厄除けの大根炊き(12月7・8日)は、京都に住んでいる人にはなじみ深いようで、なかなかこの日には来れないとS様も喜んでいました。
【大報恩寺】
鎌倉時代初期の安貞元年(1227年)義空によって創建された。 義空は藤原秀衡の孫で叡山で修行の後ここを建立した。 本堂は摂津の材木商の寄進をうけ完成した。本堂の建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている(後述)。 倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学を朝廷より許された。 この本堂は応仁文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっている。
=wiki pedia参照=
無病息災の大根炊き供養は釈尊が悟りを開いた日に記念した催事です。
境内両サイドには京のおみやげ屋さんが並んでいた。
また報道関係者のテントも張られ、Kさま曰く、毎年TVニュースで季節便りとして放映されているそうです。
大鍋で大根を煮ています。無病息災の大根なので一椀1000円にもかかわらず並んでいました。
私達も一椀かって厄除けに。中風除けにも良いそうですよ。
甘く煮たお揚げが一枚、大根が三個入っていました。境内で売っていた大根は聖護院大根だったような。
寒かったので熱々のお味のしみた大根は美味しかったです。
七福神の布袋さま おかめ塚
おかめの物語
本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。それを見た妻のおかめが枡組を用いたらどうかとひと言アドバイスし結果無事に竣工させることができた。おかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。 度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。=wiki pedia参照=
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S様&Kさまの心遣いで詳しく知らないない京都を垣間見ました。狭いようで歴史がぎっしりつまっている京都。わずかの時間を有意義に過ごせた事を感謝しています。たくさんのお土産と空港までお見送りありがとうございました。