高円寺Mission'sスタッフブログ

高円寺Mission'sのもろもろをスタッフが持ち回りで上げていきます!

安藤を道ずれに11

2013-01-13 18:41:03 | ロミ竹田

 ロミです。

フロア後方にガラスがあるのは、ミッションズ来店の皆さまは、ご存じの事と思います。外から覗けるあのガラスですね。あそこは、二重ガラスになっておりまして、よく見るとガラスとガラスの間に虫の死骸が大量に落ちてます。

あのガラスを開ける事は、僕等は、出来ないので死骸を撤去する事が出来ないのです。

そもそも、彼ら(虫)は、どこからやってきたのであろうか。あるいは、あの中で産まれたのか。ミッションズOPENからの未解決アンビリーバボーでございます。開けられないので、掃除をする事も不可ですので、これからもあれとは、うまくやっていくしかありません。

というより何故か一時期から増えてもいないのがまた不思議でございます。

そんなの知らなかったという方は、是非とも覗いてみて下さい。物販とかで一番奥は、人気が無くなりそうですね。ビビってちゃぁいけません!フードブースは、大体あそこですよ!

次回は、「ミッションズは心霊スポット!!!!」特集


安藤を道ずれに10

2012-12-14 14:31:32 | ロミ竹田

 ロミです。

ラーメン大高円寺店が出来て早4年。たまーに味が大丈夫かどうかチェックしてます。「大」とは、ラーメン二郎の亜流店です。何故か高円寺には、二郎は、無いのですが亜流店は、あります。

新高円寺には、「角ふじ」。前まで、環七沿いに「ラブメン」ていうのもありました。「知る人ぞ知る」まさにインディーズ感満載ですね。誇りに思います。

何故、大の事を書いているかといいますと、ライブハウスマンとして取り急ぎ絶対に出来ていなければいけない事とは、徒歩圏内の「安い駐車場」「お勧めのラーメン屋」、そして「こだわりの二郎」を即答で答えられなければいけません。

僕は、お茶の水店です。

高円寺に二郎は、ありませんが亜流店だとしても高円寺にある限り美味い店であってほしいと、心の底から願っています。なので、定期的に味チェックをしてます。

今のところノープロブレムです。

 

と言う事で、高円寺ラーメン激戦区!

僕の一存でオススメをいくつか上げて行きます。

 

次回へ

第一回は、「せい家」

 

 


安藤を道ずれに9

2012-12-03 19:35:25 | ロミ竹田

 2007年4月から早5年。高円寺駅からミッションズまでの道の風景も色々変わりました。不思議な事に未だに初めて来店されるお客様から「迷子になっちゃったんですけど、場所は、どのへんですか?」という問い合わせがたま~にあります。

僕の中では、「東京一場所が分かりやすいライブハウス」で通していたんですが(汗)本当にそうですよ。うちに来るのに迷子になる人が浅草KURAWOODに辿り着けるんでしょうか?KURAWOODさんすいません。悪気は、全くないです。

というわけで5年前と現在の駅からミッションズまでの道を過去を振り返りつつ説明していきます。今後、ミッションズに初めて来られる方は、これを参考に来店して下さい(誰が読んでるのかしりませんが 笑)

・まず、高円寺駅改札を出て左に進むと北口に出ます。左を向くとタイ焼きやがあります。ここは、5年前はカレーショップでした。

・そのまま進むとSHOWBOATにつきますが、ミッションズは、反対です。中野方面に進んで下さい。交番の向かえの横断歩道の先にローソンがあります。ここは、5年前は、パチンコ屋でした。決して渡らないで下さいね。ミッションズへは、そのまま高架沿いを歩いて進むのです。

・右手に東急があります。ここは、5年前と何も変わってません。

・更に進むと右手に桃太郎寿。高円寺に長年君臨する「良いネタ」「旨い」そして「リーズナブル」がうりの名店。お金の無いバンドマン達が、回らない寿司を食べられる至福のひと時を味わえる素的なお店。これからも頑張って下さい。店には、入らずに、そのまま高架沿いをお進み下さい。ちなみに、桃太郎寿司は、至近距離に数店舗ありますが、5年前その間には、カウンターのBarがりました。現在は、定食屋「クロンボ」です。

