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1972年のウッチェロ - 辻佐保子『ファブリ世界名画集』

2021年05月27日 | 西洋美術・各国美術
パオロ・ウッチェロ
錬金術師の秘法のごとく「甘美なる遠近法」を追い求めた画家
 
   1966年夏の終わりのこと、ついしばらく前に別れてきたばかりのフィレンツェが洪水に見舞われたというニュースを耳にしたとき、まず最初に浮かんだのは、サンタ・マリア・ノヴェラの回廊(キオストロ・ヴェルデ)にウッチェロが描いた〈大洪水〉の光景であった。
 
ウッチェロ
《大洪水》部分
1446〜48年、215×510cm
フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェラ、キオストロ・ヴェルデ
✳︎訴求性の追求と遠近法の魔術による空間の拡大・収斂を、最も斬新な形で実現したウッチェロの野心作であり、この絵が残らなければ彼の美術史上の評価はまったく別のものとなったかもしれない。
 
   〈大洪水〉の壁画が濁流に洗われているという主題と現実の奇妙な一致には、何か不吉な予感がついに現実になったような印象を受けたのを覚えている。
   2年後に訪れたときは、洪水の水位を示す線が壁面にくっきりと残り、〈創世記〉の壁画群は厚手のビニールにおおわれたまま付属修道院の大食堂の床に並べられていた。
 
 
 
   彼のさして数の多くない作品は、1度その魅力に呪縛されると容易に逃れようのない魔力を備えている。
   この魔力はこれに感応する資質のある特定の人しか効力を発揮しないらしく、ヴァザーリに始まりベレンソンに至るまでの大部分の美術史家や批評家は、常識的な写実主義絵画の規範から逸脱した異端の画家としてウッチェロを扱い、その特性を十分に評価するに至らなかった。
 
 
 
   ウッチェロの態度は外科医の息子にふさわしく、いかにも職人気質に手先の器用さを愛し、節度を越えて自らの発案になる仕掛けを誇示しているようにみられたかもしれない。それだけに彼の実験はとどまるところを知らず、遠近法や短縮法をあたかも錬金術師の秘法のごとくに追い求め、その可能性の限界まで見届けたいと熱望したのであろう。
   このように考えると、さまざまな曲折を経てのち、彼が次第にゴシック末期の夢幻的な世界に魅了されてゆきその誘惑に抗し難くなった気持も納得できるのである。
 
 
 
   オックスフォードのアシュモーリアン美術館はいかにもこの板絵をコレクションの1つにもつのにふさわしい場所であり、大作を避けささやかな心のこもった作品のみを集めている。
 
《狩》部分
1460年頃、65×165cm
オックスフォード、アシュモーリアン美術館
✳︎この作品は、ウッチェロの個性と、こうした工芸性を巧みに統合した好例である。
 
   ウッチェロの作品を何年ごしかに折あるごとにゆっくりと探訪し続けたあげく、最後に大切に残しておいた(狩〉についにめぐりあったとき、これで私の生きがいだった旅の1つが終わったとしみじみ感じたことであった。
 
 
   西洋中世美術の専門家であった辻氏のウッチェロ  愛を感じる。
 
辻佐保子
『ウッチェロ  ファブリ世界名画集64』
平凡社版、1972年
✳︎地元の図書館にて。


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