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男の変形性股関節症との 友好記

女性に多いと言われる『変形性股関節症』
男の男による数少ないアドバイスになれば・・・と思いましたが、脱線ばかりデス!

訃報

2014年02月06日 | Weblog

 

妻と私の腕の中で

苦しむこともなく

たまに 「クゥ~」

と鳴き

 

黒くて大きな瞳は

我が家へ来た時に見た

子供のころに戻ったみたいでした

 

だんだんと心臓の鼓動がゆっくりになって

最期には 眠るように

本当に眠るように

亡くなっていきました

 

私たちは幸せ者です

腕の中で看取ることができました

 

ありがとう ティガ  

ティーちゃん  愛してる

 

2014年2月6日(木)

午前7時45分

kazu家  ティガ 永眠

享年18歳

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猫ちゃんの腎不全(末期) Vol.2 ティガが我が家にやってきた

2014年02月05日 | Weblog

皆様 ご心配くださいましてありがとうございます

我が家でペットとして同居したのは

私が家族の反対を押し切って飼った「金魚」くらいなもんで

ましてや猫より犬派だった私は

猫に対してあまり良い印象がなかったし

子供のころ犬を実家で飼っていたくらいで

猫 という存在自体がピンと来ていなかった

 

でもアパートで もし飼えるとしたら

室内飼いの猫くらい

 

まだそのころは

「猫は自由に外に出るのが当たり前」の時代の末期だったと思います

 

でも本を読んだりすると 外飼いの猫の死亡原因の

一位は 『交通事故』 二位は『毒エサを食べたネズミを捕食』

また 『近隣へのフン害』や 人間の『ネコ虐待』 等々

書いたらキリはありません

そして 外ではネコ同士の『縄張り争い』や

喧嘩で怪我したら『感染症のリスク』だって高くなってきます

 

でも猫が外で日向ぼっこしている様子は

日本を問わず 世界中どこで観て(あくまでもTV)もほっこりとさせられる映像です

それは間違いありません

それだけ平和という事なのですから

 

でも私達は決めたのでした

外には出さない

 

そんなネコが苦手だと思っていた私が

急にネコが好きになったのは

我が家にやってきたその日の夜でした

 

実家から 食べ慣れた「カリカリ」を少し分けていただき

出してあげたのです 

私はその食べている容器のすぐ横にねそべって

食べている姿を見ました

家族全員もそうしました

よその猫では見ることのできないアングルのチョ~どアップ

おいしそうに「コリコリ」と音をたてて食べています

あくまでも上品に

お水だって 犬みたいにザブザブとは飲みません

チョピチョピ と舌を上手に丸め

こぼしたりしません

か  わ  ゆ  い  !!

(愛犬家の皆さん ごめんなさい)

今だけ許してください こんな時ですから・・・

 

まだ来て間もないはずなのに

けなげに 我が家の一員になろうとしています

 

ついさっきまでママと兄妹の4匹

そしておしっこの躾もしてくれた優しい人間のお母さんや

よく遊んでくれたお兄ちゃんの3人の家族と離れ

(実際の引っ越し距離は 同じアパートの同じ棟の1F→3Fの

直線距離にしたら斜め上に 約2~30mなのですが・・・)

 

新しい家族には 見たことのある顔(よく遊びに行く長男)はいますが

ほぼ初対面に近い 他3名

 

妻は子供のころ実家で猫を飼っていたことがあるそうですが

実際に育てるのは

ほぼ初心者

 

ネコ本には

「子猫は新しいおうちに戸惑っています

『自分の居たい場所』

『落ち着く場所』を自分で見つけるまで

夜間はそっとしておいてください」

こう書いてありましたので

子供たちにも

「ティガの取り合いなんかしちゃ ダメだぞ」

そういって 抱っこしたいのを我慢させました

 

そして 初日の夜

ティガは 妻に拉致され

妻の布団で抱かれ 寝ていたのでした

 

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19歳のおばあちゃん猫(超 長文です)

2014年02月03日 | Weblog

我が家には 妻がおなかを痛めて生んだ長女と長男の子供が2人います

もうとっくに成人して

長男は来月結婚することになりました

しかしもう一人 

妻がおなかは痛めていないけど

ガングロの小さな子供もいます

年齢はもうすぐ19歳の おばあちゃん猫

人間でいったら 90歳くらい

 

