goo blog サービス終了のお知らせ 

男の変形性股関節症との 友好記

女性に多いと言われる『変形性股関節症』
男の男による数少ないアドバイスになれば・・・と思いましたが、脱線ばかりデス!

一ヶ月振りです

2014年08月04日 | Weblog

スマホに変えて

と投稿が楽になるかと思いきや

案外、大変なことに気がつき  新規投稿を

躊躇していましたやっと馴れてきたな

と 思ったら 早 一ヶ月

やっと画像が乗せられるようになってきました(遅ッ

 

最近趣味が増えまして・・・

ご多分に漏れず OLD化してます

(画像 デカッ

種から育てて2年目の蓮は

ようやく開花の時を迎えましたが

新規購入した鉢に 『欲たがり』(山形弁=欲が深いという意味)の私は 3株もの蓮根を入れたがために

葉ばかりが生い茂り 栄養を奪い合う格好となってしまったようです

開花はわずか1輪

薄桃色の蓮の花から採ってきたはずの種は

白色に変化してしまいました

種からの色は不確実(交配により 変化する)とある程度の覚悟はしていましたが  結構がっかりしました

やはり 蓮根を分けていただいて栽培するのが妥当のようでした

 

その花を見て姉のみわっちが

「昔 テレビで蓮の花みたいな宇宙人が出てたのを想い出す だからキモい」

         

なぞと言いやがった  「それってこんなの?」と 

小・中・高と 図工~美術=オール3の私が絵をかきました

大正解のようでした

確か 『キャプテン ウルトラ』に出ていた 宇宙人だったかと・・・   名前までは

覚えている方は ご一報を

 

そして最近はハマってきたものは

苔玉デス

こちら はぜの木で作ってみました

苔玉の苔を山形市内で栽培しているところを たまたま知っておりましたので

直接購入してきました

ネットより格段に安く買えたので あと5~6個は作れそうな勢いです

   が  手入れも大変なので 思案中

 

そして ヒメダカちゃんの繁殖

10匹くらいの親から 今ではその5~6倍の子メダカちゃんが・・・

いい加減にしないと 妻から

「いつになったら『踊り食い』できるの

なんて嫌味を言われますので 適当に止めました

 

また今年は ばあちゃんチの裏の小川で去年から目をつけていた

野生のメダカの飼育も始めました

ホームセンターで購入したヒメダカとは 似ても似つかぬ

流れの中で育った野生児はマチ針の先ほどで 体長も5ミリくらい

バケツで思い切り吸い込んで 6匹だけ捕獲

ほかにもたくさんの魚影が見えましたので 自然破壊にはつながらないかと・・・

(売買目的の捕獲は禁じられているのですが 飼育のみならば問題はないようです)

今年の産卵は厳しいでしょうが

来年は繁殖して10倍の数を放流しようかと思っています

ヒメダカとは別飼育なので 混血の心配はありません

 

餌やりは ヒメダカは指先まで寄ってきますが

野生メダカは 警戒心が強く 人影が感じられると隠れています

 

しかしボウフラや ミジンコを投入してやると

その魅力には耐えられないようで 狂喜乱舞

体長と同じくらいのボウフラを咥え

飲み込むまで半分くらい出したままにしているのも事実なのです

5月頃から飼育したので 体長も3センチくらい

お腹もふっくらの成魚になりました

 

そうそう  ミジンコも飼育してるんですよ

メダカちゃんの餌のためですが・・・

 

ナニやカニやと 忙しいのですよ

でも     楽しい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3人 農作業 Vol.2

2014年07月01日 | Weblog

昨日は 振替出勤の休みでした

たまたま 例の「リウマチ性多発筋痛症」の通院日だったので

行ってきました

結果は上々

けど いつまで続くのやら・・・

 

さて農作業の続きです

妻とみわっちは 収穫

小松菜 キュウリ 茄子 ピーマン スナップエンドウ チンゲン菜 ズッキーニ

中でもみわっちが一番驚いていたのは  ズッキーニ

 「へ~~ こんな風になるんだ  どうやって食べるの」と

 

