↓の文章を一行でまとめると。

要は総理を信じてます。
中韓にあそこまで攻撃されちゃあ
絶対策は練ってますでしょうから。動静問わず。

短期的か、長期的かも問わず。
何が一番日本にとってのベストなのか。

今の状況なんて、一朝一夕で変われたら
政治なんていらないよね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

YASUKUNI

靖国神社
http://www.yasukuni.or.jp/

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された。
 初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
 後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。

■靖国神社御祭神戦役・事変別柱数■
明治維新       7,751
西南戦争       6,971
日清戦争       13,619
台湾征討       1,130
北清事変       1,256
日露戦争      88,429
第一次世界大戦  4,850
済南事変        185
満洲事変       17,176
支那事変      191,250
大東亜戦争   2,133,915

合計 2,466,532

(平成16年10月17日現在)

大東亜戦争において殉死された方々は210万名以上。
その中に今注目を集めている
「東京裁判でA級戦争犯罪人として認定され
その後絞首刑を持って償われた人々」が含まれます。

彼らは東京裁判において絞首刑という判決を下され、
すでにその刑は執行され、それを持って罪は償いました。

後に残ったのは日本の国会で戦争犯罪者の名誉を
復活され、1940年代前半の日本を護った人々として
今も靖国神社にその魂が祭られているという事実です。

また、彼らは、確かに日本の国を、日本にいる家族、
友人、果ては自分たちの仲間、あるいは部下を護ろうとしました。

当時アジアの大部分を日本と同じく統治していた
アメリカ、イギリス、オランダ、フランスに対して
石油禁輸措置を取られ、絶対絶命の大ピンチだったわけです。

当時の日本の国力からして石油が止まれば1年持たないでしょう。
それだけ、せっぱつまった、あるいはいっぱいいっぱいだったと
表現できるぐらいの状況だったわけです。

そこまで追い詰められると、、、回り見えなくなっちゃうのが
当時の日本の政治の限界だったわけで。

話せばわかる余地は十分にあった。
質問や意見交換を繰り返す余裕はあったのではないか。

日本がなぜ満州をはじめ
東アジア地域を統治するのかという
大義名分を見つめなおす余裕はあったのではないか。

と同時にその大義名分を改めて世界にアピールする余裕も
あったんじゃぁないかと。

当時取った政治手法を評価し、反省する。
それはとても真っ当なこと。
戦争は起こしてはならない。
平和の名の下に日本という国は成立しているわけで。

当時よりも情報網は発達し、
当時よりも当事者以外の第三者が
その情報を取得し、それを評価することが
当時より容易に可能な現在において
その過去のあやまちは2度と犯してはならない。

日本の国益に叶う政治を司る事は当然として、
もっと軟らかい頭を持ち、
もっと機転が利け、
もっと広い視野を持つことが必要なのではないか。

日本という土地に生まれ、
日本人として生きた証を、
先祖たちの魂を脈々と受け継ぎ
自らの日本人としての魂を持つ者が。

しかし、戦争犯罪人はそれである以前に
日本の国を護った人々である。

彼らは今まで日本を護ってくれた人達同様、
日本を護るために立ち上がって行動した。
ゆえに、彼らは靖国神社に祭られて当然である。

一 切 の 差 別 無 く。

日本の総理が靖国神社を参拝することは、
過去に靖国神社に祭られている人々が行なってきたことを
考えれば真に自然であり真っ当なことである。

彼らが死を賭して戦わなければ
今の自分たちは無かった。

これは、戦争に対して肯定的に捉える人も、
否定的に捉える人も、認識しなければならない。

自分の不注意で海や川でおぼれそうになったときに
自らの命を賭してまで自分を助けてくれた人に
ありったけの、最大限の感謝を一生涯捧げ、
その人の情熱を胸に秘めて生きる事とまったく同じことで。

そいつがどんなに悪人だろうが
その事実は揺らがないわけで。

現実に戻ると「限度」はあるが(苦笑)。

世界的な視野を持つことは重要でもあるし、
幅広い知識や教養、多種多彩な趣味を持つこと、
それにおいて「中立」的な、
「バランス」を取れた人間になることは
すごく今の自分たちに求められていることだと思う。

ただ、長時間空を飛んでいられないし、
何より誰にとっても自分の家というものがあると思う。

それが、「日本」じゃないのかなぁ?




#ひさびさにクソ長い長文でどーもすいません(苦笑)
#でも、書きたかったテーマなんよ。
#たぶん、総理こう思ってるんじゃないかなぁなんていう
#半分以上の「思い込み」から書いてみました。

#読んでるあなたがこれを読んで
#なにかのきっかけにしていただければこれ幸いと思います。

#あ、知り合い一同、引かないでね(苦笑)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

↓の記事について

途中がすごく長くなったから最後のほうだけちょこっと再掲。

--

この数字が示すように、サッカーをはじめ、
スポーツは、人々を一体化させ、熱狂し、
歓喜をもたらすことがあれば、絶望ももたらすこともある。
日本という国も例外ではない。

むしろ、国民の期待を一身に背負って
「日本代表選手」としてピッチに立つ11人の選手たちと
彼らのピッチの後ろから、あるいは前から、
彼らに対し声を嗄らしながらも声援を上げ、
手を熱くさせながらも叩く12人目の選手たち。

今自分たちが立つその地を覆っている空のように
自分たちの生命の源である水のように青いスタンド。
競技場にゆらめく日の丸と旭日旗。
試合前に流れる君が代。

翌日の新聞の見出しに溢れる「カミカゼ」「大和魂」

アメリカとマジゲンカした時に失われた「日本らしさ」を取り戻すひと時。

あなたは、日本という国をどれぐらい知ってますか?

日本という国を愛してますか?

--

これだけでも長いなー(笑)
さて、これ、どう展開するのって?

ちと、これから掘り下げてみますね。ゆっくりと。

自分自身もかなり興味をもったテーマなんで。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )