まずはこの画像をご覧ください。

我々日本人が最も見慣れている世界地図です。
「世界」を思い浮かべろと言われたら、頭の中にこれが出てくる人がほとんどではないでしょうか?
次にこちら。

違いは一目瞭然ですよね?
1枚目は日本が中心の地図で、
2枚目は本初子午線中心の地図。
おそらく(世界中の国で使われている世界地図を見ているわけではないので断言は避ける)、ワールドスタンダードは2枚目。
2枚目だと、日本が極東と呼ばれるのも視覚的に非常に分かりやすい。
世界を思い浮かべるってだけで、国ごとに大きな差があるということは考えるものがありますね。
続いてこちら。

オーストラリア中心の地図。
日本のスタンダードをそのままそっくりひっくり返したような感じですが、字はひっくり返っていないですし一応実在はするのでしょうか。
オーストラリア人がこの世界地図を普段用いるなんてことはさすがにないかと思いますが、、、。
イギリス中心の地図よりも格段に違和感を感じますよね。
こちらはどうでしょうか。

現在世界を主導しているアメリカ合衆国中心の地図。今世界の中心にあるアメリカ合衆国中心の地図がワールドスタンダードでもいいのでは、、、よくないですよね。
気付きましたか?
違和感以前の問題に、両端が大陸で切れていて非常にみにくい。大して需要もない太平洋大西洋が綺麗に入り込んでいる。
アメリカ人もこの地図は使っていないことでしょう。
日本で日本中心の世界地図を一般的に使用出来るのは偶然なんですね。
さて、先ほど日本が極東なのも頷けるという話をしましたが、これは西洋中心主義が根付いている証拠です。
本初子午線(経度0°=世界の真ん中)がイギリスに決まってしまってるから日本や中国、韓国は端っこ、アメリカも端っこ。
仮に日本に本初子午線が設定されたら、
アメリカ大陸が極東と言われたわけです。ヨーロッパだって端っこ。
丸い地球に真ん中なんてないのに、、、。
別に西洋中心主義を否定するわけでもナショナリズムの主張でもありません。純粋に、世界の見え方が人によって違うというのは感慨深いなあということです。
ちょっと話は変わりまして。
そもそも、世界全体を実際に自分の目で確かめた人なんてほぼいません。そんなの宇宙飛行士くらいですよね。今は衛星写真で、肉眼で直接ではないにしても本物を見ることは可能ですが、ちょっと昔に遡ればそれも不可能。
普段生活している中で日本の反対側にあるブラジルのことなんか実感しようがない。(ネット化、グローバル化が進んだ現在では多少はなくもないが。)
でも、世界地図によって世界を俯瞰している。
なんだかおかしな話のように思えます。
昔に地図が存在しないわけではありません。
しかし、それは地図作成者の実際の生活域(直に認識できる空間)+思想上の領域(神話や伝承。例えば生活域の周りに天国や地獄が掲載されている)もしくは未知の領域で構成されたものだったり、交流のある地域で完全に完結したものだったりと、現在の正確な地図とは性質を完全に異にします。
しかし、それが昔の人にとっての「世界」であります。現代に生きる私たちからすれば間違った地図であっても、彼らにとっては「真実」であります。
昔の地図にも様々なものがありますがひとつだけ例をあげましょう。紀元前4世紀頃の地図です。

この地図を見ると
・大陸はヨーロッパアジアアフリカのみで構成されている
・未知の領域は全て外海とみなされている
・ローマなど身近な地域近辺は比較的詳細に表現されている
等が読み取れます。
これが、当時の人々にとっての「世界」です。
なんだか面白くないですか??
地図について少しでも興味を持った方は、若林幹夫著「地図の想像力」(講談社選書メチエ)を読んでみてください。(本屋にはなさげ。図書館にはあるはず)
地図による世界の可視化の意味、古代における地図の意義、現在の地図の意義、地図と世界の捉え方の変遷などが書かれています。(ちなみに大学入試で使われることもしばしば)
※この記事は同本を読んで書くに至ったものであり、書く上で一部参考にさせていただいています。
せっかく締まったところですが
最後に、、、