長男が小学校の3年生の春のことでした

 

友達のうちで生まれた4人兄妹の末娘の猫ちゃんを 譲っていただいたのでした

名前を「ティガ」と長男が付けました

(最後に生まれて とても体が小さかったので当時の『ウルトラマン ティガ』のように強くなるように・・・の願いを込めて)

家族は皆 新入りの黒猫ちゃんを「ティーちゃん ティーちゃん」と とても可愛がりました

 

うちに来た頃は ティッシュBoxにすっぽりと収まるサイズの

ちょチョちょ~~~~かわいい それはそれは美人さんです

 

その頃のkazu家は 市営アパートの3階に住んでいました(もちろんペット禁止)

子猫はお外に出ることもなく(その後 大脱走は何回か・・・)

夏も近くになると 南向きのベランダの手すりにヒョイと飛び乗り

延々お隣さんやら そのまたお隣さんまで遠征に行って

私たち家族をヒヤヒヒヤさせたものです

好きなおもちゃをヒラヒラさせ

絞るような小さな声で

「ティガ~~ティガ~~~~~」

「ティーちゃ~~~~ん」

と呼び戻したのでした

それから我が家の手すりには 物々しい『脱出防止板』が取り付けられたのは言うまでもありません

外から見たら

どう見ても それはそれは・・・ 怪しい部屋・・・

 

その年の秋も過ぎ

チラチラと雪の舞う季節がやってきたころ

ティーちゃんに 変わった現象が起こりました

私が遅番で帰宅する 深夜0時過ぎ

私の所にやってきたティーちゃんが

悩ましげな声で鳴き始めるのです

なんとも言えない「ニャ~~ゴ ニャ~~~~ゴ」

まるで私に恋したように・・・

 

初めは どこか具合が悪いのかと思い 心配しましたが 

なんと まだ生後10か月そこそこで 『発情期』が来てしまったのです

屋内で飼われた猫は成熟が早いと聞いたことはありますが

いつの間にか 我が家のティーちゃんは

少女から大人の女性に変わっていたのです

 

年が明け 発情期も治まると

ティーちゃんは お医者さんで手術をしました

そして あの悩ましい独特の声も 二度と聞くことは出来なくなったのでした

 

ワンちゃんと違いネコちゃんは

外で遊んだり 車で出かけたりという事が出来ませんが

唯一 私の実家に連れて行き

思いっきり木登りしたり外を走り回ったことがあります

 

私の実家は 

市道から家まで 畑の中の一本道を通って家に行くという少し変わったところに建っていました

家の周りは360度私有地の畑です

市道からは約100m位ありますので

交通事故の心配はほとんどありません

隣の家も道路沿いにありますので

隣家の迷惑にもなりません

 

いつも家族の目を盗んでは虎視眈々と脱走計画を企てていた

家猫ティーちゃんは この時ばかりは

自然児ティーちゃんに変貌

草の匂いを嗅ぎ

土に背中をこすり付け

お日様を体中に受けて  ゴ~ロゴロ

助走をつけていっきに高い木に登り二階の屋根に飛び移るその姿は

お嬢様とは思えない そりゃあ勇ましいものでした

 

おトイレは 大きめの洗面器に猫砂を入れて

簡易トイレを準備すると 迷うことなくオシッコ うんちもそこでやります

なんて賢い お嬢様

 

私たちがアパートに帰る頃になると

名前を呼べばどこからでも帰ってきます

夕方遅くなり 暗くなってから名前を呼んでいると

首輪の鈴が「チリン チリン」

聞こえてきます

きっと走っているのでしょう

暗闇に紛れては 黒猫のティ~ちゃんは全く見えません

ただ鈴の音だけが頼りでした

 

そんな夜は さすがに疲れが出るのか 朝までぐっすりと妻の横

 

子供たちも小学校から中学・高校と成長し

ティッシュBoxなんかにゃあ入りきらないお嬢様も いつの間にか体重4.5キロ

後ろ足の付け根には タプンタプンのお肉とも脂肪とも

なんとも言えない かつ とってもかわいいふくらみがあります

世の中全部の猫にあると思った そのふくらみは

おデブちゃんに育ってしまったのでした

 

知らない人が家にやってくると 人間大好きなティーちゃんは

足元にスリスリ

「かわいいねぇ」と手を伸ばした瞬間

「Don't touch ME!(シャ~~~!)」

ひと一倍気高い おデブ黒猫 ティーちゃんは変貌

私の姉(iku&みわっち)やその家族がナデナデしても豹変します

 

