「とうじょうひでき(東条英機)」と聞いて、「西城秀樹でしょ!」と突っ込む人が最近の人にはいるようで、隔世の感を覚えずにはいられない今日このごろです。
そんなことはどうでもいいのですが、
最近、仏説まことを知らされるような記事や歌詞を見つけましたので、紹介します。
●~10月24日日本経済新聞より(矢沢永吉の記事)~
(要約)
日本人ロックシンガー初の1977年日本武道館公演。
日本人ロックシンガー初の1978年後楽園球場公演。
1978年は、ピンク・レディーの「UFO」が日本レコード大賞に輝いた年でしたが、歌謡曲、ニューミュージック全盛期にロックで5万人を呼べる唯一の存在となりました。
この年、矢沢は29歳でスーパースターと呼ばれる人生となりました。
銀行には億の預金があった。
ところが。
▼「ふっと見たらハッピーというレールは隣にあった」
幸せのレールと成功のレールがつながっていなかったというのだ。
「取って取って、上に行けたら、ものすごくハッピーになれると思ってた。なのに、現実はちっとも幸せじゃない。こんなもんなの?必ずしも居心地はよくねえなと思った」
「なくなっちゃったんですよ。目標が。あの後は達成感よりも、不安のほうが大きかった。喪失感というか、怖さというか」
「成功=幸せ」を人生の公式と考えてみてはどうか。
「積み重ねで数学はできていく。途中でできなくなったら(計算)できなくなるじゃないですか」
「成功≠幸せ」という冷たい新公式を突きつけられ、彼の神経はグサグサになった。
▼以上のことが書いてありましたが、仏教で言われる「有無同然(有っても無くても苦しみは変わらない)」の実証ではないでしょうか。
●続きまして、Thriller(マイケル・ジャクソン)の歌詞より。
最後は、男性の低い声のラップになっています。
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▼And rot inside a corpse's shell
The foulest stench is in the air
The funk of forty thousand years
And grizzly ghouls from every tomb
Are closing in to seal your doom
And though you fight to stay alive
Your body starts to shiver
For no mere mortal can resist
The evil of the thriller
▼(日本語訳)
そして死体となってお前たちは朽ちていくだけ
周囲は吐き気がするような死臭に包まれる
4万年もの間、地下にたまっていた悪臭が今、立ち上がる
墓という墓から骨の浮き上がった死人を食う悪魔たちが姿を現して
運命に呪われたお前の息の根を止めにやって来るんだ
お前は必死に生き延びようとするが
身体中がガタガタと震えて恐怖におののくだけ
人間として生まれてきた以上
戦慄の悪魔からは決して逃れられないんだ
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「人間として生まれてきた以上、戦慄の悪魔からは決して逃れられないんだ
(For no mere mortal can resist the evil of the thriller)」。
直訳ですと、「人間は決して戦慄の悪魔に反抗できない」となりましょうか。
人間のことを英語で、mortalといいますが、これはそもそも「死にゆく存在」という意味です。
ラテン語で「memento mori(メメント・モリ)」とは「死を忘れるな」ということですが、この「mori」が「mortal」になったといわれています。
そういう存在として生まれてきた以上、戦慄の悪魔(=死)からは決して逃れられないんだということでしょう。
にもかかわらず、それを忘れて生きている私たちへの警鐘とも言えるかもしれませんね。
ちなみに、仏教でも昔から「常に死王と共に居す」とか、「無常(=死)を観ずるは菩提心(=本当の幸福)の一(=第一歩)なり」という言葉があります。
死を見つめることが、幸せになる第一歩だといわれていますね。
10月27日(火)は、夜、熊本県玉名市のTさん宅で、高森顕徹先生の電話座談会が開かれました。
罪悪の沙汰よりも信心の沙汰をせよ、と教えられた蓮如上人のお言葉に
「罪の有る無しの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし」
(御一代記聞書)
というのがありますが、これについて教えていただきました。
罪とは、罪悪観。仏教では自分の罪悪を見つめていくのが大事だと言われます。
しかし、それも大事だがもっと大事なことがある。
信心を取る=阿弥陀仏に救われる=機の深信(本当の自分の姿が知らされる)がたつところまで進みなさいよ。罪悪観が深まったのが機の深信ではないのですよ、ということだとお聞きしました。
とてもありがたいご縁でした。
これはTさん宅での写真です。
真ん中がTさん、その右が息子さんのTさん、左はご近所で最近仏教を聞くようになったFさんです。
Fさん「初めて機の深信という言葉を知りました。よかったです」とのことです。
熊本市からご縁のあったYさんは、
「いつもと違って映像や板書等がなく、耳で聞いているだけなので、集中しているとどうしても疲れてきてしまいます。親鸞聖人や蓮如上人の時代は声だけで聴聞していたでしょうから、よほど真剣だったのではないでしょうか。私ももっと真剣に聴聞しなければ」
と決意されていました。
「とうだいもとくらし(灯台下暗し)」と聞いて、「東大生はもともと暗い」という意味が本当の意味なんだと思っている人が世の中にはいるそうで、元東大生の私としましては、なんだか複雑な気持ちになる秋空の今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
10月25日(日)は、熊本県玉名市のTさん宅で、高森顕徹先生の電話座談会が開かれました。
全国5ヵ所からの「歎異抄」に関する質問を、先生がライブにお答えいただき、それが全世界117ヶ所で同時に電話回線を通して聞かせていただけるというご縁です。
真宗史上かつてなかった歴史的な一日だったのではないでしょうか。
玉名市は、熊本県の北西部にあり、熊本市からは車で1時間程度です。
ちなみに、夏目漱石に『草枕』という小説がありますが、それは、この玉名市の天水地区が舞台になっております。
漱石・草枕の里
歎異抄には、二種深信がにじんでいるのだとお聞きしました。
二種深信が分からないと、歎異抄も分からなくなるということですね。
二種深信については、このページが参考になりそうです。
機法二種深信とは
Tさん宅のお仏壇です。
机の上のスピーカーから音声が流れてきます。
Tさんは、「我が家にいて、聞かせていただける、こんな幸せなことはない」と喜んでおられました。
休憩時間の様子です。
玉名の老舗のお菓子「長者饅頭」をFさんからいただきました。
お釈迦さまは、長者に3つあると教えられていますね。
(1)家の長者
(2)身の長者
(3)心の長者・・・これが一番よいと言われた。
心の長者になりたいものです。
また、Hさんから大量のみかんをいただきました。
みかんの行列です。
さらには、お昼休みに、Tさんの庭の柿の木から、柿がもぎとられてきました。
とれたてです。
熊本市から参詣されたYさんも、「地元で聞かせていただける、こんな幸せなことはないって思っているんですよ」と喜んでおられました!
