金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

前期末に農耕開始の準備は出来ていた

初稿投稿 2023.6.22 

縄文時代に土壌改良を行っていたのでは無いか

マメ類の細かい種子を採集するため縄文人は
土器を開発していた
それに続いてマメ類を栽培して
豆粒文土器以後、マメ類の栽培種まで改良していた
ツルマメ作りからダイズ、ヤブツルアズキからアズキ、など
この過程は数千年掛かっていて、それでマメ類の土地改良の効能についても、
気が付いていたのでは無いだろうか

科学的合成以前の窒素は根粒菌、マメ類の根に付いた根粒菌に依るところが大きかったのでは無いか。


根粒菌はRNAから生命が発生して生命圏が成立するまでのキイファクターなのでは無いか
近代科学によるアンモニア合成が出来るまで、土壌中のアンモニアは根粒菌によるものが主要生産源だったのでは無いか

ビングAIの回答
根粒菌は、マメ科植物の根に共生し、根粒を形成する細菌です。根粒菌は、ニトロゲナーゼによって窒素分子を固定してアンモニアを生成し、これを植物に供給し、植物からは光合成産物を受け取る共生関係を結んでいます。したがって、根粒菌は土壌中のアンモニアの主要な生産源の1つであると考えられます。

ただし、RNAから生命が発生して生命圏が成立するまでのキイファクターとしての根粒菌については、私の知る限りでは確定的な情報はありません。

他に何かお手伝いできることはありますか?

マメ類の栽培化は、縄文文明の特性であると見ても良いのでは無いだろうか。

引用します----ーーーーーーーーーーーー臨汾盆地で夏王朝後期の遺跡を発見 中国山西省c 新華社
東渠遺跡から出土した陶?(とうか)。(資料写真、運城=新華社配信)

 発掘プロジェクトの責任者を務めた山西省考古研究院華夏文明研究所の崔俊俊(さい・しゅんしゅん)副所長によると、遺跡の出土遺物には土器や石器、骨器、玉器、蚌器(大型の貝殻から作られた道具)、玉鉞(ぎょくえつ)1点、欠損した銅刀1点などが含まれる。

人工物のほか、動植物遺物も多く見つかり、浮選法による調査では炭化した植物種子25万粒が確認できた。
アワやキビ、コメ、大豆なども含まれていたが、大半はアワだった。

作物以外ではエノコログサやオニメヒシバ、ヤマハギ、セイヨウエビラハギなどの種子も含まれていた。動物の骨も多く出土し、暫定的な鑑定でウシやブタ、ヒツジなどが特定された。これらの新発見は、東渠の先住民たちが比較的高度な農業生産技術をすでに習得し、アワ栽培を中心に牧畜も営む混合農業生産体系を形成していたことを示している。----ーーーーーーーーーーーー引用終わり

夏王朝においても農耕大半はアワと言われているようなので、マメ類を主とするように見える農耕は、窒素固定を含めて永続する農耕として縄文文明の特性では無いか。

図はお借りしました
引用しますーーーーーーーーーーーーーー

土壌改良を行うマメ科植物
窒素固定ができない植物は、基本的には自身や他の植物が落とした葉や幹や根が微生物に分解されるときに出る硝酸態窒素を使うことしかできません。そのため、植物が生えていない環境では、他に川や高濃度に窒素化合物が含まれた大気といった供給源が無い限り、植物は窒素不足に陥り、生育が困難です。

根粒菌と共生関係を結ぶことができたマメ科植物は、他の植物が生育できないような、窒素含有量が非常に少ない場所でも空気中から窒素を取り込めるため生育することが可能です。それだけではなく、マメ科植物が窒素固定をして成長し、葉を落としたり枯死したりすることによって、空気中の窒素がどんどん植物が使える形になって土壌に蓄積されることになります。
ーーーーーーーーーーーーーー

植物の生育に必須な窒素源
窒素( N)は、植物を構成するための必要な元素の一つです。植物は、この窒素源をアンモニウムイオン(NH4+)や硝酸イオン(NO3-)の窒素化合物の形態で土壌から吸収し、DNAやRNA、そしてアミノ酸の合成に使用しています。また、植物の光合成に欠かせないクロロフィルも窒素を使って合成しています。一方で、植物体内の窒素が不足すると葉は黄化し最終的に枯れてしまいます。このように植物の生育には窒素を欠かすことができません。このため私たちは、植物を育てる時に硫安、硝安や尿素などの窒素肥料を施肥して植物を健全に育てています。

空気中の約8割は、窒素分子(N2)で占められています。無味無臭なため普段気にすることはありませんが、窒素は私たちの周りにたくさん存在しています。しかしながらこの窒素は、2つの窒素原子が3重結合(N≡N)して安定した構造を保つため、植物は空気中の窒素分子を利用することができません。植物が、この窒素分子を使うことができれば窒素肥料が要らなくなるのではないでしょうか。

マメ科植物と根粒菌との共生相互作用
畑で育てた大豆や、公園に生えているシロツメクサなどマメ科植物は身近な存在です。これらの植物の根を観察してみると、コブ状の組織を見つけることができます(図1)。これは『根粒』と呼ばれる組織で、マメ科植物に見られる特徴的な優良形質の一つです(その理由は次で示します)。根粒は、マメ科植物の種類によって様々な形を示します(図2)。これらは、異常な形態にも見えますが決して病気ではありません。

マメ科植物が根粒を形成するためには、土壌細菌の一種である根粒菌との相互作用が鍵となっています。すなわち物質を介したマメ科植物と根粒菌との分子コミュニケーションです。この相互作用で用いられる物質は、マメ科植物が保有するフラボノイド類や、根粒菌が保有する低分子化合物のNod因子やEPS因子、そして、エフェクタータンパク質などが明らかとなっています。また、これらの相互作用物質の同定と並行して、相手側がこれらの物質を認識するための受容メカニズムの研究も進められています。このような物質を介したマメ科植物と根粒菌との相互作用は、根粒形成を誘導し、根粒菌の根粒内部への侵入を促進します(図3)。

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最古の稲細胞化石発見 岡山・朝寝鼻貝塚
6000年前の縄文前期初め 稲作起源論争に波紋

 岡山理科大発掘チーム(代表・小林博昭同大教授)は二十一日、岡山市津島東の朝寝鼻(あさねばな)貝塚から採取していた縄文時代前期初め(約六千年前)の地層から、稲の栽培を示す細胞化石・プラントオパールを検出したと発表した。稲作を行っていたとみられる資料としては、岡山県美甘村・姫笹原遺跡など縄文時代中期の例を千五百年近くさかのぼり、日本最古の発見。稲作起源論争に大きな波紋を広げそうだ。