結局 ナデナデや

おなかに顔をうずめて おもいっきり匂いを嗅げるのは

kazu家の4人の特典となったのでした

 

ティーちゃんが家族になって約10年

長女長男も就職や進学で家を出てひとり立ち

3人(夫婦と1匹)の生活が始まり

私たちは ティーちゃんを今まで以上に子供のようにかわいがりました

 

会社から帰ってくると

ティーちゃんは 車の『ぶう~』という音を聞き

玄関までお出迎え

大好きなお母さんが帰ってくると

私がせっかく出してあげた夕食も中断して

リビングに取り付けた専用ドアから出ていきます

妻に抱っこしてもらうと

ティーちゃんは

妻の鼻を必ずペロペロ

そして妻も必ず

「ン~~ 臭い  けどこれが『ティガ』なんだよね~~」

舐められる度 言わなきゃならない定番

 

子供たちが半年や1年振りに帰省しても

ティガは忘れていません

「どうしてそんなの解るんだ!?」と お思いの方もいらっしゃると思いますが

それは「Don't touch ME!(シャ~~~!)」と 言わないからです

抱っこしても

おなかに顔をうずめても

されるがままですから

 

大病もせず約18年

医者にかかったことは 両手の指で足りるほど

全く手のかからない子でした

 

でもひとつだけ ティーちゃんには問題がありました

ご飯です

世の猫には大好物がひとつくらいあるようですが

それが一切ありません

 

「ご飯まだぁ?」定位置で無言の要求

(私のようにおしゃべりじゃないティーちゃんは滅多に鳴きません)

お母さんが「お待たせ~」

と出したご飯は カリカリ+缶詰++お水の定番の3品

ところが昨日まで美味しそうに食べていたカリカリでも 缶詰でも

いったん飽きちゃうと

テコでも食べてくれません

クンクン 匂いを嗅いだだけで

クルンとどっかに行っちゃいます

 

人の食べるものは一切手を出しません

お刺身だって 生ものには手を付けず

一切れのお刺身を『チン』しないとダメなんです

私がお酒を飲みながらいただいているお刺身のお皿を

テーブルに乗ったティーちゃんが『ねこまたぎ』したときなんか

私は怒り狂ったように叫びます

「お前は喰わんだろうが 俺は『旨い』んだ~~~~」

 

そんなティーちゃんも 今年で18歳

春になったら もうすぐ19歳になろうとしています

 

先週になって 妻が

「ティーちゃん めっきりご飯食べなくなったの」と

でもここ数年 真夏の暑さや 寒い時期になると食欲が落ち

ひとまわり小さくなってしまうことがありました

でも季節がよくなると 徐々に戻るというのを繰り返しておりましたので

「年だものしょうがないよ」と半ばあきらめておりましたが

全くご飯を食べなくなり お水も飲まなくなり                 

毛玉を吐く時のように 時々薄い黄色とも緑ともいえる水を吐き

ずっと寝てばかりいました

 

さすがに心配になった私たちは

買ったばかりのスマホで一族のつながる 「LINE」 で相談したところ

「すぐ 医者に連れてケ」と

 

翌日時間の空いた私が

大の『医者嫌い』のティーちゃんを専用バッグに入れて行きました

ティーちゃんは ナンにも食べていないにかかわらず

「NO(シャ~~~!)」」

「Don't touch ME!!(シャ~~~!!)」と

元気なころと何ら変わりない 唸りをあげる変貌ぶり

 

先生も

「そんなに怒らなくてもいいから・・・」

「ごめんね・・・」を繰り返します

私がお願いして 大きなラッパのような『エリザベスカラー』を取り付けてもらいました

 

体重測定です

絶好調時代より1kg減の 3.5kg

血液検査もしました

採血の時は先生やスタッフ私も加わり4人がかり

ティーちゃんも必死の抵抗

 

でも何とか採血も終わりました

結果を待つ間もティーちゃんは「シャーシャー」が止まりません

 