いつもは5階の中会議室ですが、今回は5階の和室でした。
1階に行事内容を表示したボードがあります。
今日もいろいろな催しが開かれていました。
エレベーター前の
案内を見て、5階へ。(「5階 和室」はワタシの字でございます。失礼)
5階へ上がりましたら、目の前にレイアウト図がございます。
こちらの案内看板が目印です。
この国際交流会館には、こういう観葉植物があちこちにおいてあります。
近くには、こんな盆栽的な素敵な植物も置いてありました。
風情がありますね。。。
ちなみに、国際交流会館は、日本三大名城のひとつ熊本城のそばにあります。
5階からの写真です。
天守閣などが見えないのが残念ですが、石垣が見えます。
中央右の緑の小さなものは、加藤清正の銅像です。(見えないか)
といいつつ和室の前にやってきました。
建物の中ですが、部屋の前に庇がついています。
趣がありますね。
さて、本題ですが、
今回は、「往生に2つある」ということでした。
1つは、「生かされて往く」という意味で、生きているときの往生。現在ただ今、阿弥陀如来に救われた人は、絶対の幸福に生かされていくということです。
もう1つは、「往って生まれる」という意味で、この世で絶対の幸福の身になった人は、命終わると同時に極楽に往き、阿弥陀如来と同じ仏の身に生まれることができるということです。
詳しくは、以下の記事をごらんください。
なるほど仏教用語「往生」ってどんなこと?
講師のF先生の
「往生に2つの意味があると教えている坊さんありますか?」
との問いかけに、
よく来られているFさんは、
「昨日葬式だったばってんが、坊さんはお経読んだだけだった。まあ早く終わってよかったケドネ。。。」
と、往生にそんな意味があるのかと驚いておられました。
仏教の意味、親鸞聖人の教えについて教えていただける貴重なご縁となっているようです。
休憩時間の様子です。
小学生もいますよ☆
参加したのは、建築コンサルタントのIさん、大学病院勤務のSさん、九州大学大学院生のFさん、そして私(金融機関勤務)と、私の妹(区役所勤務)。私の妹が紅一点でした。たぶん全員20代。私以外は福岡市民ですね。
テーマは、「価値組になろう!」ということで、Iさんから話題が提供されました。
ふつう、「かちぐみ」は「勝ち組」と書きます。
いわゆる勝ち組とは、お金持ちとか、セレブとか、結婚した人とか、正社員になれた人とか、要するに何かを手に入れた人。
負け組といったら、手に入らなかった人を指すのでは。
そして、みんな勝ち組目指してがんばっているわけです。就活とか婚活とかFXとか。
しかし、ここで問題提起。
勝ち組になりさえすれば、本当に幸せになれるのか?
こんな人がいます。
アメリカのカロザース。
ナイロンを発明した人として知られています。
彼の勤務先であるデュポン社は、「生涯、どこへ旅行をし、どんな食事しても、費用の一切は会社が持つ」と契約したそうです。
なんとまあ羨ましい。百万分の一でいいから、おこぼれをいただきたい。
そんなふうに思ってしまいます。
ところが、このカロザースは41歳の若さで自殺してしまうのです。
ナイロン発明から2年後だったといわれています。
カロザースは、勝ち組の権化のような人です。
もし、勝ち組になりさえすれば幸せになれる、としたら、ありえない結
末ではないでしょうか。
こういう、ものなどが有っても無くても、苦しみは同じだということを、
漢字四字で「有無同然」と言います。
もともとは仏教の言葉です。深いお話ですね!
そういう有無同然の世の中において、本当の幸せになるにはどうしたら
いいのか。
自分の本当の価値とはなにか。どうしたら価値ある人生、本当に楽しい
人生を切り開くことができるのか。
それを知るのが「価値組」であり、そういう人になりたいですね、そして
そのヒントも実は仏教にあるのです。というのがその日のお話でした。
Iさん、Sさんは、私も前から知っている友人ですが、私の妹とは初対面。ですが、いろいろ共通点もあったようで、地元ネタで話が弾んでいました(私はついていけず(涙)。
こういう交流の機会は、とってもありがたく、また楽しいものですね。
熊本から福岡まで行った甲斐がありました。
お店も、オープンしたてのようで、黒と茶を基調とした落ち着いたデザインで、間接照明が多用されており、おしゃれで雰囲気のいいお店でした。接客も上品でしたね。
次回も集まりましょうということになりました。
次は、もっと女性陣を増やして(笑)開催される予定です。
福岡にいる皆さんはぜひ。。。