ズッキーニは私も 今年で2回目の栽培です

去年は支柱を使わずそのまま育てたところ 上に向かって伸びずに

重さに負けた幹は地面を這うように伸びていったため

せっかく育ったズッキーニは地面の湿気で腐ってしまうのが多くなり

きれいな実は 僅かでしたので

今年は忘れずに支柱を立てました

 

3人は ああでもないこうでもないと賑やかに 笑い声が絶えません

 

私はまだ何も植えていない畑を 小型耕耘機で耕します

空梅雨の山形は 畑の土が灰のように舞い上がります

さくらんぼ農家にはもってこいのようですが

野菜農家にしてみれば ひと雨欲しいところです(でもその日の夜一晩降りました)

 

たまには3人農作業も悪くはないな そう思ったkazuでした

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3人 農作業 Vol.1

2014年06月29日 | Weblog

先週 姉のみわっちの家に行く機会がありその時に

「あんたの畑(正確にはばあちゃんチの畑)観たいワ」

そうみわっちは言いました

 

みわっちの家にも 僅かではありますが 自家菜園はあります

言っちゃ悪いが「猫の額」

おととし植えたキュウリがあんまりうまくいったので

翌年も同じ場所に植えたそうですが その年の収穫はたったの数本だったとか・・・

みわっちは『連作障害』(同じ仲間の植物は数年おきに植えないと育ちが悪くなる)を全く知らなかったのでした

 

さすがに今年はキュウリはお休みのようです

すると みわっちは悔し紛れとも取れる

「キュウリなんか買ったほうが安い」なんてほざいてました

 

と いうことで

先日の6/28(土)

午前中に我が家へやってきたみわっち

ばあちゃんチに行く前に 早めのランチ(ラーメン)してから行こうという段取りになっていましたが

お茶を一服飲んで出かけようとしたとき

みわっちは何故か 脱衣所からやってきたのです

しかも それまで見ていた顔と明らかに異なった 白塗り顔面

 

妻は「お姉ちゃん  最初にお昼に行くんでしょ

「あ”~~~~~  完全に忘れてた~~~~~

すっかり忘れていたみわっちは 早々と日焼け止めのクリームを

しかもかなり強力なヤツらしく  舞妓サンよろしく塗ってしまったのでした

 

おかしくて 思わず写メ撮っちゃいましたが おもいっきり『直』なので 載せられません

 

続きは  後日

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リウマチ性多発筋痛症から1年 その後・・・

2014年05月09日 | Weblog

昨年GW前に 急な股関節痛と発熱により

歩行困難で 緊急入院となり 退院まで3週ちかくもかかってしまったのは

私の記憶にはまだ新しい

 

あれから1年

ステロイド剤(プレドニゾロン)の(投薬量の増減はあれど)服用と

通院も2~4週に一度し続けておりました

 

ステロイドは最後には1㎜を2日に1錠まで行き

後は『ゼロ』を目指していたのです

 

『ゼロ』になるには 目安があります

血液検査の「CRP(炎症反応)」が『0.3≦』

 

そして 4/28の会社が休みだった月曜の通院日

前回 担当医からは

「次回の検査でも合格なら 止められるかな

そう宣告されていました

 

ブログでは何度も書きましたが

そもそも「ステロイド」というやつは 健康な方は自然に体内で生成されるものであり

外部から取り入れてしまうと 体は

「おやおや~ オイラはステロイド作る必要がないんだ~~」と

ダラケてしまい その生成をしなくなってしまうそうなんです

だから その投薬はできうるものならば最小限

また『ゼロ』であるべきなのです

 

血液検査の結果がやってきました

「ん~~~~~~ やっぱり1㎜が 最低量なのかな~」

  「0.75だね~ ちょっと上がってるね~」と

 

やはり ステロイドは止められないのかなぁ

そんでなくても 高血圧 高尿酸値(別の意味での『リウマチ』)腰痛の鎮痛剤を

たとえ朝だけとは言いつつ 計6錠

ステロイドを含んだら 合計7錠も飲んでいます

 

それより問題は 通院

個人医院であれば 行って簡単な問診して お薬貰って帰宅です

それがこの病気だけは必ず血液検査を行いその結果をもって投薬量が決定しますので

院内に検査設備がなければ投薬量が決められませんので おのずと大型病院でなければいけません

しかも担当医はその病院のご指名No.1の売れっ子(?)