程なくして 検査結果の紙を持った先生がやって来て 開口一番

「末期の腎不全です  完治は望めません」と

「通常 体内の毒素は腎臓でろ過され おしっことなって排出されますが

腎臓が機能しない今 毒素が血液に含まれてその濃度はだんだん濃くなっていきます 

その「毒素の悪さ」が脳に回った場合 痙攣などという症状が起こることもあり

また これという決まった症状が無く いろいろな症状が現れることがあります」

「もし 今日から3日続けて点滴をして 血液検査の数値に向上が見られなければ

覚悟されたほうがいいでしょう」

「ただそれも 延命のための処置という考え方がよろしいと思います」

「ただ ティガちゃんのこれからを決めるのは飼い主さんですし

このまま自宅で看取るという手もあります」 また

「安楽死という選択もありますが 私がそれを進めることはありません」と

 

私の頭の中は一瞬真っ白になってしまいました

 

今までの18年のティガと過ごした家族の笑い声と

ティガの走り回っている元気な姿が・・・

「走馬灯のように・・・」という言葉がこれほどぴったりというのを初めて感じました

 

夕方5時に医院を出て

自宅に着くまで いろいろと考えました

妻にどう言おうか

子供たちにも・・・

 

しかし 妻が仕事から帰宅して

「どうだった?」

と聞かれると 私は事実を伝えました

先生に言われた通りを伝えました

その内容を聞いた妻はティガを抱き

ほほを摺り寄せ 涙を流しました

「なんで気付いてやれなかったんだろう」

「ごめんね」

 

自宅に戻ったティガは

ようやく落ち着きを取り戻したものの

興奮が冷めやらず 自宅の中をウロウロ

寝てばかりいた1時間前迄とは 全くの別猫のよう

いつも無口のはずのティガは

「にゃあ にゃあ」泣き止みません

 

でも元気な「ニャア」ではなく

心ここに非ず の「にゃあゴ」

悲鳴とも聞こえる「にゃあゴ」なのです

妻が「今夜も抱いて寝る」

とベッドに連れて行きましたが

どうも様子が変です

 

布団の中のティガは後ずさりで 妻の足元に移動していきます

もう少しでベッドから落ちそうになっています

どうやらこれがいわゆる「毒素が悪さしている」ということなのでしょうか

私はティガをそっと抱き 思わず号泣してしまいました

元気だったティーちゃんが 病気のせいでこんなにも変わってしまうなんて

 

二人で今後をいろいろ話しました

 

明日から通院して点滴で 数値が改善されるのを期待するのか

しかし 大嫌いな医者で点滴をしてまで『ストレス』を貯めさせるのか

あと約2週間に迫った長男の結婚式には3日間留守にしなければならず

元気であれば 大量のカリカリと缶詰と水を用意して ヒーターを弱運転にしておけば

ある程度の寒さはしのげると考えていましたが

トイレも汚れてもいいように 先週末に買い足して準備していました

まさかこんな状態でひとりにさせるのは 酷というものです

そして万が一 3日間の留守中 最悪に事態になったとき・・・

たったひとりで 誰にも会わずに逝ってしまったら と考えると

あまりにも せつな過ぎます

 

結局 深夜になっても回答は出ませんでした

どんなに話しても 堂々巡りです

 

当初は多少のリスク(ストレス)があっても

通院して変化に期待しようとも思いましたが

そのリスクが 小さな体には重すぎると考え

通院だけはやめようという事に落ち着きました

 

2階のベッドで寝かせることをあきらめた妻は

「私もティーちゃんとコタツに寝る」と 1階のリビングへ

 

翌朝 さすがに昨晩のような鳴き声は治まりましたが

一向に戻らない食欲

そして 水さえも一口も飲もうとはしません

体もまたひとまわり小さくなったような気がします

吐き気だけが止まらず

胃液状のものがほんの少しだけ出ます

 

出勤しても気が気ではありません

気を許すと ティガの事ばかり考えてしまいます

妻はきっと私以上でしょう

 

みわっちから連絡があり ティガの顔を見に来てくれました

ただ ティガはいつものティガではありません

誰が撫でても 撫でられるままになっていました

声を出すのもおっくうになってしまったのでしょう

ご飯を食べなくなって もう3~4日位経ったでしょうか

 

その夜長男が 仕事を終えて最終の新幹線で帰省

会いに来ました

 

