その場しのぎ

攻撃力のないブログなんですけど…

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みんなネットで何を見てるの?

2013-10-01 16:07:19 | 私とその周辺について

現代人のネット依存が深刻らしい。
寝食を忘れて画面に没頭し、
何時間もパソコンやスマホから離れられない。
次第に目まいや吐き気に襲われる。
それでもやめられない、らしい。

依存症とはいかないまでも、
私の周囲も、少しでも時間が開くと
ひたすらネットサーフィンをしているという。

一体みんな何をそんなに長時間見ているのか。
すごく気になる。

私はスマホを持っていない。
幸か不幸か、PCはスピーカーが壊れているせいで音が出ず、
音のない動画はつまらないからまず見ない。

おのずとグーグルやヤフーでネット検索をして
遊ぼうとするのだが、うまく使いこなせない。

そのへんにあるものを手に取ればいい本と違って、
ネットの場合、
自分で見たいものを検索ワードとして入力しなければならないが、
この作業がすでに苦痛である。

ラクして遊びたいから、めんどくさいから、
頭を使いたくない。
何も考えたくない。

ようやく言葉をひねり出し、打ち込んだとしても
興味のあるキーワードはだいたい1日2、3個あれば良いほう。
オリジナルの検索ワードはすぐに尽きる。

ならばすぐパソコンから離れればいいのだが、
今度はシャットダウンするのが面倒くさくなり、
ヤフーのトップ画面に戻って
ずるずると芸能ニュースを見ることになる。

芹那のTバックが丸見え。

森下悠里が整形を告白。

はっきり言って、どうでもいいニュースばかりである。
ここでやめればいいものを
さらにジャンプにジャンプを重ね、
読み続けるうちに平気で1、2時間は過ぎる。

一度見始めると止まらないのが、この手のサイトの厄介な所。
思考は止まっているのに、
手は脇に書かれた小見出しをひたすらクリックしている。
(↑ 何?この状態!? )


ジャンプすればするほど、内容のくだらなさに拍車がかかってくる。

ドランク鈴木のブログが炎上

グラドルが口説かれた芸人の名前を告白

これを知っていて私の人生に何の得があるのか。
もう時間泥棒である。

せめて真実ならまだいいが、
当事者の証言ではなく、記者の願望だったり、
関係者の憶測だけで書かれた記事ならますます報われない。
だらだらと読んでしまった自分のふがいなさに絶望的な気分になる。

こうして全く見る必要のないものを延々と見ながら、
時間だけが過ぎていく。

この状態って合ってる? 
みんなこんな感じ???
私のネットとの関わり方は正しいのか?

ネットサーフィンというが、
あの人もこの人も、一体どこの海をサーフィンしているのだ。

彼らは途切れることなく検索ワードを思いつくのか

私が知らないだけで
毎日見ても飽きないおもしろサイトがあるのだろうか。


本当に、みんな何を見ているのだ。


インターネットの便利さは、
使う人のレベルに左右されるという。

欲しい情報が明確で、
はっきりキーワードを打ち込める人にとっては便利なツールだ。
論文や事件資料を集めたり、アーティストのライブ日程を確認したり。

しかし、私のようにキーワードが思いつかない場合、
ひたすら芸能ニュースを読み続け、
集中力を消耗させ、真偽のわからない情報を鵜呑みにし、
振り回されることになる。

ネットを使っているつもりが、ネットに遊ばれている。


この事態を重く見た私はネットを見る時間を15分と決めた。
せめてもの対抗処置である。
それ以上見ていると、
私に入ってくるのはムダなウソ情報ばかりになってくる、
ことを突き止めた。
ネットを利用して人生を豊かにできるタイプの人間ではない。


ワタシハ15分たったらシャットダウンする!

いままでネットを見ていた時間を
そのまま他のことに使えば有意義なはずだ。

そうだ。そうだ。

まわりの人が延々とウソか本当かわからない芸能ニュースを見ている間、
(←そんな人ばかりじゃないですよ~)
私は仕事をする。
そうすれば彼らを出し抜けるのではないか。

芸能ニュースのダラダラチェックが始まったら、
心で唱える。


自分はいま必要のない記事を読んでいるのだ。

くだらない記事を読んでいる。

ムダムダムダ・・・・・・

こんな記事に時間を奪われてなるものか。

・・・ぬおおおおおおおおおぅ!!!