・次は、右手に定食屋「やよい軒」。ここは、5年前は、「めしやどん」という名前でした。名前は、変わりましたが内容は一緒なのでご安心下さい。

・右手の巨大な駐輪場を越えると次は、ファミリーマート、向かえには、駐車場。この駐車場は、かつてトヨタレンタカーでした。何度かお世話になったのを憶えてます。あの震災によりテナントが大きなダメージを受けたことにより取り壊しになりました。ここを通る限りあの日の事は、忘れません。この通り沿いで唯一取り壊しになった建物だったと思います。

 

・右のファミリーマートは、毎日、うちのスタッフが何か買いに入ってるんじゃないでしょうか。5年前かわありますが、中身が違います。5年前は、店長がバンダナつけた威勢のいいおじいちゃんでしたが、現在は、COOLで賢そうなお兄さんです。余談ですが、昔、働いていた村上さんがタイプだった事と5年間ずっといるバイトのナベ(ex-tablets)が結婚しました。おめでとう!

・ファミマを超えると酒屋の「カクヤス」。この店舗の売り上げにおいてミッションズは、相当献上しているはずです。とくにPUNKの日は、ここで酒を買って道で宴会が開かれます。仕入れを担当している者は、ミッションズのPUNKイベントの日は、把握しておいたほうがよいでしょう!以前と変わった事は、細身で綺麗だった女性スタッフの代わりに後藤君(ザ・魂ズ)が入りました。今後もよろしくお願い致します。

 

・ちなみにこの段階でもう、ミッションズは、すぐ目の前ですが、向かえには、ずっとここに立っている葬儀場があります。5年前と変わった事は、いつも車庫の前に立っていたマサキング(THEE RoMiOs)の姿が現在は、無い事です。

 

・さぁ!右向けー!右!

ミッションズに到着です。これで、安心。これから何年も何年も大勢の方々が来店するでしょう!「ミッションズってどこだろう?」って方や、「今度初めて行くんだけど場所がっ」て方は、このブログをコピペして見ながら来て頂ければ迷わず到着出来るはずです。

 

 

一応おさらいしますね、はい!

 

「改札を左に出て、右へあるって真っすぐ5分(個人差あり)」←最初から、これでよかったんじゃないか・・・・

 

 


安藤を道ずれに8

2012-11-14 15:25:49 | ロミ竹田

 辰野就任のブログから数回、さぼりました。申し訳ございません。今回は、深夜Bartime開始の話を。実は、グランドオープン時は、毎日Bartimeは、おこなっておりました。当時の深夜番は、本田君でしたね。僕や古川店長、スタッフ佐々木は、無駄に朝まで残っていて、ろくに来もしないお客様を待っている日々でした。たまに、ampcherwarのてっちゃんやマサキングが来る位でした。

しばらくして、Battimeは、なくなりました。イベントが終わったら、打ち上げが予定されてない日は、24時には、お客様も演者さんも完全撤収。スタッフ全員で清掃作業をして僕が施錠をする。それはそれは、毎日、床もカウンター内もピッカピカにして帰ってましたね。

Bartimeが復活したのは、辰野が店長になってからです。この頃には、出演バンドも増え、普段ブッキングに出演しているアーティストによる自主企画も盛んになった事のあり。やはり、近隣のバンドマンが深夜にふらりとよってそこで知り合えた者同士が繋がるパイプとして深夜営業は、必要という判断でした。

フードメニューもありましたね。

「シオキャベツ」と・・・・・・

なにがあったっけ・・・・・・

シオキャベツだけか

そうだ、シオキャベツだけでした。

まぁ、それは良いとして、深夜営業をするにあたって、深夜番が必要になります。最初は、辰野が朝まで毎日残って頑張ってましたね(どっちみち帰らないのは、今も変わりません)

そして、現在も深夜に君臨する2人の深夜番が現れたわけでございます。

僕は、ハッキリ言いますと二人の採用には、反対だったわけです。

勿論、仲良かったですし、アーティストとしても尊敬し合ってました。勿論、それまでも同じステージに立ち、夜は、飲みながら、音楽の事、楽器の事、シーンの事、語り合い触発しあってました。ミッションズに出演してくれた時は、その日のイベントに華を添えてくれる力強い存在です。僕のブッカー稼業をやるにあたって心強い存在。誇れる仲間。

がですよ!!!

