8月25日。
帰宅困難区域に指定され、立ち入りが禁止されている浪江町の視察。
11日に震災が起き、15日には町民全員が避難。それからこの場所には帰ってくることができなくなりました。
仲間が線量の測定器をもっていったので見せてもらいましたが、多いところではバスの中でも10を超えました。
川崎市は屋外でも0.1ですから、線量の高さがわかります。
家の庭や田んぼは荒れ放題です。田んぼだったなんてわからないし、これ、帰宅しても元に戻せないんじゃないの?って思った。
下の写真の緑が生い茂ってるとこ、田んぼですからね。

写真の黒い袋は汚染土。すんげーいっぱいあるけど地表5センチ分だって。てか5センチで意味あんのか?



ちなみにこの袋は一つ15000円です。
浪江の住民には賠償金が払われたそうですが、住民はそのお金を「ふるさととの手切れ金」と呼びます。金額を聞くととても他の地で生計をたて、生活を続けることはできない。
てか、検問所のあちら側とこちら側に家があって、検問所を境に賠償金も違う。でもって今後は検問所を境に住めると住めないになるんだって!おいおい数メートルの差ですけど。まして除染の科学的根拠も証明されていないのに。
しかも帰宅困難地域とかの指定判断と指定解除判断の基準を緩和するんだって。
東京オリンピックもあってイメージ悪いからってのも小さくない判断項目らしい。
人と地域のことは考えてるのかねぇ。。




浪江町役場で休憩を取り、海岸沿いへ。
ここも瓦礫は端によけられているものの、あの日のまま。
船が打ち上げられている写真、ダンプと手向けられている花が写っている写真、何しろ海岸線のあたりですが、緑の部分は別に野原とかではなく、一面が住宅地だったそうです。



そして福島第一原発。初めて生で見たわ。

なんか表現しにくいけど、涙出そうになりました。
昨日の仮設住宅は浪江町の方々が避難しています。
浪江町の大部分は放射線量が高すぎて除染計画すらないそうです。
昨日、笑顔を見せてくれたあの少女や、明るく迎えてくれたあのおじさんやおばちゃん達はふるさとに帰ることができない。そう思うとこみ上げてくるものがあったなぁ。
震災関連自殺は3年で56人。
今年もすでに10人。
今回は浪江町に当時住んでいて、今も議員をされている方が一緒にまわって解説してくれたので非常によかったです。
目に見える現実と目に見えない現実がわかりました。
できる限りのことをする。
語り伝える。
被災者と被災地の現実を知った自分がするべきことはそれだな。
とりあえず、今は自分の表現力のなさと言葉の知らなさにうんざりです。。
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