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過去日記

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好奇心と破滅との間で  (20070610)

2012-06-21 13:03:57 | ■生きるとは・なんぞや?■
仕事を辞めるまでの間。私は時折、自分の好奇心を満たすためだけの行動をする。
知りたい事を、得るために。 気持ちの赴くままに、躊躇する事もなく。


いつ死んでもいいと思ってた。 だから、怖いものなんて何も無かった。
うっかり、死ぬようなこともアリかなあと、どこかで思ってた。
ただ、死の瞬間。 私は何を思うのだろうと。
恐怖するのだろうか? 命乞いをするのだろうか? 自嘲しているだけなのだろうか?と。。。


何で知り合ったかは覚えていないけれど。
22~25歳くらいのときに、2~3歳年上の男性と出会った。
私はそのまま、彼のタムロしているマンションへと行く事にした。
部屋には、彼のほかに2~3人の男性が居た。
私は彼とリビングへ行き、適当に座り、適当に話し始めた。
彼は、私に大麻を勧めてきたけれど、タバコは吸わないので断った。
お茶を飲みながら、いろいろな話をしていたと思う。
他の男性も、こちらを見てた。 たまに、話に数言参加する事もあった。


話の中で、錠剤のドラッグを進められたけれど、断った。 実際、興味が無かったから。
男性は、それ以上、私に勧める事は無かった。
ただ、何時間も話し込んでいたのを覚えています。
内容は、ほとんど覚えていない。 だけど、彼の目は覚えてる。
真っ直ぐだった。 たぶん、彼の話のどれもに、ウソはほとんど無かったのだろうと思うけれど。


私は、部屋を出る事にした。 彼は、「 また来いよ 」と、行ってくれた。
「 いつでもいいよ 」と言うようなことと。
私は、「 またね、今日は楽しかった、ありがとう。 」と言う様な事を言って、きっと曖昧に笑ってた。
だけど、二人とも解かっていたと思う。 次は、きっと無いだろうなと。


彼らは、何かに傷ついているだけだと思う。
心底ちゃんと、話し合っていけば、気持ちが解かる事もあるんだと思う。。。
私の目には、彼らより。
「 普通の人たち 」と言われている人の方が、遥かに残酷に見える事がある。
悪意があるように、見えることがある。。。


私は、一時期ずっと、アメリカとオーストラリアに行ってみたかった。( 日本語以外出来ませんが。 )
ずっと、母に打診してた。 知りたい事を、得るために。
だけど、外国だけは、許してはくれなかった。
決まって、
「 お前は好奇心で殺される!それが解かっているのに、行かせられる訳が無い! 」と。
そう。私は知りたかったんだ。 アメリカの、「 なんで? 」と思うこと全部。
そして、オーストラリアの精神的な新旧の軋轢を。
知りたかった。 その全てが、仕事に関連するわけでは無いけれど。
間接的に、なにかの潤滑油になるようなことは、ある。
だから、知りたかった。 半分、、、仕事にかこつけた、こじ付けだったけれど。


私は、私の中の好奇心を抑える事は出来ない。
知る事が、得る事が、どれほど楽しいか知っている。( 意味の無いものだったとしても。 )
それを得るためのアクションが、また、どれほどの快感なのか知っている。
どれほどの、感銘を受ける事があるのか、知っているから。


母に、久しぶりに言われた言葉で、思い出した過去の事を少し書き出してみました。
けれど、今の私は以前の私の様に、破滅を望んでいるわけでも、死を望んでいるわけでも在りません。
今はただ、自分自身が社会復帰できるためのレストアをして行きたいと思っています。

母親と言う人。     (20070530)

2012-06-20 10:46:01 | ■生きるとは・なんぞや?■
母親はいつも、私が何かに心を奪われる事を警戒してました。そして、牽制してました。
何かに心が動き始めると、きまって「 家族とソレ( 男 )どっちを取るんだ! 」と、迫りました。
私はやるせない気持ちの中で、諦めにも似た感情を持ちながら、家族だけしか選べませんでした。