 

ロミ「Tちゃん床のモップがけが甘い」

Tちゃん「ごめんちょっと遅れる~」ロミ「早く来て!」

ロミ「ちゃんと発注した?」

T君「あ、ロミ、○○日入れなくなっちゃったんだけど大丈夫?」ロミ「代わりをさがして」

*Tがどっちの事を示しているかは、普段の呼び方で判断して下さい。

どうですか?このどこのアルバイトでもお見かけする光景と会話。しかも、学生時代に飲食店でバイトしてた時に「わからずや」と思っていたタイプの上司に自分がなっている事に気づく・・・。ふたりとは、アーティストの仲でいたかった。とわ、言えど慣れましたね。いつも、朝まで御苦労様!てっちゃん、タイガ君。

さぁ!ハロウィンも終わり、クリスマスムードに突入ですよ!イヴは、高野の企画、クリスマスは、ロザンナ企画。イベント内容は、ばっちりです!

後は、シフトです!そう、クリスマスという日は、何も予定が無いくせに見栄張って休み希望にする輩がいますからね!

 

バイト「ロミさん、クリスマスってブッキング組むの大変そうですよね?」

ロミ「お前たちのブッキング(バイトシフト)の方が大変だ」

 

 

 

 

 

 

 


安藤を道ずれに6

2012-10-04 02:05:40 | ロミ竹田

 ロミです。

前回は、高野がスクリーンと男子便所の便座が駄目になった事を書いてましたね。これは、最近の話としまして、今回は、5年前と今の変わったものと、5年間今尚、残っている物を紹介いたします。

柵が出来た事は、以前の日記で紹介したのでそれ以外で。

えぇと、まずは、DJブース。これは、最初、薄い鉄のブースでした。皆で乗っかったりしてくうちにべっこりへこみましてDJミキサーやターンテーブルが並行に並ばないくらいあられもない姿に変わりました。よって、当時、常勤の山本PAによって「もっと上部で分厚い木のDJブース」が生まれたわけです。これ、木材を中野のシマチュウで仕入れて作った、お手製なんですよ。

バンドさんは、知ってると思いますが、事務所の上にある「忘れ物を置く棚」も山本PAのお手製です。これは、案外、OPENしてすぐにできましたね。忘れ物が多いで有名なMissionsです。例えば、「T-シャツ、パーカー、タオル等衣類」。ここまでは、まぁまぁ・・・。あとは、物販のCD,ステッカー、缶バッジ」うん・・・・しっかり。さて、ここから!「エフェクター、チューナー、ケーブル、たまにギター(ギブソンSGがあったことも)」おいおい・・・頼むよバンドマン。極めつけ、「財布、家の鍵、携帯電話」・・・・あのぉ・・・大丈夫か?

はなしがそれました。失礼

 

入口、トイレのドアノブは、全交換してあります。いずれも、片方へし折られてが原因です。トイレに関しましては、内側のノブを折られて、折った本人がしばらくトイレから出られないとういう珍事件も発生いたしました。(2009年12月23日)

皆さまは、知らないと思いますが、モップを洗うバケツも交換しました(2009年11月)理由は、中にう○こが入ってたからです。

皆さまがうちあげの時、座っている、椅子は、開店当初の物は、一切残っておりません。まぁ、もろいですから仕方ない

後方、ごみ箱を囲うチラシ置きは、辰野仁お手製です(2008年)あれが出来て、ごみ箱に座る人がいなくなりましたね(笑)

 

では、ここからは、5年間元気に活躍しているキャラクター達を紹介していきましょう!

・「表、ガラス扉のおくの「OPEN」のネオン」・・・ぼちぼちかなぁ

・「看板を入れるスタンド」 結構きてますねぇ!

