普天間基地の宜野湾市長選挙を終えて
昨年は、沖縄県防衛局長の「不適切な発言」による田中局長の更迭、仕事納めの12月28日の未明、県民と那覇市民に辺野古アセスの提出を反対される中、沖縄県防衛局員がこそ泥のように沖縄県庁・守衛室への公文書・辺野古アセス「評価書」のダンボール箱を投げ込む異常搬入で年を終えた。 今年も、新任の田中防衛大臣の失態発言、また沖縄県防衛局長の「選挙講話」問題等で野田政権の迷走した沖縄政策が続いている。 新年早々、日米の「在日米軍の再編見直し計画」の重要な鍵となる普天間基地を抱える宜野湾市長選挙が始まっていた。保革対立の選挙戦では、防衛省・沖縄防衛局が「高江ヘリパット工事」を1月5日に告示したが、2月12日投票の市長選挙への影響を考えてか「ヘリパット工事」を一時中断して保守陣営を影で支援し、また、この選挙で最大の焦点である「普天間基地の移設」を「県内の辺野古から県外へ」と公約を転換するなど争点をぼかす選挙対策が効を奏してか、自民・公明党の保守陣営・佐喜真淳(さきま あつし)候補が22.600票あまりを獲得し、当選が予想されていた対立候補の伊波(いは)氏を僅差で破り、市長の座をものにした。今後、新市長は、県知事と共に「県外移設」の公約を守り、政府の頑なな「辺野古の県内移設」と対決する厳しい姿勢が求められている。そして、基地の県外移設が達成できなければ、基地が固定化される懸念が残されてしまう。 一方、伊波洋一(いは よういち)氏が900票差で敗れはしたが、普天間軍事基地の海兵隊の全面早期撤退と軍用地の返還の公約とその闘いは、辺野古や高江の現地座込み活動と県民、市民運動等が連携して、困難な中で必ず発展し、持続することでしょう。すでに、辺野古の7年 におよぶ粘り強い基地建設阻止の闘いが、日米が2006年に合意した普天間基地の移設と海兵隊のグアム移転を定めた「在日米軍の再編計画」を破綻させつつある。米国のイラク戦争とアフガン戦争の膨大な戦費による財政赤字と中国情勢に伴う世界戦略の変更から、在外米軍の再配置と縮小を迫られているなかで、沖縄海兵隊の一部がグアムに先行移転されつつある。
基地固定化の懸念、そして米国に基地不要論も 伊波 選挙事務所
米国の事情で「在日米軍の再編計画」の進展が急がれる中、移転先の決まらない普天間基地の固定化が懸念され、地元の不安が強まるなかで、普天間基地を利用する「第3海兵隊遠征隊」と言う部隊(通称・31ミュー・31MEU)が米政府のなかで、大きな焦点に上がりそうだ。 沖縄タイムス(2月5日付け)が「従来のグアム移転計画では、沖縄から移転する約8千人の中に31MEUは含まれていなかった。作戦行動時には米軍普天間飛行場所属ヘリの半数前後が組み込まれる31MEUの豪州移転が実現すれば、普天間飛行場そのものの必要性も大きく低下することになる。豪州へのMEU配備検討は、米政府の辺野古移設断念方針とあわせ普天間問題の今後にも大きな影響を与えそうだ。」と報じている。 これは、「31ミュー」がオストラリアに移転するならば、普天間基地が不要となり、市街地の危険な基地が無くなり安心できる市民生活が保障され、返還用地の再開発で経済発展につながるからである。 なお、「第3海兵隊遠征隊」のいくつかの部隊が、東日本大震災直後に「トモダチ作戦」と称して、被災地の救援活動にあたった。当時、部隊はインドネシアや韓国などに分散展開しつつあったが、命令を受け急遽東北地方に向かい、震災発生から約一週間後に秋田沖に到着して救援任務に入った。 (2012-2/17 鍋谷・鈴木)
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