♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

《彼方のコメディ・ジュリーズ》その2

2020年05月26日 11時46分34秒 | 沢田研二の音楽劇

久世光彦さんの「笑い」についての思い

 

2003年「沢田・志村のさあ、殺せ!」パンフレットより

ここで勘違いして欲しくないのは、

私が年齢(とし)になっても憧れているのは、

よく洗練され練り上げられたコメディであって、

テレビで毎晩やってる〈身内ネタ〉や〈暴露ギャグ〉のことではない。

練習に練習を重ねたものを、生の舞台で、

なるべく〈アドリヴ〉のように見せかけるが、

この道の〈粋(すい)〉なのだ。

 

― ここに〈同志〉が一人いる。

ジュリーという美しいコメディアンである。

この人がこんなに〈笑い狂い〉とは、少し前まで知らなかった。

私がこの人とした仕事は

《悪魔のようなあいつ》とか《源氏物語》とかが主なもので、

およそ〈アチャラカ〉とは縁遠かった。

だから三年前に〈ドタバタ〉で再会したときは、嬉しかった。

奇跡に出会った気持ちだった。

だから、こいつと腕を組んで、阿呆な道中をいけるところまで

いきたいと思っている。

もう一人、阿呆の〈同志〉がいた。

 

― 志村けんというこの人は、

顔もともかく、後姿が可笑しいコメディアンである。

後姿でも、ちゃんと顔まで見えるのだ。

とういことはたぶん切なく哀しい人なのだろう。

破壊的でありながら切なく、アナーキーに見えて哀しいのだ。

稽古に入ってから、この人のことを

〈コメディアン〉というよりは、〈役者〉だと思うようになった。

 

こした奇跡的な〈同志〉たちと、

〈笑い〉の修羅場を潜り抜け、〈笑い〉に命をかけて、

やがて私たちの芝居が《コメディ・フランセーズ》にあやかって

《コメデイ・ジュリーズ》と呼ばれるようになったら、

どんな幸せなことだろう。

久世さんとの「笑い」の舞台は

久世さんが亡くなる前の2005年までつづいて


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