卯月の「介護なんて大嫌い」

85歳実父の介護ブログ
(アルツハイマー型認知症)

どうにもこうにも・・・・・

2019年04月22日 18時40分11秒 | 私のこと

 

日々、行ったり来たりの状況で生活する父。
調子の良い時もあれば、とことん悪い時もある。
そういう時は「話が通じない」「作話に付き合わされる」のどちらかで、私の精神は本当にすり減っていくのだ。

一月。

私と父の関係は少しずつ悪化していたように思うが、いくら何でもここまで酷くはなかった。
春になれば大阪へ墓参りに行こうと予定も立てていたし、実際そのつもりでホテルも予約した。
その計画が実行されることはなかったけれど、まだ父との会話は「まとも」だったのだ。

二月。

どことなく不穏な空気。
一週間に一度、何かおかしな事をいうようになった。
夢か現か・・・・
本人に聞いてもわかるはずがない。

三月。

春を迎え、暖かくなってきたら少しはマシになるだろうと期待した。
が、いつまで経っても寒いまま。
ファンヒーターをしまうことが出来ず、父もずっと寒がっていた。
この頃は本当に薬の所為にしたかった。
実際は「病の進行」が原因なのかもしれないが、私自身、「薬の所為」にすれば楽になれる気がした。
デイサービスを本気で考え始め、ケアマネさんを立て、とにかく全てが早急に必要な事ばかりだった。

四月。

デイサービスを利用するようになり、少しだけ楽を覚えた。
最初は週に一回。
しかし先週からは週に三回。
本当は「毎日」、家にいないで欲しいと願う。
父と対峙することは、それほど疲れる仕事なのだ。

「今日は皆帰りはったけど、どうしたらええんや?ここに居ったら’〇〇’が迎えに来てくれるんか?」(自室にて)

「あっちに大阪のホテル出来たやろ?あそこ、ここから近いな・・・昨日、すごく早かった・・・・モニョモニョ」(キッチンにて)

「そろそろお風呂入らしてもらうな。」(朝入浴済み)

別次元で生きているかのような父と、一体どんな会話をすればいいのか解らない。
買い物に出かけていても、同じネタを軸に、何度もコールが鳴る。
相手に混乱を生じさせてはいけないと、嫌々ながら電話に出るが、当然優しい対応なんて出来ない。

親を相手に、憎しみが芽生えているのが本当のところ。
昨日は「お願いやから早く死んで!」と泣いて頼んだ。
しかし「暖簾に腕押し・糠に釘」。
父には少しも響かない。

これぞ虚しさの極致。

さあ、この地獄のような介護、いつまで続く?

  


日常の欠片(1)

2017年11月03日 09時11分43秒 | 私のこと
こうしてブログを書ける状態であるということは、まだマシなんだろうと思う。

一昨日はひどかった。

マイナス思考
マイナス思考
マイナス思考

人生を終わらせることばかり考えていた。


私のメンタルは、自分で思っていたほど頑丈ではないと判明したわけだけど、それはまあ誰だって一緒だと思う。

誰だって肉親の行く先が、それも絶望的な行く先が見えたら、どうにかなる。
理性的に判断出来るなんて、小説にだって描かれてないはずだ。


このところ、自分の中で分裂していく自分が見える。
これはちょっと怖い。

友人と会うときの自分は笑っていて、心の底から楽しそうに飯を食ってる。

主人と一緒に居る時はホッとする反面、色んな不安が喉元まで出るんだけど、それを何度も飲み込む。

義父の見舞いの時は、とっても優しい気持ちになる。
そしてその表情に心が癒される。

父との生活。
それは細い糸の上で行われる劇のように危うい。

父はプライドが高く、最近では少しの指摘にすら苛立ちを見せる。
ご飯と一緒に飲むはずの薬を、目の前に置いてあったのに、「無かった」と言い張る強情さも表れてきた。

ファンヒーター、電気、テレビはつけっぱなし。

それはまだいい。

ご飯すら食べかけのまま、あっちへ行ったり、自室へ戻ったり。
とにかく集中力が欠けてきているのだ。

『哀れだ』、と思う反面、『大人しくしとけよ!』、と苛立ちを隠せない。

私は憤慨し、怒りのままに怒鳴ったりもする。
駄目だと分かっていてもする。

父ももちろん怒る。
親に向かって言う言葉かと───


尊敬したい、慈しみたい親だったけれど、もはやその思いも叶いそうにない。
もしかしたら寝たきりになって、いまわの際くらいになると、可能なのかな?

これら以外にも別のことで私は怒りを覚えている。
説明するのは面倒だし省かせてもらうが、とにかく今の父はまったくもって、嫌いなのだ。

つい先日、
友人へ手紙を送った。

恐らくその内容はひどいものだと分かっていたけれど、敢えてそのまま送った。

吐き出すことが必要なら、これも一つの方法だと思ったから。
父と離れ、友人と頻繁に会うことも、私の精神を安定させるための手段なのかもしれない。
彼女たちと居れば、ごくごく普通の私でいられるから幸せだ。

壊れるのはきっと簡単だと思う。
でも壊れたら迷惑をかける人が確実に存在するので、そこは何とか踏みとどまらなくてはと、試行錯誤する。

介護はまだ入り口だけど、実はこの『今』が一番辛い時期なのだ。
介護者も患者もどちらも中途半端。
納得したはずの現実も片っ端から剥がれ落ち、ろくな考えが思い浮かばない。

“相手の立場に立って───”なんて、無理な相談。

これが認知症の介護。
誰だってみんな、同じ道を辿る。