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過去日記

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解からない事ばかり  (20070803)

2012-06-22 13:05:31 | ■生きるとは・なんぞや?■
父と別れて、8年くらいになりました。
去年暮れ、父が競艇帰りに道路で車を待っていた私を見つけ、突っ込んで来ました。


私の視界には、確かに一台の乗用車が見えていましたが。
角度からいっても、接触するようには思えなかったので、そのまま違う方向を見てました。
従姉妹が、引きつったような声を上げました。
次の瞬間、大げさなブレーキ音と共に、私の目の前に先ほどの乗用車が停まりました。


ふと、運転席を見ると。 助手席の窓を開け、父が少し怒ったように、話しかけてきました。
「 どこに行くんだ? 」と。
「 大掃除の道具を買いに 」と、普通に応えました。
父は、色が白い人なので、怒ると直ぐに赤く顔に出てしまうので、感情が読み解け易い人でした。
この時も、顔を赤くして、少し威圧するような話し方で問い掛けてきました。
二言三言、他愛ない近況を聞かれ、答え。 父は、「 気をつけて行けよ 」と行って、去って行きました。


従姉妹が、私たちの一部始終を見ていて、言いました。
「 轢かれるかと思った 」と。
私はいくらなんでも、それはないし、角度から言っても平気だよ、と言いました。
すると従姉妹は、父の車が私を捉えたのを見て、明らかにぶつけてくる気だと思ったと言いました。
だから、驚いてとめることも出来なかったのだと。


確かに父は、私が驚く顔が見たかったのだろうなとは、推測ができました。
けれど、淡々としている私に、逆にキレてしまったのだろうと。
だけど、、、解からないな、、、
そんなことをして、一体何が楽しいのだろう?
「 アホか! 」と、思われるくらいじゃないのだろうかと?
実際、アホか!と思いましたし、父に対して、「 大人気無いー! 」とも、思ってました。


なんで、こんなくだらない事をするんだろう?
理由が解からない、、、
私が嫌いなの? 憎んでるの?
でも、憎んでるんなら、もっと違う方法があるとは思うのだけど、、、
怒ってるの??? 解からない。。。


だけど、、、思う。
今までは、こういった家族の気持ちすら、私はスルーしてた。。。
だけど、それじゃいけなんだと、やっと気がつけた。
大切な人を、守りたいと思う人を、傷つけないために。
人の気持ちを、知りたいと、理解したいと、、、気がつけました。


人は、少しずつ。 変わっていけるのかも、知れませんね。 


・・・・・・・・・・・・・・・・余談ですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、この従姉妹を、2回轢いたことがあります。
一回目は、駐車場で余所見をしていて、従姉妹の足の上で、車を止めてしまいました。
物凄く怒っていましたが、ちょっと引きずっていたみたですが、大丈夫だったみたいです。

二回目は、本屋さんに車を止めるときに、バックの感覚が全然解からなく、ナビしてもらっていました。
従姉妹が両手の甲を私に見せて、ジェスチャーしました。
不思議に思いました。 もう、バック出来るスペースは無い気がしてたのですが。
もう少し、バックできるのかな?と、思い、バックさせました。
すると、従姉妹が弟から借りていた車を叩き停めました。


ふと見ると、従姉妹が車に挟まれて苦しそうでした。
私は、慌てて車を出しました。
それから従姉妹は、あまりの痛さと、痛みからくる気持ち悪さとで、30~40分、口を聞いてくれませんでした。
でも、仲良しです。 不思議だなと、思います。

放棄   (20070728)

2012-06-22 13:03:38 | ■生きるとは・なんぞや?■
19歳の時、私は自殺未遂をした。 
母に、「 死ねばよかったんだバカヤロー! 」と、怒鳴られた。
愛情からでは無く、子供染みた憤りから。 感情の起伏のままに怒鳴られ捨てられた。
。。。どこか、期待してた。 母の愛情を。 優しさを。
浅ましい、いじましい、みっともない自分に、静かに笑ってしまってた。
なんて、情けないのだろうと。


