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男の変形性股関節症との 友好記

女性に多いと言われる『変形性股関節症』
男の男による数少ないアドバイスになれば・・・と思いましたが、脱線ばかりデス!

秘密のケンミンSHOW

2011年06月01日 | Weblog

日テレ系列の番組に秘密のケンミンSHOW」という番組があります

(ザックリ言って、いわゆるお国自慢番組とでも申しましょうか)

先日、帰省していた姉(iku)と行った日帰り温泉に、ロケに来ていたと思われるサインがありました

サインの主は、番組内の企画「連続転勤ドラマ 辞令は突然に」に出演しておられる、役名「東(あずま) 京一郎」さんとその妻「はるみ」さんの物とわかりました

どうやら、京一郎さんは、山形へ転勤されていたようです

 

山形県は各市町村に最低一カ所は温泉があるという 温泉大国なのです

やはり、京一郎さんも会社帰りに温泉に立ち寄ったのでしょうか楽しみです

 

放送日は、山形は 明日6月2日夜9:00~です

皆様もお時間があればご覧下さい

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丸々2ヶ月

2011年05月31日 | Weblog

5月も今日で終わりです

今朝、妻がしみじみ言いました

「今年も半分終わってしまったねぇ」と

私はおもわず「あと2ヶ月でお盆休みだ、ナンて言うんじゃないだろうね?」こう申しましたところ、妻はちゃっかり

「その前に、ボーナスだ~ネ」と・・・

 

久方ぶりのブログとなりました

前回は『終煙』 ということで、煙草を止めた話を書きましたが

実は・・・あたくし、煙草を止めてしまいました

吸いたい気持ちは完全に無くなっていますが、あとは煙草の購入という行為にさえ至らなければ

『終煙』はカンペキでしょう

 

でも、妻には言っています

「70才になったら、もう1回 煙草を吸うゾ」と

ただし、その気持ちが続いていればの話ですけどね

 

 

2ヶ月も間が開いてしまうと、書かなきゃならなかった事がたくさんありすぎて困ります・・・

 

先週末の事でしたが、久しぶりに「おバカ 3姉弟」が集合しました

例によって例のごとく「大宴会」になりました

夕方5時から飲み始め、結局寝たのは翌日深夜(早朝)3時前

途中、『母親の「昔の実家」の図面を書いて勝負』したりと言う、姉弟以外の人間は全く興味のない事をやったりして過ごしました

そして「記憶って、意外に曖昧な物なんだなぁ」 とも思いました(完全に老化の一途をたどっています)

この遊び、結構面白いモンですよ

   ・・・ってか、翌日仕事の妻はちゃっちゃと寝てましたがネ

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終煙

2011年04月25日 | Weblog

4月1日

会社が「振休」だったので、以前から興味のあった「禁煙外来」へ行ってきました

51才の私は、喫煙歴35年(51-35=??・・・スルーして

人生の半分以上も、親密な交際を続けてきた私の恋人

今まで禁煙した周囲の知人には

「この根性無しオレは命かけて高額納税者になっているんだ

などと暴言を吐きつつも、禁煙スペースばかりがどんどん増殖していく中、年々減少していく喫煙所

「煙草生産農家は、これで生活しているんだ」と、多少の農家擁護論をぶちまかすものの

結局は、「健康長生き」という

まさに「根性無しの負け犬」と罵声を浴びせらかけられそうな結果となりました

 

でもね、本当の理由は、『震災の影響で煙草が買えなくなる』という状況下で、「本当に買えなくなったら・・・」という恐怖感があったからなのです

  健康なんてどうでも良かったのです

  長生きは多少はしたいけど、それなりに生きられれば良いんです

 

ただ、毎日吸っている煙草が店頭から消え、吸える煙草が無くなる恐怖を味わいたくなかったからなのです

薬物依存の患者が犯罪まで犯してしまうような感さえありました

 

飲み薬による禁煙トライです

全く吸わなくなって2週間が過ぎました

会社の休憩時以前なら必ず、「煙草で一服」でしたが、今は自販機でお茶や缶コーヒーをいただいています

数日は物足りないナァ、と思っていましたがようやく慣れてきました

隣で煙草を吸われても、イライラしなくなりました(でも、たまに吸いたいな~と思うことも)

 

でも、妻が良いこと教えてくれました

「吸いたい思った瞬間、1分我慢すれば紛れるんだって

また妻の名言が生まれました

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エコドライブ

2011年03月22日 | Weblog
普段乗っている車は ホンダのフィット

これにはリッターあたりの走行距離が表示される機能があります
冬場はいつも 14.8km位なのですが
この非常時です

エンジンのタコメーター(回転計)は1500回転より上げず
暖房オフ
ラジオ オフ
での走行結果
17.5kmまで 伸びました

地球に 優しいって いいなぁ

携帯からの 投稿でした
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東日本大震災 その後

2011年03月20日 | Weblog

  ( ↑ 変なところに写メが入りましたが消せません  お許しを)

あの震災から早くも9日目になりました

まずは2日目に見た、山形市内の大型スーパーの写真をご覧下さい

 

食品棚には全くと言っていいほど何もありません

パートの女性がせっせと掃除をしている姿がちらほら見えるだけでした

でも、まだお米が残っていたので10㎏だけ購入

いざとなったら、米・味噌・梅干しぐらいあれば2~3日は腹を満たせます

でも 我が家には『冷凍保存大好き』の妻が いやと言うほどの食糧を確保しておりましたので何日かは大丈夫でしょう

(私は 正直「こんなに貯め込んでどうするんだ?」という気持ちがあったのも事実でした・・・)

 

こんな時ほど買いだめに走ってはいけません

パニック状態と言っても過言じゃない状態のようです

落ち着いてください

 

しかも大手のチェーンスーパーより こんな時は小さな地元スーパーの方が品揃えが良い』というのも解りました 

 

しかしこんな私にも 不安が全くないというわけでもありません

それはガソリンです

 

会社自体は被害はなかったので 震災のあった週末明けから 通常業務になりました

会社までは 片道25㎞

満タンでも10日くらいしか持ちません

時差出勤のため公共交通での出勤は不可能なのです

みんな血眼(ちまなこ)になってガソリン探しに必死です

かろうじて開いているガソリンスタンドは長蛇の列

車の列は500m以上  長いところでは数㎞にわたって延々続いています

しかもその光景は 先週出勤したまだ暗い 早朝6時前の出来事でした

しかもそんなスタンドも次々と

『レギュラーガソリン売り切れ』

『長期閉店  再開の見通しは当分ありません』

などの看板を掲げ 閉店へと追いやられている

 

こうなれば持久戦

ガソリン使用量を限りなく少なくしながらの走行を心がけました

発進はあくまでアクセルは踏まず ソロ~~っと発車  加速も とにかくゆ~っくり

車間距離も高速道路ぐらい取り 遙か前方の信号機が黄色になってもブレーキは踏まず ニュートラル走行

制限速度以上なんか絶対出しません

暖房もフロントガラスが曇らない最低限度  手袋したままハンドルを握っています 

 

普段なら そんな走りをしていたら きっと継続車からあおられかねません  が 皆も必死なのでしょう

クラクションさえ鳴りません

しかも普段より道路を走る車も 気持ち少ないようです

 

さすがに会社も金曜日は休日としましたので

私は 残り少なくなってきた血圧と腰痛の鎮痛剤をもらいに

また 市役所にも手続きがあったので出掛けました

バスは動いているのですが 各医院・市役所がバラバラの位置なので途中からは徒歩で行くことに

 

普段歩いてなんか行くことは 全くありません

しかも 手術する前なんか考えられない距離

 

帰宅したら さすがに疲れました

でも 石部先生が手術してくれた股関節は全く異常なし

 

 

昨日は土曜日  妻も休みでした

どうやらウチの猫のご飯が残り少なくなってきたようです

人は我慢できても ネコに我慢させることは出来ません

 

買い出しです

防寒着を着込み 手袋装着 リュックを背負って いざ「買い出し」出発

 

「まるで 戦後の買い出しだね」などと 戦争も知らないのに話しながら出発しました

 

1軒目のドラッグストアは ペット用品は殆ど残っていませんでした

次のホームセンターは国道の向こう側

途中にスタンドがありましたが 1軒は閉店

はす向かいの店舗は開いていましたが 相変わらず最後尾は 遙か後方のため見えません

 

途中雨に降られて 全身ズブ濡れにはなりましたが 防寒着がナンとか防いでくれました

これくらい被災地に比べればどうってことありません

 

帰宅した妻は 私に言いました

「お父さんが 普通に歩けるようになって 本当に良かった」 と・・・

 

****歩いているときに見た 許せない光景****

ガソリンスタンドに並んでいる車の列に 交差点の脇道から割り込む軽自動車

脇道からスタンドまでは数10m

許せません

中年女性でした

比較的大きな交差点なので後続車は通行の邪魔にならぬよう間隔を開けて止まっていたのです

クラクションを鳴らして抗議しますが 当の中年女性は全く知らぬ顔をしています

 

何故そんなことが出来るのでしょうか

みんな大変な思いをしているのです

最低限のマナーは無いのでしょうか

人として どういう風に育てられてきたのでしょうか

そんなヤツは きっと育ちが悪いんだ  そう思っています

 

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おかげさまで・・・

2011年03月13日 | Weblog

大地震でした

山形も立っていられるのがやっとなほど 揺れました

 

3/11 16時

停電により仕事にならず 会社は従業員全員の早期帰宅を命じました

 

信号機も全く作動せず 地震直後は渋滞を縫ってのマイカー帰宅となりました

車内のテレビでは太平洋側で起きた大地震の放送が延々と報道され続いています

「とんでもないことが起きたんだ」そう考えると ハンドルを握る手は 気をつけなければ震えてきそうです 

途中のコンビニ駐車場には おそらく食糧確保のためと思える買い物客の車が満車状態

自宅近くにもようやく近付き 心にも余裕も出来たので 近所のコンビニに寄ってみることに

 

17時過ぎ

辺りは暗くなりかかっています

店内もやっと見えるくらいになっています

おにぎり・パン・弁当売り場・乾電池の棚は 当然空っぽです

ようやく見つけたカップ麺を5~6個・水のペットボトルを数本カゴに投げ入れ自宅に戻ると 妻も今し方帰宅したようで 同じような買い物袋がありました

「電気が来るまで何日かかるのかもわからない」

「もっと大きな地震がくるかもしれない」

そんなことを考え 長期戦に備えました

 

何度か捨てようとしたけど保管しておいた石油ストーブを引っ張り出し

幸い水道とガスだけは災難を免れたため 鍋や空ペットボトルに水を貯めました

 

19時

辺りは真っ暗です

すこし高台にある自宅からは山形の中心部の灯りが夜景のごとく望めるはずなのに

今夜ばかりは 真っ暗です

何も見えません

空に見える 細長い月と星だけがいやに光って見えました

 

唯一の情報源となる携帯ラジオに耳を傾けながら 妻の買ってきたおにぎりとカップ麺をいただきました

しかしラジオから流れてくるのは 太平洋沿岸の壮絶な津波による被害状況だけです

灯りは、キャンプで使っていた「ランタン」があるで ロウソクとは比べようもない明るさだったのがせめてもの救いでした またここで妻と二人温かい食事が出来るだけでも幸せと思わなければなりません

 

21時30分

寝室に非常持ち出しのリュックと長靴 防寒着 ヘルメット 懐中電灯 携帯ラジオ 水 食料を置き

万が一1階部分が倒壊しても2階に水と食料があれば何とかなると考え あえて2階で就寝

ラジオのスイッチは入れたままにしました

懐中電灯を一旦切ろうものなら 目をつぶっても開いても全く変りません

隣に寝ている妻の顔さえ確認できません

数分おきにやって来る余震 その度に目が覚め またうつらうつら

 

3/12 5時

朝がやってきました

いつになく冷え切っていると感じたのは 私だけではないはず・・・

 

気になっていた妻の実家で独り暮らすばあちゃんの無事は確認していたものの

普段から火事を心配していたばあちゃんは 石油ストーブをすべて処分していたため一切の暖房機が使えない

私達が「万が一のために ストーブ買ってあげる」と言っても

ばあちゃんは「危ないから 要らない」の一点張り

こんな事になるんなら無理矢理買ってやるべきだったと後悔するも 後の祭り

先日妻が買ってあげた「ホッカイロ」を体中に貼り付け凌いでいるという

せめて朝ご飯をいっしょにとろうと 買い置きの食料を持って車で出発

 

