浄土真宗親鸞会 熊本火の国のひろば

熊本で親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんとのふれあいを語ります

日経新聞のコラムから

2010-12-25 11:21:13 | ある親鸞学徒の視点

先月の日経新聞の一面のコラムにこんな記事がありました。
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▼ノンフィクション作家の黒岩比佐子さんから小欄あてに丁寧なお便り
をいただいたのは、4年前の今ごろだった。村井弦斎の小説「食道楽」
に触れたコラムについての感想である。手紙には細かなワープロの文字
がびっしり並んでいた。

▼この明治の奇人に黒岩さんはひとかたならぬ関心を寄せて評伝を書き、
大きな賞を得たばかりだった。さっそくお会いしてみると、不勉強な当
方など彼女の博覧強記に舌を巻くほかなかった。こんな仕事がしたい、
こういうテーマも取り上げたい、と語り口は静かだが情熱がひしひしと
伝わってきたのを覚えている。

▼そんな気鋭の書き手が先週、すい臓がんで亡くなった。52歳の、働き盛りの死だ。ここ数年の活躍はめざましく、近代史の埋もれた事象を掘
り下げた作品のファンは少なくない。新刊の「パンとペン」は社会主義
者、堺利彦の知られざる一面を浮かび上がらせて反響を呼んでいた。な
のに、なんという無慈悲な病か。

日本人の2人に1人は生涯のいつか、がんになる。この身近でしたたか
な敵とどう向き合うべきか、感慨を深めさせる黒岩さんの早世だ。その
とき「なぜ、私が」と嘆くより「私もか」と受け止める心構えを。40歳で虫垂がんを体験したエッセイストの岸本葉子さんはそう記している。
粛然とせざるを得ない。

(日経新聞、H22.11.26「春秋」)
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日本人の2人に1人はがんになるそうですが、日本人の全員はいつか必ず
死にます。

この身近でしたたかな敵とどう向き合うべきか。

死ぬ間際になって「私もか」と言っているようでは、あまりに遅すぎる
のではないでしょうか。

まじめに人生をみつめざるを得ません。


真実と方便

2010-12-23 11:34:05 | 親鸞会館(富山)での御法話

12月19日(日)は、富山県射水市の親鸞会館にて、2000畳座談会がありました。

親鸞聖人の「凡そ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり・・・・」で始まる一念多念証文のお言葉について聞かせていただきました。

 

方便とは手段ですが、真実と方便は一対のものだ、とお聞きしました。

一対とは、真実だけ分かって方便が分からないということはない。方便だけ分かって真実が分からないということもない。真実が分かれば方便も分かるという関係、だと理解しました。

最近読んだ夏目漱石の『行人』にもこんなくだりがあります。

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「自分のしていることが、自分の目的(エンド)になっていないほど
苦しいことはない」と兄さんは言います。

「目的(エンド)でなくっても方便(ミインズ)になれば好いじゃない
か」と私が言います。

「それは結構である。ある目的(エンド)があればこそ、方便(ミイン
ズ)が定められるのだから」と兄さんが答えます。

兄さんの苦しむのは、兄さんがなにをどうしても、それが目的にならな
いばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。

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目的と方便は一対、ということを表していておもしろいと思います。

 

そして、教行信証の「この虚仮・雑毒の善を以て無量光明土に生ぜんと欲す、これ必ず不可なり」と引用されました。

これを聞くと、私たちのやる善では助からない、と断言されているのだから、善はやる必要がないと勘違いしてしまいそうです。

しかし、「凡そ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善」(釈迦一代の教えは、すべて弥陀の方便の善である)という、これまた断言を知れば、「善の必要はない」というのはとんでもない間違いだということになります。

木をみて森をみず、といいます。

仏教を森から教えていただけるのは、地球広しといえども、ここ2000畳だけではないでしょうか。

 

今回も、金曜の夜ワゴンで出発しました。

熊本出発で、途中で北九州市で大分のみなさんと合流しました。

熊本のNさんは、「月に1回は2000畳で聞かせていただきたい」と今回参詣されました。

今回が初めての参詣という大分のAさんは、「真実の仏法を説き明かす方がおられるなら、是非聞いてみたい」ということでした。男前な方でした。

土曜の昼過ぎに着きました。

帰りは、月曜の朝7時くらいに自宅に帰りつきました。このくらいの時間に帰れるとばんばんざいです。

そして会社に出勤したら、「目が赤い、声が枯れている、のど痛いんじゃないか、病院行ってきたら」と上司に言われ、昼に病院に行ったら「風邪でしょうね」と同情されました。

冬になると富山に行くたびに風邪をひくような気がします。これもご方便なのでしょう。

 