これをみて何を思いますか?
ではでは。

我々日本人が最も見慣れている世界地図です。
「世界」を思い浮かべろと言われたら、頭の中にこれが出てくる人がほとんどではないでしょうか?
次にこちら。

違いは一目瞭然ですよね?
1枚目は日本が中心の地図で、
2枚目は本初子午線中心の地図。
おそらく(世界中の国で使われている世界地図を見ているわけではないので断言は避ける)、ワールドスタンダードは2枚目。
2枚目だと、日本が極東と呼ばれるのも視覚的に非常に分かりやすい。
世界を思い浮かべるってだけで、国ごとに大きな差があるということは考えるものがありますね。
続いてこちら。

オーストラリア中心の地図。
日本のスタンダードをそのままそっくりひっくり返したような感じですが、字はひっくり返っていないですし一応実在はするのでしょうか。
オーストラリア人がこの世界地図を普段用いるなんてことはさすがにないかと思いますが、、、。
イギリス中心の地図よりも格段に違和感を感じますよね。
こちらはどうでしょうか。

現在世界を主導しているアメリカ合衆国中心の地図。今世界の中心にあるアメリカ合衆国中心の地図がワールドスタンダードでもいいのでは、、、よくないですよね。
気付きましたか?
違和感以前の問題に、両端が大陸で切れていて非常にみにくい。大して需要もない太平洋大西洋が綺麗に入り込んでいる。
アメリカ人もこの地図は使っていないことでしょう。
日本で日本中心の世界地図を一般的に使用出来るのは偶然なんですね。
さて、先ほど日本が極東なのも頷けるという話をしましたが、これは西洋中心主義が根付いている証拠です。
本初子午線(経度0°=世界の真ん中)がイギリスに決まってしまってるから日本や中国、韓国は端っこ、アメリカも端っこ。
仮に日本に本初子午線が設定されたら、
アメリカ大陸が極東と言われたわけです。ヨーロッパだって端っこ。
丸い地球に真ん中なんてないのに、、、。
別に西洋中心主義を否定するわけでもナショナリズムの主張でもありません。純粋に、世界の見え方が人によって違うというのは感慨深いなあということです。
ちょっと話は変わりまして。
そもそも、世界全体を実際に自分の目で確かめた人なんてほぼいません。そんなの宇宙飛行士くらいですよね。今は衛星写真で、肉眼で直接ではないにしても本物を見ることは可能ですが、ちょっと昔に遡ればそれも不可能。
普段生活している中で日本の反対側にあるブラジルのことなんか実感しようがない。(ネット化、グローバル化が進んだ現在では多少はなくもないが。)
でも、世界地図によって世界を俯瞰している。
なんだかおかしな話のように思えます。
昔に地図が存在しないわけではありません。
しかし、それは地図作成者の実際の生活域(直に認識できる空間)+思想上の領域(神話や伝承。例えば生活域の周りに天国や地獄が掲載されている)もしくは未知の領域で構成されたものだったり、交流のある地域で完全に完結したものだったりと、現在の正確な地図とは性質を完全に異にします。
しかし、それが昔の人にとっての「世界」であります。現代に生きる私たちからすれば間違った地図であっても、彼らにとっては「真実」であります。
昔の地図にも様々なものがありますがひとつだけ例をあげましょう。紀元前4世紀頃の地図です。

この地図を見ると
・大陸はヨーロッパアジアアフリカのみで構成されている
・未知の領域は全て外海とみなされている
・ローマなど身近な地域近辺は比較的詳細に表現されている
等が読み取れます。
これが、当時の人々にとっての「世界」です。
なんだか面白くないですか??
地図について少しでも興味を持った方は、若林幹夫著「地図の想像力」(講談社選書メチエ)を読んでみてください。(本屋にはなさげ。図書館にはあるはず)
地図による世界の可視化の意味、古代における地図の意義、現在の地図の意義、地図と世界の捉え方の変遷などが書かれています。(ちなみに大学入試で使われることもしばしば)
※この記事は同本を読んで書くに至ったものであり、書く上で一部参考にさせていただいています。
せっかく締まったところですが
最後に、、、

これをみて何を思いますか?
ではでは。
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