久世光彦さんの「笑い」についての思い
2003年「沢田・志村のさあ、殺せ!」パンフレットより
ここで勘違いして欲しくないのは、
私が年齢(とし)になっても憧れているのは、
よく洗練され練り上げられたコメディであって、
テレビで毎晩やってる〈身内ネタ〉や〈暴露ギャグ〉のことではない。
練習に練習を重ねたものを、生の舞台で、
なるべく〈アドリヴ〉のように見せかけるが、
この道の〈粋(すい)〉なのだ。
― ここに〈同志〉が一人いる。
ジュリーという美しいコメディアンである。
この人がこんなに〈笑い狂い〉とは、少し前まで知らなかった。
私がこの人とした仕事は
《悪魔のようなあいつ》とか《源氏物語》とかが主なもので、
およそ〈アチャラカ〉とは縁遠かった。
だから三年前に〈ドタバタ〉で再会したときは、嬉しかった。
奇跡に出会った気持ちだった。
だから、こいつと腕を組んで、阿呆な道中をいけるところまで
いきたいと思っている。
もう一人、阿呆の〈同志〉がいた。
― 志村けんというこの人は、
顔もともかく、後姿が可笑しいコメディアンである。
後姿でも、ちゃんと顔まで見えるのだ。
とういことはたぶん切なく哀しい人なのだろう。
破壊的でありながら切なく、アナーキーに見えて哀しいのだ。
稽古に入ってから、この人のことを
〈コメディアン〉というよりは、〈役者〉だと思うようになった。
こした奇跡的な〈同志〉たちと、
〈笑い〉の修羅場を潜り抜け、〈笑い〉に命をかけて、
やがて私たちの芝居が《コメディ・フランセーズ》にあやかって
《コメデイ・ジュリーズ》と呼ばれるようになったら、
どんな幸せなことだろう。
久世さんとの「笑い」の舞台は
久世さんが亡くなる前の2005年までつづいて