国道も信号機がまったく動いていない

交差点では細心の注意を計りながらようやく到着

 

実家に入ると居間には ナント昔懐かしい火鉢が・・・

   赤々と炭が燃えておりました

作業小屋のどっかから見つけてきたのでしょう

しかし 「炭は?どうしたの?」

アウトドア好きのばあちゃんでもありません  BBQ(バーベキュー)好きでもありません

「昔 蚕(かいこ)を飼っていたときに使ったんだ」という しかも大量の炭が保管してあった

昔って 何十年も前だよね 確か妻が小学生の時の話を聞いたことがある

ばあちゃん家の小屋はまさに『宝の山』だ

 

昨日のうちに心配して泊まってくれた妻の姉さんと 4人で朝食を食べながら昨日からの出来事を話す

ばあちゃんにも笑顔が戻った瞬間だった

 

土鍋でのご飯の炊き方を 妻がばあちゃんに教え 暗くなる前に自宅に戻った

冷たい家にはネコだけが待っていた

ラジオからは「山形市××町で電気の復帰という情報が入りました」そんな声が聞こえてくるが

我が家には一向にそんな気配は感じられない

 

暗くなる前に石油ストーブに灯油を入れていた そのとき家の中から妻の叫ぶ声が

「電気!  ついた!」

 

17時45分

約27時間ぶりの電気だ

 

ここで、今回災害時に不足した(あって良かった)物 一覧

1.携帯電話の充電器(乾電池型と自動車から充電できるものなどの複数選択が出来るタイプ)

2.大量の乾電池(数種類)

3.空ペットボトル(格安焼酎4㍑=80℃くらいのお湯を入れてコタツに入れればホンワカ暖まります)

4.石油ストーブ

5.カセットコンロ(ボンベ)

6.アウトドア用品(サバイバル関連商品)

特に、一般的に昭和の時代に使用した物など(電気いらずでだいいち 頑丈)

 

※オール電化の家に住んでいる知人は ひたすら「寒さに耐えた」という事を聞きました(聞いたところによると、オール電化の家の中にたとえば石油ストーブ(ファンヒーター含む)を持ち込んだ場合 家の補償が全く効かなくなると言うことを聞いたことがある  正確じゃなかったらゴメンナサイ)

 

最後に 今回被災された皆様へお見舞い申し上げます

また 一日も早く復興されることを心より願っております

生きていれば 何とかなります  がんばりましょう

  

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耳塞ぎ(みみふさぎ) または 耳塞ぎ餅

2011年03月07日 | Weblog

今日は急遽 会社を有給にしました

 

実は 高校時代の同級生が亡くなったのです

特別に仲が良かったと言うこともなかったが 3年間同じクラスだった

肝臓ガンだったらしい

まだ50才

 

喪主は長男らしい

きっと長男は30才前だろう  もしかしたら高校生くらいかもしれない

大変だろうな・・・

自分自身 父・母親の喪主をやってきた経験上  葬儀の大変さは身にしみて解る

 

葬儀が終わってから 同級生が集まって「耳塞ぎ」というのをやるらしい

聞いたことはあったが よく解らないので調べてみた

・・・同じ歳の知人が死んだということを聞くと、餅や牡丹餅で耳をふさぎ、訃報を聞かな かったことにする。これは死者に迎えにこられないように、との呪法である・・・とあった

つまり 一種の厄除けらしい

 

前回の同級会は 人工股関節の手術直後であったためにやむなく欠席した私

久しぶりに顔を見る機会が 葬儀の場とはいささか悲しいものが・・・

 

気候の変わり目は何かと起こりがち

 

皆々様も くれぐれもお体には自愛くださいませ

 

---合掌---

 