 同貝塚の調査は、同大の通学路建設に伴い、九、十年度に約百六十平方メートルを発掘した。地表から約三メートルの地層で採取した土壌を顕微鏡で調べたところ、栽培種の稲に固有の「イチョウの葉」形のプラントオパール(長さ約〇・〇四ミリ)約五十個が検出された。

 同チームによると、1同じ層から縄文時代前期の型式とされる羽島下層式土器が出土2プラントオパールの形が栽培種の特徴を示す3同層のすぐ上が何も遺物が含まれない間層で覆われ、後世のものがまじり込んだ可能性がない―ことから、縄文時代前期に稲の栽培が行われていたことを実証する資料と断定した。

 同チームの調べでは、これまで稲作の起源を示す日本で最も古い資料は、いずれも縄文時代中期(約四千五百年前)とみられる姫笹原遺跡、倉敷市・福田貝塚など県内四カ所、鹿児島大学構内遺跡など県外二カ所。今回が日本最古の検出例となる。

 また土壌分析の過程で、同じ地層からこれまでの検出例を約二千年さかのぼる小麦のプラントオパール一個と、ハトムギとみられるプラントオパール百個以上が検出された。

 今回の発見について、調査、鑑定に当たった高橋護ノートルダム清心女子大教授は「縄文時代前期にさまざまな穀物が複合的に栽培されていたことを示し、農業が生活の軸になっていたと考えられる」と分析。小林教授は「これまでの縄文文化のイメージを覆す発見。縄文時代前期の多様な生活様式などを解明していく上で貴重な資料になる」と話している。

 

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マメ科植物が世界の古代文明を育てた

グローバル Web アイコン
mame.or.jp
https://www.mame.or.jp/Portals/0/resources/pdf_z/070/MJ...
[PDF]「世界の食卓から見た豆」2 インド・西アジア
ウェブ28 - インドの豆食文化 インドでは、世界の主な食用豆類のほと んどが栽培されており、油料作物のラッカ セイと大豆を除けば世界第一の生産国であ る。国内ではヒヨコ豆を筆頭に豆類が毎日 の主食として食べられている。

 

加藤昇の(新)大豆の話

2. マメ科植物が世界の古代文明を育てた 
 大豆はマメ科植物に属していますが、そのマメ科植物は世界で600属13,000種あるといわれています。これはイネ科に次ぐ大きなグループで、その代表的なものが大豆です。これらマメ科植物には空気中の窒素ガスを取り込んで自分の栄養として利用することができる特技を持っているのです。

これらのマメ科植物のうち食用にされているマメ類は約80種と言われ、その中でも経済的に重要なマメ類はわずか30種程度であるといわれています。これら多くのマメ科植物がいつから地球上に生息していたのかはよくわかっていません。しかし、日本や中国の遺跡からの出土品から大豆の先祖種であるツルマメやリョクトウなどは古くから縄文人などによって栽培されていた痕跡が見られており、日本では7000年前のリョクトウや中国でも1万年前のツルマメを主張している説も見られているほどです。その他の多くのマメ科植物の広がりから考えても、今から5-7千年前に人類が地上に文明を築いた時よりもはるか前にはすでに多くのマメ科植物が生息していた可能性は否定できません。

2019年10月の学術雑誌「サイエンス」に、最も古いマメ科植物の化石が、6400万年前の地層から発見されたことが発表されました。発見された場所はアメリカ・コロラド州の山岳地帯でした。ここからは巨大隕石が地球に衝突してから70万年後の地層から、隕石衝突後に生き延びていた哺乳類の化石と共にマメ科植物の化石が見つかったのです。そして生き残った哺乳類たちがマメ科植物を含む植物を食べることにより約100万年で大型化していったことも明らかになりました。このようにマメ科植物は6400万年前にはすでに地球上に現れており、周辺の植物に空気中の窒素を栄養として与えていたのみならず、間接的に古代動物の生命を支えていたのです。


われわれの住む東アジアに起源をもつマメ類は大豆とアズキだけとされています。
リョクトウはインド中北部を起源としておりササゲはアフリカ原産です。
エンドウ、ソラマメなどは西アジアのチグリス、ユーフラテス河とナイル河周辺を起源としているのです。
このように日本で縄文時代から栽培されていたのは大豆、アズキとリョクトウだけですが、世界の各地ではすでに多くのマメ科植物が育っていた可能性が高いのです。私たちが今食べているインゲンマメ、ベニバナインゲン、エンドウマメなどは江戸時代末期から明治時代にかけて日本に入ってきた豆類と言われています。 

 エジプトのピラミッドのツタンカーメンの墓からはエンドウマメの種子が見つかったことは有名ですが、この種子が発芽して、今では多くの人たちに育て継がれています。ツタンカーメン王が葬られたのはBC1358とされており、その時に副葬品として埋葬されたエンドウマメの種子が、1923年にイギリスの考古学者カーターによって発掘されて持ち帰ったマメが3281年の休眠を破って発芽したのです。種子の生命力の強さには驚くばかりです。

豆類の原産地について現時点で考えられているのは次の表に書いた通りですが、これらマメ科植物が生まれた地域に古代文明が育っているのです。古代の文明が生まれたナイル河やチグリス、ユーフラテス河、インダス河、黄河の周辺が世界のマメ類の発祥地であったことはまったく偶然ではないと思っています。詳しくは根粒菌の項で説明しますが、これらマメ科植物が周辺地域に自生していたかどうかが穀物栽培を可能にし、社会を形成し、文明を育てていくうえで大きな要因であった可能性が高いのです。 

豆の種類  想定される原産地 豆の種類 想定される原産地

大豆    中國・日本

インゲンマメ  メキシコ遺跡から

アズキ    東アジア

ささげ    アフリカ

エンドウ豆   地中海沿岸

そら豆    メソポタミア地方

ひよこ豆     インド周辺

レンズ豆    西アジア

 我々の先祖たちは身の周りにあった種子を採取し、動物を家畜化して農耕を広め、社会を形成していったのです。
そして食料に適している小麦など穀物の栽培地を広げて部族をまとめ、富を蓄えて国家へと築き上げていったのです。
しかし、その時にどこの土地でも同じように穀物が育ったとは考えられません。
小麦やトーモロコシなどが育ちやすかった地域には文明が育ち、栽培効率の悪い土地では文明が育ちにくかったと想像されます。

