その場しのぎ

攻撃力のないブログなんですけど…

難しい漢字の奇襲攻撃

2009-04-29 04:36:26 | 私とその周辺について
自己紹介というのは難しいものである。
しゃべりすぎてもよくないし、印象に残らなすぎても上手くない。
ポイントはいくつかあるだろうが、とにかく笑いをとらなければ、
なんて思い詰めてしまうこともあるのではないだろうか。
かくいう私も、そんな一人である。


先日、50人の前で自己紹介をしなければならなくなった。
辞退しようと画策したのだが、そんなでは友達ができないと主催者に脅されたのだ。

仕方なく、知恵を絞って名スピーチをひねりだした。
あまりにひねったせいで、爆笑ポイントを4つ作ってしまった。
聞かされる方はうっとうしいこときわまりないだろうが、気にしてはいられない。
4つの大波で聴衆を取り込むのだ。

その日は、皆の前に立ち、マイクを持って語りかけるというスタイルで、
ホワイトボードに自分の名前を書きこんでから始めるのだという。
大講堂でも忘年会でもないのに、マイクなんて。
そんなことするのは、綾小路きみまろくらいではないか。

いきなり難関だが、ここで好印象を狙うハンターの私にグッドアイデアが降りてきた。
皆は名前を書いて、それきりマジックを置くが、
攻撃的な私は、その後も話のキーワードをボードに書き込むことにしたのだ。
いわゆる授業スタイル。これなら声の小ささも、滑舌の悪さもカバーできる上、より爆笑の合図が明確になるではないか。


突然ひらめいた力技であったが、本番での私はこれのおかげで自分のペースで色を出しつつ、スピーチを進めることに成功した。
ただし、まったく問題がなかったというわけではない。

そろそろフィナーレかというところで、それは起きた。
『小銭をかき集めているうちに、なんとか生活費を稼げるようになりまして~』という、
自虐的な貧乏話から一転、場をなごませる重要場面。
ホワイトボードに『生活費 ゲット!』と爆笑ポイントを書き込もうとしたときだった。

生活費の『費』が書けないのだ。
ここ一番でのド忘れである。しかも、”貝“の部分がわからなくなったとか、部首の上半分が難しいとかの些細な問題ではなく、字そのものが全く思い出せない。文字の雰囲気がぼんやりと浮かぶだけである。

こんなに難しい字が世の中にあったのだろうか。
壇上で自問自答したが一向に思い出す気配がない。仕方なく私は、“費”をそのままぐちゃぐちゃに塗りつぶし、よしとすることにした。文字は『生活●』 となった。

動揺しながら先を続けたが、さらに『ゲット!』と書き加えようとしたら、またおかしなことになった。
今度は『ゲート』と書いてしまったのだ。
なぜだかわからない。しかし、現実に手はそう書き込んでいる。

『生活● ゲート!』

しかも悪いことに、この表現を見ても、何がおかしいのかすぐにわからない、という事態に陥った。
書きたいことと違うなぁ、と思ってはいるのだが、字を睨んでいても『ゲット』が『ゲート』になっているのに気づくけないのだ。
一番前の席の人も「この人、何書いているんだろう」という顔をしている。

何呼吸かしてからようやく気づき、再び上から書き直す。だが、

『生活● ゲシト!』

『ツ』と『シ』を書き分けられない。悲劇はまだ終わっていなかったのだ。
もう私の身に何が起こってしまったのだろうか。


その時になって、私は自分の手がものすごく震えていることに気づいた。
そうか、緊張して手が震えているから、字がしっかり書けないんだ、とやっと理解した。

自分の手がこんなに震えるものだとは。
震える手を見ながら、この手ではもう『ゲット』と書き直す自信がなくなっていた。
仕方なく、マイクに向かって
『すみません、緊張しすぎてうまく書けないんですけど・・・』と告げ、
そのまま、よろしくお願いします、
と聴衆にぺこりと頭を下げ、自己紹介をしめてしまった。
とにかくダサいが、しょうがない。


すると、下げた頭の上を、すごくあったかく大きな拍手がかぶさってきた。

結局、ウケようと思って考えた大きな4つの波は、さざ波に終わり、たいして笑いもとれず、大オチである『生活費 ゲット!』も書けなかった。
これからはいろいろ考え直さなければならないと反省した。


すべての自己紹介が終わり、部屋を出ようとした際、一人のひとに声をかけられ、お茶に誘われた。私が先ほどの自己紹介に失敗したことを悔やんでいたら、その人は、『おもしろかったですよ』と言ってくれた。
いい人もいるものだ。  友達できるかな。