病院で、医師が。
「 うわ!これは飛ぶから気をつけろ! 」と、声を荒げて飛びのいた。
そして、私は笑った。
若い医師が、「 丁寧に縫ったから、痕には成り難いと思うから 」と、本当に丁寧に縫ってくれた。


私の左手の薬指は、2ヶ月ほど、動かなかった。
けれど、しばらく経って。 普通に動くようになった。
この2ヶ月間。
「 指輪の似合わない指になってしまったね 」と、薬指から目を逸らしてました。


私はこれから2年ほど、ベッドから起きられない生活が続きました。
けれど、接待には参加をし。 笑い、笑わせ。 父とのパイプを結び。
人事や運営、時には人が足らない時には現場へ向かいました。


二十歳の時。
私に関する全権限・権利・相続の放棄。を、全ての家族に言いました。
そして、家の墓には入らず、無縁仏になるので、私の意志を尊重して欲しいと。
家族は、大反対でした。
けれど、ことあるごとに私は、唱え続け、主張続けました。


今の私には、本当に何も無いけれど。
あるものは、人を傷つけ、欺いてきた歴史ばかり。
それでも、この手でできる事が残されているのなら、向き合っていこうと思う。
やっと、そういった決心がついたような、、、つき始めたような気がします。
人はやっぱり、、、過去の先人たちが仰っていたように、変われるものなのかも知れませんね、、、


「 ナニカ 」に、償っていけるのかも、知れませんね。
私はずっと、、、「 ナニカ・誰か 」に許されたかった。 キレイな人に、許して欲しかった。
生きる事、許して欲しかったから。 だから、生きる事を手離せなかったのかも知れませんね。。。

愛する事の意味 (20070726)

2012-06-21 13:10:18 | ■生きるとは・なんぞや?■
未だに明確には、解からないけれど。
それでも、この手で守れるのなら、守りたいと思える人が出来た。
望むなら、出来うる限り叶えてみたいと。。。


私は人を傷付ける。。。
けれど、傷付けない生き方を探してみたい。
本気でそう望む。。。


私にできる事があるのなら、支えてみたいと。
強制されるのでも、愛情と言う狂気に諦める様にして、、、心を閉ざすのじゃなくて。
ただ、、、私の何かで出来る事があるのなら。
全てをあげたいと思える人と出逢えた事に、全ての人生に今なら意味が在ったのだと思えます。


きっと、今の自分になるために。 全ての時間が、私には必要だったのだと思うから。
( もちろん、必要だったとは思うけど、、、消化はまだしきれて居ませんが、、、 )


私を生かしてくれた時間。 何度も投げそうに成ったけれど。
それでも、今の私に成るために、必要な時間だったと、今なら思えるから。


「 愛 」が判らないけど。。。「 恋 」が判らないけど。
幸せな気持ちは、判ったよ。 すごく、胸が温かい。
大切な人を思い出すだけで、自然に笑みがこぼれてくるくらい、温かい気持ちだね。


私は、ウソツキだから。
それでも、誠実で在りたいと望むから。 リハビリ、して行こうかと思います。 頑張ろうっと。。。

小さな戸惑い  (20070715)

2012-06-21 13:07:16 | ■生きるとは・なんぞや?■
昨日。 弟カップルと7人で、焼肉を食べた。
終始、とても楽しかったのだけれど。
会計の際、小さなアクシデントがあった。
それは、「 志向 」性の違いから起きた、些細なシグナルだった。


弟は、違和感を感じることは出来たらしく。 速攻で、私を振り返り答えを求める視線を送ってきた。
私は、「 それは、嫌いな人は嫌いだからね。 」と、気付かれないように、小声で答えました。
詳細を歌わなくとも、そのくらいのニュアンスは受け取れるだろうとボーダーを引いてもいたからです。
弟は、ハッとしたように。 話題を切り替えました。


