過去日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

■生きるとは・なんぞや?■

2012-06-23 13:16:09 | ■生きるとは・なんぞや?■
■生きるとは・なんぞや?■


傷。


因 果 応 報
自 業 自 得
良 い コ ト も 悪 い コ ト も
     ス ベ テ ハ
    自 分 ニ 還 ル 。


私はそう信じています。


私は人を傷つけました。 私は人を欺きました。 私は人を・・・。


ここは懺悔や戒告・悔恨の独白のスペースにしようと思います。


不快になる方もいらっしゃるかも知れません。どうぞ、スルーしてください。お願いします。

身代わり地蔵  (20090809)

2012-06-23 12:30:28 | ■生きるとは・なんぞや?■
27歳の年まで、「 身代わり地蔵 」と言う呪縛に囚われていました。
・「 父や弟の・盾 」


私は、顔の無い・名前の無い・生き方をしてきました。
極力誰の印象にも・残らないように。。。一瞬のすれ違うような出会い以外は、自分をセーブするように。。。
なぜなら、「 必要 」だったからです。顔の無い・名前の無い「 身代わり地蔵 」が、御家再興の一つの要素として。


・父が、弟が。人身事故などを引き起こしたとき。
・会社で存続に関わる重大事が起きたとき。
私が全て「 被る 」ことになってました。母との二者間ので。
そして、それは。父たちにも暗黙の了解として、受け継がれていきました。


( 私は、これで、家から自由になれるのならと、本気で願ってました。 )


いま、私は「 自由 」です。
顔の自由。 名前の自由。 生き方の自由。 「 自由 」です。


「 生きていく 」ことを、始めます。 自分の顔で、自分の名前で、自分自身の責任と意思で。
覚悟をつけて、生きていく事を、始めます。 ゆっくりと、その覚悟が揺るがない意思になるように、、、、、、、、


「 自由 」にも、責任と義務が、あるのだと個人的には、思っています。。。。。。。。
ただ、人前に出るのは、とてもニガテなので。。。
「 できる 」 「 できない 」ではなくて、、、本当にニガテなので、
ゆっくりと、無理なく。覚悟をつけていけたらと思います。ゆっくり、自分自身、受け入れて、変わっていけたらと思います。。。

心の変化? (20080729)

2012-06-23 12:28:51 | ■生きるとは・なんぞや?■
太っているとき、男性から邪険にされることが多かった。
ベスト体重のときは、カラダを触られることが多かった。
太っているときは、とても、気持ちがラクだった。
相手にされなかったけど、気持ちは、とても、ラクだった。
触られることが、激減していたからです。


太っているときに、優しい対応や、好意を持ってもらえると、どこか酷く戸惑いながらも、嬉しかった。
でも、「 好意 」や「 優しさ 」を、嬉しいと感じる事に、どこか自分自身に、恐怖感のようなものも持っていた。
傷つく事が、とても怖かった。
心を許したものに、傷つけられることが、とても怖かった。


でも、いま。
「 ありがとう 」と、伝えたい。
ただ、純粋に、「 ありがとう 」と。
好きになってくれて、ありがとう。と、、、


人の「 好意 」が、嬉しいと、初めて感じる事ができました。
負担や、重荷、、、恐怖じゃなくて。 逃げ出したいと、感じるのじゃなくて、、、
戸惑いながらも、「 嬉しい 」と、感じれました。
そして、次の瞬間。
「 ありがとう 」と、伝えたいと、思いました。


ありがとう。
好きになってくれて、ありがとう。


少しずつ、私自身も、変わっていける切っ掛けを、もらっているのかも知れませんね。
ありがとう。
心から、ありがとう。
本心を言うのは、慣れてない。 でも、「 ありがとう 」と、言いたくて。 聞いてほしくって。
ありがとう。 あなたとの出会い、ありがとう。 これからのたくさんの出会い、、、「 ありがとう 」と、いえるよう、自分自身も磨いていこう。
感謝できる出会いを、ご縁を、繋いで行けるように。 私自身も、変わっていこう。
ありがとう。 心から、ありがとう。 大好きです。 ありがとう。

最後の食事 (20080725)

2012-06-23 12:27:05 | ■生きるとは・なんぞや?■
最後の食事を、弟夫妻のマンションで、母と4人過ごしました。
弟夫妻は、とてもよく、もてなしてくれました。
3時間ほど、食事をしながら、弟夫妻の昨年の挙式のDVDを見たり、雑談などを交えてました。
終始、それぞれに皆、笑っていました。