去年の秋に帰省した時とのあまりの変わりように驚いていました

私は家にあったスポイトで少量のぬるい水を口に入れてあげました

ほんの少しだけ

ティガは飲むというよりは 急に入ったお水にビックリして

ピチャピチャと音を立てて 呑みこむといった風にしています

そんな時 

妻がティガの寝ているコタツ布団が濡れているのに気が付きました

どうやら 「お漏らし」をしてしまったらしいのです

我が家に来て初めての おしっこの失敗でした

切なかったのでしょう

  でも考え方を変えると

少しだけ入ってきた水が刺激になって

おしっこがしたくなったとも考えられます

その晩は「まだ起きているから」という長男にティガを任せ 妻は自分のベッドに寝ました

 

翌日の土曜 いつものように誰よりも早くに目覚めた私は

ここ数日の日課になっている

ティーちゃんの吐いた物の 後始末

周りが少し乾燥が始まっている カピカピのと

吐いて間もない びちゃびちゃのが 2回分

 

寝ている姿を見ようと コタツ布団を少しはがしてみると

そこにはティーちゃんの姿はありません

何処?

辺りを見渡すと

なんと リビングと台所の境にある カウンターの上にちょこんと座っていました

 

高さは1m50cmはあるでしょう

でもそこに上がるには

いつもは1mのテーブルにいったん ぴょん

そこから 50cmのカウンターへと

2段階の工程があります

 

全くご飯を食べなくなってもう3~4日

お水だって ここ数日ほとんど飲んでいません

 

そんな体でも 登って行ったという事は

相当そこのお水が飲みたかったのかもしれません

寝ているすぐそばには お水がちゃんと用意されているにもかかわらず・・・

そしてもう一つ 驚いた事が

 

何気に見たトイレの猫砂の色に変化に気づいた長男が

「トイレでおしっこしてる」

私は専用スコップですくってみると 直径5~6cmはあったでしょうか

ずっしりと重い まさに おしっこの塊があったのです

みんなで喜びました

おしっこに感謝したのは 生まれて初めてです

 

少しだけ好転したのでしょうか

みんなの『元気玉』が効いてきたかな?(ありがとうございます)

 

翌日の日曜の晩 長男が帰っていきました

別れ際に 抱いて顔をティガにスリスリして

もう嗅げなくなるかもしれない 体の匂いを思いっきり嗅いでいきました

 

そして月曜の朝には 長女がやってくると思っていましたが

なんと 「インフルエンザで熱が下がらない」という連絡がきて

あえなくお流れになりました

 

でも 少しだけ回復しているようなので 少しだけ安心しています

きっと長女が来るまでは 待っているのでしょう

 

***********************************

ここまでは ここ数日で書き溜めておいたものです

後あとになって 記憶が薄くならないうちにPCに書いておこうと思って残しました

 

書いては 中断

書いては 話し合い

書いては 泣き

ただいつも 心の中はティガでいっぱい

 

ここで皆様に知っていただきたいことも・・・

この文章は 私の目線で 私の事ばかり書いていますが

妻はもっともっと悲しんでいます

毎日毎日

ご飯を出して

おトイレの掃除をして

抱っこして寝て

それはそれは 我が子以上のかわいがりよう

こないだなんか 「いつも私をペロペロしてくれるから 今度は私が!」

と ティーちゃんを 舐めようとしましたが

私は止めました

でも 私のいないところで舐めたことがあるかもしれません きっと・・・

 

子供たちも離れては住んではいますが

きっと私より心配しています

 

もう少しだけ 元気にもどってくれるのを願うばかりです

 

何かあったら書こうと思いますが

後日になる可能性があります

 

ここしばらくは 

誰のためでもない

私と

「ティーちゃんと私の家族の記憶」のために書かせていただきます

 

申し訳ありません

2013.02.03(月)

 

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猫ちゃんの腎不全(末期)

2014年02月03日 | Weblog

家にはガングロのほぼ19歳のおばあちゃんネコが同居しています

人間にしたら もう90歳になろうとしています

名前は「ティガ」 通称:ティーちゃん

 

長男が 生まれたときはとても小さかったので『ウルトラマン ティガ』みたいに

強くなれますように そう願いを込めてつけられたものでした

そんなティーちゃんが

今「末期の腎不全」と診断され

お水もカリカリのご飯も食べられずに

小さな体で戦っています

 

お願いがあります

皆さんの持っている元気玉を少しだけ

小さなティーちゃんに 分けてもらえませんか

みんなの少しづつの元気玉で 

ティーちゃんの元気が少しだけ戻ればいいのにナ

 

 

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『神』と呼ばれた男

2014年01月25日 | Weblog

以前私は インドの系列会社からいらした研修の方に

検査(私が仕事で行っている内容)のやり方や注意点を教えたことがあります

あれからもう何年がたったでしょうか

またそのインドから研修にやってまいりました

(詳しくは2009/4/19の「ゆう あー でんじゃらす!」で

http://blog.goo.ne.jp/ka0410zu/e/afb88a5c2a6db02668b215bbfd8aa505 ←ここで観られます!)

肩書は「課長さん」

今回の教育担当は私ではありませんので それなりに聞き流しておりました

 

時差出勤するとした私は

「おはよッス」 あいさつしながら入室

 

室内は普段同じ課の同僚が引継ぎやらでMAXで3~4名ですが

この日はそのほかに 研修生・通訳(女性社員)・インドに出向中の社員2名と そして今回の教育担当者

私も含めると合計9名にも

ものものしい雰囲気が・・・

 

顕微鏡を神妙に覗きこむ研修のインド人

 

わが社と同じものを作っているので

検査も同じレベルでないといけない

 

その時 私は研修生の方とふと目が合った

軽く会釈するとその方はニッコリと笑顔で返してくれた

 

ちょうど休憩のサイレンが鳴った

研修生一団が部屋を出て休憩に行った

 

10分後 一団が休憩から戻ると

通訳の女性社員が

「研修の方が kazuさんの事覚えてるって言ってますよ」と

 

私は研修生の方に目をやるとそのインド人の方は

大きな二重の目をもっと大きくして満面の笑顔で私と目があいました

どうやら数年前に私が教育した方が再びやって来ていたのでした

私は思わず「えー  じゃああの時の方だったんだ~~~」

ビックリしました

だって外国の方って お給料が良くて待遇のいいところに どんどん乗り換えが激しくて

同じ会社に居続けるなんて思ってもいなかったから

全く違う人かと思っていましたから

「まだ居たんだ~」って思わず言っちいました

 

数年ぶりの再会  そして固いハンド シェ~~イク

研修生は「ユー  ファースト テーチャ~~

大きくてブ厚い右手は インド空気のように熱く感じられました

国際交流の一貫です

 

翌日もまたお会いした時は 朝から握手でご挨拶

 

教育担当の社員が

「昨日 みんなで飲みに行ったら kazuさんの事 言ってましたよ 『kazuさんは私にとって神さまだ』 って」

 

どんな意味で言ったか詳細は解らないけど

神さまナンて言われて気分がわるい訳はない

 

でも あたしゃあ  より  『髪』が欲し~~~~~~~~~い

              ・・・・・お粗末でした

 

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遅ればせながら・・・

2014年01月20日 | Weblog

スマホがこの世に蔓延(はびこ)ってここ数年

かつては皆が持っていた(はずの)パカパカ携帯を

陸の孤島 ガラパゴス携帯とアザ笑い

 

かくいう私も『ガラケー』を「別に不自由していませんから」と言いつつ

会社の若い衆には「人間が『ガラケー』なんじゃねぇ」と小バカにされ

 

ふたりの姉(iku&みわっち)もあっという間にスマホに乗り換え

全く自主性というものがない」そう非難していた私

 

しかし 来月長男の結婚式に際して

『ライン』なるものを通じ 我が家の娘・息子や姉を含めた甥・姪がひとつのグループで

やり取りしていたことを 風の便りに聞き

その中に私や妻だけが入っていないと知り

そのショックたるや・・・

計り知れないものがあった

なんたるちあ  サンタルチア

 

妻からは

「あなたはスマホにしたほうがいいよ  私はこのままがいいけど」

言われていたが

しかし

「べつにいいよ」

とは言っていた・・・    とは言っていたが

そんな楽しそうなことが

私の知らないとこで 起こっていたなんて・・・・

 

気がついたとき 私は携帯ショップの中で お姉さんからスマホの説明を受けていた

 

そして 2台の契約を終えていた

 

今  我が家は 進化してしまった

サヨナラ   ガラパゴス

 

 

しっかし スマホって面白いねぇ

ラインで繋がったら すぐそこに全員揃ってるくらいの臨場感があった

ひさしぶりにみんなにあったような気がした

 

あ~~~あ 今まで損した気分

 

 

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明けました

2014年01月08日 | Weblog

新年明けました

おめでとうございました

2014年 仕事も始まり  順調に体重も増加しました

 

雪は山形市内はさほどではありませんが

着実に降っています

 

そうそう  暮れに購入したんですよ

ガソリン高騰が続き 燃費は悪いし

たまたま夏の終わり頃 エアコンが壊れちゃって・・・

(去年の秋はいつまでも厚さが続いていたから  そりゃもう大変でした)

エアコンが壊れたって解ったのが 妻の車に乗ったとき

「エアコンって こんなに涼しいんだ~~~~~」って・・・

 

毎日エアコン作動させてはいたんですけど

遅番の出勤(昼過ぎ)時  ナンか汗が止まらない

変だなぁ~とは思いましたが

まさかぶっ壊れてるとは考えられず 気のせいかと思っていました

 

したっけクルマ屋さんに観てもらったら

ぶち壊れています」 と

10万以上かかるかも」 と

 

どうせ12万kmも乗ったし

燃費も悪いし

買い替え時かな・・・と

 

妻に話したら

 「いいんじゃないの」と言ってくれましたので

燃費のいい ハイブリッド車にしました

T社かH社か迷いましたが・・・

どういう訳か お隣が T社を同時期に買い替え

あっけなく H社に決まりましたが

セールスマンには「迷ってるんだよね~~~」オーラをいかんなく発揮

夫婦で組んだタッグは 史上最強

値切りに値切り

 ビックリしちゃう程の『値引き』をさせてしまいました

 

静かだし 今までの1/2弱のガソリン代(月当り)なので 助かっています

 

私の車を中古車で購入した方は

きっと今年の夏は 窓全開で乗らなきゃならない羽目になるでしょう

ごめんなさい でも12万キロの車なんだし

お安くなるでしょうから 

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みわっちの闘病記(・・・すでに懐古編)スマん!

2013年10月05日 | Weblog

時は9/17(月)

わたくしの姉 みわっちが 実は人工股関節置換術を受けまして

すでに10/3(木)退院しているのです

 

これで3姉弟

全員が「メタル3姉弟」となったのであります

 

もちろん私がセンター  左右人工股関節

ikuはライト 人工右

みわっちがレフト 人工左

 

さしずめ お子ちゃま好きの日曜・朝の戦闘モノなら

「シャキ~~~んメタル レッド

「メタル ピンク

「メタル イエロー

・・・ってなもんで  世界征服をもくろむ極悪党どもと日々戦うのです

悪党どもは 弱体化している「メタル3姉弟」の股関節に攻撃しかけると

その3体は 巨大合体ロボットへと合体し

悪党どもを「必殺・お笑いタイフ~ン(笑いの渦)」で バッタバッタと倒してしまうのです   ・・・てか

 

あたくしの 妄想が爆発しまして 話が逸れてしまいました・・・

 

手術後のみわっちは 同部屋の皆さんにも助けられ

日々快適な入院ライフを送ったと聞いております

モチロン 私や妻も交代で話し相手に通ってはいましたが・・・

その必要もさほどなく

ikuが入院数日後に

「退院後(術足関節の『内転』や日々の生活へ)の不安」へと 落ち込んだようなことも全く無かったようでした

 

「入院前と比べると-3kg軽くなった」と もろ手を挙げ

退院後の自宅では 貸してあげた杖を突かずに 普通にウロウロしてましたし

 

先日ikuと話したところ

「お姉ちゃん 自宅に戻ってしっかり落ち込んでるみたいよ

「じぇじぇじぇ  ナンで

「病院との環境の違いにギャップ感じてるみたい 階段とか・・・」

「ナ~~~~ルほど~~  でもみんな一回は乗り越える試練だから しょうがねぇ~んじゃネェ」

「そうだよね~~~  あたしはそれが入院中だったってコトだよね~~

「そうそう  そのうち慣れるって

 

ということで 少しだけ落ち込んだみわっちでした

 

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河原で『芋煮会』

2013年09月24日 | Weblog

今は~ もう秋~   という事で

日本全国 台風一過のあと 朝晩はめっきり涼しく

というか 寒くなってしまいました

また妻が「ウツになる」という冬に向かってまっしぐらです

 

2週連続の「土・日・月」3連休

9/21~23の休みには 関東圏に住む姉のiku夫婦とその娘夫婦+小っちゃいの二つ

合計6人がやってきました

 

我が家へ来る前日20日(金) 赤湯温泉に宿泊したiku一族

翌日 山形の秋の風物詩で

まずはkazu流・・・

お・も・て・な・し

河原で しかも小学校の時にやった場所と同じ所

(山形は 昔から河川敷で里芋を牛肉やその他具だくさんの醤油味のモノを 知人友人が集まって宴会をする方がたくさんいます)

メンバーは 上記+みわっちの息子夫婦+小っちゃいの二つ

近くに住む叔父さん(80歳)

朝6:45に電話して急きょ来ることになった 私の息子(kazuジュニア) そして主催者kazu夫婦

結局 大人10人+小っちゃいの4つ の大所帯となってしまったのです

(そうそう ここに「みわっち」が出てこない理由がありました

只今彼女は 人工股関節改造人間・進行中 なのでした

この件は後日 ゆっくりと・・・     みえわっち  ゴメン

 

ところで 話を戻します

芋煮だけでは淋しいのでは・・・

と思い 焼き鳥 & ikuが送ってくれた美味い豚肉でminiBBQも

 

飲み物は モチロン  生ビアサーバー(10ℓ)+叔父さんが持参すると聞いた焼酎+料理にも使えるが飲んでも旨い日本酒

飲めない人(運転)+小っちゃいの4つ用 ソフトドリンク 多種

 

私は焼き鳥屋のおやじ

妻は前日から「漬物」の仕込み 「キノコのホイル蒸し」 「イカのバター醤油焼き」と料亭の女将さながらの大忙し

(おかげで当日早朝(深夜)2:30には あたくし多少の発熱(37.4°)しちゃいました

 

11時ころからダラダラとはじまった芋煮会はカンパ~~イ」

 

河原に着いたiku亭主は 潜んでいた河漁師の血がよみがえり 小っちゃいのよりも『本気釣り』モード

姪っ子亭主は子供の手を引く余った片手は いっ時も酒の入ったコップは離しません

 

絶対に誰かやると思った「ドッボ~~~ン」は

甥っ子の下の娘(小1)が 間もなく『お着替えタ~イム』 

   じぇじぇじぇ(想定内)

 

お酒も入り 昼過ぎには鎮座したところも木陰になり

吹く風も心地よく みんなニコニコ笑顔モード

 

でもね

誰一人 写真撮ろうといういう者もなく

写メの1枚もないのでありますよ

 

全員が 心の中にしっかりと焼き付けたと思います

 

何より 80歳にもなる叔父さんが一番喜んでいたようにも思います

実際河原でやった芋煮会は 私も20年ぶりくらい

 

ikuイチ族はその後 2泊して 山形を満喫 ikuは娘の住む金沢へ一緒に乗って行きました

 

2歳から80歳までの芋煮会

皆さん お疲れさんでした

 

そしてありがとう わたしの奥さ~~~~ん

 

コメント (3)
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暑かった夏も・・・

2013年08月27日 | Weblog

ようやく落ち着いてきたようです

ここ山形は 朝晩は涼しいを通り越し 「寒さ」さえ感じています

でも日中の日差しはまだまだ 夏です

 

おとといの晩でした

関東圏に住む姉のikuから

「庭の柚子送るヨ」と電話がありました

私の栽培している 激辛唐辛子と合体させて『柚子こしょう』の完成に一歩近づきました

私もちょうど 唐辛子の収穫してきたばかり

 

ついさっきまで唐辛子の種取してました

手にはゴム手袋装着

額にハチマキ(辛み成分が空中を浮遊して 汗が止まらなくなるんですよ)

重装備して作業を開始しました

 

途中 どんなに体が痒いところがあっても 掻いたりしちゃ 絶対にいけません

目なんか擦ろうものなら 一日中熱さが取れなくなって ヒリヒリ痛みます

 

種を取った唐辛子を 密閉式のビニール袋に入れて 塩を振っていったん塩漬けにしました

量がもう少しほしいので

次回の収穫まで 冷蔵庫の中でお休みしてもらいましょう

今回使用したのは まだ青い状態のものばかり

 

赤く熟したものは 『一味唐辛子』になっていただくべく 乾燥させます

 

今年は沖縄の『島唐辛子』も植えてみましたので

泡盛にそれを漬け込んで 『コーレーグース』にも 初挑戦します

 

コメント (1)
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