嘘とサプライズ: くわばたりえはどうしたらよかったんだろう

2009-04-28 22:05:29 | ニュースとか、世の中とか
くわばたりえが婚約した。
ずっと彼氏がいなくてモテない女を公言していた彼女だが、
実は3年前から交際していた男性がいたというのだ。
今の段階では、祝福の声がメインのようだが、私は何か釈然としないものを感じる。
なぜなのか? あまりにモヤモヤするので、ここで一度腰をすえて考えてみたい。
もう勝手に独断と偏見で進めてしまうのである。


(注:くわばたさんのことが猛烈に好き!という方は不愉快になるので、
   くれぐれも読まないでいただけると幸いです)


まず断っておくが、私はくわばたりえに大した興味を持っていない。
確かによ~く彼女を観察すると少々賑やかな部分を発見してしまうのだが、
別段不快ではない。
しかし、彼女がモテる相方をうらやんで大騒ぎしたり、彼氏が欲しい、と叫びながら、
懸命に異国のダイエットに励んでいて、その姿はかなりウケているらしい、
なんてところまでは認識している。

そんな外野で野次馬の私だが、このニュースを見て「ん?」と思ったのだ。
いや、おもいきってはっきりいうと、かなり頭にきた。

(芸能人ゆえの複雑な事情はもちろんあるのだろうが、)
大前提として、まず、彼女はファンをだましていたではないか。
そのことをきちんと処理せずに、マスコミが祝福モード全開で
二人を迎えていることに「ちょっとちょっと」と思うのである。
くわばたはきちんと謝罪していないし、ファンとしっかり向き合っていないではないか。
「芸能人の宿命」だかの耳障りの良い言葉にくるまれて、
曖昧にされていることを取り出して考えてみたい。


まず皆が思っているだろうことを想像してみる。
たとえば、普通の芸能人が、恋人ができたことを隠しており、
婚約を機にその存在を公表する、というのは、ある意味、仕方ないという気がする。

しかし、くわばたの場合は違うだろう。
彼女は“モテなくて彼氏が欲しい女芸人”として活動しており、
そこでファンから支持を受けていた。
もっといえば、ここを猛烈にアピールして商売していた。
つまり、「女芸人」「努力」「キレイになった」などと並ぶ『彼氏いない』ではない。
いわば、『彼氏いない』は彼女の目玉商品であり、最大の主力商品だったのだ。

どこかの“完全無所属”ではないが、この”彼氏いない“には
お金と信用が発生している状態だったのだ。偽装ではないか。
これが選挙を控えた政治家だったら偽装政治家で、お米だったら偽装米だ。
もちろん、彼女が“彼氏いない”をここまで全面に押し出さずにテレビに出ていたなら、私はまったく怒らない。


しかし、この“彼氏いない偽装”に対しては、本人も悪いと感じているらしく、
会見でも繰り返し詫びていた。
実際、恋人ができた際には、マネージャーと小原(相方)に相談したという。
そこでは、公表せずこれまで通りモテないキャラでいきましょう、という結論が出され、
本人もその方がやりやすいので、この方針にしたということらしい。

ここまでだったら問題ないと思う。
自分勝手ではなく、ファンのことも考えての対応とも受け取れる。
しかし、本当はファンのことなんて、大して考えていなかったことがその後の行動で発覚する。

恋人の公表は、婚約発表とともに行われたのだ。
これがなんともズルいと私は思う。
“偽装の公表”という悪いことと、“婚約”というおめでたい発表が同時だったため、
世間とファンは彼女をおおっぴらに批判することができなかったのだ。

ここで怒ったら大人気ないのではないか、といらない気後れをしてしまい、まず、祝福せざるを得ないのである。その結果、騙されたという感情をぶちまけることははばかられ、胸の内にしまっておくことになる。まず怒りたいのに拍手しなければならない、すごくモヤモヤするではないか。
計算の上だったのかは知らないが、人の優しさにつけこみ、罪をうやむやにしているところは本当に卑怯だと思う。
「幸せになったんだからこんなんでもいいよね?」という甘えは、
ずうずうしいのにも程がある。
大事に思っているのなら、少なくとももっと別の方法があったのではないか。


ファンを軽んじる行為で、さらに驚いたのが、あの番組出演である。
なんと、謝罪を前に、『結婚相手が番組に登場しプロポーズ』、
これでファンへの公表とするというのである。

何度も言うが、彼女は3年も視聴者を騙していて、それで同情も共感もお金も人気も得ていて、どっぷり騙している最中なのである。
その公表が、きちんとした説明をすっとばしての恋人登場で、
しかも、くわばたに内緒でドッキリを仕掛けるドタバタ劇であっていいはずがない。
やっている方は大はしゃぎだが、おもしろくもなんともない。

