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(6)合気道と推理小説 (わかった!)と思った次の瞬間、また糸口が消えている・・

2011-12-25 21:29:05 | 中高年シニア twitter つぶやき
6  合気道と推理小説



楽心館合気道2年目の冬。



うまく掛かったり、掛からなかったり・・

(わかった!)と思った次の瞬間、また糸口が消えている・・

「二教」のカベの前で、また、立ちつくしているこの頃。



「ほら、押してる」

「ほら、力が入りすぎる」

「手はほわっと」

「ほら、スピードでやってる」

「ほら、脇が空いてる」

「ほら、肩が下がってる」

「まだ、つながってない」

「力じゃなく、気を通して」

(気を通すっていったって・・)

先輩に指摘されるほど、「禅問答」状態で、思考停止▽※×・・



真犯人が見つかったと思ったら、また、見えなくなってしまう。

よくできた推理小説では、まま、あるケースだけど。



先輩に伺う。

「先輩は、2教、どのへんで、身についたんですか?」

「うむ・・数年、何百回か、何千回かやってるうち、ひょんなことで、かな」



(う~む、数年か・・)

子供の頃、

補助輪なしに自転車に乗れるようになった時みたいだな。

乗れてしまえば、もう、忘れることがないもんな。



癪だが、やみつきになる。





化学なんかで、

(量の質的転換)ということをいう。

A物質+B物質=AB。

ところが、

この操作を積み重ねていくと、

ある時点で


ABでなく、

A+BがCに変質する瞬間があるそうだ!



どうやら、

人の学びもそうらしい。



理屈で理解しようとしても、「その瞬間」はやってこない。



ひたすら、積み重ねていくと、

必ず、どこかの時点で、質的に飛躍する時点が(結果的に)やってくる。



「門前の小僧習わぬ経を読む」ってことか・・

理解できないことでも、重ねていくうちに、小僧はどこかの時点で、

(お経の言ってる意味はこれだったんだ!)

と腑に落ちる時を迎える。



それが、いわゆる「ブレークスルー」ってことかもしれないな。



目標が見えていて、理解できて、手法も手引きしてもらって・・

そんな学習はたいしたことはないのかもしれない。



教育がサービス業なんていわれる昨今、

「先生、それをウチの子が学ぶと、就職するときどんなメリットがあるんですか?」

的な親が多いという。

子どもまで

(それ習って、どんな得があるの?)なんて、平気で口にするようになる。

その子は残念ながら永遠にブレークスルーすることはないんだろう。



積み重ねていって、

ある日突然、腑に落ちる瞬間を迎える。

合気道はそんな推理小説のような面白みがある。





(来年のどこかで、あまいかな・・、

二教のそんな瞬間を迎えたいもの)

と、熱燗で一杯。

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