空中楼閣―Talking Dream―

好きなものを徒然なるままに。

年の瀬に、思うこと。

2023-12-26 00:01:00 | タカラヅカ(雑談系)
何を書くべきか、何も発信しないほうがいいか、この数ヶ月ずっと迷っていたのですが。
それでも、一ファンとして懺悔は必要だと思って。

まずは、亡くなった生徒さんに哀悼の意を表します。
失われてはいけない生命だった。

関西に住んでいると、当事者の方が「知り合いの知り合い」とかだったりするので、もう本当に胸が痛い。

そして、ファンとしての責任を、考える。

安易に個人を責めることはしたくない。
これは、構造的な問題だと思うから。
そして、自分自身もそこに加担していたと思うから。

私はヅカファンになる前に他の舞台を通ってきたのもあって、「どうして宝塚はチケットがこんなに安いんだろう」とは、ずっと思っていたんですよ。
(梅芸の3階席が外部だと13,000円するのに、宝塚だと同じ席でも3,000円で見られる、とかね。)
そしてそれが、人件費を極限まで削った結果だろうと認識していたし、過密日程も、それこそ自分の趣味でエクセル作って可視化していたし、ずっとずっと、「若者の夢と努力を搾取して楽しんでいる」という自覚はあった。
その罪悪感込みで楽しんでいた、のだからタチが悪かったと思う。

問題は、認識していたくせにそれを改善すべき問題だと思わずに、半ば「ネタ」として消費してきたことだと思ってる。

音楽学校での理不尽な先輩後輩関係を楽しそうに語る思い出話を笑って読んでいたし、
「午前2時までダメ出しメールが来て眠れない」とコント(タカスペ)でネタにされてたのに笑い転げていたし、
私設ファンクラブの異様な(って言っちゃうよ)細かいルールを安全圏からネタにして楽しんでたし、
「抜擢されて酷くいじめられた」というスターさんのエピソードも、「まあそんなこともあるだろう」と聞き流していたし、
アクセサリーは手作りで徹夜で作ったとか、新人公演のお稽古で日付が変わってたとか、そんなエピソードも普通に受け流していた。

過重労働についても、過酷な上下関係と競争社会であることも、そうすると弱い所にその歪みが集まるだろうことも、全部分かっていたのに、それが深刻な問題に繋がるとは思ってもいなかったのだ。

報道されている内容の真偽を判断する立場にはない。
でも、長年ファンをやっていて漏れ聞いている話とは矛盾しないし、「そういうこともあり得るだろう」と思わざるを得ない。


上記の「若者の夢と努力を搾取している」という自覚がありながら、どうして平気でいられたのかといえば。
「必ず卒業する世界で、本人の意志で辞めることができる」というエクスキューズがあったからだ。
団員は「生徒」。
だから、舞台が不出来であっても観客として許容するし、代わりに報酬が不当なまでに低くても過重労働でも、それは「研鑽」なので許されると、どこかで思っていたのだろう。
「生徒」であるならば尚更、大人に守られなければならなかったのに。
研鑽にゴールは無いからこそ、誰かが責任を持って管理しなければならなかったし、過ちを犯す若者なればこそ、「自治」に甘えずにしっかりした監督が必要だったのだ。
それが無かったのは、「伝統」という美名の下での、ただのコスト削減だったのだと思うよ。
誰も責任を取らずに現場に丸投げしていただけ。

表に出てこなかった、ネタとして消費することもできない、深刻な暗部もきっとあるのだろう。
繰り返すけど、薄々「あるだろうな」と思いつつ、目を背けてきたのは私も同じだ。

人命が失われた以上、何を言っても手遅れなのだけれど。
それでも、「これからどうすべきか」を考えたいし、劇団にちゃんと考えてもらいたい。

私はキキちゃんにトップ就任おめでとうを言いに行きたかったし、和希そらの最後の舞台を見届けたかった(どちらもチケット持ってたけど中止になった)。
でも、一番辛いのは私じゃないし。
亡くなった彼女と、遺族の言葉の前に、私は堂々と語れる言葉を持たない。
私はただの傍観者で、今だって外野の安全圏でぐだぐだ言っているだけだ。
この懺悔も自己満足にすぎない。

それでも、ネットの片隅でこれを書いたのは。
少しでも連帯の意を示したいから。

私は、今のままでいいと思っていません。
責任の所在をはっきりさせましょう。
必要な償いをしましょう。
(生命は償い切れないけれど)
苦しんでいる方々の心が、少しでも安らかでありますように。


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