東京でカラヴァッジョ 日記

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望月晴朗の東京駅、木村荘八の新宿駅 ー2021年4月のMOMATコレクション展(東京国立近代美術館)

2021年05月18日 | 東京国立近代美術館常設展
   2021年4月のMOMATコレクション展の5室『「猟奇」と「尖端」の時代』より。
 
 
望月晴朗(1898〜1941)
《同志山忠の思い出》
1931年、91.2×117cm
東京国立近代美術館
昭和56年度   山本喜三郎   寄贈 
 
   時は1928(昭和3)年、某国から来日した政治家が出迎えを受けているところに青年が現れ、ビラをまき、演説を始めました。青年は山本忠平(1902-31)。陀田勘助の名で詩人として活躍し、その後労働運動に加わりました。舞台は東京駅。(中略)山本は事件の翌年に検挙され、1931(昭和6)年に獄死しました。
   この作品の作者、望月晴朗は本名望月晴一郎、函館に生まれ、プロレタリアの画家として活動しましたが、1941(昭和16)年に亡くなっています。
 
   画家・望月晴朗をネット検索するが、ほとんどヒットしない。
 
   それでも分かったこと。
 
1)国立美術館が所蔵する画家の作品は本作1点であるらしいこと。
2)画家の曾孫にあたる方が、本作に関してブログ記事を書いていらっしゃること。素敵な写真も掲載なさっている。
3)本作の寄贈者・山本喜三郎氏は、山本忠平の実弟であるらしいこと。
4)本作は、小学館の『日本美術全集  18   戦争と美術』(2015年刊)に大判カラー図版で収録されていること。
→獄死した山本への追悼の意を込めた作品で、1931年12月の第4回プロレタリア美術大展覧会に出品。
   画面左のあご髭の西洋人が、1928年11月に日本の労働状態視察のため来日した国際労働機関事務局長アルバート・トーマ。
   画面右に、大きな身振りで演説するのが山本。画面中央に、赤いビラをまき今にも検挙されそうになっているのが、山本の同士紺野。
   1927年頃から始まった日本のプロレタリア美術運動は、1933年頃の激しい弾圧を受け、翌1934年までに終焉を迎える。
   プロレタリア美術展覧会の出品作は、国家による弾圧や地方および海外での展覧会への出品による行方不明などの理由から大半が現存しないという。本作は画家の遺族によって大事に保管されたことで今に残る貴重な作例となっているという。
 
 
 
木村荘八(1893〜1958)
《新宿駅》
1935年、96.0×129.0cm
東京国立近代美術館寄託
 
   東京・日本橋にあった牛肉店「いろは」の第八支店に生まれた木村荘八は、消えゆく江戸情緒や、近代化により発展する東京を題材に、多くの絵画や文章を残しました。その作品もそのひとつです。老若男女、和装洋装が入り混じり、活気に満ちた新宿駅の様子が描かれています。駅舎の壁面には「のりば案内」のほかに、色とりどりのポスターや看板のようなものが掲げられています。うつむき加減で往来する人々のなか、画面左下に佇むひとりの男性がいます。その視線の先には、雪上を滑るスキーヤーの姿。休日のレジャーに思いを馳せているのかもしれません。
 
   木村荘八は、名が知られた画家・随筆家・版画家であり、その作品を見る機会もしばしば。
 
   本作は、昭和初期のターミナル駅として発達していく新宿駅の雑踏の光景を描く。
 
   本作も、小学館の『日本美術全集  18   戦争と美術』(2015年刊)に大判カラー図版で収録されている。
 


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