タイトル 縄文人は太陽暦も太陰暦も作っていた
渡部 潤一(わたなべ じゅんいち) 様
大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 国立天文台 副台長(総務担当)
教授、総合研究大学院大学数物科学研究科天文科学専攻教授
突然のメールで失礼します。
当方昨年来、縄文遺跡 金生遺跡の配石遺構の上で太陽観測を行い、この遺跡は縄文後期の太陽観測天文台と推定するに至りました。
その理由はこの遺跡の位置は茅が岳のピークで立春の日の出を観測する事になっていますので、二至二分、四立、八節の暦を作るためと、朔旦立春の観測により太陽暦と太陰暦とを整合させているものと分りました。
この事を皮切りにして、縄文人は3、4、6、8、12を聖なる数として太陽暦と太陰暦をつくって居たものとの判断に至りました。
こうした数に関して、縄文人は世界の何処の古代文明でも作っていないような、土器の縁にその証拠となる突起を作るということで残していたことが分りました。
これらのことはブログに記載して現在公開しております。
johmonkinsestar として検索していただければ、「金生遺跡を世界遺産にしよう会」というブログがご覧いただけます。
これらのことが事実とすればこれまでの縄文文化の知見も世界の暦の歴史も塗り替えられるものと思います。
当方先日先生の著書
「古代文明と星空の謎 」(ちくまプリマー新書) 新書
を拝見いたしましたものですから、素人の浅学での調査結果について専門家の判定をいただきたいものと思いメールいたしました。
よろしくお願いします。
2021.10.25
追加 上記の書籍によるところでは
暦研究の天文学者によると
現代の暦でも3000年後には誤差が一日出てしまうと言う
現在その誤差に対してどのようにするか回答は出ていないそうです。
縄文人の天文台 金生遺跡では立春観測しているからその時でも誤差は無い
4000年前から正確に暦を作り、現在から3000年後でも正確な暦が出来る