今日の産経新聞より
小泉首相に申す 「誠意」が通じない国 櫻井よしこ
小泉純一郎首相は6日、凍結中の対中円借款を解除、約740億円の供与を決めた。同日、中国外務省はこれを「不十分」とし「両国関係の改善と発展のために具体的で誠実な行動」を求めた。
中川昭一農水相が「なんでまた援助を再開するのか正直言って分からない」と語ったように、国民にとっても分からない。
援助再開は現状打開のためという見方がある。日中関係を”打開”するのであれば、援助の使い道はむしろ逆でなければならない。援助は日本の譲歩としてではなく、中国の譲歩を引き出すためにこそ用いるべきなのだ。
そもそもなぜ、援助は凍結されたのか。それには十分かつ正当な理由があった。日本国民は、中国の横暴に心底憤っているのであり、援助凍結はその表現だ。反日デモ、領海侵犯、尖閣領有宣言、東シナ海の海底資源の略奪、日本の国連常任理事国入りへの執拗な反対工作、靖国神社参拝での内政干渉、際限のない軍事力の増強等々。
これらすべてで、日本国民は中国に疑問を抱き憤っている。
巨額の赤字に苦しむなか、国内では義務教育費や医療費まで削減し、ようやく捻出したおカネを発展途上国の援助に当ててきた。その貴重な国民の税金を、日本を貶める中国に、なぜ与えるのかと国民が想うのは当然だ。こうした疑問を解き、援助再開で納得を得るには、中国こそが「具体的で誠実な行動」を示さなければならないのだと、日本政府は直截に中国に伝えることだ。そうした行動を中国側にとらせる梃子としてこそ、経済援助を使うべきなのだ。
振りかえれば、日中外交には思わず臍をかむ多数の失敗が目につく。
まず、靖国神社問題での失敗だ。ソ連の弱体化に伴って中国は、80年代半ばには対日戦略をそれまでの友好政策から強攻策へと切りかえていく。
日本軍国主義復活への批判さえ始めた。そして85年8月15日には南京の「大虐殺殉難同胞記念館」などが公開された。
同日、中曽根康弘首相は靖国神社を公式参拝した。それ以前は問題にしなかった靖国参拝を中国政府は厳しく批判。中曽根氏は翌年から靖国参拝を見送ったのは周知のとおりだ。氏が日本人の心の問題を犠牲にして中国に妥協したことが、今日までに尾を引き、日本の国益を損ねている。
次の失敗は皇室外交だ。89年の天安門事件で国際社会は中国に経済制裁を科し。それを、91年、先頭に立って解除したのは日本だった。中国のために骨を折ったつもりが、日本は思いがけないしっぺ返しを受ける。
92年2月、中国が領海法を定め、尖閣諸島を中国領としたのだ。日本の領土を奪う中国に日本はしかし、またもや、スジを曲げて譲歩し、同年10月、日本の持てる最高最善の外交カードを切り、天皇皇后両陛下のご訪中を実現させたのだ。
国内の強い反対に抗して断行されたご訪中だったが、その効果は当時も今も疑わしい。天皇陛下との会見で江沢民は「歴史を戒めとする」と発言。
そして95年には、銭其琛外相が、中国は日本に対する国家賠償は放棄したが「その中に個人の賠償は含まれていない」「賠償請求は中国国民の権利」だと述べた。
同年5月、江沢民はモスクワで日本軍は中国人3500万人を死傷させたと演説。9月には人民大会堂で、右の虚構の数字を入れて再び日本を批判し、日本による直接の被害は1000億ドル(12兆円)、間接的な被害は5000億ドル(60兆円)と語った。
その先に今年4月2日の「中国民間対日賠償請求連合会」の設立がある。反日運動の象徴の童増氏が日中戦争当時の民間人の被害と損害賠償を求めて作ったもので、
中国共産党が公認し、中国共産党、政府、軍のOBが多数、名前を連ねた。歴史問題をカードにする中国外交は一貫しているのだ。
靖国での妥協も、経済援助も、日本側はそれを日本の中国に対する”誠意”と考える。しかし、中国にその誠意は届かない。中国から見れば、日本の誠意は、中国の力への日本の屈服でしかない。眼前の状況の改善に汲々として戦略を欠く日本は、徹底徹尾、戦略の国、中国に翻弄されるばかりだ。
経団連の新会長、御手洗富士夫氏が靖国問題は日中関係の妨げになっていないと
述べた。眼前の利益のために己の心や、譲ってならない国益を投げ捨てることの愚を悟らせる発言だ。中国の横暴さも理不尽さも、小泉首相よりは、国民のほうが敏感に感じとっている。だからこそ、中国の罠にはまり、国民の想いとかけ離れた対処をすれば、己の政治生命が危うくなることに、小泉首相も与党も気づかなければならない。