もっと。時間があったなら。。。
私はきっと、家族以外のものを選んでた。。。
けれど、心が動く前に。心が決まってしまう前に、いつも母に決断を迫られる。


理由は判ってました。
私の部屋を、全て隅々までチェックする。
どんな書き残しも、服や下着まで。電話の盗聴すらも、悪びれずに行っていた。
もう、笑ってしまうしかなかった。あなたは一体、なにがしたいのか?と。
私に望む事なんて、本当は解かってた。
母の環境をより良くする為だけの、感情の無い使用人の私が欲しかったんだよね。
決して逆らわず、意向を読み違えずに。母だけの意志を汲む、そんな完璧な娘が欲しかったんだよね。


ねえ?おかしいと思わない?
それはすでに、「 人間 」とは言わないんじゃないかな?


今回もそう。
部屋に書き残しを、私は処分するのを忘れて出掛けてしまった。
あまりにも、幸福で。キタナイ駆け引きめいた事をすることを、忘れてしまっていた。
ただ、幸福で。幸せで。温かい気持ちに包まれていた。
だから目の前の母親と言う牽制を忘れ、先手を打つように処分していくのを忘れてた。


メモは。
家を売って、まとまった金銭を作ろうとしてた事。
そのお金を、使ってみても構わないかなと思ってたこと。
家を出て、誰かのために生きていこうとしてたこと。
それらを、全て見つかってしまったこと。
( だけど、必ずしもそれが、今の今に結びつく訳じゃない。自分の気持ちを知りたかっただけだったのに。
  家は、お母さんか誰か身内の人に売るつもりだった事、書いてあったのにね。 )
母親は、狂気の中にいるようでした。
私の中傷を、すでに近所中に吹聴して回ってた事。在る事無い事。感情論でさえも。
でも、そんなことはいくらでも、相殺できる。多少の傷は残るものの。
それでも、そんなもんだろうと、思うから。


ねえ?お母さんは、解かっているの?
あなたの息子は、何故、家に居ない?
あなたは何故、夫と幾度と無く再婚離婚を繰り返しているの?
あなたの娘は何故、郊外に部屋を借りる事を頻繁にしたの?
いつまでも、おかあさんだけが「 悲劇のヒロイン 」では居られない。
それが、解かっていて、そんな馬鹿げた芝居をしているの?
やるせなくなってくる。悲しい気持ちで、あなたを憐れんでさえ居る私の気持ちが判る?


あなたは神社へ行くね。10年ぶりくらいに。
けれど、私の中傷を近所のキサテンなどで済ませてから、
「 これから神社へ行く 」と、わざわざ人に告げてから出掛けるね。
あなたは本当に、悲しい人だね。どうして、そんなことで人を屈服させようとするんだろうね。
そんなことじゃ、本当の意味で人は服従なんてしないんだよ。
私はもう、あなたがどうこうできるほどの子供じゃない。
あなたの庇護が無くても生きていける、大人なんだよ。判ってる?
それなのに、あなたは私に望むものが多すぎる。
人は心で生きているんだよ?
心を与えられれば、心を返していくんだよ?
与える事もせず、奪うだけじゃ。いつかは、その均衡は崩れてしまう。


だけど、私もそれほどキレイじゃない。
だから、メンドクサかったので、母が吹聴して回っているキサテンで、
「 今回は私が100%悪いから、母名義の何かで利益のあるものを立ち上げるから。 」
と、それとなく言いました。
すると母は、手の平を返したように、穏便になりました。


ねえ?読まれているんだよ?お母さん。。。。。。。。。
あなたは決して、私を愛している訳じゃない。
あなたは、それほどまでに私を手放したくない本当の理由を考えた事がある?
それとも、答えは明確で。ただ、本音と建前を、摩り替えているだけだったのかな?