そのような差は何によって起こっていたのか、それにはいくつかの要因があったと思われますが、その地域にマメ科植物が生息していたかどうかが大きな差を生んだものと思われます。
マメ科植物には共生する根粒菌の働きによって、その周りの土壌中には空気中から取り込まれた窒素分が豊富に含まれるようになり、化学肥料のなかった古代にあって小麦やその他の作物を育てる、まさに陰の力になっていたのです。
植物が取り入れる栄養素の中でも窒素肥料による生育効果が最も大きな影響を与えることが知られています。
20世紀になっても大豆やレンゲなどマメ科植物に共生している窒素固定菌に窒素の栄養分を頼っていた農業が行われていたことを考えれば、約5千年前に各地で起こった古代文明を支えた小麦栽培において、その周辺にマメ科植物に共生する窒素固定菌が棲んでいたかどうかは、そこに富が蓄積できたかどうかの大きな差となったはずです。

こうしてマメ科植物が育っていた土地に初期の農耕文化が生まれ、それによって培われた富を土台として古代文明を育んでいったことが想像されます。
まさにマメ科植物は古代文明を築き上げる力強い支えになっていたことでしょう。
つまり、古代の豆類は世界の文明創生に貢献していたと言っても過言ではないと思います。

こうして古代の中国黄河流域では大豆の先祖種であるツルマメや大豆に寄生する根粒菌によって土壌中に窒素分が蓄積され、
多くの民を育てることが出来るようになり「黄河文明」が育つ環境が出来ていったと考えられます。 

世界の焼畑農業の歴史を見ても、紀元前300年頃のギリシャ・ローマ時代にはすでにマメ科植物は“緑肥”として土壌に鋤きこむことが
おこなわれていたことが分かっており、このようなマメ科植物を利用した農業が古くからおこなわれていたのです。
古代ローマ文明は紀元前800年頃に生まれており、すでにその頃にはローマ文明が育った周辺の土地にマメ科植物が育っていたことと思われます。

アメリカは現在世界最大の大豆生産国ですが、このアメリカでも大豆栽培の最初の目的は、小麦・トーモロコシ栽培で
痩せた土地の地力回復を図ったもので、緑肥として大豆をそのまま土壌の中に鋤き込んでいたのです。
アメリカで大豆種子の収穫を目的とする栽培が緑肥目的を上回るのは、やっと1940年代後半になってからのことです。 

 冒頭にも書いたように、小麦やトーモロコシ栽培を支え古代文明を作り上げるには窒素分が必要であり、
それを供給できたのはマメ科植物だけだったのです。
このようにマメ科植物は古代の文明を支えたのと同じように、将来の人口爆発に対応できる作物として期待されているのです。 

               更新日 2020.2

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土壌改良を行うマメ科植物
窒素固定ができない植物は、基本的には自身や他の植物が落とした葉や幹や根が微生物に分解されるときに出る硝酸態窒素を使うことしかできません。そのため、植物が生えていない環境では、他に川や高濃度に窒素化合物が含まれた大気といった供給源が無い限り、植物は窒素不足に陥り、生育が困難です。根粒菌と共生関係を結ぶことができたマメ科植物は、他の植物が生育できないような、窒素含有量が非常に少ない場所でも空気中から窒素を取り込めるため生育することが可能です。それだけではなく、マメ科植物が窒素固定をして成長し、葉を落としたり枯死したりすることによって、空気中の窒素がどんどん植物が使える形になって土壌に蓄積されることになります。

レンゲ
緑肥に利用されるレンゲ

つまり、普通の植物が生息できないような荒れた土地にマメ科植物を植えると、マメ科植物自身が育つことができるだけでなく、他の植物も生育できるような土壌に改良することができるのです。植物の窒素固定は、多くの生物が生息できる豊かな土壌を作り出すのに重要であると言えます。
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マメ科植物には、ヘモグロビンに似たクロロフィルのほかに、レグヘモグロビンがあります。名前からわかるように、レグヘモグロビンはヘモグロビンに似た働きをします。それは両者ともに酸素を運ぶ役割をしていることです。

では、レグヘモグロビンはいつ酸素を運ぶのか。まず、マメ科植物には根に丸い「根粒」とよばれるコブがたくさんあります。この中に「根粒菌」というバクテリアがいて、空気中から窒素をマメ科植物に供給します。代わりにマメ科植物は、根粒菌にすみかと栄養分提供しますから、マメ科植物と根粒菌は「共生」という互いに利益を得る関係です。しかし、根粒菌が窒素固定をするときにジレンマが生じます。根粒菌は窒素固定に必要なエネルギーを確保するために酸素呼吸をしますが、窒素固定に必要な酵素は、酸素があると活性を失うのです。そこで、マメ科植物はレグヘモグロビンを根粒菌に送って、素早く余分な酸素を運んで取り除きます。


レグヘモグロビンについて教えて

土壌改良を行うマメ科植物
窒素固定ができない植物は、基本的には自身や他の植物が落とした葉や幹や根が微生物に分解されるときに出る硝酸態窒素を使うことしかできません。そのため、植物が生えていない環境では、他に川や高濃度に窒素化合物が含まれた大気といった供給源が無い限り、植物は窒素不足に陥り、生育が困難です。根粒菌と共生関係を結ぶことができたマメ科植物は、他の植物が生育できないような、窒素含有量が非常に少ない場所でも空気中から窒素を取り込めるため生育することが可能です。それだけではなく、マメ科植物が窒素固定をして成長し、葉を落としたり枯死したりすることによって、空気中の窒素がどんどん植物が使える形になって土壌に蓄積されることになります。

レンゲ
緑肥に利用されるレンゲ

つまり、普通の植物が生息できないような荒れた土地にマメ科植物を植えると、マメ科植物自身が育つことができるだけでなく、他の植物も生育できるような土壌に改良することができるのです。植物の窒素固定は、多くの生物が生息できる豊かな土壌を作り出すのに重要であると言えます。

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 生物の中には、大気中の窒素をアンモニアに変換できるしくみ(能力)をもったものがいます。常温常圧で大気中の窒素をアンモニアに還元する能力を有する微生物を『窒素固定細菌』と呼びます。

窒素固定細菌は、単独で窒素固定を行う単生窒素固定細菌と植物と共生しながら窒素固定を行う共生窒素固定細菌の2つに分けられます。根粒菌は、ダイズなどマメ科植物の根に共生して、共生窒素固定能によって大気中の窒素ガスをアンモニアに変換して宿主植物に供給してくれます。