あんまりである。観客は不意をつかれ、怒っていいことにも気づかされず、祝福していることだろう。何度もいうが、笑いにくるんで、注意をそらすのだから巧妙だ。
(ホント何度もいうなぁ)

ドッキリだったので、本人はどうかしらないが、少なくともマネージャー陣にはファンに悪いという気持ちがあったとは思えない。そうならこんな企画はできないはずだ。
先ほどの政治家の例でいうなら、完全無所属で当選した直後に、本人には秘密で自民党からの当選パーティーが計画され、そのサプライズの模様がテレビで生中継される、というようなものである。無神経すぎる。

ましてや彼女は芸人だろう。サプライズの意味を履き違えている。裏切ったファンを微妙な気持ちにさせているのだ。清水のみっちゃんも「みずくさいよ・・・」とくわばたにメールを送ったというが、まさにこれがリアクションの象徴なのではないか。楽しませる芸人が、人に気をつかわせ、しらけさせているのである。
ごめんなさいという言葉はあったが、行動だけを見てみると、首をひねってしまう。


と、ここまで手厳しい意見ばかり書いたが、
さすがに外野で野蛮人の私もちょっと後ろめたくなってきたので、
では、どんな公表の仕方であればよかったのか。
彼女は女芸人であることを踏まえて、考えてみた。

まずは、墓場まで持っていくというパターン。
彼女は“モテないキャラでやっていく”と決めたのだから、
この際、くわばたか旦那さん、どちらかが死ぬまで秘密を貫くのだ。死後にバレたのなら、『実は結婚していた! くわばたに女芸人の魂を見た!』なんて見出しが踊り、ファンだってそこまでされたら「もっと早く言ってよ。水臭いじゃない」なんて菩薩のような気持ちになり、怒りも蒸発し、逆にエールを送るはずだ。

それがダメなら、せめて子供ができた時に公表するというのはどうだろうか。
『くわばた、婚約!すでに妊娠3ヶ月!』みたいな感じで攻めるのだ。
“恋人がいた!婚約した!子供もいる!”なんて、
3段報告で「おめでたすぎる作戦」である。
こちらもちょっぴり卑怯といえなくもないが、とにかく、めでたすぎるので仕方ない、という気持ちにさせるのだ。これならファンもお手上げだ。子供の幸せを願うというのはまさに威力絶大なので、恋人の存在うんぬんを論じている場合ではなくなり、世間だって一斉に諦めがつく。

芸人魂を強調するなら、週刊誌にスッパ抜かれるというのでもいい。
実は彼氏がいたのをファンのため必死に隠していたのだが、やはり見つかってしまった、惜しかった! という空気を漂わせるのだ。
しかも、いくら証拠をつきつけられてもくわばたは否定をつづけ、
度重なるスクープ合戦の末、ようやく認めたというぐらい突き抜けていれば、
まぁ許せるのではないだろうか。
また、このバレたというのが肝心で、やはり芸のためファンのため、それほどまでに私生活を犠牲にひた隠し、信念を貫こうとしていたのだ、という感じで好感が持て、一気に祝福モードが高まる、逆にねぎらいの言葉なんかももらえるのではないだろうか。


といろいろ書いてみたが、事態がエスカレートする前に、せめてダイエット本とかの前にでも、恋人の存在公表と婚約、謝罪、恋人の番組出演をもう少し切り離して対応するべきだったのだろう。そういうことなら、とみんな受け入れたと思うし。
それか、”モテない女“以外に、彼女に付加価値をつけてから公表するとか。
とにかくやはりエンターテイメントの世界にいるのだから、あまり見ている人をしらけさせない工夫を、誠意あるサプライズを、少しでも頭をひねってみるべきだったと思う。一種のモテない詐欺と言われても仕方ない。


こんなに批判をしているが、これほどくわばたについて書けるなんて、本当にびっくりだ。
意外に私は隠れくわばたファンなのだろうか・・・


しかし、皆、いつなんどきこんなことになってしまうかわからんから、こわいこわい。




(批判めいたのってすごい気をつかうため、ブログが大長編になるなぁ)






真夜中の不審者

2009-04-25 02:00:05 | 私とその周辺について
深夜のスーパーマーケットに行ったことがあるだろうか?
当然のことだか、店内にほとんど客はいない。
いても、おっさんが2、3人、惣菜やら酒やらを買っているくらいだ。

そんな未知の時間帯に、私はよく出没している。
深夜の1時とか2時とかに、白い車で乗りつけ、
庭歩き用のサンダルをつっかけ、店内をうろうろし、雑誌を立ち読みし、
ヨーグルトと牛乳といった”料理なんてしないんだろうなぁ”と
思わせる仕方ない食料を大量に買って帰るのだ。