これで、暫らく。。。足止めが決定してしまったね。
けれど、仕方がない。もっともらしい事をでっち上げて。
半年前に買った株が20%近い還元率だったので、それを母にまとまった金額で買わせてしまおうかと、思う。
ざっくりと、調べてみたけれど。もう半期なら、間違いなく今の還元率をキープするか高くなるかが判ってる。
9月10月で、恐らく高値が付く。それ以降も、その株は売らずに寝かしておく。
私は、寝かしておく株が好きみたいなので。また、性に合っているみたいなので。
読む事が、展開を関連付けていく事が好きなので。
と、言うような事を、この1日~2日考えてました。


だけど、ギャンブル性が好きなので。どうしても、最後の線まで、調べる気になれなくて。。。。。。。
緊張感や、楽しみ方がたぶん、違うのかも知れません。
今回の自分の起こしたデータを、次回の信頼度に続けていくのが、面白いからかも知れませんね。
どれくらい手を抜いて、どのくらいの収益を得たのか。また、それは自分が予想していた率との差異は?と。
( 情報の少なさから見た、自分の洞察力・直観力を今は、是正したいのかも知れません。 )


ちなみに、株の詳しい取引手続きなど知りません。
電話で担当さんに、適当な日時に、だいたいの決まった金額で買ってもらっているだけなので。
本当に、素人です。
が、その銘柄の成長率、成長素材、他方向からの加速要素、、、
色々なものから、買いたくなった銘柄を買っていこうかなという感じです。
株に詳しい人から見れば、「 オマエふざけんのも大概にしろ! 」と言われそうです
が。。。すみません。
私の仕事の仕方も、大雑把に、、、こんな感じだったので、ある意味、恵まれていたのかも知れませんね。


結局は、逢いたい人ではなく。母でもなく。
自分自身の方向性を、今回は明確な意思ではっきりと、選び取ったように思います。
まずは、自分自身のリハビリを、前向きに行っていこうと。
そして、答えを出して行こうと、思いました。

解からないな       (20061218)

2012-06-20 10:44:47 | ■生きるとは・なんぞや?■
弟の、二回目の結婚。来年式を挙げると言っていた。
弟の、いままでの彼女さん達とは、よく旅行や遊びにも出掛けたりした。
弟は、小さい時から、早く自分の家庭が欲しいと言っていた。
私とは、正反対。
どうして、そう思えるのか、解からなかった。
弟は、淋しいと言っていた。私は、一人で居る事が、ホッとできたから。


もう、離婚しないで欲しい。子供が出来たら、愛情と、生きる事、強さの意味を教えてあげて欲しい。
時々は、子供と二人、遊びに行かせてくれると言っていた。
どこへ行こう?山や自然の一杯ある所で遊びたいと思ってる。
相撲をしたり、格闘技のマネしたり。釣りをして、それを食べてみたり。
いろんな虫を捕まえてみたり、鳥や動物を見てみたいと思ってる。
いろいろ、弟の子供とは、出来たらいいなと思ってる。
弟も彼女さんも、好きにしていいと、幸い言ってくれているので。いろんなことが、できたらいいね、と思ってる。


でも、自分の家庭は、きっと持たない。持てない。
幸せの意味が、解からない。愛する事の意味が、解からない。
自分の「 血 」を、愛せない。自分が子供を産む事を、恐れてる。
愛せないかもしれないと、恐れてる。育てる責任を、恐れてる。
何かから、守れない事を、恐れてる。


それでも、誰かを愛せたら、幸せだろうなと思うから。いつか、出会えたら、いいのになあとも、、、、思う。


仕事をしていた時は。
誰か一人。一生涯、その人だけを愛そうと決意したとき。決意が出来たとき、結婚しようと思ってた。
それか、ノリで双方浮気や遊びで結婚しても、子供は作らない方向性なら、それはそれでアリかもなあと。
けれど、離婚するのは疲れそうだから、やっぱり結婚は、ちょっと違うかなあとも、思ってた。
それ以上に。身内の圧力を撥ね退けてまで。心が固まる事は、私にはありませんでした。


今は。無理せず。ありのまま、居られたらいいやと思ってる。
その中で、誰かと出会えたら、嬉しいなあと思ってる。
今は、まだまだ。自分のことで精一杯。まだ何一つ、ちゃんとした答えを出してもいないから。


