おまけにどうもこの記事、
【噴水台】 生命倫理 - 中央日報 web日本語版
【噴水台】 生命倫理 大昔にリンゴの木1本があった。 時は秋で、実が太く色鮮やかなリンゴがふさふさとなっていた。 たまたま、そのリンゴの木の下を通りかかった子犬が、太い糞ひとかたまりを残した。 馴染まない所に落とされた糞は、お隣になったばかりのリンゴに礼儀正しくあいさつした。 「こんにちは、リンゴ様」。 リンゴ様は偉ぶった。 「糞のやつのくせに、この私によくも」と思ったのだろう。 リンゴ様は、返事どころかくるりと背を向けようとしたが、地に落ちてしまった。 排便の後でちょうどお腹が空いていた子犬が、素早くリンゴを食べた。 糞が一言言った。「後ほど会いましょね、リンゴ様!」 糞とリンゴの物語は、自然の循環に関する事理一つを悟らせる。 人もやはり糞からそれほど遠く離れている存在ではない。 相手にできない野郎を「糞が怖くて避けるのか、汚いから避けるんだ」と貶すのを見れば、その親密さが伝わってくる。 そのため、時々、人間を「大便のかたまり」と呼ぶのかもしれない。 科学者は、この大便のかたまりを、学問的にやさしく説明するとき、たんぱく質のかたまり、と話す。 男と女のたんぱく質が一つに固まり生命体になるのが誕生であり、そのたんぱく質が散らばるのが死である。 ここまでが科学だ。 人間がそのくらいならば「人生は虚しいものだ」、と嘆く人に必要なものが宗教だ。 例えば、たんぱく質が散らばるとき、何故そこまで胸が痛むのか、と問われたら、神学者は答えなければならない。 われわれが、なぜ糞とは異なって悲しいのかを。 韓国天主教と仏教が、ソウル大・黄禹錫(ファン・ウソック)教授のES細胞研究に反対している。 宗教界は、研究に使われるクローンはい芽が明らかな人間の生命体だから、それを実験に使ったり組み換えたり、破壊するのは人間の尊厳性を踏みつぶす行為だと主張する。 科学者は、たんぱく質のかたまりを分析し、難病を克服しようとしている。 神学者は、そのたんぱく質のかたまりの「存在の理由」を問う。 人類は、糞とリンゴの間を輪ねする。 ここで、ふっと浮び上がる疑問がある。 アウシュビッツで数百万人のユダヤ人が死んでいくとき、天主教は生命倫理の論争を提起したのか。 神学者に劣らずES細胞研究に反対しているブッシュ米大統領は、同氏が起こした戦争で死んでいく成人男女が何人くらいかについて考えてみたのだろうか。 生命体になる可能性だけある幹細胞の尊厳も重要だが、すでに命が与えられた人間の尊厳性は、さらに大切で急がれるものだ。 鄭在淑(チョン・ジェスック)文化部次長 2005.06.14 21:05:41 |
中央日報のweb版では読者が自由に意見を書き込めるんですが、そこではこの中央日報文化部次長はアホと認定されてしまいました。まあ仕方ないよ、こりゃ。