韓のくに紀行は街道を行くの№2で1971年。耽羅紀行は街道を行く№28で1986年。
司馬遼太郎 「韓のくに紀行」 朝日文庫
1978年10月20日第一刷 2000年6月10日第30刷
耽羅紀行で書いたが、1971年と1986年では韓国への思いが違う。書かれている韓国人の姿もとても素朴。ミセス・イムという通訳兼案内人に狂言回しのような役をさせている。
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p59 日本と朝鮮における古代史というのは、後世のわれわれにとって空想のつばさをかりなければとうていその世界に行けず、しかしながら文字作品か宗教的教義でもないかぎり、われわれ人間というのは空想に酔うことができない。こういう説が学問の世界で席をあたえられないのは、おもしろすぎるから。
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p59は、これは江上波夫の騎馬民族国家説に対しての言葉。この本で「面白すぎる」と書かれた江上説は1971年から30数年たった今、「こういうのもありました」程度の参考資料になってしまている。
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百済塔 石造五重塔 百済時代の構造物 扶余
唐将軍蘇定戦勝記念碑になってしまっている。
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百済の遺物などほとんど跡形もない韓国でこの塔だけが何故完全な形で残っているかというと、それは塔の裏側に唐将軍蘇定がここで戦いに勝ったという文章を刻みこんであったから。日本時代のものは目に見えるもの全て壊したがる韓国人だが、中国は別。屈折した朝鮮人の性格をよく表しているが、オルブライトホールだとかクリントン公園なんかを作る日本人も笑えない。お仕着せ憲法を護ろうとするのも同じ。
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