地球生態系全体の窒素循環から見ると、マメ科植物と根粒菌の共生窒素固定が大変大きな役割を果たしています。下の写真のように、ダイズを栽培すると根に丸い根粒が着生します、この根粒の内部に生息する数μmの微生物が根粒菌です。
 
saeki01.png
ダイズ根粒とgfp遺伝子が組み込まれた根粒菌が感染した根粒断面
根粒内部のレグヘモグロビンで赤くみえる部位に根粒菌の感染(緑色蛍光)が確認できる

 根粒の中で根粒菌は、窒素固定に必要な酵素(ニトロケ゛ナーセ゛)を作り、窒素ガスをアンモニアにして植物に供給します。 たた゛し、ニトロゲナーゼには、酸素があると力を発揮できないという弱点があります。そこて゛、宿主植物はニトロゲナーゼが働けるように血液中のヘモグロビンと同じように酸素を捉まえるレグヘモグロビンを合成し、酸素濃度が高くならないようにします。根粒の断面が赤い色をしているのは、このレグヘモグロビンによるものです。

 このようにマメ科植物と根粒菌は共生窒素固定のためにお互いに協力しあって精巧な共生窒素固定の仕組みを構築します。この根粒菌の力の秘密を明らかにできれば、現在、たくさんのエネルギーを使って生産されている化学肥料の使用量を大きく減らすことも夢ではありません。

 ここ数年、地球温暖化による影響がいたるところで報道されています。地球温暖化は温室効果ガスによるものです。窒素以外の窒素酸化物は地球温暖化や大気汚染の原因となります。多くの微生物は、硝酸呼吸という嫌気呼吸の一種で、NO3- → NO2- → NO → N2O → N2のように硝酸を還元して窒素まで変化させる能力を持っています。しかし、亜酸化窒素(N2O)までの還元能力しか持たない微生物も多く、二酸化炭素の300倍の温室効果ガスとしてN2Oが発生してしまいます。根粒菌は窒素固定を行いつつ、硝酸呼吸(脱窒)を行うユニークな特性を有しています。また根粒外のN2Oを取り込んでN2に還元する能力を有する根粒菌も存在します。このような根粒菌を有効活用することによって温室効果ガスの発生を抑えることができます。

 近年の研究によって根粒菌の全ゲノム配列が解読されています。もちろん、解読されたからといって、根粒菌の秘密のすべてが分かったわけではありません。しかし、ゲノム配列の解読によって、これまでの研究を加速する形で、根粒菌とマメ科植物との共生メカニズムや群集生態の解明が進んでいます。近い将来、根粒菌とマメ科作物の生理生態学的特性を利用することで、畑からの温室効果ガスの発生を抑制して環境保全を実現しつつ、さらに窒素固定による食糧生産の増大に寄与できる農業が実現するかもしれません。ヒトの知恵で植物と微生物の力を発揮させ、土に負担をかけないように持続的に食糧生産を可能にすることでヒトと地球の共生が成り立つことでしょう。

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最も身近な空気には、水蒸気を除くと窒素78%、酸素21%、アルゴン1%、炭酸ガス0.03%が含まれています。今回は、空気の最大成分である窒素の話です。窒素は、酸素(O2)や水素(H2)と同様に窒素原子(N)が2つ一緒になって窒素分子(N2)となり、化学的に安定な構造となっています。無色、無臭で通常は気体として空気中に存在していますが、-196℃にすると液化します。従って、工業的には空気を冷却して、窒素と酸素(?183℃で液化)とアルゴン(?186℃で液化)を分離し製造しています。窒素ガスは、半導体の製造や化学薬品の酸化・災害の防止、食品の封入ガスなどに、液体窒素は、化学や物理実験の冷却剤、その他様々な工業用冷却材として広く利用されています。また、窒素は肥料をはじめ多くの有用な窒素化合物製造の原料として利用されています。  窒素は、生物の生命活動に必要なアミノ酸、タンパク質、遺伝子を構成する核酸など多くの物質の中に含まれています。植物や動物は様々な窒素化合物を利用できますが、残念ながら、空気中に大量に存在する窒素ガス(N2)を直接利用することができません。

しかし、土壌中にはその窒素を植物が利用できるアンモニアに変換してくれる微生物が数種存在し1)、その代表格がマメ科植物の根に共生する根粒菌です。つまり、植物は微生物の力を借りて間接的に空気中の窒素を利用しています2)。たんぼ一面のレンゲ(マメ科)は、根粒菌による土壌への窒素供給を目的にしたものです。花が咲いた後は土にすき込んで緑肥とします。花は人を楽しませ、蜂蜜製造にも役立つわけですから、レンゲは一石三鳥です。つまり、空気中の窒素は、微生物→植物→動物→微生物などを経由して様々に形を変えながら地球を循環しています。しかし、近年、作物を増産するために安価な窒素肥料を大量に使用した結果、自然界での窒素循環に破綻が生じ、窒素化合物が土壌中に蓄積してしまいました。現在、地下水汚染など環境の悪化が問題化しています。その話はいずれまた。

 ところで、地球の空気には、どうしてこんなに窒素があるのか? 地球は、水星、金星、火星などと同様、太陽系惑星の1つとして約46億年前に誕生したと推定されています。地球に近い水・金・火星の大気のほとんど全ては炭酸ガスで、窒素が1?2%存在するとのこと。勿論、原始地球の大気も、これらの惑星と同じだったのですが、地球の場合には、炭酸ガスのほとんど全てが海水に溶け石灰岩などになり大気中から消滅しました。

一方、窒素は、海水にも岩石にも取り込まれず残ったので、必然的に、窒素比率が高くなったのではないかといわれています。しかし、それだけではこの膨大な窒素量の十分な説明とはいかないようで、窒素の起源は未だ謎につつまれています。なお、地球は約30億年前、酸素を放出する微生物の誕生と、その後の植物の大発生にともない大量の酸素が大気中に蓄積され、約4億年前に現在の空気の組成になったと考えられています。7月は七夕、牽牛と織姫伝説、竹笹に短冊の願い、古来からの行事は、生活の節目、心の節目でもあるようです。大切にしたい、伝えたいと思うのですが。天の川など眺め、暫し仕事を忘れ悠久の宇宙に思いを馳せてみませんか。次号「窒素②」につづく。

1) 窒素固定菌という。土壌中の窒素固定の約60%はこれら微生物の働きによる。

2) 雷などの空中放電により窒素の一部は硝酸に変換され植物が利用できる物質となる。

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ビングAIの回答
マメ科植物と根粒菌の共生窒素固定は、
地球生態系全体の窒素循環において大変大きな役割を果たしています。
3 マメ科植物の多くは、根粒菌と共生し、空気中の窒素をアンモニアに変える能力があります。? これにより、窒素栄養の少ない土地でも生育できます。?