気迫と自己暗示で、私はネット時間を減らすことに成功した。


が、空いた時間はそっくりそのまま昼寝の時間になっている。
人ってなかなか変われませんね。

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ひとりボディボーダー

2013-09-09 00:11:26 | 私とその周辺について

今年も母の実家にある海水浴場でボディボードをしてきた。

海でボディボードというとカッコイイ響きに聞こえるが、
私の実態は程遠い。

日焼けしたサーファーとキャピキャピしたギャルが、
サーフボードをくくりつけた4WDで乗り付ける中、
私は60を超えた母と二人。
しかも、ホームセンターで買ったボードを抱えて登場する。
この時点でもう何かに負けている。

海は本来、誰が来ても良いもの。
還暦を過ぎた母と来て何が悪い!と自分を鼓舞してみるが、
私の足取りは重い。

海の雰囲気を満喫するだけならともかく、
砂浜で昼寝をする母を残し、
これから私は海に入るのだ。ひとりで。

すでに海水浴場は仲間やカップルで賑わっている。
ひとり身に、このキラキラはべらぼうに眩しい。

もう願いはひとつだ。
ハシャいで輝いている皆さんに、
私がひとり遊びをしていることを気づかれたくない。

となると海でのポジショニングが大切になってくる。
景色に溶け込む必要があるのだ。
どこかの団体のそばでさりげなく遊ぶことで、
グループの一員と錯覚してもらうのがベストではなかろうか。

どの団体がいいのか。
海を見渡して、私はとあるファミリーにあたりをつけた。

お父さん、お母さん、3人の子どもの5人家族である。
子供は浮き輪やボードで遊んでいるし、
お父さんの髪は薄くなりつつあるところもほっとしてポイントが高い。
しかし決め手は、皆笑顔がはじけるように
明るいところだろうか。(←普通か!)
絶対あたたかい素敵ファミリーに違いない。

この家族の近くで、さりげなく遊べば
安全は保障されたようなものである。


泳ぎ場所を確保した私は、
早速ボディボードを始めた。

ここで厄介なのは、
私が本格的なボディボーダーではなく、
海水浴場を出られないヘタレボディーボーダーであることだ。
ボードに乗り、プカプカ浮きながら波に乗ることができない。
まずボードを手で漕げないのである。

だから、立ったまま
食堂のトレーを抱えるようにボードを抱え、
波が来るのを待つ。
そして、波が崩れた瞬間にくるりと砂浜の方に体を向け、
向かってくる波の上にボードを置いて運んでもらう。
庶民の波乗りスタイルである。

波のとらえ方もあぶなかっしい。
スムーズに流れの上にボードをのせるのが理想だが、
私は波が来ると、まずあせってしまうので、
乗る時はバタバタ、大慌てなのである。

しかも、私が乗れるような優し~い波は限られているから、
結果、”食堂のトレースタイル”のまま、
海をウロウロすることになる。
挙動不審だ。

ひとことで言うと、カッコ悪い。


私は波乗りに来たのではない。
波と遊びに来たのである。

だから、これでいいのだ。

ヘタクソなボディボーダーには、強い気持ちが大切なのである。

そう、強い気持ちぃ!!

心の中でシャウトして、自分を奮いたたせ
新たな波を探す旅を続ける。


だがその叫びはむなしく、
立っているだけなのに、なぜだが私は何度も波にのまれる。

かなりハードにのまれる時もあって、
そんなときは文字通り、体が回転する。

水の中でぐるぐると、意思とは違う方向に手足を取られ、
「ああ、そっちは曲げてはいけない方向ですよ」と
ぼんやり危険を察知するものの、
波は容赦なく、手足をひっぱっていき、
まるでつったような地味な痛みに襲われる。

