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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

みんなVANが先生だった

ヴァンヂャケットの創業者、石津謙介氏が5月24日に亡くなった。享年93歳。ご冥福をお祈りいたします。私の世代が最後の「VAN」愛好者じゃなかろうか。ほんの数年、ちょっと色気づいた高校の2~3年間だけの付き合いだったけど。

服飾デザイナー石津謙介さん死去 若者風俗の「開拓者」 (朝日新聞) - goo ニュース

石津謙介氏は岡山市の紙問屋に生まれ、現在の岡山県立朝日高校(旧制第一中学)を卒業後に東京の明治大学に入学。明治大学には失礼だが、当時の岡山一中から明治大学へ進学したということは、完全な落ちこぼれだ。ただ石津氏は古い商家のボンボンなのだ。とてもとてもがり勉君だったとは思えない。学校で教わった勉強で身を立てようなどとは思っていなかったことだろう。氏は喜々としながら東京へ行ったに違いない。

昭和26年大阪で起業、数年後東京に会社を移し成功する。しかし会社を興し成功し金が集まってくれば人も集まってくる。当然のように経営は多角化し外部からの例えば商社などから人も入ってくる。いつの間にか経営に商売の専門家が口を挟み始め(←当然といえば当然、普通といえば普通だが・・・)合理化される。銀座・青山だけじゃ金儲けにならなくなって全国展開。でも出来上り流通した商品は田舎の高校生が買えるくらい安いけど質の悪いものばかりになってしまった。安い生地、人件費がかからない無難なデザイン、それでも昔の香りはあったのだけど。他にも似たようなメーカーは続いてくるし、商売は傾く一方。

・・・あとから知ったことだけどね。



昭和53年、この年には僕にとって大きな事件が二つ起こった。一つは木ノ内みどりがベースマンの後藤次利を追ってアメリカに逃避行したこと。もう一つがヴァンジャケットの倒産だ。この二つの事件だけで僕の記憶の中で「昭和53年」を際立たせている。木ノ内みどりがいなくなった(存在しなくなったという意味じゃない)ことで進学する大学は東京方面じゃなくて良いかも・・・とマジで思ったし、ヴァンジャケットが倒産したら明日から何を着ようか探さなきゃ・・・とマジで考えた。

昭和54年の初夏のある日、僕は大学の広告研究会で知り合ったばかりの彼女を連れて東京九段の日本武道館にいた。彼女の顔立ちは木ノ内みどりには似ても似つかなかったけど、スレンダーな体つきとすらっと伸びた手足は木ノ内みどりに似ていたかもしれない。武道館でその日あったイベントは倒産した「VAN」の製品の最終セールだった。

アリーナいっぱいに広げられた商品の中を、二人で泳ぐように見て回った。目につく商品を一つ一つを彼女に説明してみる。彼女は興味もなさそうに話を聞きながらついてくるだけ。何か目新しいものが見つかと思っていたわけではない。今さら・・・という思いの方が強かった。でも何か買って帰らなきゃ、きっと買わなきゃと思っていた。

歩きつかれるほど歩いても並べてある品物はただ「VAN」のロゴが付いた衣料品でしかない。結局、もう着ることもないだろう思いながらコットンジャケット一つ、彼女が選んでくれたボタンダウンのシャツ一つを手に武道館を出た。



あれから26年たった。物を捨てることのできない僕の母親は、きっと実家のどこかにあの頃の「VAN」の製品を残しているにちがいない。体形も変わり絶対に着れはしないのだが、探してみようか・・・いや、探さないのが良いか。どうなることでもない。
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