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フライフィッシャーの独り言

本日1月2日は書き初めの日ぢゃ

書き初めとは 平安時代の宮中における 吉書の奏(きっしょのそう)ちゅ~う行事が原点といえる

吉書の奏は 改元・代替わり・年始など ものごとがあらたまった節目に 天皇に文書を奏上するというもんぢゃ

本来は行政手続きなんぢゃが 内容は儀礼的で政治がつつがなく進行しています・・・・・ ちゅ~う慶賀を述べるもの

この吉書の奏は鎌倉・室町幕府にも引き継がれ 吉書始め ちゅ~う新年の儀礼行事として定着 そのときの文書は吉書奉行がすべて

清書したそうぢゃ

江戸時代になると この吉書始めが庶民の間にも おめでたい新年に書道をする ちゅ~う行事となって広がった

この時代は 筆算吟味 ちゅ~て たとえば幕府で要職に就くための試験科目は 書とそろばんの2科目 字が上手なことは 大事な

教養だった

そして書道や茶道・三味線などのお稽古ごとは 1月2日から習い始めると上達する と言われちょります この日を初稽古の日とする

習い事は今でも多い 

更に新年に初めて汲む 若水 を神前に供えたあと 食事などさまざまに使うもの 忙しい元旦の行事を終えて あらためて2日に

書き初めに使うのは 今のような下水道が完備されちょらんかった 江戸時代には理にかなった使い方だった

写真の書道の硯は 亡くなった父親が愛用しちょりました古端渓の硯ぢゃ しかも珍しい八角形の円形浅溝で 今までネットで調べても

一度も拝見出来なかった硯 おそらく大きな文字用ではなく 手紙などをしたためる為の硯かと思える

一応調べてみたら 澄泥硯(ちょうでいけん)には唐・宋の時代に川底などからとれる泥土を 焼き固めて作ったものを澄泥硯と

言っている焼成硯説と 宋の時代に蘇州近郊の霊巌山付近で採石されるカク村石 で作られた硯である自然石説が存在している

これは自然石であるカク村石が 澄泥硯によく似た色をしていた事が混同されてしまった原因で近年では新澄泥硯とも呼ばれたりしている
 
ただし 焼成の澄泥硯の製法書とするものには あたかも魔術のような荒唐無稽な製造方法が記されており 現在でも解明されていない
 
部分がありますが 手間と時間をかけて良質な硯として職人たちの手で作られ続けています
 
亡き父親の所有したこの硯が いtの時代の物か判らんが 父親の父親 つまりオイラの祖父は呉で骨董商を生業にしちょった関係で
 
手に入れたんぢゃぁないかと思う
 
 

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