耳に水が入る、キーンという音も
やけにはっきり聞こえてくる。

体が派手に転がされるのと同時に、
髪の毛も、水の中でぐわんぐわんとかきまわされる。

起き上がってみると、
分け目が7:3以上の8:2というすさまじい横分けになっている。
なぜ海の中で髪型を変えなきゃいけないのか。

普段から8:2のヘアスタイルなんてしないから、
元に戻した方がよいと思うのだが、
髪を激しく引っ張られたショックに、
呆然としてすぐに動けない。

右の首をスース―と海風がなでるのに気づいた。
もと右側にあった髪がすべて左にあるからだろう。
左の頭がやけに重い。

海水を吸って重くなった髪から、大きな滴がしたたる。

どうやら私は無意識に
首を左に傾けたまま、立ち尽くしていたようだ。

左に首をかしげながら、
ふと水の中でのアクロバティックな転がりぶりが思い返され、
急に笑いがこみあげてきた。

大回転からの、中国人風8:2分け……


くっ くっ く く くくく……


このチャイナな髪型を誰かに見せて、
大きな声で笑い合いたい。

笑いをこらえながらまわりを見回してみるのだが
私を気にかけている人は誰もいない。


…………


ニヤケながら不気味に海を見渡す私に
誰も気づきませんように。

こんな私に誰がした。


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青い海で、苦いテントデビュー

2013-09-07 17:06:26 | 私とその周辺について

母の実家に帰省がてら、海水浴に行くことになった。
砂浜で寝転がれるようテントを持って行きたい。

今年は新しくテントを新調することにした。

去年買ったのは、傘の要領で押せば開くタイプだったのだが、、
一度閉じたら見事に絡まって開かなくなった。
傘みたいとはいえ、実態はテントだから
布の形状が複雑で骨組みが生地を巻き込みやすいのだ。

やればやるほど骨同士がおかしな方向にねじれてしまい、
結局ぐちゃぐちゃのまま1年放置されることになった。
そして今年の夏も、全く開く気配はない。玉砕である。

我慢の限界を超えた母が言った。

「もういいわね」

初代テントはたった一度海で活躍したきり、捨てられることになった。

この苦い経験から、今年はとにかく
“傘のように広げるタイプでないもの”を選ぼうと目を光らせた。
畳んだ時にこんがらがりたくない、
我が家の願いはもうそれだけである。

そして見つけた今年バージョンが、
ホームセンターにあったお家タイプのテントなのである。

憧れのテントがついに我々のもとに…
ワクワクしながら海へ運び、
日差し照りつける砂浜で早速組み立て作業に入った。
もうテントに入るのが待ちきれない。

パッケージを開封してみると、
中から大きなビニールの布と
30cmほどのパイプ状の棒が10本ほど出てきた。

このパイプ同士が当たるカラカラした音を聞いた瞬間、
私はなんだかイヤな予感がしてきた。

はらりと1枚落ちた小さな紙には、
テントの骨組みがイラストで描かれていた。
どうやらこれが設計図替わりのようだ。

シンプルというべきか、
最小限の説明しか読み取れないこの画を頼りに、
初めてのテント作りに挑まなければならないのか……
心がざわざわする。

さらにひどいことに、文章は英語である。
唐突なイングリッシュの登場に、
今度ははっきりと私の心に衝撃が走った。

なんたる不覚。
田舎のホームセンターで売っている
安物のテントが輸入ものとは全く想像していなかった。


私があからさまにショックを受けている一方で、
母はすさまじい勢いで組み立て始めていた。
パイプをどんどん布に通しているのだ。

短いパイプが10本ほど入っていると言ったが、
よく見るとパイプ同士はゴムでつながっていて、
引っ張るとビヨーンとのびる。
まるでヌンチャクのようである。

短い棒が5本ずつゴムでつながっているから、
伸び縮みする長い2本の棒が入っているといえる。

完成イラストから想像するに、
このテントは正方形の対角線をなぞるように2本の棒を通し、
十字に交差させ、中央、つまり屋根にあたる部分を持ち上げる仕組みのようだ。

私は凧の骨組みをイメージした。

しかしなぜか目の前のテントは、
私が描いていたストーリーとはほど遠い。

まず、母はパイプとパイプを引っ張りすぎていた。
もうすでにゴムが伸びきってヌンチャクみたいになっているのだ。
なぜ母は砂浜でヌンチャク使いになっているのか。

明らかにおかしな状態なのに、母は動きを止めない。
ヌンチャクとなったパイプをつかみ、
テントの生地に通していく。
まるで縫いものでもするかのように、
ビニール生地を波打たせながら。
その針の動きに迷いはない。

しかし勢いが強すぎたのか、
“ヌンチャク”を大きく引っ張ったせいで、
プツンとゴムが切れ、
つながっていたパイプが一本取れてしまった。
大事な骨組みが折れたことになる。
本当のヌンチャクではないのだから当然である。