詳しく知りたいことはありますか?

ソース: Bing との会話 2023/6/22
(1) 「ダイズと根粒菌」=「土とヒト」の共生研究|のうがく図鑑 .... https://www.miyazaki-u.ac.jp/agr/books/book-abs/post-53.html.
(2) 空気中の窒素を栄養にできるマメ科植物 - 株式会社バイオーム. https://biome.co.jp/biome_blog_169/.
(3) (研究成果) マメ科植物と根粒菌の共生に関わる重要な遺伝子を .... https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/nias/134282.html.
(4) 窒素源を獲得するための根粒共生メカニズム ?マメ科植物と .... https://www.iwate-u.ac.jp/cat-research/2020/08/005667.html.
(5) 根粒菌 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E7%B2%92%E8%8F%8C.

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この項  2023.07.02 追加しました

縄 文 時代 の栽 培植 物
吉 崎 昌 一*
これ まで,縄 文文化には複数の栽培植物アサ(ア サ属Cannabis),エ ゴマ(シ ソ属Perilla),ヒ ョウ
タン(ユウガオ属Lagenaria),ク リ(ク リ属Castanea)等 の存在が知 られていた.し か し,最 近のフ
ローテーシ ョン法の採用による炭化植物種子の検 出,イ ネのプ ラン トオパール抽出などの考古植
物学的 な調査によれば,
縄文文化前期~中期前半の層準か ら東 日本 ではヒエ(Echinochloa)が,
西日本にはイネ(Oryza sativa)が検 出される.こ れらイネ科Gramineae植 物 の出現や文化的な背景に
は ,ま だ不 明の部分が多い.し か し,ヒ エは東 日本で栽 培化が行われた可能性があ り,イ ネはア
ジア大陸 とその周辺部か ら渡来 してきた,と 考 えられ る.ま た,縄 文時代に存在するといわれて
い た リョクトウVigna radiata (L.) Wilczekに ついては,ま だ確実な資料 は発見 されていない.
キ ー ワ ー ド:縄 文 文 化,先 史 農 耕,栽 培 植 物,ヒ エ,マ メ
I.縄 文時代生 業の再検 討
これまで 大部分の縄文時代は狩漁猟 と採集が食獲得
の手段であった,と 説明されている.ま た,通 常の発掘
調査で得 られた成果からは,縄 文時代の採集狩猟生活を
示すデータばか りで 少な くとも新石器時代の指標にな
るような農耕活動は存在していないし,若 干の栽培植物
は見 られるものの,そ の存在が社会構造にまで影響を与
えるにはいたらなかったというのである.

たしかに,発 掘によって得 られる植物遺体の種類や量
が限られている状況の下では,よ ほどの新資料が得 られ
ない限り,こ の考え方を変えることが難しいかもしれな
い.し か し,考 古植物学的な資料の蓄積 と研究が進んで
くると,こ うした見解には若干の補正が必要となってき
ている と思 う.そ の理由 を紹介 しよう.

1.縄 文農耕 を否定 的に見 る考 古学の見解 として,遺
跡か ら畑 の遺構が見つか らないことがあ る.た しかに,
弥生 時代や古墳時代の遺跡 にお いては,集 落跡に隣接 し
て農耕 を物語 る畑や水 田の ような遺構 を検 出で きるケー
スがある.し か し,安 定 した農耕 村落に見 られ るの と同
様 の遺構 が 縄 文時代遺跡か ら検出で きる可能性 を期待
す るのは難 しい.な ぜ なら,初 期 的 な農耕段 階で粗放 な
農耕 を営 んでいた小集 団の民族例 を見 ると,必 ず しも集
落 と耕作地が隣接 していないこ とが 多い.と くに,あ る
集団が摂取 していた食料 リス トの中で 栽培植物が補完
的な意味しかなかった場合や,耕 作地が小規模 にとど
まっていた状況が問題 となろう.つ まり,現 在行われて
いるような遺跡の調査範囲あるいは区域設定では,畑 遺
構の検出はきわめて困難であろう.よ しんば単独の畑遺
構が集落と距離的に離れた場所で検出されたとしても,
考古学的に集落 との関係や時代 を見極めることは難しい.

2.縄 文時代の各集落の生業 は,そ れほ ど均質 な性格
を持 っていなかった と考 えた方が よい.近 年実施 されて
いる遺跡の大規模 な発掘や広範囲 な地域の分布調査 な ど
か ら,お のおのの集落 はその立地条件や文化 的な伝統 な
どで かな り生業活動 が異 なっていた可能 性が検討 され
るようにな った.た とえば,海 岸の資源に依 存す る漁 民
的 な集団,河 川漁 と採集 を中心 とす る集団,狩 猟 と採集
が 中核 とな る集団,交 易拠点 としての集団 とい った生活
の相違が縄文時代に も存在 していたら しい.と くに,縄
文時代 の人間集団の中に明確 な季節移動様式が証明 され
て いない現状では,縄 文 人の生業 をあま り一般化 した単
純 な枠組みに押 し込めない方 がよい と考 えたい.

3.発 掘調査の実施過程 で,植 物遺体 の採集や,そ れ
らの人間 との関わ りを追跡す る手法 の採用に,か な りム
ラが ある.た とえば,北 海道の擦文時代(西 暦8世 紀 ~12
世紀)は,こ れ まで河川 を中心 に した漁労民 であ ろうと
1997年8月28日 受 付.1997年10月30日 受 理.1996年 度 日本 第 四 紀 学 会 大 会 シ ン ポ ジ ウ ム に お い て 講 演.
*札 幌 国 際大 学 〒004札 幌 市清 田 区清 田4条1丁 目.
344 吉 崎 昌 一 Dec.1997
いわれていた.し か し,この時代の遺跡発掘調査 にフロー
テー ション手 法(0.425mmメ ッシュの ス ク リーン を使
用す る浮遊水洗 別法.単 なる水 洗別法 ではない)を 採用 し
てみ ると,ど の遺跡か ら も炭化 した イネ科植物 の雑穀が
検出 されは じめた.こ の手法 を導入 した擦文 時代 の遺 跡
か らは,量 の多寡 は別 に して,す べての地点か らイネ科
の雑穀が出土す るのである(吉 崎,1992a).し か も,こ れ
らイネ科の雑鍛 が出土 した遺跡 は,植 物遺体 の保 存が良
好 な,い わゆ る水漬 きの ものではない.乾 燥 した竪 穴住
居の炉跡周辺か ら資料が得 られているので ある.こ うし
た出土状況は,従 前の遺物採集手法 ではわか らなかった
だけ といって よい.

