先日「爆弾スイカ」の話を書きましたが、なぎすけさんから似たような「ネットメロン」のコメントがありました。
そしたら、むか~しのことですがやっぱり同じ事があったのを思い出しました。
それは、私が小学生の頃。昭和40年代でした。
両親が銀婚式で、九州へ旅行に行ったときです。
お土産を、それはそれは楽しみにしていた私は、帰りを待ちわびていました。
それは、当時私は観光地には必ずと言ってもいいほどあった三角形の旗集め。
『ペナント』をたくさん集めては、天井板に画鋲で円を描き、寝るときに見上げ、それは満足していたものでありました。
行ってもいない観光地ではありますが、少しずつ増えていくのを楽しんでいたようです。
(・・・変なヤツ でも女性には理解不可能な
男のロマン
なんですよ
これが
)
そして、1週間もして両親は無事に帰って参りました。
当時は『宅配便』などありませんので、両親は両手にいっぱいの土産を抱えています。
土産話なんか全く興味の無い私は、一番重そうな袋をあさっていると、一番下から2個の大きな固まりが出てきました。
大きさはサッカーボールくらいはあったんじゃないでしょうか?
それは、「チョー巨大な夏みかん」でした。
しかも、かなり重い
「これは、ザボンっていうんだ。おっきい~べ~」母が、誇らしげに話します。
「でも、まだ酸っぱくて食べられないんだ。1ヶ月くらいしたら、甘くなるんだ」と
いったんは湧いてきたヨダレを、ゴクリと飲み込んだ私は、その日が来るのを待ちわびておりました。
その日から、その「ザボン様」は我が家のテレビの真上と、仏壇に奉(まつ)られることとなったのです。
テレビを見るときには、イヤでも視野に入ってきます。
来客があれば誰もが驚き、我が家の「ザボン様」は会話の弾みになったようです。
さて、ようやく1ヶ月が過ぎた頃、
「切って、喰うべ
」
誰とはなく言い出しました。
しかし「まだ早いべ~~~」そういう父の言葉を無視して母は包丁とまな板を台所から持ってきて、「ザボン様」へ入刀
その瞬間、鼻腔に突き刺さる柑橘臭あふれ出る果汁
想像するだけで、私の興奮はMAXに達しています。
家族7人(祖父母、父母、姉二人、私)は微動だにしません。
しかし、母だけは様子が違う。
どうやら皮が硬いらしい。
ようやく8等分に切り終えた頃、想像との違いに気づきました。
柑橘臭なんて全くないし、果汁なんて一滴たりとも出てこないのです
それどころか、果肉に至っては皮を剥いたら、サッカーボールが
ソフトボールになってしまったのですヨ
果肉を口に入れたら、またガッカリ。
甘くもなく酸っぱくもなく無味無臭。
パッサパサで、逆に唾液を持って行かれそうな感じ。
「きっと、暖房の効いた部屋のテレビの上でこんなになっちまったんだ・・・」そう思った私は、「もう1個の仏壇の「ザボン様」ならきっと私の夢を叶えてくれる」と一縷の望みを託し、冷え切った仏間から持ってきました。
しかし、その夢は無惨にも引き裂かれました。
結果は同じ。
そのうえ毎朝ばあちゃんが、仏壇の前で般若心経を読みながら焚いた線香の「有り難い香り」がしっかりと染み込み・・・
ザボン食ってるのか、線香喰っているのかわかんない状況です
柑橘類って、東北じゃ当時珍しかったし、ましてやザボンなんて見たことも食べ方も解らないからこんな結果になってしまったのでしょうね
今なら何でもネットで検索ができるから・・・
ちなみに、ザボンはブンタンに似て、皮を砂糖漬けにしたりでいただくのだとか・・・
今じゃあまり見かけないような気がします。
昭和の「kazu家のザボン様」の思い出でした。