あの完成イラストを確認していながら、
なぜそのような雑な作り方をするのか。

その自信はどこから来るのか。

母に問い詰めると、
説明書きなど見ていない、勘でやっている、
とあっさりと答えた。

やっぱりというか、まさか、というか…。
呆然とするものの…何も言えない。


ふと我に返ると、相変わらずの強烈な日差しで、
足元の砂はすごい暑さである。

目の前には、ぐちゃぐちゃになったビニールの布と
バラバラのパイプ。

海は目の前なのに、一向に入れる気配はない。
隣では、パラソルの下、
サングラスをかけたアメリカ人の集団が
こちらを見て笑っている。
……気がする。

母もさすがに途方に暮れ、
一度砂浜を離れ、日陰でテントを組み直そうと言った。
私も賛成した。
はっきりと、敗北感を感じた。

何に負けたのか。

テントか、英語か、日差しか、
ホームセンターか。


かくして涼しい場所で、落ち着いてテントを組み立ててみた。

パイプをつなぐゴムが伸びないよう注意しながら
四角い布の対角線上にパイプを通していく。

全て通ったところでゴムを引っ張りながら、高さを出す。


きちんと作ることができた。


海でのビーチテントを作ることは、
私がイメージしていたより、
3倍は難しかった。

海でくつろぐ皆さんは、
本当にこの難解なテントをすんなり作れたのだろうか。

この日以来、
海を彩るテントの中の人々を見ると、尊敬してしまう。


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深夜、車で本屋に行っちゃうやつは…

2013-08-26 23:37:14 | 私とその周辺について
深夜、ふらふらとドライブしていたのだが、
ふと本屋に行ってみることにした。

そこは普段入らない店舗なのだが、
なんだかいつもと違う店に入りたい気分である。
気になっていたCDや雑誌をチェックするのも良いではないか。

駐車場の入り口表示に従って進入し、
店舗に近いスペースを探して移動した。

カーブを曲がると、出庫するところなのか、
前方からハザードを点滅させた車が
こちらに向かってゆっくりと向かってくる。

私はすれ違うため、左に寄せながら近づいていった。
すると、ハザードをつけた車のすぐ後ろから、もう一台の車が現れた。
その4WDはハザード車の真後ろにつくのではなく、
抜かしていく恰好でこちらに向かってくる。
私と4WDはちょうど頭が向かい合っている状態になってしまった。
おかしな位置取りである。

ハザード車の方は、
なぜだか自分がいままさに出てきたであろう
駐車スペースに戻るような方向にバッグを始め、
その途中でなぜか止まってしまった。

前に4WDがいて、
その隣にはハザード車がいることになり、
私は動けなくなってしまった。

この狭いスペースで、一体何が起こっているのか。
ハザード車は駐車場を出るつもりではなかったのか。
4WDだって、少し左に曲がれば、
私を抜き去り、別の駐車スペースを探しにいけるものを、
その場から動かずに、威圧的にじっとこちらを見ている。

その時、どこからか、ブー!ブー!というクラクションが聞こえてきた。
音が苛立っているのがわかる。
この当事者である3台の音ではないようだったが、
突然の強い音に、ハザードの車があわてて前に進みだした。
駐車スペースに車を止めたかったのではなかったのか。

私はますますわけがわからなくなっていたが、
ふと窓から地面を見てぎょっとした。

そこには、うっすらと白い矢印が描かれていた。

しかも、その矢印は、
私の車が向いている方向とは逆を示している。

・・・逆走だ。


私は青ざめた。

深夜で真っ暗だったため気づかなかったのか、
とにかく今、この駐車場内で私は5メートル程、
逆走しているようだ。

見れば、私以外の車、このハザードをつけている車も、
4WDもきちんと矢印の方向に従って動いている。
この本屋の駐車場のルールにしたがっているのだ。


今のこのおかしなフォーメーションは、
私が逆方向に曲がってしまったせいで起こっているのか?
あまりの急展開で心臓がバクバクしてきた。

いやいや、そうでなくてもこの状態はおかしい、
と冷静な自分もいる。

ハザード車の動きはどうしたいかはっきりしないし、
4WDのポジション取りだって、親切とは言い難い。
クラクションを慣らしているドライバーも
この緊迫した局面で
必要以上にトゲトゲした音を慣らして、紳士的とはいえない。

では私の行動は・・・

たしか入口の看板から入ったのは覚えている。
しかしこの通路が一方通行になってるとは知らなかった。
一方通行の表示は出ていたのだろうか。
いや、何も指示はなかったはずだ。

…え?  そうなのか?

いきなり道路に矢印が出現する、
そんな駐車場ってあるの!? 