母の言葉には、「 毒 」がある。
時間を追うごとに、生きる気力を奪われていくようで、自分の弱さに、笑ってしまう。


私はまだ、母に囚われているのかと、ニヤけてしまう。


それでも、「 断ち切る! 」と、決めた。
もう、無理だった。
母が、「 お墓 」の話しをされても、心は動かなかった。
母が、「 私が死ぬとき、これはお前の手を煩わせなきゃいけないから、入院とかで携帯繋がらないと困る 」と。
これには、若干、笑ってしまった。 母は、どこまでも、変わらないのだろうなと。
ほかにも、、、、、けれど、心が動かされる事は無かった。


けれど。。。。。。。。。。。。。
母が、「 お前は本当のことは言わないが( どこへ行く・誰と会う )、カラダだけのラクな関係だ 」と。


昔から、性的なことを言われるのが、ダメだった。
特に、家族から言われるのが、ダメだった。
足元が、簡単に揺らいでしまう。笑ってしまうほど、簡単に。
母は、私の下着をチェックする。
生理でさえ、チェックする。
子供の頃、、、
下着を外し、ナプキンを見せろと。。。
私は、逆らえない、、、心が、泣きたい気持ちの中で麻痺してく、、、


少しでも、気を使った下着を買うと。。。。。。
「 色キチガイ! 」
「 気持ちが悪い! 」
「 色情狂! 」
「 発情ブタ! 」
どれほど、人前でも、言われてきただろう。 同年代の子。弟の彼女さんたちの前で。


性的なことを、言われるのが、未だにダメです。
克服しないといけないとは思うのだけど。
卑屈な笑みが、自分自身の生きる気力や力を、自身で殺いでいくようで、さらに笑ってしまう。
卑屈な気持ちが、全てを投げやりにしてしまう。
けれど、「 違う 」。
私の大切な人は、もう、母じゃない。
母の「 言葉 」に、囚われる必要は無いのに、、、


自分の殻に、閉じこもりたくなってくる。
誰も要らない。
何も要らない。
どれも欲しくない。
そんな自分に、笑ってしまう。
風を入れよう。自分の中に。
新しい風を、入れていこう。生きていくために。
ゆっくり、消化していこう。自分の弱さも全部。自分の汚さも全部。
足元を、しっかり、固めよう。揺らがないように。


私は、家を出てく。 もう、振り返らない。
少しずつ、受け入れていこう。 強くなっていこう。 自分の弱さに、引きずられないように。。。
私は、「 奪う者 」じゃなく、ウソでも「 与える者 」で、いたい、、、
キレイゴトだと言われても、キレイゴトだけを集めて、それでも、生きていたい。
心が揺れる。。。
だけど、強くなる事を望める限り、強くなれる気がしてる。
信じていたいから。 今はまだ、信じていたいから。 ギブアップするその瞬間まで、信じていたいから。

過食 (20080724)

2012-06-23 12:25:21 | ■生きるとは・なんぞや?■
私は、過食をよくしてしまいました。
食べて吐く、ということは、ほとんどなかったのですが。
状態によっては、逆流に悩んだ時期もありました。


家を出ると、過食で増えた体重は、だいたい半年から1年くらいで、元のベスト体重に戻りました。
なにもしなくても、ただ、のんびりしているだけで、体重はゆっくりと、元の体重に戻っていきました。


家に帰ると、体重は。
1ヶ月間で、20~30キロほど、一気に増えてしまうことの繰り返しでした。
家に連れ戻される事が怖く。
母の「 情 」や、「 涙 」が怖く。
ただ、「 許されたい 」とだけ、薄く願う日々が続いてました。


心の弱さ。
自分の弱さ。
少し、真正面から、見つめていこうかと思います。
自分自身を、もっと、見つめていこうかと思います。
自分自身の心。 自分自身との対峙。
汚い感情とも、目を逸らさずに、ちゃんと、聞き取っていこうかと思います。
自分自身を、もっとよく、知るために。 深く、関わり合っていくために。


少しずつ、自分自身と、向き合う時間を作っていこうかと思います。
今度こそ、逃げずに。 生きる事を、自分自身の意思でするために。