つ まり,こ れ まで実施 されていた単純 な土壌の水洗いでは,粒 径 の大 きいイネやマ メ類の よ
うに肉眼 で鑑 別 しうるもの を除 き,小 型雑穀類の抽出は
困難 である.つ ま り,フ ロー テー シ ョン法 で使 用 してい
る0.425mmの メッシュサ イズは,ア ワなどの ような小
型のイネ科栽培植 物種 子 を検 出す るため に決定 された大
きさなのである.も ちろん,こ れよ り粒径 の小 さな種 子
は抽 出が難 しい.

II.縄 文時 代 遺 跡 の 炭 化 植 物 片 や 種 子 の 検 討
上述 のよ うな点に留意 して,い くつかの縄文 時代遺跡,
と くに竪穴住居床面の炭化植物 片や種子 を採取 ・検討 し
た ところ,次 の ような結果が得 られている.

[ヒ エ属Echinochloa Beauv.]
渡 島管内南茅部町 のハ マナス野遺跡(縄 文 時代 前期 後
半)お よび隣接 す る臼尻B遺 跡(縄 文時代 中期)か らは ヒ
エ属 の種子が検 出された.し か も,時 代 の経過 とともに
穎果の大 きさが増大す る傾向が認め られ る.わ れ われの
共 同研 究 者 であ る トロ ン ト大 学 人類 学部 のCrawford
は,こ の変化 に注 目 し,こ れが栽培化の過程 による もの
ではないか,と 推定 した(Crawford,1983).後 志管 内余
市町フ ゴッペ 貝塚遺跡の縄文時代中期初頭 の層準(吉 崎,
1992a),小 樽市塩 谷3遺 跡の縄文時代後期 の層準,渡 島
管内函館 市中野遺跡 の縄文時代早期 後葉 の層準か らもヒ
エ属種 子の出土が確認 されて いる(吉 崎,1997).
青森県 では,縄 文時代 中期 末の富 ノ沢遺 跡361号 大型
住居 の床面 か らは2,000粒 ほ どの炭化 した ヒエ属 穎果
が まとまって出土 している.こ の中にはイヌ ビエEchinochloa crus-galliに類 す るもの と胴部が膨 らんだ栽培 ヒエに類す るものの両方が見 られる(吉 崎,1992a,b).こ の資
料 のAMS壮 代 は出土 した ヒエ属種 子その もので実施 さ
れたが 歴年代較正値2407~2270BC.が 得 られ た.ま た,
八戸市風張遺跡の縄文時代後期末晩期初頭の竪穴住居床
面か らはイネ とヒエが(D'Andrea,1992),同 市の八幡遺
跡では,縄 文時代 直後 の竪穴住居 か ら確実 な栽 培型 ヒエ
とオオムギ,イ ネな どが検 出された(吉 崎,1992c).

こうした遺跡か ら出土 したヒエ属種 子 を詳細 に観察す
るとおお まかに3種 類の形態,つ ま り(1)イ ヌ ビエに類
す るタイズ(2)栽 培 ヒエに近 い形態 を示す小型の もの,
(3)現 生の栽培 ヒエ とほぼ 同一の形態 を示す もの,に 分
類 され る.

ま だ資料 は断片的 であるが 時代順 に縄 文時代早期か ら前期 にかけて は(1)の 形態が 多 く,
縄 文 時代前期か ら中期 にかけて は(2)が 増加 し,
そ れ以降 にな ると(3)が 卓越す るらしい.
こ うした状 況か ら考 えて,北 海道南西部か ら東北地方においては,少 な くとも縄文時代
早期末 ころか らヒエ属 と人間の関係が密接化 し,初 原的
な栽培が始 まっていたのではないか と推定 できそ うに思
う.

そ こで 前述の(2)~(3)の タイプの ヒエ属 を 「縄文ヒエ」 と仮称 してお こう.そ して,遺 跡か ら得 られた ヒエ属種子の時代的な形態的変化 か ら見 て,縄 文時代前期
後半 にはか な り広い地域で ヒエ属 の粗放 な農耕が始 まっていた可能性があ ると考 える(吉 崎,1995).
残 され た問題の一つ として,縄 文 時代の炭化 したヒエ属種子 は,ほ かの イネ科植物 の炭化種子 に比べ て,遺 構か らの出土数が 多いことに注 目したい.
当 然ではあるが土壌撹拌 の機 会が 多い竪穴住 居の周辺 では,エ ノコログサや イヌビエ などイネ科植 物が群生 していたであろ う.
これ らの種子 は,住 居内に流れ こんで生活面 で酸化 した
り,炉 の周辺 で炭化 された とい う可能 性が充分 に考 えら
れ る.し か し,わ れ われの扱 った縄文 時代 の竪穴住居床
面 の土壌か らは,エ ノコログサな どが伴 出す るケー スは
きわめて少 ないのである.と くに,明 瞭に炭化 した もの
は まず見 られない.

し たが って,こ れ まで扱った竪穴住居の資料 に関す る限 り,イ ネ科植 物の中では,ヒ エ属種
子(縄 文 ヒエ)が 選択 的に利用 されていた ことになろ う.
これが ヒエ問題 を解 く考古学的 な鍵 だ と考 え る.

最後 に,西 日本 におけ る縄文時代 の イネ以外 の雑穀 に
ついて考 えてみよ う.ま ず,こ の地域の縄文 時代遺 跡の
発掘 調査 で,積 極 的に微細 なイネ科種 子 を検 出す るよう
な手段 が,あ ま りに採用 されて はいなか った らしい.数
少ない低 湿地遺跡 において も,5mmメ ッシュ程度 のス
ク リー ンが水洗 に多 く採用 され,1mmメ ッシュあ るい
は それ以下 のサイズの利用が少 なか ったのではないか.
この点に採 集 された資料 を比較す る上での ギャップが存
在す る可能性があ る.ま た,採 取 され た小型 イネ科 の種
子について も,走 査 型電子顕微鏡 などによる詳細な観察
や図示がほ とん どない.ア ワ,ヒ エ,キ ビの いずれかが
出土 したとい う報告例 はあって も,鮮 明 な拡大写真 を掲
載 した報告は稀 で,詳 細につ いては報告者以外の立場か
らの再検討がで きず,実 体 の不 明な ものが 多い.今 後の
課題 としてお きたい.