だけど、その一連の数秒のやりとりを、弟の彼女さんは見てる。
それを、普通は、、、どう、思うんだろうね、、、


私は、「 バカな・フリ 」をする。 
「 ニートで、ひきもりもなので、いつも彼女さんたちにご馳走になってます!にゃごにゃごです♪ 」と。


私が居ると、弟は安心してしまう。 だから、最近では以前ほどのフォローをせず、突き放してる。
会話の流れも、弟中心に組み立てず、私が好きなように、気の向くままに話してる。
だけど、私が居ると。 弟は、どこか目立たなくなってしまう。
だから、しばらくして。 弟に、話を全て振り替える。
弟は、笑う。 そして、嬉しそうに、楽しそうに、引き継ぐように、話題の中心になっていく。


私は、、、何をやっているんだろうと、思う。
なにが、したいのだろうと、、、
弟は、私を「 好きで・嫌い 」だと、知っている。
弟自身も。それを解かっている上で、私に接している。
出来る限り、私に悟られないように、私を好きだという気持ちを無くさないように努力するように、、、


だから、私たち姉弟は、月に一度の食事を極力欠かさないように、してる。。。
「 切れて 」しまわないように。
「 憎んで 」しまわないように。
弟は、私の内情・性質を理解しているようでした。
私は、いつでも。 いまでも。
家族全てが、離散してもとめないし。 どうともしない事。
だから、余計に弟は、私を気に掛けるのかも知れません。


母と同様に。。。私を、好きではないくせに、、、「 離したくない 」だけなのかも知れません。
けれど、「 切れても構わないほどには、嫌ってはいないだけ・欲目が何処か在るだけ 」なのかも知れません。
私に、フォローを求めてくる弟。
弟の元に、仕事復帰を暗に求めてくる様子。
公私共に、支えて欲しいと可愛いフリをして、涙目を一瞬、、、浮かべてくる愛らしさ。。。


かなわないよね、、、と、思う。
愛される事に慣れている弟。
愛してもらう事に、慣れている弟。
人を好きだと思う気持ちに、迷いの無い弟。
楽しい事が大好きで、人が大好きな弟。
甘える事が、助けを求める事が、可愛く出来る弟。
私は、弟を可愛いと、、、思う。
出来るなら、支えてあげたいとも思う。
けれど、もう。 私たち姉弟・家族の道は、分かたれたのだと思ってる。
私が、「 生きる 」と。 決めた瞬間に。


母に、会社を辞めるとき、死なせて欲しいと。死ぬ事を許して欲しいと言って、却下され。
母の許しが無ければ、死ぬ事すら出来ない意思の弱い、意思の欠けた人間に成っていました。


「 生きる 」と、決めたときから。 私は、家族を、思う気持ちを捨てました。
捨てなければ、生きられなかった。 母は、それでもいいから、「 生きろ 」と私に最後の命令をくだしました。
私は、それを、嗚咽の中で、どこか絶望の中で受けました。
もう。。。異常な家族構成だと、、、言わざる負えないほど、イビツな形の家族だったと思います。


母は。。。弁護士の件。 離婚の件。 慰謝料の件。
全てを、私に丸投げしてました。 
私は、父に「 お前だけは、絶対に許さない! 」と、名指しで蔑まれ。
笑っていました。 「 こっちの、データも見る? 」と、父の隣に居る、ある人物に話を振りました。
父は、顔を引きつらせ、真っ赤に震えながら、ある人物の居る手前、 「 見ない 」と白旗を振りました。
おそらく、私が用意しているデータを、その人物に見せられないチェックメイトだと、感じ取っていたからでしょう。
私は、フェイクや意味の無い脅しは使いません。 
確実に、意味のある・繋がってくる事しか、「 正攻法 」で在るだろう事は父も熟知していたからでした。
そして、私は、父を許してあげました。
それが、後々。 自分の首を絞めると解かっていて、引いてあげました。
それが、父に対する、私なりの、ウソでも最後のはなむけでしたから。