超人気の腕の持ち主(股関節では県内No.1)でもある

それゆえ待ち時間も半端ない

 

もう諦めるしかないのかな~~

 

「一生『ステロイド』します」 宣言しなくちゃなンないのかなぁ~

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フレーム in

2014年05月08日 | Weblog

冬も終わりの   2月15日の大雪から  早くも3か月も過ぎようとしています

 

そうです 関東地方が約120年ぶりの大雪に見舞われ

延期になってしまった 長男の結婚式でした

 

遅れること 約2か月の期をもって

無事に 結婚披露宴を終えました

 

新芽も眩いほどの晴天の中

大勢の知人・友人 親戚が一堂に会して

笑顔がいっぱいあふれていました

 

お互いの両親も 心から祝福し

また 感動もし

笑顔の中にも 涙はありました

 

私は 新郎の父

 

新婦側とは 多少異なった感情ではありますが

これが新婦の父となった日にゃあ・・・  やっぱりね・・・

 

新婦のご両親へは・・・  心中お察し申し上げます

 

新婦の父には

なりたくないような・・・

でもそんなこと言ってられないような・・・

複雑ですなぁ~~

 

でも  ひとつだけ心残りなことがありました

それはね・・・

 

披露宴の開始と同時に会場の方から

全員がガーデンへと誘導されました

何が起こるのかと思いきや

ガーデンウエディングの始まりです

 

カラリと晴れ渡り

若草色の風は 新婦の真っ白なドレスと踊っています

 

大きなケーキが運ばれてきました

両家の両親が そのケーキをお互いに食べさせるという

いわゆる『余興』です

新郎新婦も食べていないケーキを

それを両親が手を付けてしまうのでした

 

妻に多少大きめのケーキを放り込んだ後

私は妻に小声で告げました

「鼻ッ ハナっ」 と

しかし 真面目な妻は「私の口」へと見事 投入したのでした

残念

 

私の両親と 妻の父親はすでに他界しておりますので

妻の母親(長男からしたら『ばあちゃん』)が代表して出席してくれました

ばあちゃんも 孫の結婚式に出席できたことが 本当に嬉しかったらしく

人前に出ることがあまり得意ではないばあちゃんは当初

「遠いから 行かなくてもいいヨ」なんて言っていたのが

期日が迫ってくるほどに 誰よりも『行く気満々』に変化してくる様が 手に取って見えました

孫の結婚式に『元気』で出席できるなんて 幸せだよね~

 

無事に披露宴も終え

翌日には私たちも自宅に戻りました

 

2~3日後 長男から電話がありました

「友達から 披露宴の写真をデータで貰ったんだ

そしたらお父さん 友達の写真に写りまくってんだけど・・・」と

ある意味 苦情

「それは言いがかりだ」と私

「会場で『新郎の父です  母です』と私たちが会場を回っていると

お前やお嫁さんの友人たちが『一緒に写真撮ってください』とお願いされたんだ

無理やり フレームイン したわけではない」と

「そのことは お母さんが隣で聞いているから間違いない」と

「むこうのご両親だってそうだろう」と

すると

「それは・・・ 無イ・・・」と

 

ガ~~~~ン

また やっちまったのか  オレ~

 

そしたら

「いいのよ お父さん  お父さんと撮りたいって思わせちゃったんから

笑いながら答える妻でした

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雪の結婚式  リベンジ編 Vol.3

2014年03月02日 | Weblog

昨晩21時ころ

私の

携帯が鳴りました

「あ お父さん 結婚式の日取り決まったから」と

長男の声が

 

「4/19(土) 時間はこの前と『同じ時間帯』に決まったから」と

 

その声は緊張とも覚悟とも取れる しっかりした声でした

「よし わかった 母さんには伝えとく」

 

男二人の親子の会話は用件だけを伝えると 余計な言葉は一切ありません

 

私自体も 緊張が走りました

 