・「鉄の灰皿」 こいつは、しばらく大丈夫そうだ。

・「楽屋の冷蔵庫」 しばらく中身を見てない・・・恐いなぁ・・・・

 

というわけで、皆様、物は大事にしましょう!そして、5年間まだ生き続けているキャラクター達の頭をなでなでしてあげて下さい。「偉いね、これからもよろしくね」って

ちなみに、僕は、破壊行為は、決して全否定はいたしません。新しいものを生み出すのにキャパオーバーであるならば何かを破壊するのも大切な行為でございます。しまったロックな発言をしてしまった。

 

 

あ!最後に一つキャラクターを紹介し忘れました。これ、かなりシュールです。

 

2007年から大丈夫どころか生き残らされている彼を忘れてました。

 

どん

 

「前売り店予約ノート」

お客様がお店にアーティストの予約を入れたら「アーティスト名とお客様の名前を記すノートです。まだ、半分も残ってます。ノート自体は、ヤニで黄ばんでますが・・・

1ページ目に一行目は、2007年4月29日の「吉田達也さん」の予約ですね。

 

まぁ、今は、お店に予約を入れる習慣は、なくなってきましたからね。とりあえず、ノート君、これからもよろしくね!なでなで。

 

次回、遂に「辰野仁」襲来編

 

 


安藤を道ずれに5

2012-09-14 19:58:39 | ロミ竹田

 ロミです。

2008年になるとMissionsにラウドミュージックの風が吹いてきました。「轟音共鳴」主催のKOUMEIさんがMissionsのブッキングスタッフに加わりました(後、店長です)

今だからこそ、キッズが熱狂しているホルモンやFACTのような重いサウンドのバンドがメインストリームで活躍していますが、僕が20位の頃は、まだまだ地下室の世界でしか見れないバンドでしたね。メタリカですらクラスで数人いるかいないか、聞いてるのは、メタラーの大人ばっかりだったと思います。90年代後半に夏フェスによる洋楽リスナー急増がラウドミュージック主流化のきっかけでしょう。

その時、一ケタ代の年齢だった少年がギターをダウンチューニングで弾く今、時代は変わりました。

「轟音共鳴」は、かつてからラウドなサウンドをかき鳴らしていたベテランやKORN、スリップノットなどを聴いて思春期を過ごした若手で一つのシーンを盛り上げていました。SASUKEさん(ex多火油機団)もこのイベントでKOUZUIというバンドでMissions初出演でした。西東京代表のmillitarysniperpinfallも413トラックスさんでお馴染の6ft.downもこのイベントのレギュラーでした。

そして

2008年11月に以前から問題視されていた個所を改善する対処をMissionsおこないました。

フロアの壁に吸音材、ステージに柵が付きました。皆さんの良く知ってるフロアになった訳です。

MissionsのラウドミュージックシーンにおいてKOUMEIさんの存在は、かなり大きく、翌年には、フリーでイベンターになるべく退職を余儀なくされますが、培ってきたこのシーンも今のMissionsにおいて大切にしていきたいと思ってます。

ありがとうございます。KOUMEIさん。

 

あと一つ、ここ最近、KOUMEIさんの意思を引き継いだ行動をMissions制作組みは、とってます。

KOUMEIさんといったら、何といっても!何といっても!世界一!世界で一番!キング オブ!世界一!

 

「精算の長いライブハウスマン」です!(*5バンド中トリのバンドは、自分達の精算の番まで2時間以上待ってました 笑)最近、うちの精算、全般的に長くなってきました。

 

でわ、次回

 

 


安藤を道ずれに4

2012-09-03 00:35:04 | ロミ竹田

 ロミです。

現在、ミッションザ-という言葉があります。演者では、なくお客さんや関係者です。代表的なのは、「シロイシさん」や「テオピンママ」や「大野ひろみちゃん」等ですね。

ライブハウスもアーティストも彼らの存在あってこそです!そして、上記の彼ら彼女らが常連としてお見かけする機会が増えたのはは、もっと先です。

10年以上あちらこちらのライブハウスでバンド活動していると、よく見るお客さん達いましたね。無論出来たて1年以内のMissionsに彼らの姿はありません。

代表的な方々を

・「ごろうさん」ロックンロールのイベントで良く見かけます。女性バンドが好きで応援する時、自ら女装します。

・「みえこさん」パンクロックが大好きで、ライブハウス通いの軌跡を綴った本を出版

・「みやももさん」ADMで頻繁に見かけます。応援しに行くバンドがものすごい数で、手帳はバンド名とライブハウス名で埋まってます

そのほか

DJマッキーラモーンさんやZさん

上げたらキリないですね。

いずれにせよ、彼らひとりひとりが初めてMissionsに来店した時の嬉しさといったら感無量でした。それで必ず「えっ!?ロミここで何やってんの!?」という反応が(笑)