そしておそろしいことに?、昨日の昼休みに熊本市の繁華街を歩いていたら、富山からの帰り一緒だった福岡のDさんと遭遇しました。

「あー、無事熊本に帰れたってことで。なんという偶然かっちゅう・・・

とつぶやかれながら、南南西のほうへ去ってゆかれました。


他力とは

2010-12-14 20:33:13 | テレビ座談会

12月12日(日)は、高森顕徹先生のテレビ座談会でした。

他力なのに、どうして真剣に聞かなければならないのか」という質問がありました。

それは、他力というものを、自然の力とか他人の力と勘違いしているところから出てくる質問である、

ということで、他力とはなんぞやについてお聞きしました。

親鸞聖人は、教行信証に

他力というは、如来の本願力なり

とおっしゃい、阿弥陀仏のお力だけを他力という、と教えられています。

真剣に聞かなかったら他力がわかるはずがない。

 

この2文字の意味を知っただけでも、今日は大変意味があったのだ、と最後にお聞きしたのが心に残ります。

人生において大事なことっていうのは、いろいろあるようで、実はそんなにあるものではない。

大事なことを正確に知る。世間でもそうですが、仏法においてはなおさら、そうなのかもしれません。

 

今回も、天草市のYさんは、熊本市の実家にて、お母さんと聴聞されたそうです。すばらしいです


真宗学の死角

2010-12-11 19:39:26 | 地元での勉強会

本日、12/11(土)は、熊本市内にて、親鸞聖人の教えを学ぶ勉強会がありました。

 

蓮如上人のご遺言、

「あわれあわれ、存命のうちに皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐の心しばらくもやむことなし」

から、

人生の目的を達成する(信心決定:しんじんけつじょう)するには、宿善まかせであることが分かるわけですが、

その宿善について、書き残されたものはほとんどないそうです。

真宗学の精緻を極めた徳川300年の間でも、書き残されていない。

いわば、真宗学の死角ともいうべきものが、宿善。

その宿善について学ばせていただきました。

 

人間がいるかぎり、問題になるのが宿善。

ロッキード事件と違うのよ。風化する問題でない。ということでした。


今年最後の2000畳御法話

2010-12-09 19:46:11 | 親鸞会館(富山)での御法話

12/5(日)は、今年最後の、富山県射水市の親鸞会館での御法話でした。

親鸞聖人の書き残された「正信偈」についてでした。

 

たよりにならないものを信じているから、人生は苦しみに染まってしまうのですが、その苦しみの様子を、「流転輪廻」ともいわれます。

同じところをぐるぐる回っている。

回るから、確かに変化はするが、結局もとのところに戻るのです

というご説明がありましたが、あーそういうことなんか、と思いました。

江戸幕末から明治初期というのは、日本の歴史のなかでは戦国時代と並ぶ人気の高い時代で、いろんなことが変わりましたが、それでじっさいのところ、ひとびとは幸せになったのかい?と聞かれれば、自殺者は増え、TPPで平成の開国を迫られ、苦しいことに変わりはないわけです。

 

そして、そのまま死んでいく先は、苦しみから苦しみの綱渡り。

その後生の一大事が解決できたことを、親鸞聖人は、正信偈の冒頭、

帰命無量寿如来 南無不可思議光」と

叫んでおられるのだとお聞きしました。

それが解決されれば、恩徳讃の心になる。

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」

これは形容詞ではないのだと。

生きているときだけじゃない、死んで極楽へ往っても、日帰りで帰ってくるぞ、そして人々を本当の幸せに導くことを楽しみにしているのだ、と親鸞聖人はご遺言されています。

 

今回は、いろいろな遺言が根拠に出されましたが、今回の御説法のままが高森顕徹先生のご遺言のように感じました。

 

さて、今回も金曜の夜、鹿児島からバスが出ました。

夕方に鹿児島を出発、夜9時半ごろ熊本、夜11時前に福岡を経由して富山に向かいます。

 

熊本県玉名市のTさんは、「何十年かぶりにバスに乗ったです」とのこと。

それにしちゃあ、前より腰が痛くなかばってん、どげんしたんじゃろか」と呟いておられました。

 

熊本市のSさんは、土曜の夜の新幹線と夜行バスを乗り継いで日曜の朝富山に。

日曜の帰りは、夜行バスになってしまいますが、それで熊本へ戻り、そのまま仕事へ直行だとか。

 

福岡のIさんは、土曜も仕事のため、日曜の朝の新幹線で昼ごろ富山に到着。「半座だけでも聞かせていただきたい」とのことでした。

 

月曜の朝は、車の窓に霜が下りていました。熊本も意外と寒いのであります。