これまではkazu一族の宿泊ホテルの手配の果てまで長男任せだった

このダメダメ親父が・・・

それは「土地勘がない」ということ

結婚を決めてから式までの時間があり

それくらいは「大丈夫だろうと」

『おんぶにだっこ』の状態なのでした

 

が  ンがしかし

式まで1か月半しかない状態で

再度招待状を出し

先日は来られなかった方も

今回は出席可能となる方や

反対に事情で欠席という方もおられるでしょう

 

そのあと席順を決め

担当の方との打ち合わせやら 何やらで

きっと長男は 自分の事でいっぱいでしょう

 

今回は私出来うることくらいは 協力するつもりです

 

そこで22時も過ぎたころからでしょうか

妻と二人

PCとスマホ2台を巧み(?)に操り

方っ端から検索をかけ 電話をし

おぼつかない土地勘で

「ここは(式場から)遠すぎでしょう」 と

 

でも 一軒だけ 『駅チカ』のビジネスホテルが人数分とれたのでした

ただしオール「シングル部屋」

・・・やれやれ と

思ったのも束の間

 

口コミを見たら・・・

「部屋に冷蔵庫がない」

「バスルームのカーテン どう見ても『ハサミ』で切り取ったような跡が」とか

「せめてドライヤーの設置を」

「禁煙室を予約したのに タバコ臭い部屋」

「朝食なしでこの価格はないでしょう  過ぎ!」

「支払いが現金のみ カードが使えない」

「深夜の電車と遮断機の音で 安眠できなかった」と

・・・・何という事でしょう

朝食なしの素泊まりは 普通にありますが

苦情とも取れる口コミが テンコ盛りでした

 

でも ヨ~~く考えてみると

私達一族は全員が車移動で

駅にこだわる必要もないことに気づいたのは 日付も変わった2:30過ぎた頃でした

 

人間いっぱいいっぱいになると

視野って本当に狭くなってしまうものなのですね

 

「とりあえず 時間も時間なのだし まずは寝ましょう」

寝たのですが

早朝6:30

目が覚めてしまいました

心配で寝てもいられません

 

結局は長男が

「駅からは遠いけど 部屋はあるみたい」

といってくれていた

駅からは少し距離はあるけど

朝食も『バイキング』で朝から食べ放題

何よりも 大浴場のある 『人工(ではあるけど)温泉付き』の

ツイン部屋を全員分取ることができました

 

もちろん 禁煙・喫煙もしっかりと分別され

じじ・ばば+孫が同じフロアで行き来可能な

夢のようなホテルが取れました

 

私が予約していた「オールシングル」の口コミ最悪ホテルへ

キャンセルの電話を早朝に入れたのは 言うまでもありません

 

もっともっと やらねばならぬ事はたくさんありますが

長男から比べれば 屁でもありません

 

ただ お荷物だけにはならぬよう 手助けだけはしていこうと思っています

 

さ~~~て あとは二次回会場だね

 

4/19だったら 雪はないよね

関東じゃ桜は散ってるだろうけど

山形では咲き始めるくらいの

きっといい陽気だよね

 

ナンにしろ 「120年ぶり」ってのだけは 勘弁です

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雪の結婚式 のはずが・・・  Vol.2

2014年02月24日 | Weblog

2/14(土)

びじゃびじゃのGパンと

ぐっちょぐっちょの靴と靴下を

着替えた新郎の父の姿は

パジャマに(上下グレーのスエット=ちなみに『ユ〇クロ』)

裸足に式場で借りたスリッパを履き

ウロウロしておりました

 

でも人目が気になり

新婦のお父さんと

いっ服 行きますか」程度でした

が  が・・・  しかし

長男が私の処へ 顔色を変えてきたのです

今までの kazu家にはない

真顔です

「どした?」

「ちょっと来て」

 

新婦の控室まで連れていかれました

 

「実は 「今日の結婚式『延期』っていう選択もあります」って担当の人に言われた」と

「こういう状況で その選択もありなのかな」と

しかしそんな大英断は私の一言で出来るものではありません

 

まずは新婦

次に新郎

次に新婦のご両親

新郎の親は 最後の決断ではないでしょうか

 

とりあえず 「新婦の父親をお呼びして」と

そう息子に伝え 私と新婦だけが小さな部屋に残されました

 

