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中学生 勉強が得意になる

しばらくは歴史に強くなるをテーマにやります

日光東照宮派?桂離宮派?

2023-08-10 09:26:43 | 歴史が得意になる

日光東照宮 画像お借りしました

江戸時代初期の代表的な建築、日光東照宮と桂離宮は近い時期に建てられながら、ずいぶん違う建築です。

日光東照宮は徳川家康を権現(仏の神号)としてまつった霊廟です。

最近修復されて、ますますその過剰な装飾の華やかさが際立ちます。

桂離宮は皇族の別荘として整備されたものです。こちらは桂川のたもとに、機能だけのような簡素な別荘です。回遊式の庭園と一体となった心地よいたたずまいです。

昭和のはじめ、ブルーノ・タウトというドイツの建築家が日本を訪れ、桂離宮を「永遠の美」をもった非常に重要な建築だと主張しました。日本人はその魅力をよく把握していなかったのかもしれません。

そこから桂離宮がずいぶん評価され、見学も多くなりました。でも日光東照宮が好きな人も多いと思います。あのたくさんの装飾を見ると元気が出るような気がします。徳川家も次第にこのような霊廟を作ることは経済的にもむずかしくなりました。

日本人の中にはどちらの性格もある気がします。

スカイツリーや国立競技場をずっとのちの人がどう見るでしょうか?

桂離宮


ポルトガル菓子はいかが?

2023-08-09 10:32:15 | 歴史が得意になる

カステラ 画像お借りしました

ポルトガルから伝わった菓子というと、織田信長も食べたという金平糖が有名ですが、九州北部では現在も名残の菓子があります。

長崎のカステラは有名ですね。ポルトガルのカステーラ地方がその名の由来と言われていますが、カステラという菓子はないようです。

福岡に伝わる鶏卵そうめんという菓子があります。砂糖を煮た中に卵を細く流して作るものです。これはポルトガルに同様の菓子があるようです。

平戸にはカスドースというカステラに卵を掛けて、熱した砂糖にくぐらせた菓子があります。

また、佐賀には丸ぼうろというカステラと同じ材料の生地をよく焼いた菓子があります。これもポルトガル菓子がルーツと言われます。

このようにポルトガルと交渉していた400年前の菓子が今も伝わっていることに驚きます。

九州北部は砂糖の流通があって、近代菓子のもとにもなり、佐賀からは江崎グリコ、森永製菓の創始者が出ました。

不思議なのは江戸時代ずっと交流があったはずのオランダの菓子というものがほとんど伝わっていないことです。


高麗茶碗という価値観

2023-08-08 09:34:42 | 歴史が得意になる

高麗茶碗 画像お借りしました

わび茶では華やかな茶碗ではなく、高麗茶碗とよばれた朝鮮の雑器とされる茶碗を大事にしました。形はいびつで、生地はざらざらとしてなめらかではない。古びて使い回されたような器です。

しかし、茶人たちはこれらに名前を付けて、名器として珍重しました。

それらは織田信長、豊臣秀吉など天下人の茶会にも用いられ、拝領品などにもなり、宝物として扱われました。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮陶工が日本に連れてこられたのには、高麗茶碗へのあこがれもあったと思います。

千利休は加えて、今焼と呼ばれる新しい茶器も茶会に取り入れました。真っ黒でいびつなかたちの楽焼茶碗は、地味ではあるが、人の手になじんで茶を飲みやすい茶碗です。

ほかにも志野焼や伊賀焼など、ゆがみがあったり、すぐれた意匠の陶磁器が茶会に用いられるようになりました。

こうしたゆがみや大胆な意匠は日本の美術の価値観に新たな一面をくわえました。

楽茶碗 画像お借りしました


楓図と松林図 

2023-08-07 08:26:58 | 歴史が得意になる

楓図 画像お借りしました

楓図(京都・智積院)と松林図屏風(東京国立博物館)はどちらも長谷川等伯の代表作品です。

楓図は襖の画面いっぱいに金箔が貼られ、突き抜けるような大木の楓が大きく枝を広げて紅葉の盛りのあでやかさを示しています。

松林図屏風はこれと対照的に、紙の上に墨だけでシルエットのような形の松を陰影をつけて配置しています。わずかな墨の使い分けで、松林の奥行きや広がりを示しています。

一見同じ作者の絵と見ることが難しいように、その表現は異なります。これを等伯の人生のうえに跡付けようとする意見があります。

楓図は豊臣秀吉の幼子鶴松が死んだために作られた祥雲寺の障壁画として描かれました。松林図屏風は自分の息子久蔵がなくなったために描いたと考える人もいます。

前回の秀吉の茶室も黄金の茶室とわびさびた茶室があったように、この時代、あでやかな表現とわびさびた表現が一人の作者にも見られるのだと思います。

 

松林図屏風 向かって右隻 画像お借りしました

 


黄金の茶室と待庵

2023-08-06 08:49:10 | 歴史が得意になる

  黄金の茶室

 

黄金の茶室はすべての内装が黄金に仕立てられた組み立て式の茶室です。豊臣秀吉はこれを解体して九州の戦へ持って行き組み立てて茶会をしました。

茶器や台子(だいす)も金箔が張られて、その中に入るとすべてが黄金の世界です。

これに対して、京都妙喜庵の待庵(たいあん)は、わびさびた豪華なものは何もない風情で、広さ二畳という狭小な茶室です。

この対照的なふたつの茶室が同じ時代に、千利休がかかわってつくられたというのが興味深いと思います。

そして、豊臣秀吉もそのどちらの茶室も用いました。

秀吉は大坂城、聚楽第など豪壮な建築を建ていかにも華やかな世界がクローズアップされますが、そうした城の中にも山里丸(やまさとまる)というひなびた区画がありました。そこは天主閣の近くで、その区画にわびさびた茶室を設けたのです。

つまり、ただ華やかな世界に浸るのではなく、それらを排除した何もないような場所や茶をたしなんだと思われるのです。

こうした演出は千利休が考えたものと思われますが、豊臣秀吉はじめ戦国の武将がわきまえていたものでもありました。かれらはただ豪華な世界を志向したのではなく、その反対の無の世界も味わっていたのだと思います。

 待庵(妙喜庵