徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2015会津田島祇園祭 1

2015-08-01 01:26:36 | 福島景勝地/裏磐梯
2015 7/23 会津田島祇園祭

何年かぶりに会津田島祇園祭を見てきました。
この日の朝のハイライト 40人近い花嫁姿で練り歩く七行器行列は今回見ることができなかったが・・
到着が16:00ですので

800年近い伝統の祭   京都祇園、中の津島(愛知)と並ぶ日本三大祇園祭の一つに数えられる

歌舞伎の大屋台
4つの大屋台(西屋台、上屋台、中屋台、本屋対)の上で子供歌舞伎や大人歌舞伎の上演が行なわれます。


演題は今回2題目で、大人、子供歌舞伎がそれぞれ演じる
時間ごとに芸場と呼ばれる家の前に屋台が停まり、そこで子供歌舞伎が上演されます
約10分の上演の後、屋台が場所を移動し、第1幕から7幕(終幕)まで間をおいて行うので、1演題を最後まで通して観るのが難しい

時津風日の出の松(ときつかぜひのでのまつ) 鴫山城内の段(しぎやまじょうないのだん)
戦国時代、伊達正宗の軍勢に責められた鴫山城。
戦になれば滅亡は明らか。家老の隼人之助は自分の命と引き換えに和睦を嘆願する。
大人の役者による演技









隣り合う屋台があわやぶつかるという喧嘩屋台
「オーンサーンヤレカケロ」と大屋台に乗る子供たちの掛け声が響き渡ります。掛け声の意味ですが幾つか説があり、そのうちの一つは、オーンサーンというのはオジサン、おっさんの事で、ヤレカケロは早く駆けろという意味。大屋台の押し手への応援と言われています。






一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 須磨の浦の段(すまのうらのだん)
源平の戦いで都をおちのびた平家の陣に、源氏方が攻め寄せ平家の敗路を物語ったものです。
先人は熊谷次郎 直実と小次郎直家の親子。平敦盛が熊谷に討たれ、敦盛の許嫁・玉織姫が平山武者所に刺されます。
しかし、実はこの敦盛こそが乱戦の中で敦盛になりすました小次郎直家であった

子供歌舞伎


源氏の武士・熊谷直実と平家の若武者・敦盛が戦場で遭遇する。
その時、敦盛の許婚・玉織姫は愛する敦盛を探し須磨の浦に迷い出る。






田出宇賀神社


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