本当に嬉しかったです。やっと皆来てくれた。やっとライブハウスらしくなった

 

そして忘れてはならないのは、

・「松下弘子さん」バンドのライブ写真を撮影し、写真集も過去2冊出版。今年77歳です。

松下さんがこのクソ重い扉を開いて「えーと私撮影で頼まれて来たんだけど入っていい?」

バイト「竹田さーん、どこのバンドさんのスタッフさんか解らないんですけどどうします?」

僕「ナニ?わかった俺が対応する・・・・・・あっ!弘子さん!」 

バイト「お知り合いですか?」

僕「馬鹿!オマエ! すいません! 弘子さん、どうぞ入って下さい」

かつて20000やGEARでモッシュの中最前列で撮影している姿は、勿論のこと、写真集およびテレビでも拝見していて、簡単な挨拶くらいは、前からしたことあったものの、まだ「おばちゃん」なんて言い方出来るほどではなかったですね。

ついにこの方が来店してくれた。

ファーストコンタクトはといいますと「照明が暗い!」と激を飛ばされまして、てんやわんやでしたね(笑)その後、いつも煎餅や打ち上げ用の漬物を持って来てくれます。それにしても70を超えた年齢でそのタフな体力と精神力は、まだ半分の年齢にも満たないバンド達にとって力の源であります。

話は、ここで終わりというかとばします。

今、松下弘子さんの次の写真集を出版するべく、高円寺のバンドマン及び様々な人々で力を合わせております。

8月からPIG'STAILのホリさんDJダイスケさん中心にMissionsで支援活動的イベントを行ってます。多くの方に協力していただきたいと思います。

「ROAD TO 松下弘子」

9月21日、10月29日、11月26日、12月17日←年内だけでこれだけ決まってます。

是非、来店下さい。来店者が多い事が出版への近道です。Missionsまだ来た事ないバンドマンでも、一度でも弘子さんと関わった方、まだ見ぬ皆様の来店もお待ちしております。

仲間との絆がさらに深まり、新しい出会いのきっかけを導いてくれた

おばちゃん いつもありがとう!

 

 

 


安藤を道ずれに

2012-08-25 14:08:22 | ロミ竹田

 ロミです。

 高円寺のPUNKシーンは、この店が出来る何年も前から僕は、知っていました。それは、それは僕にとってスリル満点の空間だったわけです。地下の扉の向こうは、タトゥーだらけの身体にモヒカン、鋲ジャン。僕みたいなのが入ってもいいのかな?場所は、GEAR,20000V。

他のライブハウスでは、味わえない自由空間でしたね。煙草は、床にポイ。酒は、500円かかるんでコンビニで淡麗の500ミリを2缶内ポケットに、出入りなんて何もチェックしてないし、近くのセブンの前に座り込みのタムロをして気が付いたら道端で目が覚めて朝。

↑僕、今は、やってないですからね(笑)

今じゃお世話になっている、キャノンボールやBURNING SOULは、当時は、怖くて話しかけられなかったですね(笑)

イベント終演後は、床の大量の缶(潰してキックで角に集めてました)やら吸殻を平気な顔して掃除してるスタッフを見て「ライブハウスの仕事ってかっこいいな!」と若き僕は、思ってしまったわけです。

(2009年の11月の出来事は、また今度書きます。)

Missionsにこの風が吹いてきたのは、2007年年末頃です。かつてからの友人のTATSU(当時AFTER THE WAR)がツアーファイナルでMissionsを選んでくれた。南口のPUNKS達も、「こんなところにライブハウス出来てたんだ」というリアクションでしたね。