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今夜はなまらナイト

2011年03月06日 | Weblog

9/4夜8時過ぎのことである

たまたまTVのチャンネルをいじっていたら某国営放送N◎Kに換わった

すると そこには私が密かに楽しみにしている地方局制作の山形県民限定のバラエティ「今夜はなまらナイト」という番組をやっていた

http://www.nhk.or.jp/namara/index.html

その番組は不定期なので いつやっているのかは目を皿のようにしていないとわからない

内容は あくまでも番組中はどこまでもなまっている という まさに「山形県民にしか理解のできない方言を 山形N◎Kが制作しているバラエティ?トーク?番組」である

山形の方言と一口に言っても 村山・置賜・庄内地方でかなり違う

同じ村山地方でも北・南村山、西・東村山でもニュアンスが違う

その辺の違いを実際に方言を使いながら面白可笑しく見せるローカル番組で 国営放送にしちゃあ なかなかの優れもの(何故か 上から目線)

4日のそれは、高畠町出身の童話作家浜田広介の名作『泣いた赤鬼』をベースにしたものだった。
『泣いた赤鬼』を山形県出身のタレントたちと一緒になって 山形放送局のアナウンサーが方言を使って寸劇を演じる
この日は、酒田出身のタレントと尾花沢のタレントが徹頭徹尾方言で押し通す

それにアナウンサーが負けじと方言で応じるというものだった

私も忘れかけていた方言が ポロッと出てきたときなどは爆笑モノである

 

もし山形においでいただいたときに ご覧いただける機会があればどうぞご覧下さい

 

でも観ても一切 解らんだろうなぁ

 

 

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そろそろかなぁ・・・?

2011年02月19日 | Weblog

ここ2~3日 日中は気温の高い日が続いています

おとといの深夜から早朝にかけて結構な雨が降りました

雪も ひと休みのようです

 

ばあちゃん家の畑には6~70cmの雪が積もっています

畑仕事はまだまだ・・・

 

しかし 積雪のあるうちに やっておかなければならないこともあります

それは 2本あるリンゴの幼樹の整枝剪定(せんてい)作業です

 

リンゴは苗を植えると 樹はどんどん上に大きくなっていきます

しかし そのままでは枝が混み合い リンゴの果実自体には良くありません

リンゴの実が 成らなくなってしまうのです

そこで 剪定が必要になります

しかもまだ樹が眠っている 寒いこの時期に剪定という作業はやっておかなければなりません

 

長靴を履いて畑に行ってみました

 

堅く締まった雪の上を ふくらはぎまで沈ませ

『ぎゅぎゅ~』と音を立てながら リンゴの木に近付いてみました

 

日差しは 西に傾き始めています

風もなく 穏やかな中にもキ~ンと冷たい空気には変わりはありません

 

「来週には 出来るな・・・」とつぶやき 煙草に火を付け 深く吸い込みました・・・

 

今年の農作業が始まったようです 

 

 

 

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「楽しみ事」は 真っ先に・・・

2011年01月29日 | Weblog

(1月29日に書いていた物です。アップされないまま残っていました。あしからず)

・・・といっても、住んでる所(山形市内)はたいしたことありません

 

大雪報道が全国から多数発信されていますが、ここ山形市にかぎり、例年よりは多めかな?という程度です

しかし、30分車を走らせれば驚く程の雪が積もっているのも事実です

 

先日のことでした。

ある知人から「知り合いが亡くなりました」というお知らせがありました。

その方は、数年前に人工股関節を手術されている方でした。

おそらく年齢だって私とさほど変わりないと思います。

せっかく人工股関節に換わって、痛みから解放されて、これまで人生の損していた分取り戻そうとしていたに違いありません。

きっと家族の方だって、元気になったその方との楽しい思い出をまだまだいっぱい作りたかったでしょう・・・

 

私はこう思いました。

「楽しみ事」(これからやって来る、『楽しい事』を私はこう呼んでいます)は、後へ廻さず真っ先にやっていこうと思います。

せっかくいただいた人生。生まれ変わったも同然の股関節。

それまで買い物すら出掛けるにも億劫(おっくう)になっていた自分がいました。

さすがにハードなスポーツこそ出来ませんが、体を動かすことの出来る事が、本当に有り難いこと。

 

定年までもう10年をきりました。

妻と旅行にも行ってみたい。見たことのない景色や、食べたことのない物だって食べてみたい。

それまではなにが何でも元気でいたい。

 

そんなことを、ふと思うこの頃でした。

   ---合掌---

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