私は、女性とのエッチでも、彼女たちに挿入されるのを拒みます。
彼女たちに触られるのも、あまり好きではありません。
ですが、私が彼女たちを自由にするのは好きなんです。
彼女たちを目隠しで縛り、体の自由も大抵は奪うように、ゆるく縛ります。
気分によって、ビデオや写真。オモチャを使います。
何時間でも、彼女たちを抱いて楽しみました。もちろん、普通にノーマルに抱くことも半分くらいありました。
首輪をつけたり、野外でのエッチ。車の中で楽しんでみたり。
時間や場所が関係するときなども、それに応じて楽しみました。
1日中、部屋の中で楽しむことが一番多かったですが。
写真などは、全てその日のうちに、彼女に返却します。
そのシチュエーションが好きなだけなので。>撮って撮られての、、たぶん。

ドレスを着せました。それを脱がせました。
気分でプレゼントもしました。「結婚しよう」と、毎週のように、気分が盛り上がれば愛を誓いました。
お姫様を扱うように、愛してるとささやきながらエスコートもしました。
長いキスをしました。飴玉がなくなるまでの長い時間、キスをしました。
キスをするのが、とても好きでした。
いろいろなことをしました。痛いことや、嫌がることはしませんでした。
男性とは精神的な駆け引きを、楽しみました。S同士の攻防戦も楽しみました。
けれど私はたぶん、本当はMです。負けない人、強い人が好きでした。

私はカードを持つのが嫌いなので、いつも現金を持ち歩いていました。
大抵10万は入っていました。多いときで、20~30万ほど入れていました。
財布を恋人に渡すようになりました。全ての会計を、恋人にまかせるようになりました。

「変わらない愛」を、私に見せて欲しかった。
試したのは、いつも私。愛を試すのも、いつも私。
人の気持ちを試すのも、心を明かさないのも私。最低なのは、、、、、私自身です。

心の中で、「変わらない愛」が欲しかった。変わるよう、仕向けているのに。
それでも、「変わらない愛」が欲しかった。矛盾している。人を傷つけるだけ傷つけている。
弁解を許さない。
それでも、お金やセックスに溺れないで、私を愛して欲しかった。私自身を、見て欲しかった。
馬鹿げた執着。馬鹿げた思想。そんなもので、人を傷つけてばかりいた。

誰かを愛したい。たった一人の人を愛したい。ずっと、そう思ってた。願ってた。
だから、たった一人。誰かと出会えたら、母も会社も、全てを敵に回しても全力で守るのに、愛するのにと決めていた。
母は、私を離さない。解ってた。だけど、断ち切れるのに。
会社は、私が施した保証やシステムがいくつかあった。私が守りから攻めに転じたら、どうなるか知っていた。
けれど、誰にでも解る、誰にでも扱える。そんなシステムを目指してた。。。。のに。悲しかった。苦しかった。
(会社の件は、後ほど、過去日記の方で触れていくと思います。)
だって、いつか、私は会社を壊すつもりでもあったから。全てを壊してしまう感情が、心の根底に消えずに残ってたから。。
みんなの生活を守りたいと思う一方で、私を縛るものから消えない憎しみに気づかないフリをしてただけだったから。。
それでも、社員の生活を強固に守りたいと願ってた。出来る限り全ての社員を守りたいと思ってた。
それは、ウソじゃない。けれど、、、苦しかったんだ。誰にも何も言えない事も、裏でしている人事も会社方針も全てが。。。

名誉が欲しかったワケじゃない。お金が欲しかったワケじゃない。地位が欲しかったワケでもない。
欲しかったのは、「自由」だけ。私自身が私自身のものでありたかっただけ。
けれど、事情を知る人は。「成功」を私から譲られたと知る人は。
私から案件を盗んだと自覚している人は。私を憎む。或いは私に負い目を感じてしまう。
私は、それを追及しない。成功も案件も。なにもかも、私にはどうでもよかったことだから。
ただ。それを扱う人たちが、どう、それを育てていくのかが面白かった。
その過程を仮定する。その信頼度を是正するのが楽しかった。
時間を当て嵌める。背景の育っていく、あるいは他方向からのアプローチ。それらを数値化してく。
或いはそれを他人に置き換えて、その発展率などを再計算するのが好きだった。ただ、それだけだったから。
全ての成長を、自分が仮定していた信頼度に当て嵌めて、そのシンクロ率を見るのが好きだった。辛辣に。
それらの信頼度を、プラスマイナス差し引いて、さらに自分の仮定するものの信頼度の信頼性とする。余裕幅の元に。
それが、今度は「余裕幅」として、私の中で余裕と遊び幅が少しずつ増やされていく。仕事の上での「余裕」に成って行く。
それは、人に任せられるということ。私が居なくても、機能していくと言う事。けれど、人は私を殺したいほど憎んでく。会社から追い出して潰してしまいたいほど、いつしか憎まれることもある。
それを、何度か聞いた。本人からも。人を媒介しても。
私は自嘲する。解っていたことだからと。軌道修正をしてもしなくても、遅いか早いかの事だと考えていたから。人によっては。
大事なのは、会社や「社長」にその憎しみが向かないこと。ただそれだけだったから。それでいいと思ってた。
けれど、私を切れる人はいない。一族会社の社長が、私を切り捨てない。
切り捨てられない「関係」がそこには存在していたから。母もまた、私を切り捨てはしないから。
それは同時に、どんなに私が願っても、自由にはなれないと言うことだったから。。それでも、私が居なくても機能していく、誰にでも扱えるシステムを作り出していきたかったんだ。自由になるために。
今は誠実でありたいと思う。知っている事を言わなくても、真実を宿した幾つかの選択肢を言いたくはない。
(会社の数だけ、経営方針・経営理念・思想・原理。。。良くも悪くもさまざまなものがあるんだと、私個人は思っています。)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。恋人の体に溺れてく。優しく抱き。酷く抱く。
気が狂いそうだった。自嘲する。自分自身を蔑んでいた。汚らわしかったから。吐き気すら覚えてた。
誰かを愛したかった。逃げ出したかった。許して欲しかった。もう、、、私を許して欲しかった。
「愛してる」と、ささやいた。「ずっと一緒に居よう」と。
抱かれるのは怖かった。体も心も支配されてしまいそうで、怖かった。それはきっと、今も変わらない。変われない。

因果応報。自業自得。。。。良い事も悪い事も、やっぱり私自身に跳ね返って来るんだと、私は思います。

チキンレース。   (20060809)

2012-06-07 13:17:30 | ■生きるとは・なんぞや?■
24~26歳の約3年間を、私はクルマにハマっていました。
スピードが好きで、よく走りに出かけていました。
週末はもちろん、週のうちの大半は夜中の高速を走ってました。

峠にも2度ほど行きましたが、あまりの加熱ぶりとコース自体に馴染めなく、純粋に
スピードだけを楽しみたいことに気づき、高速を走ることが日課になりました。
とても楽しかった。
ハイウェーカードを、往復で三千円~四千円くらいの間を走っていました。

オービス等のカメラの位置も次第に把握して。
その間を140キロ~180キロのアクセルベタ踏みでノーブレーキで走るのが楽しかったのです。

時には、、、、
一台のクルマが近寄って来て、「着いて来いよ」というようなジェスチャーを右手でしてくれたり。
私が女だと解ると、みんな一様に驚いた顔をするのが面白かったです。
「女でもスピードを楽しめるんだ」と、驚いてくれているようで、とても楽しかったのです。
相手の走らせるラインを正確にトレースする。
暫らく走ると、今度は私の背後にクルマを移動して、私の走りを見てくれたり。
とても楽しかったのです。

時には、、、、
友達をクルマに乗せました。
ハイスピードで走りました。
真夜中の人気の無い曲がりくねった一般道でも、最低時速60~70キロ程度で走り抜けました。
乗り物酔いする人もいました。
それでも私は音楽を高音量でかけ、口ずさみ、笑い飛ばしました。
みんな、私がイカレたクルマ好きだと思っていたようです。
実際、楽しくて仕方がなかったのですが。

そして、真夜中に一人で2~300メートル続くストレートの一般道路を100キロほどで走っていました。
自車線と対向車線の2車線しかない、間仕切りのない道路です。
なんとなしに、遠くから来る対向車を見てました。
次の瞬間、目の錯覚かと思いました。
対向車が車線を割って、私の車道に入って来たのです。
震えました。
恐怖と好奇心と、楽しさとで。

私はアクセルを踏みました。
視界に入っている最後のメーターが140キロ手前でした。
口元がにやけてたまりませんでした。
死ぬかもしれない恐怖。
恐怖を味わう好奇心と快感。
私の頭の中は、「これは誰の目にも、自殺には映らない。」と言うことでした。
はみ出して来たのは、対向車。
そして私はスピード狂。

そして。。。。。接触手前。
対向車は道を避けました。
猛スピードでルームミラーから消えていく対向車を見てました。
少しして、自販機の前でクルマを止めました。
ギアをPに切り替えようとして、私の手が硬く震えていることに気づきました。
ハンドルをキツク握りこみ、手足が小刻みに震えていました。
私は少し笑ってしまいました。
「怖かったんだね」と。

下地が欲しかったのです。
「自殺では無い」という、下地が。
私は一族会社の役員でした。
接待が主だった私が、「自殺」をするわけには行かなかったのです。
「経営側の責任」が、少なからず私にも、、、、、、、、、、
(後に、過去日記のほうで、触れていこうと思います。)

雨でスリップして、ガードレールに接触しそうになりました。
時速は100キロ程だったと思います。
助手席に恋人が乗っていたようですが、誰だったのかは覚えていません。
けれど、死にたいと思うときほど、死ねないものなのかも知れません。
神経が過敏に研ぎ澄まされていて、その瞬間までを楽しんでいるからかも知れません。

ブレーキをいくつかに分けて踏み分ける。
手に当たるハンドルの感覚で、左右に切り分ける。
冷静に一連の作業がスローモーションのように、はっきりと読み取れる。
皮肉なものだなと思いました。
ガードレール手前、真横にぴったりと無傷で止めました。