勿論、終演後の床は、酒に缶に吸殻にグッチャグチャ(笑)これは、掃除大変だわ~。冬だって言うのに店の前で寝てるのも何人もいました(笑)酔っ払いに悪態突かれたりと対応に困ってるスタッフもおりましたね。

大変でしたけどね。何故かその時は、嬉しかったんですよ。僕が南口で楽しんでたあの空間が自分の働きだした店で。

その後、Missionsに新しい風が

LOUD MUSICです。僕と古川店長で台帳を埋めるのも大体合わせて20日間位でしたので、もう一人のブッカーがやってきました。「轟音共鳴」主催のKOUMEIさんです。

でわ、次回

 

 

 


安藤を道ずれに③

2012-08-13 17:59:52 | ロミ竹田

 レストランバーから本格的なライブハウス営業となりまして、2007年夏頃からロック系のイベントがふえてきました。

Missionsがオープンする前からの縁のバンドやDJもお客で来る事も多々あり。バンド仲間であり互いのライブに応援してきた仲です。バンドマンとしてしか関わった事のない仲間とまるで違う付き合いが新鮮であり照れくさかったのをよく憶えてますね。

今じゃ馴染の面々の発来店シリーズ!

・辰野仁が初めてここを訪れたのは、2007年7月16日海の日です。当時は、まだDISOナントかっていうイベンターでして、「ガラスのアンプラグド」っていうイベントでした。

・PUNKS、TATSU(Jacked up、当時AFTER THE WAR)の発来店は、7月20日です。モヒカンで、かなり僕に対して横柄だったのを憶えてます(笑)その時から、いまでもイベント作りで協力してくれている親友です。

皆の発来店を記して楽しいのは、身内だけなんでこれくらいにしますか。

・イケダツカサの初出演は、2008年1月8日です。

・マサキング(最近まで向かいの葬儀場勤務、現THEE RoMiOs)は、出てないけどよく飲みに来てました。

以上!

はい!で、ブッキングは、当時は、1日3バンドか4バンド。当時、柵が無かったため、モニターごとステージから転落が続出。高架下特有の高圧電流によるノイズも全く知らず皆頭抱えてましたね。吸音材のないフロアは、天然のリバーブがすごく、まるで風呂場状態。「音悪い!」のレッテルをバシバシ受けました。

本格的ライブハウスとしてやっていくのに、イベント組む前に改善点が多々ありでした。

まだ、この街のバンドからライブハウスとして認めてもらえてない。どうしよう。寂しいブッキング台帳とパソコンとみらめっこの夏。

 

ちゃんとライブハウスとしてまわってきたのは、10月位ですかね。

アルバイトスタッフから「竹田さん、最近、壁にパスとかステッカー貼る人いるんですけどどうしますか?」

 

嬉しかったです。迷わず言いました。

 

「いや、もっとだよ!全然足りないよ」

 

 

 

 

 

 


安藤を道ずれに②

2012-08-03 14:42:46 | ロミ竹田

高円寺Missionsブッキングマネージャーロミです。

 

前回で、高円寺Missionsは、「ライブも見れるレストランバー」として開店した。というところまで説明しました。僕は、このコンセプトに大賛成でした。

まず、ここの系列店であるオーナーから「高円寺に新店舗立ち上げる」に対して僕は、「何をやるんですか?」という疑問もありまして。高円寺に長いこと居住している僕にとって、この街には、パンク、ハードコアシーンが確立された「20000V」「GEAR」が存在し東高円寺には、ガレージ、サイケシーンが確立された「UFOCLUB」が存在し、老舗「JIROKICHI」もある。

都内生粋のアンダーグラウンドシーンの確立された街でした。

下北系ギターポップの空気や、メインストリームな雰囲気をこの街に持ち込むのも、難しいどころか、僕自身望んでないというのが本音でした。

その末、「ライブの見れるレストランバー」というコンセプトは、賛成だったわけです。

最初は、弾き語りや音量の小さなラウンジ系のバンドが一日2組。お客さんの入場料は、チケット代1000円2ドリンクチャージ¥1000というシステム。

約半月ほどこの営業を経て、実感したこと、結局、お客さんは、演者が呼んでくれなければ来てもらえない。Bar、PA、受付もろもろの人件費も含めてこれでは、赤字営業が続くという、不安要素が見えてきました。どんな、事業も一年くらいは、様子を見ない限り、結果がどうなるか、見えてこないはずですが、僕等は、瞬時に判断出来ました。