弟が、時折小さなシグナルを、送って来てしまう。
私は、それを、手助けしてしまう。。。
突き放さなくちゃ、いけないと思うのに。。。
手を、差し伸べてしまう。。。
彼女さんの気持ちに、気がついていないワケではないけれど。。。
小さな戸惑いが、いつも、弟を突き放し切れない結果に陥ってしまう。。。
あの、悲しそうな、自信のなさそうな目を向けられてしまうと、、、
いつもの、自信に溢れている屈託の無い弟で居て欲しいと、、、どこか、望んでしまうから、、、
けれど、それは、本当の意味で、弟の成長を・変わっていくチャンスを摘んでしまう事だと言うのに、、、


因果応報・自業自得。。。
本当に、その通りなのだろうなあと、つくづく思います。
自分の選んだ行動の結果、それらが当たり前のように、取り付いて来てしまうのでしょうから。。。
自分自身の惰性と惰弱なルールのせいで、、、、、、、、、、、、、
最後まで、私はきっと、助けないのに、、、手を出してしまう、、、弟に、、、母に、、、
最低な、生き様だよね、、、なんて、最悪な弱さなんだろうと、思う。。。ごめんね、、、


でも、、、このまま、、、誰も、傷つかずに、生きていけるのなら、そうありたいとも同時に望むから、、、、、、

成田空港 (20070630)

2012-06-21 13:05:46 | ■生きるとは・なんぞや?■
以前。 私は良くドライブがてら、好きなCDと浪曲・虎造・森の石松シリーズ。
特に金比羅代参を好んで聞きながら、高速を走ってました。
感情も無く。 ただ、好きな音楽を高音量で口ずさんだり。
石松を、口ずさんだりしてました。 なぜ、自分が成田空港へ行きたいのか、判らずに。。


半分くらいの確率で、音を止め。 仕事のシミュレーションを繰り返してました。
また少しして、ネタにつまると。 CDかカセットの石松を付けました。
自分の感情が、いつも静か過ぎて。 自分自身でも、よく判らなかった。
ただ、逃れたいと。 誰も傷付けたくないと。 
誰にも私を覚えていて欲しくないと、バカな事だとバカな願いだと知りながら、考えていました。


空港に着き。 車を停めて。 私は必ず到着ロビーへ向かいます。
同じフロア。 同じ目の高さ。 あちらこちらで囁かれる、無事を祈るような言葉たち。 
大切な人たちが無事、戻ってくる事を、彼らの中で一緒に待ちました。
やがて、飛行機が到着し。 彼らの目の前に、大切な人たちが笑顔で現れて来ます。
それは、恋人だったり友人だったり。 家族だったり。 それぞれの理由だったり。
抱き合い。 涙して。 笑い合い。 無事を喜んで。 
そこは、私を除いて。。。温かい感情に包まれる瞬間でもありました。
( 全てが、と言う訳には行きませんが。。。 )


最後の乗客がゲートをくぐってくる頃、私は2階へと居場所を移動して、上から見つめました。


人々が、再開をひとしお喜び合い、家路に着くのを見詰め終わるまで。
やがて、ロビーに人は居なくなり。 
少し、淋しい気持ちになりながら、私は見学デッキへ場所を移します。
少しだけ、外を眺めながらお茶を飲みました。
また、少し時間が経つと。 
到着ロビーへと足を運び、大切な人が帰って来るのを待つ人たちの中に紛れ込みました。


何時間でも。 何組でも。 時間が許す限り。
あるいは、私が満足する限り。 同じ事を繰り返してました。
数ヶ月に数度。 私は成田空港へ足を運んでは、再開のシチュエーションを眺めてました。
どこか、温かい気持ちにしてもらえる気がして、仕方が無かったからです。
心が少し、潤おわせてもらえているような、そんなどこか温かい気持ちにしてもらえたからでした。


仕事を辞める頃。 そんなことも、なくなっていましたけれど。