日の出位置確認のための事前観測
日の出前
日の出 飯盛山の左側、麓から
ところで、縄文時代の立秋の日はいつか
縄文時代 金生遺跡 大配石 太陽暦観測施設
縄文時代の暦日は暦計算で、日数が整数計算されて、小数点以下切り捨てされていれば
冬至から立春は45日目 2/4日
現代の太陽暦では45.5日 2/4日または2/5日
0.5日の不足なので一致すると見て良いでしょう。
立春からカウントするとしたときは
立春 春分 立夏 夏至 立秋
立秋は 0 +45日 +45 +45 +45 となり
現代の暦は +0.5 +0.5 +0.5 +0.5
縄文時代の暦は 2日不足となると思う
このように暦日計算で、端数は切り捨てされているとすれば、日数が不足する
それは立秋まで 2日不足となり、現代の暦より2日はやく立秋としていたのだろう。
冬至から立秋までの日数は 半年は 365日/2 182.5日
立春 春分 立夏 夏至 立秋
現代の暦 45.5日 91日 91+45.5日 182.5日 182.5+45.5日
縄文時代 45日 90日 90+45日 180日 180+45日
不足日数は 2.5+0.5 3日
立秋の日は縄文時代には現代の暦より 暦計算で 3日不足するので 8/4日となるのではないか
立秋石棒の指す方位は飯盛山の 8/7日よりピークに近い方位となるのだろう。
8/4 8/5 のいずれかが立秋とされていたものだろうと考える。
立夏からは日の出の初光は、石棒へ影を落としていたことから、石棒を外れた位置に影が来たときが立秋とされるのだろう。
図はお借りしました
8/04日 日の出観測しましたが、雲が厚く垂れ込めて、日の出は見ることが出来ませんでした。自然とはこんなものでしょう。
8/5日 薄曇り 日の出観察結果は当日現地で説明することを計画しています。
8/6日 雨で日の出は見えませんでした。