そして、解からない事が、もう一つ。
母は、実の父親に虐待されていたと言う。
祖父は、一日中酒を飲み、酒乱でした。
何度、包丁を持って追いかけられて、兄弟4人で二階の窓から飛び降りたか解からないと。
その都度、祖母が止めに入り。血だらけで守ってくれたと。


10年ほど前に、ニュースで見たことがあります。
「 虐待の連鎖。 」
そして、母は言います。疎開中に、身内のおじさんにお尻や胸を触られたと。
連鎖。。。。。。。。。。どこで、断ち切る事が出来ればいいんだろう?
少なくとも、自分以降の誰かに、それを連鎖させたいとは、思わない。


もっと早く、こんな心境に成ってたら。私は恋人を、傷つける事は無かったのだろうかと考える。
一瞬のゲーム性の中で出会った人たちとも、もっと違う関係性を、築く事が出来たのかも知れないと。
熱しやすく冷めやすい自分の性格を考えると、、、今度は違う、トラブルになっていたのかも知れない、、、
まずは。。。精神的に、もっと大人に成ろう。


スルーするものと、グレーゾーンと、「 確実に遂げる・責任を負う・義務を果たし切る 」とを分けずに。
ちゃんと、統一性の元、向き合っていこうと思う。。。けれど、、、、そう思えば思うほど、、腰が重くなっていく。。。
これは、前進してるのか?
それとも、、、後退、、、悪化してるのか?、、、最近では、自分でも良く解かりません。
それも含めて、、、今は、まあ、いっか。。。と思ってる。


人との係わり合いも。今は、最小限でいいや、と。
元々、人を見るのは好きだったけど、継続性の関係をプライベートで築くのは、好きではなかったから。
少しずつ。改善して行けたらと、思ってる。5年、10年単位でとか、、、逃げ道作ってるあたり。。。。
雑念しているあたり、、、まだまだ、、ダメかもしれない。。。。。。。。。。。。。
まずは、もっと。精神的に、大人に成らないと。。。成熟した大人に、、、成らないと、、、


「 淋しい 」って気持ちがないと、、ダメなのかなあとも、、思う。
いま、私は。「 淋しい 」って気持ちを、持って居ない。
子供の時には、確かに在った気持ちだったのに。今の私には、淋しいと感じる瞬間が無い。
「 どうでもいい 」か、「 面白そう 」。そんな気持ちが、大半を占めている。
( 懺悔や悔恨でもないし、、、最近の自分は、なんだか自分自身でも、あまり感情が読み取れません、、、
  次は、もう少し突っ込んだ回顧をしてみようかと思います。
  ゆるく縛って、目隠しをして。その横で誰かを抱いて、別れた最低さとか。。。でも、まだ無理かな、、、
  気持ち的に、まだ、整理が出来てないかなあ。。。
  書ける物が、整理のついているものが、少なくなって来ているだけなのかなあ。。。?
  しかし、、、客観的に見てみても、、、やっぱり、、、最低ですね。。。。。。。。。。。。。。。 )

セックスの嗜好    (20060928)

2012-06-20 10:37:31 | ■生きるとは・なんぞや?■
実際、セックスってなんだろう?と考える。未だに良く解らない。
内容が、というよりは。定義が。


男女間の行為?男同士、女同士は?複数プレイは?
実際、女同士なら、3Pの上・ギャラリーの前でも。。。。。。。
( ↑これは、まだ、24~25歳の頃の話とはいえ、まだ、、、自分の中では消化されてないので、
   もしかしたら、いつか「 生きるとはなんぞや? 」か「 過去日記・19歳以降 」で書くことがあるかも知れません。
   失ったものが、あまりにも私の中では大きすぎて。。。数少ない友人を失いました、、、自業自得ですが。。。 )


