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『自分らしく生きる道』
只今模索中!!σ(*´∀`*)☆

源頼朝・義経②

2012-06-15 16:51:37 | *歴史散歩*
義経公の悲劇ばかり、とりあげられますが


奥州平泉(現在の岩手県)に落ち延びた藤原家に


『義経を差し出せ

再三、警告…手紙を送りつけた頼朝

再三…(~_~;)

本当に罰するためなら、書状など送らずとも

攻めればいいもの


『逃げろよ早く逃げないと、こちらから(頼朝自身が)攻めなくちゃ、ならなくなる


逃げる時間を与えていたのでは


一説では義経公は北(蝦夷地→北海道、中国)に、
逃げたと伝わっています

宮城県栗原市には、義経の妻と娘

義経の身代わりになった
『福島城主・杉ノ目太郎』の墓があります


自害した義経の首を
かなりの時間をかけて鎌倉・頼朝公のもとへ…

変だと思いませんか?

頼朝公が義経公の首を…

『死』を望むのであれば
側近たちは一刻も早く届けるはず

やっと届いた首も確認しない頼朝公

実際は、腐敗がひどく

『誰のもの(頭)かわからない

状況だったそうです

岩手県に逃げる義経公

『畠山重忠』という頼朝公の側近が

放った弓矢が奉納されている神社があります

弓矢の名人だった彼が何度も外す

『当たるな当たるな…。お逃げくださりませ…。(T_T)


弓を外しながら、義経公が逃げるのを

サポートしていたのではないかと…

もし、義経公が平泉で果てていたら…。


重忠の足跡が岩手県の各地にあるのは不自然

逃がす…誰の命令かもちろん頼朝公


頼朝公=弟に非道なイメージですが…


武家の世を夢見た平家がなぜ滅んだか…

血筋で馴れ合ってはならぬ

源氏のプリンス義経公…。
頼朝公の弟君、義経公ではない振る舞いをされればこんな悲劇にはならなかったと…。


義経公の『雄の児』を産んだ静御前から子を奪い
由比ヶ浜に沈めたと言われていますが…

実際はかくまったとの諸説あり

記録と伝承・伝書は
必ずしも合致するとは限らない…


源義経公…。

貴方の魂が癒されますように…。

時を越えてお祈り申し上げます…。

源頼朝・義経①

2012-06-15 16:11:27 | *歴史散歩*
調べれば、去年の日記にも…(~_~;)

来年は、供養に6月15日参ります


↓↓去年の日記↓↓


6月15日

私、全く眠れず…

息子は、ご飯も食べずに爆睡

調べればなんと~(/ロ゜)/


またまた、歴史散歩へ

1189年6月15日
源氏のプリンス

『源義経公』の自害された日にあたります


なぜ、自害に至ったのか

諸説ありますが、簡単に私なりの解釈で…


『勝てば官軍、負ければ賊軍』

今までも、悲しい戊辰戦争の歴史を

お伝えしましたが、頼朝、義経に関しては

『勝てば』なとど思えず…

私はσ(*´∀`*)、14才で頼朝公に一目惚れ

その後、義経公の魅力にはまり
私なりの解釈は…



義経公は、思春期の最中、
自身の父の仇である、平清盛庇護
されていることを知る


奥州藤原氏→源氏再建のため頼朝公の元へ…

源義経公供養・奥州平泉にて

2012-06-15 08:11:21 | *歴史散歩*
最近は特に…

身の変化が著しくキツイσ(≧ω≦*)

今朝も3時から突如
足が痛くなって目が覚めました

眠れなくなったのでGoogleで『6月15日』を検索
何と新暦で『源義経公の忌日』

そうだアップしていなかった日記を改めて…。

閏4月30日(旧暦)源義経公の忌日

ひとりで平泉へ…。

体がだるいし、重い

ひたすら動きましたσ(≧ω≦*)

『義経堂(ぎけいどう)』







階段…。足が重い






衣川沿いを歩きながら…。


義経公の無念さを感じた1日でした。