今日まで沢山の用意してきたにもかかわらず

 

大雪という・・・

 誰のせいでもない理由で

結婚式と披露宴が

延期というものになってしまうという・・・

納得できるはずもありません

 

私だって納得はいきません

でも

現実は

 

kazu家 親族

一家4名+近くでたまたま前泊した息子の大親友の母子(先日亡くなったティガちゃんの実家=親族です)  計6名

 

お嫁さん親族

一家4名+ (自宅を深夜2時に出発した)群馬県太田市からたどり着いた 新婦母のお姉さんご夫婦  計6名

 

後は 全滅です (後日聞いた事ですが 友人2名も到着していたそうですが お目にかかっていません)

 

どう考えても やはり 強行は無理でした

 

やはり披露宴は

知人・友人に囲まれ

お祝いしてもらいたいものです

 

私が結婚した約30年前は

 『家の結婚式』でした

家に嫁を迎える『儀式』でした

 

私の知らない

親の知人・友人がほとんどだったのです・・・(悲しいかな)

 

でも 今日の結婚式・披露宴は

息子と 嫁の二人だけが計画して

行おうとしているのです

 

そんな結婚式は結局

延期になりました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雪・・・  Vol.1

2014年02月18日 | Weblog

本日2月18日(火曜)

2月15日(土曜)に息子の結婚式がありました

おかげさまで 無事に式を終え

披露宴も大盛況

翌日、無事に自宅に戻りました

 

・・・・・・・・・・と      書く予定でした

 

しかし あたくしkazuは

持っています  ただもんぢゃア ありません

スンナリ拍手していただけるなんて思っていません

『やっちまった~』です

 

話は 2月14日(金)へと  逆回転~~

 

朝 山形は雪も降らず のんきな1日が始まろうとしていました

新婦の実家へのお土産を買い

買ったばかりのスマホで 繋がるLINEで得た関東地方の『雪情報』もあり・・・

(ありましたが まさか)

山形自動車道から 東北自動車道に乗って

いざ南下

宮城あたりまでは 心地よいドライブ

隣の妻も いつもの「遠足セット」のお菓子をほお張り ご機嫌Max

「那須高原SA」で 軽い昼食「ラーメン」

小雪が舞い始めました

 

休憩後は快適ドライブとはいきません

雪は東京に近づくにつれ 酷くなってきました

渋滞も始まってきました

どうやら 前方を走る除雪車が3~4台並走しているようです

仕方がありません

どんどん雪も小雪から 吹雪に変わってきました

「俺たち・・・青森に向かってるんじゃないよね・・・

「だ・・・よね・・・・・

高速を降りて一般道に入ると

シャーベット状の道路はスタッドレス装着の山形車は平気ですが

普通タイヤの都会車は 恐る恐るといった具合

 

息子のアパート近くのイオンで夕食の買い物をして

夕方には到着しました

すっかり辺りは暗くなり 雪景色

「ここは山形か

ある意味 吹雪の中で荷物を降ろして ひと息

 

嫁さんも実家に出かけていきました

そして 我が家の長女も息子のアパートに泊まって翌日に備え

 

そして結婚式当日

朝6時前

酒臭い私は いささか二日酔い

そして カーテンを開けてビックリ

昨日振った雪に加えて 土砂降りの大雨

長靴なんか 持ってきてネぇし

車に積もった重たい雪を降ろして

助手席に乗り込んだときには 全身ずぶ濡れ

道路はどこも 大洪水

 

酒臭い親父は 運転を道の解っている息子に任せ

ラッセル車状態で 腹をこすりながらの走行

すれ違う車からは 怒涛のごとく浴びせられる 泥水

 

ようやくたどり着いた式場の駐車場の目前で

車がナント スタック

前にも後ろにも動きません

とりあえず 妻と息子を式場に向かわせ

 

丁度居合わせた近所の方も手伝っていただきましたが

今度は車の下から見たこともない黒い物体がぶら下がってきました

それは車体の底にある アンダーカバーらしいのですが

どうやらバックした時にカバーに雪が入り込み

その重みに耐えられなくなって 外れてしまったようです

このままでは 前進してもカバーが邪魔で走行不能となりました

 