公共の場で、した事もあります。割と好きだったので。何度も何度も趣向を変えたりして楽しんでみたり。
渋滞の高速道路の路肩に止めて、してみたり。たぶん、見られていたとは思うのですが、関係なかったり。
地元から離れると、かなり大胆だったり。限度を設けなかったり。調教が好きだったり。優しくしてみたり。
目の前オフィスで、窓全開でいたしてみたり。駄目な事ばかりをしていたように思います。
Mな子( 女性 )が好きだったり。けれど本当は私のほうこそMなので、精神的S( 男性 )な人が好きだったり。
けれど、Sな人ほど、泣かせてみたくなったり。へし折ってみたくなったり。でも、負けない人、強い人が好きだったり。
精神的なSMプレイが好きでした。パワーゲームに近かったのかも知れません。


Mな子にしていく過程。。。それが、たまらなく好きでした。
Sな人を、へし折っていく、、、それがゾクゾクするほど、惹かれてたまりませんでした。
ですが、縋る様な、、上下関係がしっかり出来てしまうと、、、気持ちが離れてしまいます。。。
自分でも、どうしても、とめられないほど、冷めてしまいます。最低なニンゲンだという自覚はあるのですが。
けれど、、、もし、「 変わらない愛・想い 」を見せてくれたら、私は誰よりもあなたを一生涯愛するのに、、と決めていた。


いつでも、付き合う人には、そう心に誓ってた。。。自分の中の、最低なルールの中で。


「 対等な関係 」それが、とても理想なことのように思えて。
守ること、与えること。それはとても簡単で。けれど、いつしか私の中で想いは消えていく。
耐え切れず( 仕事で・仕事を伏せて )、泣いたこともある。優しく抱きしめてくれた腕もある。
けれど、もう一度、自分自身を奮い立たせることができると、その優しかった腕が、壊して消してしまいたい事実に変わってしまう。。。自分が、許せなく。
穏やかな時間が欲しかったハズなのに。。。優しい人に抱かれて、安心して居たかったハズなのに。。。


男性とは、2度セックスをしたことがある。避妊具着用で。
他の人とも、キスはした。途中までもした。けれど、その先が酷く戸惑って。。。できなかった。
気持ちがついていかなかった。自分の感情と向き合いたくなかったから。
女性とは、たくさんした。楽しかった。面白かった。セックスの嗜好が合っていたのかも知れない。
半分以上は、目隠しをして、腕や足を軽く縛ることが多かった。玩具も気分で使ってみたりした。
仕事を数日休めると、ほとんどを半裸で過ごし、彼女を抱いていることが多かった。
何度も何度も、イカせるのが楽しかった。自分はそれを見ているだけで、十分、楽しめた。
けれど、彼女に私の体を触ってもらうのは、あまり好きじゃなかったので、拒否することが多かった。
そんな時間の中で、必然的にスカトロっぽいことにもなっていった。
面白かったけど、Mな子にする一環として楽しんでいたのかも知れない。なんで、お尻が感じるのか解らなかった。
自分だったら、絶対にヤイダ!とか思いながら、彼女の反応を楽しんでいた。
お尻が好きな人。膣が好きな人。その両方が好きな人は、なんとなく解るようになっていった。
けれど、挿入よりも、キスやその他へのキスや触ったりするのが、私は割りと好きだったので、
泣いてもやめない事もあってか、時には、性行為以外の分泌液も体験することもあった。
それはそれで、楽しかったので嫌悪感はあまりなかったけれど。
浣腸も面白かったので、なんどか浴槽でも使ったことがある。出す行為というよりも、出てしまうまでの彼女の過程が楽しかった。
ばぶばぶゴッコもした。これは男の人にだけしてました。二人でバブバブ。男性だけがバブバブ。ばぶー。面白かったです。


セックスってなんだろう?
愛がある行為?それは、どんな行為なんだろうか?良く解らない。
性欲だけの行為と、相手のイクのが見たいだけの行為と、相手に応えるだけの行為。
なにが違うんだろう?用途?過程?工程?気分的なもの?精神的なもの?良く解らない。
そもそも、「 愛 」がなんなのか、未だに良く解らない。けれど、誰かを本気で大切に一番に思いたいとは思う。
心身共に健全で、金銭的にも時間的にも余裕がないと、無理なのかも知れない。私には。。なんとなく。
だけど、好きな人ができて、、それが男性でも女性でも。でも、今までのようなセックスじゃ、ダメなんだろうなと思う。
きっと、同じことの繰り返し。それは、自分自身の性格や嗜好を踏まえて、明確に思う。。。。。。。。。