いま、生きたいと思っている今は。
きっと、そんなことはできません。
あれほどの集中力を、どうキープし続けることが出来るのか、今の私には解りません。
ですが、今の私には、これがどれほど、無責任なことだったのかは解ります。
自分の死ぬことだけを一番に考えて、そして、一番会社にも迷惑のかからないだろう手段を探して。。
「調子にのった上での激突死」。そんな既成事実が欲しかった。
迷惑がかからないことなんて無いのに。
恋人と呼べる人たちに、憎まれない訳がないのに。

私には、母と会社しか、いつでも見えていませんでした。
そして、自由が得られないのなら、「自殺」以外の死が欲しかったのです。

私が母と会社の妄執から開放されたのは、30歳を過ぎる頃でした。
いま、私には何もありません。何かを持つつもりもありません。
けれど、体の自由。心の自由。時間の自由。
「自由」を手に入れました。
自分のしてきたこと。向き合っていこうと思います。
傷つけた人たち。。。。。。。。。。。。。。。

■生きるとは・なんぞや?■

2012-06-07 13:08:56 | ■生きるとは・なんぞや?■
ごめんね。。。     (20060808)



ねえ。
どうして?どうして、あのとき私を誘ったの?
高校最後のクリスマスイブ。
私はあなたとは、あまり話したこともなかったのに。
あなたの親友の子とは、席が近いせいか、割と話してはいたけれど、特別仲が良かったわけじゃない。

私たちは女子高だった。
あなたはあなたの親友の子と、もう一人の子。そして私の4人で泊まりに来ないかと誘ったね。
そのメンバーは、誰とも私は特別仲が良かったわけじゃないけれど。
それでも、どうしてあなたが私を誘ったのかが知りたくて、好奇心からOKをした。
なぜ?
解らない。
どうして?
関係は、私が卒業と同時に別れると公言していたから、そこで関係は一度は終わったよね。
ねえ?どうしてだったの?なんでなの?

答えが解らないまま、今に至る。
あなたが死んでから、もうじき7年になる。
同じクラスだった2年間。ずっと私を好きだったとあなたから聞いた。
どうして?私は私を大嫌いで仕方がなかったのに。どうして好きでいてくれたの?
私を大嫌いな私を好きで居てくれたあなた。
私はあなたを愛したことも、好きだと思ったことも一度もなかった。
ただ、なんとなく。
それだけだったから。

あなたがガンで死んだと聞いたとき、動けなかった。
聞きたいことはたくさんあったのに。
いつか、よりを戻そうと思ってた。
卒業のときに、私からした、一方的な「約束」。
あなたは、きっといつまでも、それを受け入れてくれるんだと、意味も無く思ってた。
振られてもよかったんだ。それがきっと、楽しいと思ってた。
また、再チャレすればいいかーくらいにしか、思ってなかったから。
振られても、それはそれで楽しいと思ってたから。

あなたが死んで、私は変わったよ。
考えもしなかったこと、考えている。
あなたの気持ち。私の気持ち。
あなた以外につきあった男性や女性のこと。
私から告白して付き合ったことはなく。
いつも、なんでなのか、気が付けば付き合っていた。
恋愛感情はなくても。。。。。。。。。。

人を愛するってなに?(答えが見つからない)
好きになるって、どんな感じなの?(その人をいつもダメにしてしまう)
私には、やっぱり、未だに解らないよ。
私のことを「優しい人」といってくれる人がいる。
優しくなんてない。もめたり、人を押しのけてまで主張したい欲求がないだけで、
どうでもいいから、めんどくさいから、譲っているだけで。。
傷つけるのも、傷つくのも嫌だから、笑っているだけで。。
本心はこんなに最低なのにね。

傷つけるのがイヤと言ったって。。
最後には傷つけてばかりいる。
本当に「優しい人」は、どうでもいいものなんて、きっと無い。

人を傷つければ、自分もいつか傷つけられていく。
誰かに傷つけられることが無かったとしても、
今度は、自分自身の良心がいつまでも、私自身のしたことを許さない。
心の安定を失ってしまう。罪悪感に苛まれてしまう。

だから、ウソでも優しくありたいと思うのかも知れない。
ウソはウソでしか、、ないのに。
自分自身すら、どれが本心なのか、もうすでに、解らないのに。

それでも「生きたい」と、今は強く思う。
自分自身の答えを、いつかたどり着き、出したいと思うから。
のたうつ時間もまた、きっと、必要なんだと思う。
醜悪なほど、自分自身にすらも言い訳をして。
それでも、生きていく糧にしたいと思うのかも知れない。

うん。醜悪だ。潔くは無い。
それでも、生きる。
生きて、この時間の答えをきっと出す。
そして、笑って生きる。ダラダラ生きる。きびきび生きる。
どんな生き方を、いつか選択するのかは、解らないけど。
とりあえず、一つだけ答えは出てる。
それは「生きること」。

生きて、自分のして来た事と真正面から向き合って。。。それでも、生きること。
良心の呵責に潰されそうになっても、絶対に逃げ出さないで生きること。
それだけは、決めている。