以上引用
小泉首相に申す 「誠意」が通じない国 櫻井よしこ
小泉純一郎首相は6日、凍結中の対中円借款を解除、約740億円の供与を決めた。同日、中国外務省はこれを「不十分」とし「両国関係の改善と発展のために具体的で誠実な行動」を求めた。
中川昭一農水相が「なんでまた援助を再開するのか正直言って分からない」と語ったように、国民にとっても分からない。
援助再開は現状打開のためという見方がある。日中関係を”打開”するのであれば、援助の使い道はむしろ逆でなければならない。援助は日本の譲歩としてではなく、中国の譲歩を引き出すためにこそ用いるべきなのだ。
そもそもなぜ、援助は凍結されたのか。それには十分かつ正当な理由があった。日本国民は、中国の横暴に心底憤っているのであり、援助凍結はその表現だ。反日デモ、領海侵犯、尖閣領有宣言、東シナ海の海底資源の略奪、日本の国連常任理事国入りへの執拗な反対工作、靖国神社参拝での内政干渉、際限のない軍事力の増強等々。
これらすべてで、日本国民は中国に疑問を抱き憤っている。
巨額の赤字に苦しむなか、国内では義務教育費や医療費まで削減し、ようやく捻出したおカネを発展途上国の援助に当ててきた。その貴重な国民の税金を、日本を貶める中国に、なぜ与えるのかと国民が想うのは当然だ。こうした疑問を解き、援助再開で納得を得るには、中国こそが「具体的で誠実な行動」を示さなければならないのだと、日本政府は直截に中国に伝えることだ。そうした行動を中国側にとらせる梃子としてこそ、経済援助を使うべきなのだ。
振りかえれば、日中外交には思わず臍をかむ多数の失敗が目につく。
まず、靖国神社問題での失敗だ。ソ連の弱体化に伴って中国は、80年代半ばには対日戦略をそれまでの友好政策から強攻策へと切りかえていく。
日本軍国主義復活への批判さえ始めた。そして85年8月15日には南京の「大虐殺殉難同胞記念館」などが公開された。
同日、中曽根康弘首相は靖国神社を公式参拝した。それ以前は問題にしなかった靖国参拝を中国政府は厳しく批判。中曽根氏は翌年から靖国参拝を見送ったのは周知のとおりだ。氏が日本人の心の問題を犠牲にして中国に妥協したことが、今日までに尾を引き、日本の国益を損ねている。
次の失敗は皇室外交だ。89年の天安門事件で国際社会は中国に経済制裁を科し。それを、91年、先頭に立って解除したのは日本だった。中国のために骨を折ったつもりが、日本は思いがけないしっぺ返しを受ける。
92年2月、中国が領海法を定め、尖閣諸島を中国領としたのだ。日本の領土を奪う中国に日本はしかし、またもや、スジを曲げて譲歩し、同年10月、日本の持てる最高最善の外交カードを切り、天皇皇后両陛下のご訪中を実現させたのだ。
国内の強い反対に抗して断行されたご訪中だったが、その効果は当時も今も疑わしい。天皇陛下との会見で江沢民は「歴史を戒めとする」と発言。
そして95年には、銭其琛外相が、中国は日本に対する国家賠償は放棄したが「その中に個人の賠償は含まれていない」「賠償請求は中国国民の権利」だと述べた。
同年5月、江沢民はモスクワで日本軍は中国人3500万人を死傷させたと演説。9月には人民大会堂で、右の虚構の数字を入れて再び日本を批判し、日本による直接の被害は1000億ドル(12兆円)、間接的な被害は5000億ドル(60兆円)と語った。
その先に今年4月2日の「中国民間対日賠償請求連合会」の設立がある。反日運動の象徴の童増氏が日中戦争当時の民間人の被害と損害賠償を求めて作ったもので、
中国共産党が公認し、中国共産党、政府、軍のOBが多数、名前を連ねた。歴史問題をカードにする中国外交は一貫しているのだ。
靖国での妥協も、経済援助も、日本側はそれを日本の中国に対する”誠意”と考える。しかし、中国にその誠意は届かない。中国から見れば、日本の誠意は、中国の力への日本の屈服でしかない。眼前の状況の改善に汲々として戦略を欠く日本は、徹底徹尾、戦略の国、中国に翻弄されるばかりだ。
経団連の新会長、御手洗富士夫氏が靖国問題は日中関係の妨げになっていないと
述べた。眼前の利益のために己の心や、譲ってならない国益を投げ捨てることの愚を悟らせる発言だ。中国の横暴さも理不尽さも、小泉首相よりは、国民のほうが敏感に感じとっている。だからこそ、中国の罠にはまり、国民の想いとかけ離れた対処をすれば、己の政治生命が危うくなることに、小泉首相も与党も気づかなければならない。
以上引用