 

その時点で 私の靴の中は雪と雨で ぐっちょぐちょ

Gパンとパンツもしぼれます

玄関の前で走行不可能の車を置かせていただき

娘と私は式場に入りましたが

とりあえず濡れたものを着替えすることに

 

ですがさすがに下着の着替えは持ってますが

Gパンの替えなんか用意してませんし

礼服も新郎の父ですから レンタル

 

唯一持ってたのが パジャマのスエットのみ

着替えたものの 上下がパジャマ・・・

素足にスリッパ・・・

 

こんな新郎の父親 神聖な式場で 誰も見たことないべ

 

ところで

kazu家の親族はど-した・・・

誰もいない

来てない

見てない   

 

その時 一族は・・・

 

「みわっち」

前日 一番遅く山形を出発したみわっち

途中 高速が封鎖され 下道でikuの家に向かうものの

ikuの家までたどり着けず

ikuの息子夫婦の家に厄介になり 一泊

翌朝 着付けを終えたみわっちを迎えに行った義兄

車まで行こうとしたみわっちは

自分で着物の裾を踏んづけて留袖のまま 大転倒

そして その義兄の車が 交差点手前の右折車線でエンジン停止

私と同じく 走行不可・・・

 

「iku」

夜中の1時過ぎに30センチの深雪を除雪

するものの 目が覚めた早朝には+40センチ

家からも車で脱出が出来ず・・・

出席予定だった 金沢からやってきた娘家族を家に残し

みわっちの泊まった息子夫婦の家までリュック背負って

まさに命がけの『雪中行軍』

「私達だけでも」と意を決して 義兄と出発

 

「みわっちの長男夫婦と二人のちっちゃいの」

子供の事を考え ホテルに前泊

ラインで「ホテル前の道路が洪水」の報告

ですが 予定通りに式場近くまで来ています 唯一

 

・・・それぞれにドラマがありました

ブログに書いたら

1冊の単行本ができてしまうくらい

 

何があってもオカシクナイ kazu家

この続きはまた この次

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事に終わりました

2014年02月09日 | Weblog

2月6日(木)に 愛猫 ティガちゃんが亡くなり

その日妻は 会社を休みました

私は午後からの出勤

ですが 私も休みをとってそばにいてやりたかったのですが

家に妻だけでも居てもらえるので

仕方なく 出勤しました

 

仕事を終え 深夜に帰宅

その日は『お通夜』

元気だったころは 私が帰宅すると玄関までお迎えに来てくれていた

でもそれがもうなくなってしまった今

複雑でした

 

いつものベッドで

クルンと丸まってこそいませんが

眠っているようです

 

飾り台を「にわか祭壇」にして

妻が買ってきたきれいなピンクのガーベラが1輪飾ってあります

 

カリカリと缶詰・お水を置いて

祖母の葬儀で使って 残っていた渦巻の線香を焚いて

その横には 花も飾ってあります

菊の花ではありません

色とりどりの春の花

ティーちゃんにはぴったりです

 

翌日は妻も会社に行きました

そしてその夜

人間でいえば『納棺』(この辺りでは 「入棺(にっかん)」と言います)

時差出勤だった私は 午後8時過ぎに帰宅しました

夕飯の後 二人でベッドを お花でいっぱいにしてあげました

沢山のお花に囲まれて ちょっと嬉しそうに見えたのは

私の思い過ごしでしょうか・・・

 

そして 2月8日(日)

とうとう『火葬』の日がやってきました

外は雪

関東地方では 「何十年に一回の大雪」と 朝から報道されていましたが

山形はさほどでは無いようです

 

午前10時の予約でしたので

早めに家を出ました

 

助手席では 妻がお花畑のようなベッドのティガを膝に乗せています

 

火葬の場所がたまたま 姉みわっちの近くでしたので

みわっちも同行してくれることになっていました

 

人間のようにお坊さんもいませんし お経も唱えませんが

私達は ティガに最期のお別れです

 

あのモフモフのお腹も

呼べばパタパタと動かしていたシッポも

プニュプニュの肉球も

お鼻の上の とっても短い上向きのスベスベの毛も

プックリしたぽっぺも

これが最後です

 