1997年12月 縄文時代の栽培植物 345
[マ メ類]
縄 文時代 のマメの存在 はしば しば問題にな る.既 刊 の
報告 書に よると,初 期 のマ メは リョク トウVigna radiata
(L.)Wilczekだ といわれ る.こ の件に関 してはマ メの研
究者であ る前田和美 も,そ の著書 『マ メと人間』の中で
否定的見解 をとっている(前 田,1987).
前 田(1987,pp.14-42)も 述べ ているよ うに,有 名 な福
井県鳥浜貝塚 の縄文 時代前期 の層準か ら出土 した といわ
れ る リョク トウの同定結果 には,筆 者 も賛成 しかねてい
る.鳥 浜貝塚 の報告書 中では,リ ョク トウの同定基準 と
して種 皮表層のネ ッ ト状 の構造が あ り,そ れが分 類の有
力 な手がか りに されてい る(梅本 ・森 脇,1983).
たしかに,現 生の リョク トウの表皮構造 には,ネ ッ ト
状の構造 を持つ もの と持 たない ものの両者が存在す る.
ところが 実験的にネ ッ ト状構造 を持つ標本 を加熱炭化
してみ る と,肝 心のネ ッ ト状構造 が消失 して しま うこと
が判明 した.し たが って,こ の手 がか りの種皮構造は 出
土す る炭化 リョク トウの同定 には使 えない らしい.
出土す るマ メ胚乳の種 レベ ルの分類 は,き わめ て困難
である.

わ れわれの研 究で も,子 葉(胚 乳)内 の初生葉 の
位 置や形態が辛 う じて大 まかな分 類の基準 として有効 で
あった(吉 崎,1995).し か し,こ の基準 をもって して も,
出土す る可能 性のあ る栽 培マ メ類 としてササゲ属Vigna
savi,ソ ラマ メ属Vicia L.な らびにダ イズ属Glycine Willd
について見 れば,
(1) ア ズキ ・ヤブツルアズキのグループ
(2) リョク トウ ・ケツルアズキのグループ
(3) ダイズ ・ツルマ メ ・ヤブマ メのグループ
の3種 類 に分類で きるだけであ る.た だ し,な ぜ この手
法で分 類 した場合,現 在 同 じ属 と考 えられてい るアズキ
と リョク トウが異なったグループに なって しまうのか,
われわれには説明がつか ない.さ らに,こ れ までの とこ
ろでは この分類 を利用 して も,ア ズキを含めて,マ メの
野生種 と栽 培種 との区分 は明確 にはできない.

前述の種 類に限っていえば,わ れ われの入手で きた縄
文時代のマ メは,こ れ までの ところアズキかア ズキの野
生種,あ るいは野生のヤブマメか ツルマ メタイプの もの
で,中 世以前の遺跡か らまだ確実 な リョク トウが検出 さ
れ たこ とは ない.

マ メ類 は,出 土標本の大 きさ と形態か らのみ では,よ
ほ ど保存条件の よい稀 有の資料 を除 き,同 定が不可能 な
のか もしれ ない.前 出の鳥浜貝塚 出土の ものは,報 告書
(梅本 ・森脇,1983)の 写真 で見 る限 り,ヘ ソの形態がア
ズキにちか いようにも見 える.ど うも,こ れまでに報告
されている縄文時代 層準の出土マ メ類につ いては,形 態
分 類の 基準が決 まってい ないだけ で はな く,報 告 者 に
よって も同定 の基準が異 なるようだ.実 体 はまだ不 明 と
い うのが真相 である らしい.

 [イネOryza sativa L.]
 イネは 日本 考古学者 の関心 を呼ぶ作物であ る.少 な く
とも,稲 作はいわゆ る弥生時代か らスター トした もので
ないことは明 らかにな りつつ ある.例 えば,藤 原(1994)
は西 日本の縄文時代後期 中葉 の土器胎土 中か らイネのプ
ラン トオパールが検 出される とい う重要 な所見 を報告 し
ている.ま た,岡 山県の高橋 護氏 による と,同 様 の所
見が縄 文時代中期 あ るいは前期 の土器片胎土中に も見 ら
れる という(高 橋,私 信).

東 日本 では,青 森県八戸市風張遺跡の縄文時代 後期末
晩期 初頭 の竪穴居床 面か らイネ胚 乳が6粒 検 出 されて
お り(D'Andreea,1992),そ の うち2粒 につ いて壮代が測
定 された.そ の結果,最 終的に2,810±270yrsBP(To4086)が 得 られ た.し たがって,青 森 県で も縄 文時代後期末 晩期初頭 のころに,イ ネその ものが入手 され ていた こ
とが確実 になった.た だ し,稲 作 がすでに現地 で開始 さ
れていたのか どうかは わか らないが,コ メの味 は知 って
いたに違 いない.

こうして見 る と,稲 作は西 日本においては縄 文時代 中
期 には存在 し,ほ か の人工遺物の様相,文 化的 な連続性
か ら見 ると,縄 文時代前期に まで さかのぼ る可能 性 も考
えられ る.

III.縄 文時代農耕 活動の展望
文化的な背景や考古学的な物質文化の連続性,お よび
これまでに入手できた栽培植物資料から考 えると,縄 文
時代の早期末前期初頭以降の段階には,北 海道南西部か
ら九州地方にいたる各地で,地 域的に組成の異なった栽
培植物の種類や栽培技術が出現 していたらしい.今 回は
触れなかったが,イ ネや ヒエ以外にも,エ ゴマ,ヒ ョウ
タン,ア サ,ソ バなども存在 していたことはよく知 られ
ている.

これらの栽培植物が 仮に 「採集狩猟生活の補完的な
もの,あるいは祭祀儀礼的な行為に伴 う限定された栽培」
であったにしても,縄 文時代に栽培植物 と栽培行為の存
在 した重要性は認めざるを得ないと考 える.
この研究は平成9年 度文部省科学研究費重点領域研
究 「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」
(研究代表者:尾 本恵市)の一部である.