じゃあ、セックスってなんなんだろう?。。。。。。。。。。解らない。。。。。。。。
実際、本当に好きになってしまったら、出来ない気がして仕方ない。好きな人とは、したくない。なんだかイヤだ。。。。
心を滅茶苦茶にされそうで、怖い。自分自身が自滅してしまいそうで、怖い。
じゃあ、するな!って事なんだろうけれど、、、それでも、誰かと巡り合い、伴侶になれたらいいなあと思う。ウダ子だ。。自分。


なんだか、、、「 生きるとはなんぞや? 」と言うよりは、「 迷走日記 」のような内容になってしまいました。
生きるとはなんぞや?は、もう少し、私自身の良心の呵責と向き合って行きたいと思っているのですが。。。
今日は、寝てないせいもあってか、少し開放的に成っているようです。自責の念と言うよりは、散漫文になってしまいました。

恐怖。   (20060911)

2012-06-20 10:34:10 | ■生きるとは・なんぞや?■
私は中学デビューをしました。(これは後に、過去日記・中学校時代で触れていくと思います。)
双子のように育った同じ年の従兄弟が居ます。彼とはとても仲の良い、従兄弟だったと思います。
母方の従兄弟でしたが、彼の家も、かなり複雑な環境でした。私たちの誕生日は、2週間くらいの差でしかありませんでした。
彼の家も、キサテンでした。たまに、学校帰りに立ち寄ることがありました。
その日も、セーラー服のまま。長めのスカートで短めのスカーフで、髪はドライヤーで痛んだ茶色系でした。


伯父さんと従兄弟が二人居ました。私はいつものように、奥の席に座りました。
すると伯父さんたちが二人、妙な動きで私の前後に立ちはだかりました。
怪訝というよりは、なんだか胸騒ぎがして、それをなだめるのに出来る限り平静を装って、「 どうしたの? 」と笑ってみました。
伯父さんは従兄弟に「 手を押さえろ! 」と言って、従兄弟が私を長椅子に引きずり倒して、両手を頭の上で押さえ込まれました。
私は真っ青に成りました。襲ってくる恐怖に、戦慄しました。


伯父さんは私の足を押さえ込みました。
振り払おうとして、体全体でもがき、逃れようと渾身の力で抵抗を試みました。
次の瞬間、、、どうにもならない恐怖から、絶望へと変わって行きました。
どんなに力を振り絞っても、年の変わらない従兄弟の手すら、ほどけないのです。。。。。。。。。。
しっかりと椅子に手足を縫い付けられて、わずかにすらも動かないのです。


怖かった。。。きゃしゃな従兄弟の手すら、ほどけないのです。男の人の、怖さを初めて知りました。
だけど私はそれでも笑っていました。咎めるように、ジョークになるように。「 いい加減にして!ヤメテ! 」と。
だけど伯父さんの手は、私のスカートの中に入ってきて、下着に手をかけました。
私は叫んでいました。「 ヤメテ!お願い!!ヤメテー!! 」と。泣いて叫んで、懇願してました。


下着が脱がされました。
従兄弟には、何度と無くお風呂を覗かれました。「 出て行って! 」と言うことはあっても、本気で怒ったことはありませんでした。
これが関係しているのかな、、と、パニクリながら、思い当たる節を、出来る限り正確に探していました。
どうしてこうなってしまったのか、解りませんでした。
伯父さんにも従兄弟にも、直接性的なことをされたことは一度もなかったからです。


片足首に私の下着が絡んでいます。伯父さんと従兄弟は、爆笑しています。
私の体は、震えています。歯と歯が、カチカチぶつかり合って音を立てていました。
伯父さんたちが本気じゃないと知って、多少の安堵が広がりました。けれど体はギクシャクとしてまともに動きませんでした。
私が覚えているのは、ここまでです。どうやって家に帰ったのか、どうやってその場から離れたのかは、覚えていません。