泣きました

人目もはばからず

 

他人が見たら ドン引きするくらい泣きました

 

でも 我慢が出来なかった

悲しみがこみ上げ

涙と鼻水のダムが決壊して 大洪水

 

時間になり 炉の中にティガは入っていきました

「休憩所でお待ちください」

促され お茶をいただきながら待っていました

 

降る雪は 止みそうにもありません

 

小一時間で「終了しました」の声が

 

さっきまでのティガは

骨だけになっていました

その姿は

あまりにもあっけなく

小さな白い棒や 粒々になっていました

頭部はしっかりとそのまま残り

一本も失っていなかったその歯も とてもきれいでした

 

「何歳だったのですか?」

お骨を拾っているとき そこの女性の方から聞かれましたので

「18歳でした あとふた月もすれば19歳でした」そう答えると

「そうですか 長生きされたんですね

でもその割には 骨がしっかり残っていますね」と

 

小さな木の箱に 白い骨を入れると

その軽さにまた 悲しみが襲ってきました

 

みわっちの家で一息入れ

「精進落とし」に見立てた昼食に

精進料理ではありませんが

 

みわっちの家の猫と少し遊んで 帰宅

 

居間で 私と妻は TVをつけ

コタツに入り話をしながら話をしています

ティガをコタツのテーブルにのせたまま

いつまでも止むことのない 止めどない思い出話

 

でも・・・ 

少し前までは

「もう猫は飼わない」

そう話はしていましたが

少し変わりました

 

「お金を出して 血統書付の猫はいらないけど

家にやって来て 私達がお世話してやらないと死んじゃうって思ったら・・・

めぐり合いでやって来たのなら

考えるかも」

そんな風に変化しつつあります

 

ティガの換わりではありません

その時は 新しい家族として迎えることができるかもしれません

 

でも もう少し

  もう少しだけ

時間は必要です

 

もうちょっと 心の整理が出来上がるまで

 

 

・・・っていうか そんなことばっかりは言ってられないのです

 長男の結婚式まで

あと1週間を切りました

 

切り替えの早いkazuさんは いっきにウエディングモードに

「スイッチ ON!」だす

 

でもすべての事が終わった瞬間

ぽっかりっと穴が開いた瞬間が こわいのも事実なのです

 

2014.2.9(日)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お通夜です

2014年02月07日 | Weblog

先程帰宅しました

遅番の帰宅時間は

深夜零時過ぎ

 

でも家のドアを開けて 

その違いに少しだけ 実感しました

 

ドアの向こうに ティーちゃんの姿がありません

 

いつもの「お迎え」がありません

「おかえり~~! 今日はいつもより遅かったね」

っていう姿がありません

 

やっぱりティーちゃんは 逝ってしまったのです

 

 

長男のお嫁ちゃんがすごくいいお話(詩)を 教えてくれました

お嫁ちゃんが実家で飼っていた愛犬と「サヨナラ」した時に

巡り合った「詩」だったそうです

 

『虹の橋』と言います

ネットで「ペットロス」という項目で検索を掛けたときに 見つけてはいました

でも〈第1部〉までがほとんどでしたので

それは その完全版と言えるでしょう

 

大切な家族(ペット)を亡くして

自分を責めたり 立ち直れなくなったりした時

絶対に読んでほしい

そして 亡くなった小さな家族を想う時

それは

あなたの心を癒してくれると思います

 

でも  今の私には

まだ「涙」が止まりません

 

でも 是非

まだペットと生活をしたことのない方

これからぺットを飼おうとしている方

そして

家族のペットを亡くされた方が

ご一読くだされば

私の気持ちを少しだけ

ほんの少しだけ

共有していただけるかもしれません

http://www.yuko-sound.jp/petloss/rainbowbridge.html

どうぞ  ご覧ください

そして

一番下の「Back」をクリックして

「ボクが傍にいるから」

を聴いてみてください

 

お嫁ちゃん ほんとにありがとう

こんなに素敵な場所を教えてくれて

私も妻も 「お気に入り」にしています・・・

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする