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(9)仕事の気分転換に、合気道の「転換」を考える。自分を掴む欲望を相手に「転換」できる?

2012-01-29 23:26:42 | 日記

9  気分転換に「転換」を考える。自分を掴む欲望を相手に「転換」できる?



仕事柄、家で書き仕事(パソコンだから、打ち仕事かな)

の締め切りに追われ、

パソコンの前でグッタリすることが、まま、ある。



集中は、そう長続きしないから。

だんだん、飽きてくる・・

当初のモチベーションも消えてしまい、

仕事そのものに(もう、やってられるか)と嫌気さえ湧くことも。



うまく気分転換できる時もあれば、

酒を呑みに出かけて、

後で余計しんどくなったりするのも、しょっちゅうだ。

結局、締め切りギリギリになる。



合気道の「転換」同様、

(気分転換にも技が要る)とつくづく。



相手に掴まれた場合、

「手解き」か・・

体の変更から「転換」するか・・



気分を転換する場合、

相手は・・他人じゃなく、自分なんだよね。

飽きちゃったり、怠け心であったり、

敵は自分なのだ。う~む。



そいつが、

(さぼっちゃえよ、大丈夫だからさ・・)

(まだ、締切りには時間があるしさ)

(テキトーにごまかせばいいじゃない)といろいろ囁く。



つまり、そいつに

手をがっちり掴まれた状態でなんですよね。



ことに、夜ともなれば

(酒が呑みたい)なんて・・欲望の力は強烈。



では・・

自分の頭に湧き上がってくる(欲望)や、

(怠け心)に掴まれた状況に、

手解きや転換の術理を応用できないものだろうか

なんて空想してみる。



(接点から意識を外す)

(そのままに置いて、体軸中心にして技へ移行)

・・ハテ。



これが自身に対してできれば、いいのだが。



ふと、このパターンに似たあることを思い出す。



小生、

大学院で臨床心理士を目指そうとした時期があった(叶わなかったけど)。

心の病の多くは、

自分で無意識に作り上げてしまった心の回路(思い込みや思い詰め)に、

自分自身ががっしり掴まれた結果、発現する。

“掴まれた状態”にジタバタ抵抗して病がひどくなっていく。

自分の中の、知識、感情、欲望・・いろんなものに掴まれる。

やがて、思いつめて、意識に固着してしまう。



心理療法はいろいろあるけれど、要諦はまず、

(意識の固着点を、自身で客観的に認識できるようにする)こと。

接点の<客観化>が、治療の道なのです。



どうです、「手解き」や「転換」と、術理的に似てるでしょう。



実際、

(問題点はべつに解決しなくても死にはしないから、

放っておいて、スポーツや掃除など体を動かす合宿プログラムに取り組みなさい)

・・なんて療法も昔からある。

体を動かし続けるうちに、心の病が、

憑き物が落ちるように癒えていくわけです。

接点はそのままに、別のことに意識を移していく結果、癒えるんですね。

転換には、<身体感覚>とのバランスを

取り戻すことが大きな役割を果たすんです。



皆さんも経験がおありでしょう、

背中がカユいのだけど、どうしても手が届かない場合、

孫の手で掻いたり、柱にクマのようにこすりつけたり、

直接掻くか、あるいは・・

(お尻でもどこでも、ギュッと痛いほどつねってみる)解消法がある。

痛さのあまり、痒みの感覚を忘れてしまう・・んですよね。



カユさの感覚に対して一種の・・「転換」なんです。



合気道の技や体さばき、には、

そんな、

<自分を相手にするとき>にも、応用できる術理がたくさん

秘められている気がするなあ・・



(自分の頭や欲望に、入り身したり、

体の変更から転換したり・・)して、

鎮めてやる。ふ~む。



ベランダに出て一服しながら、

自分相手の合気道ってあるんだなあ、思う。



気分の「転換」なんて、

すでに先輩諸氏は昔から実践されているかとも想像する。



(どれ、気分転換に剣の素振りでもしてこようか)

と思う傍らから・・

(寒いぜ。昼寝するほうが気分転換にならない?)

と、どこからか囁きがきこえる。



今年こそ、

意志薄弱な小生に、合気道がクスリになりますように。


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