ラジオ少年時代の思い出と・・・いま

現在50歳を越えるおじさんたちは、子供のころ拾ってきた廃品のテレビやラジオを直してあそんだ・・・・あぁ懐かしい

ほぼQRT状態から25年 再開局とラジオ少年復活

2014-09-29 | 思い出話

社会人になり、せっかくシャックも新しくなって。1年と少し、転勤の話しが・・・

本社で開発業務なので、断る理由もない。

仕事は高周波を使ってプラズマを発生させる手法 色々ありましたが結構楽しく25年過ぎました

この中で、多くのラジオ少年の方に、お会いすることが出来ました。

仕事が趣味みたいで、家に帰ってまで”無線をやろう”という気持ちはわきません

Inada  大阪での無線生活はアンテナを設置する条件が難しく・・・            本格的には出来ません。 仕事の買出しで日本橋に行く程度。

日本橋に行けば面白いものが多くあり、無線機の衝動買いや、FAX,パケット通信など          高価な測定器も衝動買い・・・さすが結婚してからは高価な物は変えません

 アマチュア無線をやるには最悪環境です。

事情があり、プラズマの仕事を辞め、はしばらくするとその会社もQRTです。

田舎に引っ越しました。

今までよりはアンテナが自由に作れそうです。

高周波の仕事から離れ、事務的な仕事になると大きなストレスを感じます。25年何かを作ってたため、何かをしていないと(作る)ストレスが溜まるのです。

1陸特、1アマの免許を取得し ラジオ少年が目覚めました。

新しくなった家には小さなシャック 

とタワーを建てました。  

今では  

 日本橋は年に、1,2回程度 それよりもオークション オークションで楽しめます。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。