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Quelque chose?

医療と向き合いながら、毎日少しずつ何かを。

たまっていた録画番組を観る・その1

2019-02-11 | 本・映画・テレビ
連休で天気がいまいち、ということで、録画したけど観ていなかった番組を観ることにした。

まずは昨年12月16日放送のNHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」

30年ほど前、ブラジル・アマゾン領域で、たった二人でいるところを「発見」された、誰にもわからない言葉を話す全裸の男たち。

その一人、仮に「アウラ」と名付けられた男は、現在推定60歳前後。
現在、政府による保護区に建てられた小屋で、与えられた衣服を着、脚が悪いため杖に頼って歩き、「保健所」の看護師から食事を受け取って食べる毎日を送っている。

アウラと、もう一人の「アウレ」とは、発見後、各地の先住民族のための「保護区」を転々としたが、他の先住民族と共には長く住むことができなかったという。
その、アウラの弟だったのかもしれないアウレは、数年前に癌で死去。アウラは、彼の部族の「最後のひとり」となった。小屋で肺炎の治療を受けている姿に、彼の負った年齢を感じる。

これまでにもイゾラドについての紹介番組は観たけれど、今回衝撃的だったのは、ブラジル中探しても、彼の言葉を理解できるものがもういない・・ということだ。
自分の言葉を語っても誰にも理解してもらえない。それどころか、同じ部族、同じ生活様式、同じ歴史を共有するものが、もう誰もいない。
そんな状況を想像すると、その胸中ははかりしれない。


アウラの隣に、言語学者のノルバウ・オリベイラ氏が住み込んでいる。他の先住民族の言葉は完璧に理解しているというノルバウでも、アウラの話す言語について、約30年かけて収集できた単語は800語程度。

会話は、単語と単語をつなぎ、その間を埋める作業にしかならざるを得ない。

そんなアウラが、昔何があったのか、なぜ誰もいなくなったのかを問われたときに発した単語は、

「死」「非先住民」「カヌー」「髭」、それに「大きな音」「火花」であったという。

そして彼が30年前に住んでいた森は、今は採掘業者のテリトリー、牧場になっている。

彼の部族に何が起こって、彼らは男二人だけになったのか。それを示す記録はない。
言語化できない記憶だけがあり、それは今や消え去ろうとしている。

「誰にもわからない言葉、誰とも分かち合えない歴史」というナレーションが重く響いた。

NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」



映画「日の名残り」

2019-01-20 | 本・映画・テレビ

The Remains of The Day 「日の名残り」カズオ・イシグロ原作
ジェームス・アイヴォリー監督、1993年

だいぶ前に買ってあったDVDをようやく鑑賞。
というか、確か前にも一度この映画を観たことがあるのだけれど、カズオ・イシグロのノーベル賞受賞を機に、コレクターズ・エディションのDVDを買ったのだった。
主役の執事スティーブンス役はアンソニー・ホプキンス。 ミス・ケントンはミア・ファロー。

もちろん原作を先に読んでいると、映画ではだいぶカットされてるなあと思うところはあるけれど、それでも第二次大戦前後のイギリス上流階級と使用人や庶民の生活がありありと再現されるのに(使われている銀器一つ、洗面器一つなどにも)目を惹きつけられる。
クラシックカーが走るイギリス各地の風景や「ダーリントンハウス」の広大な屋敷など、現在だったら、間違いなくドローンを使って撮影されるだろうな。

主役二人の演技がさすがに素晴らしく、まなざしや手指の仕草だけで、言葉にできない感情を表現して互いに心で会話しているようである。
どこまでも仕事第一を貫くスティーブンスの気持ちにも、ミス・ケントンの切なさにも感情移入できるし、あるいは客人として現れるさまざまな立場の人物も、まるで同時代人であるかのような近さで見ることができる。
若手新聞記者として登場するヒュー・グラント始め、皆さん適役だったなあと改めて思うし、ルイス役を演じたクリストファー・リーブの当時の堂々とした体格を見ると、その後彼が脊髄損傷で半身不随となった運命を不思議に思わざるを得ない。

日は落ちる。それまで見ていた風景は色を失い、さざめいていた人垣もやがて散っていく。

しかし日の名残りに人は思いを馳せ、落ちていく日を見ながら明日を、再び日が昇る日を待ち望む。

また原作を読み返してみようかと思った。