もうかれこれ4年ほど前になるかもしれない。
その時の父は自分で朝ご飯の「お粥」を作っていて、朝は梅干しと共にそれを食べるだけが日課だった。
いつからか鍋を焦がすようになり、4個目の鍋を焦がした時「ガス警報システム」が作動したのか、管理会社から自宅へ電話が鳴った。
「煙出ていませんか?」
「火付けっぱなしじゃないですか?」
慌ててキッチンに行けばモクモクと煙が蔓延していて、既に父が気付いていたのか、焦げ付いた鍋はシンクで水浸しになっていた。
ちなみに父の鼻はほとんど利かない。
右耳もほとんど聞こえない。
そういう身体的リスクもあるのだ。
これはヤバい。
家が全焼なんて笑い話にもならん。
指摘すると、「ちょっと自室に用事があったから」とか「ちょっとトイレに行ってたから」と、何の慰めにもならない言い訳をする。
実際、鍋が真っ黒焦げになるまで相当目を離していたのだろう。
集中力が途切れると、ふらりと場所を移動し、すっかり忘れてしまうことはよくあった。
で、結局、隣町にあるKクリニックへ行くことに。
それが2014年3月。
脳神経外科のクリニックで認知症なども扱っていた。
MRIの結果、「認知症との境界線だろう」と伝えられ、それからアリセプト3mgを試しに飲むことにした。
「車の運転は大丈夫ですかね?」
「うーん・・・本来ならしないほうがいいけれど、かといって田舎で車がないのは不便でしょう?」
「そうですね。様子を見ます。」
それから暫く・・・2016年4月まではKクリニックに通い続け(ほぼ父一人で。たまに私も付き添う)、薬も服用し続けていたのだ。
しかし・・・父はいきなり飲むことを止めた。
理由は「胃が痛い」だったか「別に何も変わらない」だったか、よく覚えていない。
そのことで何回か喧嘩をしたけれど、私も面倒だった所為か、放置してしまった。
今から考えても私のミスである。
そしてどんどん症状は悪化していく。
今年の5月に免許証を返納した理由は、高齢者講習のテスト結果がほぼほぼアウトだったから。
それに加え父の車もそろそろガタがきていた。
「渡りに船とばかり」廃車処分に。
これに関してはすんなりと納得してくれたので助かった。
だが問題はここからだった。
記憶媒体がどんどんと衰えていく。
電話は一日約30回。
同じ質問、同じ疑問を繰り返し、時間を問わずのコール音に私はノイローゼになりかけた。
週に一度の囲碁・麻雀倶楽部へは送り迎えをし、それ以外の通院ももちろん私が面倒をみている。
麻雀や囲碁だけが楽しみだから、出来る限り意に沿うよう頑張っている。
行く道、帰る道での同じ話も正直聞き飽きていたが、これも年をとれば仕方の無いこと。
我慢=ストレスの蓄積
早々に胃はおかしくなり始めた。
一人になれば泣けてくる。
友人への愚痴もほどほどにしないと、相手を煩わせてしまうのは当然だし、ここは踏ん張りどころだと思った。
主人へぶつけても、彼も疲れている。
可哀想だ。
しんどいなあ。
今始まったばかりの介護がこんなにも苦痛なのは、実の親だからだろうか?
いや、何よりも、本人に自覚が無いということが1番苛立つのだ。
いつまでも元気。
いつまでも長生き出来る。
子供の面倒にならなくても大丈夫。
そんな父の自信があまりにも残酷で、イライラした。
義父の時、最初はこんなに疲れなかった。
義父はとても模範的な病人だったし、何よりも人に迷惑をかけることが大嫌いだったから。
穏やかな日々が続いていたように思う。
問題は性格なのかもしれない。
父の無駄に高いプライドが、私たちの負担を増やしている。
でも今更どうしようもない。
そんな苦悩が重くのし掛かってきたところで、もう一度助けを求め病院に向かったのだ。
今度は近場の「T総合病院」。
週に二度、専門医が診て下さる。
長谷川式の診断結果は20点。
間違いなく「認知症」と診断された。
現在アリセプト5mgを服用中。
胃薬も併用しているからか、特に不満はないようだ。
様子を見ながら徐々に増やしていく予定である。
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