ただでさえ、客の数よりも店員の方が多いという状況で、
20代の女がひとり、そんな調子で現れるのだから、
レジのおばちゃんからしたら、相当な危険人物扱いだろう。

しかし、おばちゃんはプロなので、ヨーグルトだろうが、じゃがりこだろうが、
私が差し出したものは、とにかく片っ端からレジにかけてくれる。
が、心の底では、「この子大丈夫かしら?」と
私からクレイジーな気配を読み取り、
「きっと友達がいないのね。可愛そうね」などという結論に至り、
さぞかし心配していることだろう。


そんなある日、実家に戻ってきている友人と会う機会が会った。
友人を車で送っている途中、私の頭にある名案が降りてきたのだ。

この友人を連れて、あのスーパーに行き、
店員たちに私にも友達がいるのだというところを見せつけてやろうではないか。
そうすればレジのおばちゃんも安心するに違いない。

この作戦を打ち明けると、友人は喜んで力を貸してくれるという。
しばらく放っておいたら私がそんなことになってるなんて、哀れに思ったのであろう。

私は友人を連れ、意気揚々と店に入り、
いつもはヨーグルトや牛乳だけのところを奮発して、
景気よくお菓子やココアを買い込み、
さらに重要な小道具としてトイレットペーパーを買った。
これを友達に持ってもらい、レジまで運んできてもらうのだ。
おばちゃんの目には、私と友人、2人の姿がよく見えるに違いない。
なんてさりげない作戦であろうか。
まるで三国志の軍師・孔子ばりのグッドアイデアである。
(ワタシ、映画ミタばかり)

何度頭になぞってみても完璧だ。
しかし、直前になって想定外のことが起きた。

いつものおばちゃんがレジに見当たらないのである。

私は急いで、あのメガネをかけて、三角巾をかぶってエプロンをした
おばちゃんの姿を探した。 ・・・が、どこにもいないではないか。

そこであっと気づいた。考えてみれば当然のことだ。

おばちゃんは深夜のシフト。
しかし今は昼なので、こんな早くからレジに入っているわけがないのだ。
忘れていた。
軍師・孔明が聞いてがっかりである。(ワタシ、映画ミタばかりナンデスガ・・・)

作戦は失敗に終わった。
仕方なく、友達には出演料としてココアを渡し、
我々はスーパーを去ったのである。


それからも、深夜、レジのおばちゃんは私を心配そうな目で見ている。


橋の上にて

2009-04-20 01:20:59 | 私とその周辺について
ある小説を読んでいたら、こんな場面があった。(ちょっとうろ覚え)

主人公(中学生男子)が自転車にまたがって信号待ちをしていると、
偶然、その先に元同級生3人の姿を見つける。

彼らは、主人公と小学生の頃は仲が良かったのだが、
中学に入った途端、
『おまえのことなんか、ずっと気に入らなかったんじゃい!』
と衝撃の告白をし、それからは、彼を仲間はずれにし、
喧嘩をふっかけたりして、好き放題し始めたのだ。

そんなわけで、昔の仲良しグループの面影はなんとやら、
今ではもうすっかり険悪な雰囲気・・・、
という状況での鉢合わせなのである。

3人は下校途中なのか、自転車にまたがり談笑しているが
向こう側の彼に気づく。

それを見て、主人公は、この信号が青になったら、全速力で突っ走り、
真ん中にいる背の高い男に突っ込もう、と心に決める。

信号が青になる。猛スピードで男にぶつかる主人公。
男は自転車から転げ落ちるが、突然のことに何が起きたかわからず、呆然状態。

しかし、主人公は勢いを緩めず、
「うらぁ!!」とそいつの自転車を、
横に流れていた川に投げ捨てるのだ。

自転車は橋の上からまっさかさま。
主人公は捨てゼリフを吐き、去っていく。


そうか。そうだったのか。

このシーンを読み、長年の謎が解けた。
私は常々、近所のドブ川になぜ、自転車が落ちているのか、
疑問に思っていたのだ。

ペットボトルやら、空き缶やらの家庭ゴミが浮かんでいる理由は、
なんとなく想像がつくが(気軽に投げられるし)、
テレビや冷蔵庫、自転車などの大きなものが落ちているのは
なぜだかまったくわからなかったのだ。

しかし、これなら納得だ。
こうして不良がケンカして、
日夜、せっせと自転車を川に投げ込んでたのではないか。

ケンカ中の悪い子たちというのは、エコなんて気にしていられない。

この理屈でいくと、テレビと冷蔵庫が川に落ちているのは、
電気屋さん同士が川沿いでやりあって、
威勢のいい方のおじさんが『えいやッ』と
家電製品を川に投げ込んだからということになる。

なにはともあれ、自転車は私の想像を超えているのである。