進行方向を示すこの矢印は
入り口からかなり進んだところに
突然現れたように思える。
しかし、こんな狭い場所で気づいても、
対処のしようがないではないか。

明るい昼間なら、この通路に進入する前に
遠目で矢印を確認できるのかもしれない。
でもこの暗い道ではどうなのか。

現に私は見落としてしまったのだ。


悪いのは、私の怠慢か? 店の不手際か?

どっちだ? どっちだ! 

とにかく、私はこんなことしたくないのに、
店側のメッセージがうまく受け取れなかったせいで
いま窮地に立たされているのだ。(←それはいいから、早く動けよ!私!)

この緊迫した空気に包まれている
ドライバーのみなさんに問いかけたい。

悪いのはどちらですか、
店か、私か。(←いいから、なんとかしないと)

だが、そんな問いかけはどこかむなしい。


だって私以外の車はみな、一方通行の流れに従っている。

なんで? 

常連さんにとって、この駐車場の一部が
一方通行ゾーンなのは自明の理なのでしょうかい?

あれほどはるか遠くからでしか見えない
うす~く消えかかった矢印に皆が従っているのはなぜなのだ。

いや、それ以前にまず私が
謝らなければならない気もする。

車から降りて謝ろうか?
いや今真っ先にすべきことはなんなのだ!?

ぐるぐるぐる・・・

私はもうパニックである。


だが次第に、普段行かない駐車場に、
しかも深夜に入るなんて、私がバカな気がしてきた。

もう深夜に本屋になんていかないぜぇ、
と心で強がったりしてみるものの、事態はそれどころではない。

私を含め、3台はいま大変混雑しており、
どうしてほしいのかは不明だが、
誰かの苛立ち全開のクラクションは相変わらず鳴り響いている。


私は慌てて車を進ませ、次の通路に入った。
すると次の瞬間に、私はまたシートの前でのけぞった。

なんと、その通路にも、車たちが頭をこちらに向けて、
列をなしていたのである。

どうやらこちらのみなさんにもご迷惑をかけていたようである。
この店舗がこんなに人気店だったとは…

ぴったりと並んだ車たちは、
このトラブルを作り出したかもしれない私を
責めるかのようにじっ~とこちらを見ていた。

車が並んでいるだけなのに、
まるで生き物のようである。
フロントガラスが街灯に反射するさまは、
とにかく不気味である。

重苦しい雰囲気に押されつつも、
私は慎重に進行方向の矢印に従いつつ、
車がいない通路に進入した。

先程まで団子状になっていた他の車たちもばらけながら、
おのおののスペースに入っていく。


嵐は去ったといえるが
私の心臓のバクバクはまだ止まらない。
結局、なんだったのだ。
みんな、どうしたかったのだ。
わからない。
この本屋に来る客のみなさんが考えていることが、私にはわからない。

それから、私はなかば無意識に駐車場を一周し、
出口からそのまま車道へ戻っていた。

私の車は特徴的な形をしているので、
このまま本屋に入り、誰かに絡まれたら恐ろしい。

逆走してしまった運転手の顔なんて誰も気にしないと思いたいが、
気にするはずである。

だって、私なら気にする。

現にいまも、さっきのハザードの車や4WD、
クラクションを鳴らしまくっていた車に乗っていたのが
どんな人物なのか気になって仕方がない。

本屋の中に入っても、彼らの動きを目で追い、
ひどい時はどんな本のコーナーにいるのか、チェックしてしまいそうである。

急遽、家に向かって車を走らせながら、私は自分を納得させる。
そうだ、これで良かったのだ。
結局、ただ本屋の駐車場を一周するために、遠くからはるばるやってきた人になっているが、
この際、もういい。

そうだ、気になるCDや本があると言ったが、
本当はそんなに読みたいものではなかったはずだ。

もう必死で自分に暗示をかける。

これでいい。これでいい。

それよりも気になるのは、繰り返しになるが、この駐車場には細い通路に進入する前に、
進行方向を示す案内は出ていたのか。

出てなくてもなんとか気づける方法はなかったのか。
とにかく確かめたい。

いやいや、やっぱり慣れない店に深夜に行ってはいけない。

ということで落ち着こう。

だって、ほんとに怖かったんだから。


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日本語がカタコトの外国人店員がいる店に入りたい

2013-07-09 22:04:40 | 私とその周辺について

外国人がやっている飲食店は、
どうしておいしそうに見えるのだろう。

私の家の近所にも、インド人のカレー屋さんがある。
いや、インド人かどうか聞いたことはないが、
とにかく本場っぽい顔をしているため、“おいしそうオーラ”が見えるのだ。