ーーーーーーーーーーーーーー

最古の稲細胞化石発見 岡山・朝寝鼻貝塚
6000年前の縄文前期初め 稲作起源論争に波紋

 岡山理科大発掘チーム(代表・小林博昭同大教授)は二十一日、岡山市津島東の朝寝鼻(あさねばな)貝塚から採取していた縄文時代前期初め(約六千年前)の地層から、稲の栽培を示す細胞化石・プラントオパールを検出したと発表した。稲作を行っていたとみられる資料としては、岡山県美甘村・姫笹原遺跡など縄文時代中期の例を千五百年近くさかのぼり、日本最古の発見。稲作起源論争に大きな波紋を広げそうだ。

 同貝塚の調査は、同大の通学路建設に伴い、九、十年度に約百六十平方メートルを発掘した。地表から約三メートルの地層で採取した土壌を顕微鏡で調べたところ、栽培種の稲に固有の「イチョウの葉」形のプラントオパール(長さ約〇・〇四ミリ)約五十個が検出された。

 同チームによると、1同じ層から縄文時代前期の型式とされる羽島下層式土器が出土2プラントオパールの形が栽培種の特徴を示す3同層のすぐ上が何も遺物が含まれない間層で覆われ、後世のものがまじり込んだ可能性がない―ことから、縄文時代前期に稲の栽培が行われていたことを実証する資料と断定した。

 同チームの調べでは、これまで稲作の起源を示す日本で最も古い資料は、いずれも縄文時代中期(約四千五百年前)とみられる姫笹原遺跡、倉敷市・福田貝塚など県内四カ所、鹿児島大学構内遺跡など県外二カ所。今回が日本最古の検出例となる。

 また土壌分析の過程で、同じ地層からこれまでの検出例を約二千年さかのぼる小麦のプラントオパール一個と、ハトムギとみられるプラントオパール百個以上が検出された。

 今回の発見について、調査、鑑定に当たった高橋護ノートルダム清心女子大教授は「縄文時代前期にさまざまな穀物が複合的に栽培されていたことを示し、農業が生活の軸になっていたと考えられる」と分析。小林教授は「これまでの縄文文化のイメージを覆す発見。縄文時代前期の多様な生活様式などを解明していく上で貴重な資料になる」と話している。

ーーーーーーーーーーーーーー

「ヘム」といえば、インポッシブルフーズの植物ベース肉を肉らしくさせるコアとなる重要化合物。

インポッシブルフーズは「ヘム」を使うことで、肉を焼いた時に、赤色が加熱とともに茶色に変わる視覚効果や、肉らしい風味を感じる嗅覚効果を再現している。

同社の「ヘム」は他社へは販売されていない。

「ヘム」をより多くの植物ベースの代替肉企業に使ってもらいたいと考えているのがBYASだ。

目次
ゲームチェンジャーの可能性を秘めた新規ヘム
インポッシブルフーズとBYASのヘムの違い
来月デビューするスピルリナ由来のヘム
偶然見つかった藻類由来ヘム
ゲームチェンジャーの可能性を秘めた新規ヘム

出典:BYAS

BYASのヘムは、スピルリナを原料としている。

スピルリナは藍藻類の1つで、くるくるとねじれた形をしていることから、「らせん」を意味するラテン語の「スピルリナ」の名前がつけられたと言われる。アミノ酸、ビタミン、ミネラル、食物繊維など栄養素を豊富に含み、スーパーフードともいわれる。


出典:ジャパン・アルジェ株式会社

 BYASのヘムはまだβ版だが、BYASのヘムを2つの植物肉バーガーに吹きかけたところ、違いがあったという。

この味覚テストでは、ビヨンドミートとMorningstarの代替植物肉バーガーにBYASのヘムを吹きかけた。

The Spoonの報道で、BYASのヘムを吹きかけたバーガーを試食した感想について、Josh Schonwald氏は次のように語っている。

「ぱっと見ただけでは、ヘムをスプレーしたバーガーに違いはなく、匂いも変わりませんが、少し食べてみたところ、これはいいと思いました。

どこが良かったのか言語化するのが難しいのですが、ヘムの風味が、ビヨンドを食べた後に残る風味を打ち消してくれたのだと思います。旨味が増したのかも?

いずれにせよ、ヘムを吹きかけたバーガーは格段においしくなっていました」

インポッシブルフーズとBYASのヘムの違い

出典:インポッシブルフーズ

インポッシブルフーズの大豆ベースのヘムは、遺伝子組換え技術を使用している。

同社がヘムとして使うのが、大豆レグヘモグロビン、略してレグヘモグロビンと呼ばれる。大豆に見られるヘモグロビンのことだ。


カットすると赤色に見えるのがレグヘモグロビン 出典:http://queensigem.ca

レグヘモグロビンはヘムという色素部分と、グロビンというたんぱく質部分から構成され、ミオグロビン(心筋や骨格筋にある)と、ヘモグロビン(赤血球中にある)と構造が似ている。


出典:http://queensigem.ca

大豆レグヘモグロビンに含まれる「ヘム」という赤色色素が、血液中にあるヘモグロビンと同様のヘム蛋白であることを世界で最初に報告したのが、日本の久保秀雄氏だった。

レグヘモグロビンは、植物にあり酸素の運搬役として重要な役割を持つ。

インポッシブルフーズは初期のころ、大豆の根から直接レグヘモグロビンを採取していた。しかし、大量生産の壁があったため、酵母を活用することにした。

酵母に大豆レグヘモグロビンを作る遺伝子を組み込む。遺伝子改変された酵母を発酵させて、酵母から大豆レグヘモグロビンを単離する。これを植物肉に加えると、インポッシブルフーズの肉そっくりな代替肉に変わる。

 

同社はこうして、植物肉を「本物の肉」にするために不可欠な「ヘム」の大量生産に成功した。

しかし、製造工程で遺伝子改変された酵母を使うため、GMO食品(遺伝子組み換え食品)の販売に対する規制が厳しい国では、参入が難しいという課題がある。

これに対し、BYASが開発する「ヘム」はGMOフリーを特徴とする。原料は大豆ではなく、スーパーフードとされるスピルリナを使うため、栄養面、訴求面において大豆にはないメリットも期待できる。

 

ーーーーーーーーーーーーーー初稿 2023.03.13投稿

前期末には農耕開始の準備は出来ていた

大木6式土器の時期  土器の様相各種


この土器の分布域は


土器年表の中での位置は


この中に 8突起口縁の土器がある  大木6式土器という


八節の暦 一年八分割の暦の成立はこの時期と考える。
土器変遷図では諸磯式土器の末期頃に当たる位置にあるようだ
諸磯式の時期にはマメ類の栽培種が成立して、農耕開始の準備が出来ていた。
栽培種マメ成立の土器


暦開発の進展推移

 

図はお借りしました

引用しますーーーーーーーーーーーーーー

ソース 大木4~6式(縄文前期≒ calBP@大木囲貝塚) | 日々あれこれブログ (ameblo.jp)

    https://ameblo.jp/20190831-0925/entry-12775304188.html


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