金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

二至二分を持つ遺跡 天神原遺跡

群馬県安中(あんなか)市の天神原(てんじんばら)遺跡では、妙義山(みょうぎさん)の三つの峰のちょうど真ん中の山頂(金洞山)に、春分、秋分の日の太陽が沈むという。
 天神原遺跡  時期:中期末様(加曽利E4式期)~晩期前葉(天神原=安行3c式期)
 所在地:群馬県安中市中野谷字天神原地内
 春分日没 写真 1998年3月18日(春分)(3) 日没

 写真 縄文ランドスケープ001 天神原遺跡 よりお借りしました

妙義山(金洞山)への日没であり、この遺跡では春分の日没が意識されていたと考える。
縄文中期末からと言う遺跡なので、二至二分からの暦を持ちこの立地を設定したものと考える。

遺跡の位置としては、立地を選んだことは分るものの、遺跡の配石からは、何を示そうとしているのか、その点に関しては記載からは、観測記録は余り明確では無い。たまたまそれらしい位置に遺跡が置かれたと見ることもできてしまうようだ。春分を意識していて、配石などで示していたという工作物の遺跡は有るようでは無い。2022.06.27 補足しました。

引用ーーーーーー

【天神原遺跡】  群馬県安中市の    晩期の環状列石。
★ 中央から3本の立石を結ぶ線の延長線に妙義山(三峰)を望み、春分・秋分には妙義  山に日が沈む。 また、冬至には大桁山に日が沈む。
ーーーーー
縄文ランドスケープ001 天神原遺跡
担当:大工原豊
時期:中期末様(加曽利E4式期)~晩期前葉(天神原=安行3c式期)
所在地:群馬県安中市中野谷字天神原地内
緯度・経度:36°17’13” 138°51’28”(測地系Tokyo)
撮影日:1995年12月22日(冬至)(1)・1996年3月27日(春分)(2)・1998年3月18日(春分)(3)
方角:妙義山(金洞山)N-90-W 大桁山S-34-W
tenjinbara_001
(1) 天神原遺跡冬至日没
tenjinbara_002
(2) 天神原遺跡春分日没
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(3) 天神原遺跡春分日没
 天神原遺跡(4)は、上毛三山の一つ妙義山の東方約10㎞の河岸段丘上に位置します。
 ここには縄文時代中期末葉~後期前葉にかけて集落が形成されています。
 しかし、縄文時代後期中葉~後葉にかけて配石墓群が形成されるようになり、遺跡の性格が大きく変容します。
 この時期になると配石墓群のほか、立石を伴う眼鏡状配石遺構と方形配石遺構が構築され、墓域としてだけではなく儀礼・祭祀の場としても利用されるようになります。

(6) 妙義山に向かって立てられた3本の立石
 この立石は西方にそびえ立つ奇峰妙義山の三つ峰に対応しています。
 そして、春分・秋分には中心峰金洞山に日が沈み、南西に方向に存在する神奈備型の大桁山には冬至に日が沈む光景が観測できます。


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