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マスコミが報道しない真実は。。

舛添要一氏 人物像 スキャンダル (再投稿)

2015-07-13 | 政治経済

人物・エピソード[編集]

 

家族・親族[編集]

 

奔放な女性関係で知られ、2度の離婚歴がある。最初の妻は留学時代出会ったフランス人。2度目の妻は官僚時代の片山さつき(当時朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3ヶ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て89年に離婚した[37]。1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけている。他に日本人女性2人との間に婚外子が計3人いる[注 1]。

 

**-^ なお、フランス人女性の前にパリで知り合った日本人女性と結婚していたと報じられ、「結婚は3回ではなく、フランス人と結婚する前に、ヨーロッパで日本人の女性と結婚式をあげるというので(舛添は)案内を出していた、他の妹たちにも手紙がいっている」という長姉の証言が出たことがあるが、舛添自身は「入籍していない」と否定した[38]。-

 

実姉の生活保護問題[編集]

 

また、次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚(芸能人生活保護不正受給問題)から、姉の生活保護受給の話が再び注目された[39]。1992年、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。といった内容が報じられているが[40]、舛添事務所は取材に応じていない。ちなみにこの芸能人生活保護不正受給において追及の筆頭に立ったのは元妻の片山さつきであった。

 

外国人参政権・帰化条件について[編集]

 

2002年12月04日、国会の答弁にて「それから、二番目の御質問の帰化要件についてですけれども、私は諸外国と比べて決して日本の帰化要件が、何というか、簡単というか易しくないというふうに思っています。ですから、これから少子高齢化で労働力不足ということも景気が良くなれば出てくるわけでしょうから、ある程度帰化要件というのは緩めていいんではないか。」とし、「(参政権については)あと二世代ぐらいこの問題が解決しないとすれば、やはり例えばその地域における、これも住民参加、いろんなところで外国人に認めていますけれども、そういう試みはやってみて構わないだろうと思います。公権力の行使ができない、だけれども、例えば川崎はそうだったと思いますけれども、これは課長さんぐらいまではたしか在日の方でもなれるはずですし、公務員であっても就ける職種がどんどん拡大しております。こういうことの地道な積み重ねの上に新しい時代が開けるのかなと、そういうふうに思っています。」という考えを示した[41]。

 

介護問題[編集]

 

2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載[注 2]。母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢など[注 3]を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった[43]。

 

但し、『週刊文春』において、舛添氏が母親の介護をしていたのは平成12年(2000年)に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度、母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる三番目の姉が行なっていた(近所の老人談)。舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、母親の死も知らされなかった。また、舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、「全部嘘」(長姉夫婦談)。舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」といった内容の記事が掲載された。[44]

 

以上のような体験を持つため、外務大臣(当時)・麻生太郎の「アルツハイマー発言」には激怒。「バカと一緒になりたくない」と街頭演説の時間をずらすなど、党執行部にいながらも自由に発言した。後に、「久間さんの失言問題と同じように辞めろと言うつもりだった。謝ったからいいけど」と、怒りが収まらないまでも、これ以上問題を引きずらないことを明らかにした[45]。

 

**^ 長年母の面倒を見てきた長姉と舛添には介護で深い溝が生じ、現在は絶縁状態になっているという[42]。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E6%B7%BB%E8%A6%81%E4%B8%80

 

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週刊新潮、2010年5/36・13GW特大号

 

「舛添要一」という男の本性(片山さつきインタビュー)

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4799199.pdf

 

慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。

そして彼は2ヵ月で「約束」を反故にしました。

 

「遅く帰ってきやがって!」 突然、彼は怒り始めたんです。仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと努力していたんですが.......。

 

いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも。

 

またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼はナイフの収集が趣昧だったんです。

 

しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。充分過ぎるほどの威嚇行為でした。今で言えぱ「DV」ということになるんでしょうか。

 

彼は身体も大きいし、ワーツと大声で責め立でてくるので怖かった。ただただ、怖かった。着の身着のまま、タクシーで浦和市(現さいたま市)にある実家に戻ったこともあります。

 

結局、結婚から3ヵ月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることも分かった。でも既にその時は、不倫の事実を知っても何も感じませんでした。とにかく、一日でも早く別れたい、離れなければそれだけを考えていました。

 

http://www.news-us.jp/article/385036170.html

 

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2014/1 に投稿した 再投稿です

 



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