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フライフィッシャーの独り言

本日は慶応四年一月三日(1868年)に起きた鳥羽伏見の戦いの日ぢゃ 別名戊辰戦争ともいう

江戸幕府第15代征夷大将軍・徳川慶喜が朝廷に政権を返上 幕府による支配体制が終わりを告げた 1867年年12月9日には

王政復古の大号令が発せられ武家政治が廃止 最後の将軍となった徳川慶喜は京都から大坂へと退き 一方で幕府の軍勢は大坂から京へと

進軍 京の伏見では幕府軍と新政府軍の勢力が拮抗し一触即発の緊張が高まっていた

明けて1868(慶応4)年1月3日 伏見上鳥羽の小枝橋で戦端が開かれた 薩長連合の新政府軍の5,000人に対し 幕府軍は

15,000人と圧倒的に優勢 現在の城南宮(京都市伏見区中島鳥羽離宮町)の西方 鴨川にかかる小枝橋のたもとで両軍がにらみ合い

新政府軍の砲声を契機として 一気に伏見の街を巻き込む戦闘となった

 
そこに登場したのが錦の御旗 旧幕府軍は朝廷(天皇)と戦うことに 旧幕府軍は驚きの光景を目にする この旗は朝廷(天皇)を意味し
 
これから戦う敵である薩摩藩・長州藩の軍が 正式な朝廷の軍と認められたことが分かったからぢゃ

そして旧幕府軍は歩兵2個大隊の増援を受けて攻撃を開始 ぢゃがこの朝廷側の新着部隊は 後装式ライフル銃を装備しており

火力の面では相当に優勢であった 新兵器に対し旧銃器では数が多くとも意味をなさなかった

頼みとしていた幕府歩兵隊が大損害を受けて後退し さらに薩長軍に錦旗が翻って 自らが賊軍の立場となったことを知った旧幕府軍は

激しく動揺 そこに淀藩・津藩の裏切りが発生し 一気に戦線が崩壊したのである

そして会津藩の会津戦争における白虎隊 その後の北海道での箱館戦争 つまり五稜郭へと続くのであった

 

 

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