すぐに食べに行きたいところだが、私は中々店に入れないでいる。

はたして彼らに日本語が通じるのか、
不安だからである。

これが都内にある“世界の料理”みたいなお店だったら、
まず店員さんは日本語が話せるといっていい。
さすが大都会、ペラペラの域である。

だが、ここは都心から離れた郊外の街。
日本語なんて通じなくても、
身振り手振りと気さくな雰囲気があれば大丈夫、
よし店をだしちゃえ!という楽観的なお店がちらほら存在するのだ。

言葉が伝わらなくても、同じ人間なんだからなんとかなるさ、
とこの手の店に臆せず入ってしまうワイルドな人もいるだろう。
だが、私はすごく気になるのだ。

まず、一人でも店員に日本人がいるかどうか、
確かめずにはいられない。

店をのぞいた時に、
店員さんの顔が全員日本人離れしていることを確認すると、
私は露骨にガッカリする。

こんな店にふらりと入ったらどうなるか。
聞きなれないカタカナのメニューを想像力を駆使して音読し、
相手に「はぁ?」と何度も聞き返されながらも、
めげずにオーバーアクションで頷いたり、
友達には決して見せない大げさな笑顔を作ったりしながら、
全身を使って、客の想いを表現しなければならない。

注文を終えた頃にはぐったりしている。

もちろん、料理が届いたからといって
まだまだ気を抜けない。

もしかしたら、
「この春巻きは1本で一皿なのですか?」
と聞かなければならないかもしれない。

カレーが辛すぎたら、
お水をください、と頼まなければならないだろう。
どれも可能性は、ゼロではないではないか。

さすがに、お水くらいは通じるだろうと
楽観的に考えたいのだが、どうしてもなれない。

だからといって、
仮にお水という日本語がスムーズに伝わったら伝わったで、
ますます警戒してしまうところが、
私がダメ人間である所以である。

何を隠そう、私はこの、カタコト外国人にありがちな
「あの言葉は通じるが、
 こちらの表現になるとアウト」
という“半端に伝わる感”が、なによりも怖いのだ。

まず、本当は伝わっているのに、
わざとわからないフリ、伝わらないフリをしているのではないか、
という不安に襲われる。

そうだ、わからないふりをして、
私を動揺させ、私の無茶苦茶な言葉使いを笑っているのではないか。
さらに、何度も「え?」と聞き返してやれば、
私はますますオーバーリアクションになって、
おもしろい動きになるに違いない……

なにもかも、向こうのさじ加減ひとつなのだ。
コミュニケーションの主導権は相手にある。


外国人の方に笑われたくない。


もう完全に、考えすぎ状態に陥る。


笑われたくない… 笑われたくない…


気づけば頭をフル回転させている。
この言い回しは知っているのか、
この表現はどうか。
……緊張は加速してくる。

これならいっそ、
テキストで紹介されているようなベタベタな日本語や、
どの角度から言っても、さっぱり日本語がわかりません、
というくらいの店員さんの方が、
心おきなく大げさなジェスチャーに集中できるのではないか。

中途半端に日本語を理解できる外国人とのコミュニケーションは、
私にとって逆にハードルが高いのである。

だから、たとえお腹が鳴っていようとも、
この手のおいしそうな外国人の方の飲食店の前を通り過ぎることになる。


このようにぐずぐずと過ごしていたある日、
母がこのカレー屋さんから、カレー弁当を買ってきた。

あの外国人店員の巣窟から
サラリとbento(弁当)を買ってくるとは。

私の母はなんと勇敢なのか。

気にしないって、すばらしい。

無神経って、すばらしい。

おばちゃんって、素晴らしい。

母はだてに2週に1回、
ブローネ早染めで白髪を染めているわけではないのだ。


母が持ち返ったカレー弁当はすこぶるおいしかった。
都内のカレー屋さんよりもおいしいのではないか、
というほどのおいしさである。

自宅の近所にこれほどおいしいお店があるとは、
なんと私は幸せ者なのだろうか。

目の前がサァッと開けてくるのがわかる。
大きな海がふたつに割れ、
そこに道ができる神々しい瞬間といおうか………

・・・・・・。


それは違うのだが、とにかく、私は感動したのである。

勇敢な母に触発され、
これからは私も気さくな感じで、
あのカレー屋に飛び込もうと思う。

私の決意を伝えると、
母はこの弁当を購入する際に起きたやりとりを教えてくれた。

このカレー屋さんは、
外の壁に「カレー弁当、500円」という表示を出しているのだが、
いざ母が500円支払おうとすると、
店員のインド人女性は
無表情に「750エンデス」と告げてきたという。

