徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2019大山参道の紅葉アーケード

2019-12-26 20:39:13 | 那須塩原
2019年度最後の紅葉の写真です

大山参道
この一帯は、かつて大山巌(おおやまいわお)(元帥、公爵)の農場であった。大正5年(西暦1916年)、大山が没するとこの地に墓所が設けられ、参道が整備された。参道の設計は宮内省技師山本直三郎で、かつてはモミジと桜が1本おきに植えられていた。桜は後に伐採された。秋には全長200mの参道いっぱいに紅葉のアーケードができます。






参道には樹齢約90年を数えるイロハモミジが並ぶ
大山参道を含む那須野が原一帯は2018年に「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」として日本遺産に認定された。


大山巌公爵
1842(天保13)年、薩摩藩士大山彦八の次男として生まれる。
西郷隆盛の従弟。明治維新で鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争などに従軍した。西郷の弟、従道とは特に仲が良く、血気にはやって寺田屋事件で謹慎を命ぜられたり、薩英戦争では、スイカ売決死隊に加わり、英旗艦ユーリアスに乗り込んだという記録がある。
1863年、藩命により江戸の江川塾で砲術を学び、弥助砲を開発する。
維新後、フランスに渡り普仏戦争を視察、軍事学を学び新知識をもとに日本陸軍の建設にあたった。
1885(明治18)年、陸軍卿から第一次伊藤博文内閣で初の陸軍大臣となる。その後、黒田、山県、松方内閣と11年連続、更に第二次伊藤、第二次松方内閣で陸軍大臣を歴任した。日清戦争(1894年~95年)では第二軍司令官として旅順、威海衛を攻略、日露戦争(1904年~05年)では満州軍総司令官として陸戦を勝利に導き国民的英雄になった。参謀総長、内務大臣をも勤め元老となり、長州閥の山県有朋と並ぶ陸軍の実力者だったが、政治には積極的には関与しなかった。
1916(大正5)年に永眠、国葬によって栃木県の那須に葬られた。



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