レストランバーにしては、ステージが高すぎる。ライブハウスにしては、音響システムが乏しすぎる。さぁ、これからどっちに傾けて行くか

 

結果、本格的にライブハウスとして営業してく結論にたどりついたのは、開店して一か月ちょっとでした。

僕の縁のバンド達に出演をしてもらっていくところから本格的にライブハウスとして営業していく流れへもって行きましたが、問題は、数々。吸音材のないフロアに音量の出せないスピーカー。とても大音量のロックバンドを対応出来る状態では、ありませんでした。

 

無論、音環境だけでなく、他、もろもろ。Missionsは、アルバイト含め僕もライブハウスの経営初心者で作られたはこなので、この後、様々な問題を対処していかなければならなかったわけです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 


安藤を道ずれに

2012-07-23 15:13:42 | ロミ竹田

 多くの方々に支えられ、5年目を迎えたミッションズ。ブッキングマネージャー・ロミです。タイトルの意味ですが、5年前の2007年4月1日のグランドオープン時のミッションズを知っているスタッフは、僕とPA安藤だけです。なので、僕は、この場を借りて今に至る軌跡を綴っていこうかと思います。決して過去を美化する記述は、するつもりは、ありません。過去の反省点ばかり記述するつもりもありません。前に進めないので。写真もないので載せません。基本、僕は、写真は、見せたい人に見せたら、もう用がないものとして破棄しちゃいます。でも、記憶は大切です。今は、過去があってのものです。

今回は、初回なのでざっくり当時のミッションズの様子を書くだけにします。今のミッションズしか知らない人は、結構、へぇ~と思うかもしれません。

グランドオープン前のプレオープン時に初ライブを行ったバンドは、高円寺で長いキャリアを持つHEAVY ROCK BAND「VROOM」です。PUNKシーンを築いてきたPUNKSHOPオーナー HORI-CHOさんやCLUB-D主催のダイスケさんもその日に訪れてました。(10年以上見てきた高円寺PUNKシーンの話は、また今度)

グランドオープン日のこけら落としアーティストは、今尚、健在の弾き語りシンガー・林口ひろゆき(現在 林口裕幸)

当時、店長は、古川君(辰野仁が店長になったのは、それから2年後です)。PAチーフは、安藤(敏腕で定番の川島君、渡壁姉さんがきたのも全然先の話です)

フロアは、当たり前ですが明るい紫のオシャレな内装でした。ステージの柵、転換時の上げ下げする幕は、ありませんでした。スピーカーも現在は、一番上からBarタイム用のやつ、ハイスピーカー、ロースピーカー二個の4段積みですが当時は、ハイとロー一個ずつでした簡単に上に登れるくらいの高さでしたね。壁に貼ってある吸音材も当時は、一枚も貼ってありませんでした。僕や北田やタクマが座っている照明卓もなく階段の一番上で照明やってました。

Barに並んでるリキュールは、今よりも遥かに多く、メニューには、訓練されたバーテンダーがシェーカーを振って作るようなカクテル(700円)もあり、今、皆さんで使ってるプラスチックのタンブラーは、結構後に入れたもので最初は、ビールは、ジョッキでカクテルは、ショートカクテルグラスで出してました。フードは、カレーやタコスや色々充実してました。床は明るいコンクリートでした。

店前ですが最近、道幅が広くなりましたね。皆さんキレイに使ってくださいよ。当然、座高円寺は、まだありません。途中のやよい軒は、まだ「めしやどん」て名前でファミマの店長さんもバンダナ付けた粋なおじちゃんでした(笑)

嘘と思うかもですが、高円寺Missionsは、「ライブも見れるレストラン&バー」としてオープンしたんですよ。

とまぁ、ざっくり当時を書きました。現在に至るまで今後も少しずつ書いていきます。