驚いた母は、
でも外には500円だと書いてあるじゃない、と抗議した。

すると店員は、

 「ランチタイムダケ。
  イマハランチタイムジャナイ。750エン」

と答えたというのである。

通訳すると
「今はランチタイムじゃない、じゃな~い?」
というわけだ。 (← 荒い訳だな)

ちなみに外には
「ランチタイムは500円」「それ以外は750円」
という説明書きはなかった。

母は動揺したが、相手は日本人ではないし、
仕方ないということで、そのまま750円で弁当を買ってきたという。


その瞬間、これだーーー! こういうことだぞーー!

と私は叫んだ。(いや、叫んではない)


これぞ、私が恐れていた
「カタコト感が持つ恐怖」の正体である。

つまり、ランチタイムが安くなるという日本文化や言葉は知っているが、
「ランチタイムが500円」と
親切に表示をするほど文化を理解しているわけでもない。

いや本当は、「ランチタイム以外は750円」と、
はっきり伝わるような表示をしたほうが
親切だというのはわかっているのだが、それでは損なので、
「日本の文化わからない」
という姿勢をとっている可能性もある。(←私の心は歪んでいる)

もっと悪く考えると、母のように500円だと思い店に来ても、
面倒だからと、750円で買っていく方もいるだろう。
逆に、もし抗議する客がいても、相手の勘違いであると譲らなければ良い。

結局、これらのケースを考えての
「ランチタイムは500円」ではないのか…

ここまで考えたところでハッとする。


自分の被害妄想の強さに嫌気がさしてくるのだ。
私って相変わらずイヤなやつだな・・・と確認するはめになる。

そんなわけで、カタコトの外国人と接すると
私はなんだか後ろめたい。ほんとに難しい。


しかし、カレーはあまりにおいしかったので、
私は結局、このカレー屋に食事に向かうことにした。
私の決意も、おいしさには勝てない。 (←ぐずぐず言ったくせに!)

接客してくれたのは、
無表情だが親切そうなインド人の店員さんである。

彼はどこまで日本語を使いこなせるのだろうか。
私はすでにドキドキしていた。

彼はペラペラの日本語使いではなかったが、
動作をまじえながら、丁寧に対応してくれる。
水だってすぐに出してくれた。
全然イヤな想いをすることなどないではないか。

私の思い込みで外国の方を責めて申し訳ないと、
私はあらためて、自分の決めつけを責めはじめていた。

そうだ、今、目の前にいるこの人は、
話に聞いていた人とは違う人なのだ。 

母がこの店で
別の店員にイヤな想いをさせられたからって、
この人もそうとは限らないではないか。
私に冷静さが戻ってくる。

彼は言葉をほとんど発しないが、
メニューを指さしながら、きちんと説明してくれる。


私がバターキチンカレーを注文すると、
ライスかナンを選べるという。

私は「ごはんをください」と言った。

すると、うまく伝わらなかったようで首をかしげている。

そうだ、「ごはん」は日本語だ、
ジャパニーズだ、
と私は自分の不親切さに気づき、言い直した。

「ライスをください」

すると、インド人店員さんは笑顔で
「はい。ナンね」 と言って去って行った。


・・・・・・・。


しばらくして、おいしそうなカレーが運ばれてきた。

大きくツヤツヤしたナンとともに。


私はナンを食べ始めた。
ナンってすごくおいしいんだな、
と、そこで新たな発見を・・・・・・って違うよ!!


私は滑舌が悪いのだ。
日本語、外国語の文句を言う以前の問題である。

うまく人とコミュニケーションできない原因は、私の滑舌ではないか!!!

きっと、こう聞こえたのだ。

ライスをください → ラースをくーさい → ルォースをさい →
ルースさい    → ナンをください!!


・・・いや、んなわけあるかい!  

これでどうしたら、ナンになるのだ!!


カツゼツ、カツゼツ、カツゼツ・・・

私はでかいナンをちぎりながら思った。
ムズカシーッ!!!


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