今年もこの花の季節がやってきて、
毎朝収穫に追われています。
【ナチュラルで素敵なわたし】を演じているのではなく、
必要に迫られて、の行動なのだけれど、
それと同時に、実は自分に向き合う時間。
数年間、家族のことと仕事以外、誰にも心を開けず、
何にも目を向けられず、
花になど全く手をかけられなかった時間。
醜く大きくなりすぎたラベンダーをみて、
嫌でも大きく反省、毎年思い出します。
もっと頑張れたのではないかな、
今わたしは、その分頑張れているのかな。
愉快でない話は、現在進行形で言葉にしてしまうと
聞かせた相手を悩ませ苦しめてしまう。
そんな風に思うから、半分だけ過去になった今、
機会があれば話すようにしています。
もちろん、参考になることがあれば、と思う時だけ。
先日は、お店をオープンさせるにあたっての経緯、
それに伴う自身の経歴を聞かれたので、
軽く説明してみたり。(話せないことも多いけど)
平坦な日々を送っているワタシですが、
これはさすがにストーリーがあるのです。
とにかく、
もらいに来て下さった方々、
押し付けても受け止めてくれた方々に感謝です。
今シーズンこそ、いよいよ世代交代出来るかな。
思い始めて3年目だからそろそろやれるかな。
写真は、
花屋さんみたいになった仙台店。
パートナーに、ともらいに来てくれた男性、
かっこよかった。
パートナーがいなかったら、家族、母姉妹、もしくは
近所のオバチャマにでも。
そんなココロを持ったヒトが増えますように。
定禅寺通りはいつどんな時でも心を掴まれる美しさ、
永遠に変わらない存在感なのだけれど、
愛宕上杉通り・錦町公園から南の【銀杏坂】も美しい、
ということを知らない人は多いのかなと思います。
臭いだけではないのです。
新緑の季節は緑、秋にはイエローのグラデーション。
思い出したら見て欲しいな。
今年は8月から後半戦がスケジュールパンパンのため、
7月にかけては出張が少な目です。
結果的にそれは大きな意味があったな、と
思うこのごろ。
気持ちは忙しいけれど、やっとひとつ形になりそうです。
写真は、
最近の通勤路、その銀杏坂。
こんな出来の悪い写真でこの美しさをわかってもらおう、
なんて思っていないので、そのうちリベンジします。
好きな人が出来てしまった!
と思って、本を買いに行った夜。
テレビをあまり見ないワタシ、
たまたま見た某国営局の対談番組を見て、
【ワタシがこの人と対談したい】と思った次第です。
出来れば聞き役で。
でもそんなわけにはいかないので、
とりあえず手っ取り早く読もう、と。
本来なら観よう、となるのですが、それはまた次回。
(そう、本業は作家ではないんだなー)
思えば、話すより聞くのが好きなタイプ。
ヒトとヒトが交わって話しているのを聞くのは、楽しい。
あ、噂話とか下世話な感じは除きます。
いつもそんな正論しか言わないの?
なんでそんなに知らないの?
最近立て続けにされた厳しい質問。
後者の質問には、
自分と、自分に関わるヒトコトモノだけで精一杯だから、
他のことにフォーカスする時間はないのよ。
と、少し前に若きミリオネラーが話していたことを
真似して言ってみました。
でも実際、そうだよね?
写真は、
買ったのにまだ読めていない数冊。
目が疲れて以前のように長時間読むことが出来なくなる
なんて、考えたこともなかったな。
目に良い習慣、だれか教えてください。
いづれ、、
とか
立てば、、
など、女性なら憧れる、この言葉の響き。
(誰でもだと思っているけれど、違うのかな、、)
その花たちはすべて、
足元(根元?)から真っ直ぐ上に向かって、
そしてしっかりと正面を向いているイメージ。
脇目も振らず、真っ直ぐに自分の進むべき先を見て。
数年前に下さなければいけなかった、大きな決断。
そのことは、今もなお、
日々わたしを苦しめていて、後悔も大きく、
そのことが正解だったかどうかも、まだわかりません。
それなのに、
又決めなければいけなかった。
いつも人生は厳しいな。
でも、わたしはいつも通りなので大丈夫です。
いつだって進むべき道を、真っ直ぐに。
写真は、
無人の実家でひっそりと咲いていた菖蒲。
毎年仏壇に飾ろうと思っては満開のタイミングを逃し、
今年もほぼ終わりになっていたけれど、
数日間だけ飾ることが出来ました。
あっという間に枯れてしまった、美しい紫。