ジョークで。。。女の子を、心が壊れてしまえるほどの恐怖に突き落としてしまえるんだね。。。
どれだけ、怖かったか。。。どれほど、怖かったか。
歯が、カチカチとなるほどの恐怖を、私はこの時の「 ジョーク 」でしか、味わったことがありません。
殴られる恐怖や、母親が目の前で自殺未遂を繰り返す恐怖、、、それとは異質の怖さを知りました。


私は処女でした。
けれど、たくさんの人に「 イタズラ 」をされました。知っている人、知らない人。身内の伯父さん、従兄弟たち。
服を脱がされ、下着の中に手を入れられることもありました。
けれど、誰も一様に、「 挿入 」することは、ありませんでした。ですから、触られることやそれ以上のことがあっても、指や男性器を挿入されることは一度もありませんでした。
「 解らないフリ 」「 あどけなく笑うフリ 」が、それ以上されることを拒めたのだと、やっぱり思うからです。


怖かった。レイプされることが、とても怖かったのです。
イタズラをされるたびに、レイプされなくて、強姦されなくて良かったと、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
だけど、いっそのこと、どれほど、レイプされたほうがマシだったと思ったか解りません。
されたくないから、必死で逃げ交わします。ウソもつきました。ウソ泣きも、ウソ笑いにも磨きをかけました。
「 今回は、されなかった 」けど、、、、、、「 次は? 」、、、、、、、、?
それが、どれほど恐ろしいことだか、きっと異性には解らない。
「 初めての人と結婚したい 」ずっと、そう思ってました。ですが、、、、人を愛せなくなっていきました。
自分自身すらも、愛せなくなっていきました。許し難いとしか、思えなくなっていきました。


もし、身内でも、他の誰かでも。
私がレイプされていたのだとしたら、もっと早く、諦めがついたのかも知れません。自分の体にも、心にも。
諦めがつかなかったからこそ、必死に逃げようとあがき、もがきました。相手を出来る限り、傷つけないように逃げました。
相手の心が傷ついてしまうことが怖いんじゃない。ただ、傷つけた後の衝動が怖かったからです。
その衝動が、子供ながらに、ただ怖かったからでした。どこか母親のもたらす恐怖と重なっていたのかも知れません、、、


これからしばらく経って、私は同級生の少女と関係を持つようになりました。
どうして、そうなったのか。。。いまだによく解りません。
ただ、、求められて、、ただ、、それに応えて、、、それの繰り返しだったように思います。
「 勇気があるな 」と、漠然と思っていたのを、覚えています。だから、最後の線で、拒絶できなかったのだと思います。
「 そこまで想ってくれるなら 」。どうでも良かったから。自分自身が、もう、すでに、どうでもよくなり始めてましたから。。。
父母共通の友達に、「 ホテル行こうか?一晩いくら? 」と、聞かれるくらいのカラダでしか、ありませんでしたから。
女の子にも、髪や頬を触られる感じの、どうでもいいカラダでしかありませんでしたから。
少し、投げやりにもなっていたのだと思います。( これらのことは、過去日記・中学生時代で触れていくと思います。 )


ただ思うのは。やっぱり、自分次第なんだと思います。
自分が自分を見捨てたら、それはやっぱり、見捨てたままに落ちていくしかないんだと思います。
過去嫌なら、克服していくしかないんだと思います。現在が嫌なら、未来がよりよくなるように、頑張っていけばいいんだと思います。
因果応報・自業自得。やっぱり、切り拓くのも、乗り越えていくのも、自分次第なんだと思います。
人を傷つければ、やがて自分に還って来るだろうし。
自分を見捨てれば、そのツケは思いがけないところで払うことがあるのかも知れません。


でもいまは、もう少しだけ、、自分なりの答えを、先延ばしにしたいのかも知れません。。。。。。
。。。石の上にも。。。8年くらい。。。。ダメじゃん。。。