聖なる数 3、4、6 は次のようにして
一年は365日
夏至と冬至は 365/2 183日+182日 半年 夏と冬
二至二分は 182日/2 91日 春分と秋分 春と秋
これで一年の四季が知られ 4 となる
これからは春の始まり、季節の始まりを知るため
季節と季節の区分点は、冬至から春分まで91日/2 45日・・・。
半年は 182日を4分割する 4
これが太陽のもたらす季節を知る暦の基になる 聖なる数 4 である。
縄文人はこれを土器の形にも縁の突起としても残した。
四角筒型土器
火焔土器
縄文早期には定住すると共に季節を知るためにこれを知ったものと考える。
この後に九州でカルデラ噴火が起こり縄文人は逃げ出して太平洋各地に渡った。
そのなかには、九週と同じような季節変化のある同緯度の土地を探してシュメールまで辿り着いた一団がいたものと・・・。
地図
海岸付近に住む縄文人で海辺で採集をする関東平野の人々やシュメール人は
月の満ち欠けの周期は半年で6回と知ることになる。 182日/6 30日
月の支配する数 聖なる数 6 となる。
縄文人は 6突起の土器 加曽利式土器として記念している
潮の満ち干の影響は上弦と下弦を分けることになり 30日/2 15日
半年12弦の太陰暦を作りだしたものと考える。
183日/2 45日 45日/3 15日
太陽暦と太陰暦はこれにより合うことが分かり
太陽と月の周期が一致する 聖なる数 3 が求められる
これを縄文人は、土器の縁に3突起を付けて記念していた。
土器の縁に実用には邪魔になる突起として記録を残していたのは古代文明の中で縄文人のみである。
3突起の土器
こうした努力により自然と共存していた縄文人達もそれまでの知識に基づく生業では寒冷化に対抗できなかったものと考える。
ところで古代人達は何れの地に於いても半年一年暦を利用していた様子が見える。
太陽暦では15日区切りの暦 縄文人達は何と呼んだのか伝わっていないが、チャイナでは二十四節気の暦と名付けられた。
太陰暦は上弦と下弦を元にして半年15日 一弦 の区切りの暦 半年12弦
半年を12弦とする暦が出来る。これは太陽暦でも太陰暦でも使用することが出来るので、古代人は利用していたものだろう。
二倍年暦や半年一年暦はここに元がある様なのだが堂なのだろうか。
15日/2 7日は一週間
15日/3 5日 チャイナでは七十二候と呼ばれる
太陽の 4 と月の 6 は半年を基準として 聖なる数3 により一致することが分っていた。
いずれにしても正確な暦を維持する為には周期が一致することを観測し続けることが必要となる。
これが出来る機能を持つ天文台は縄文時代以来の金生遺跡の配石です。
金生遺跡天文台は、縄文時代以来の伝統を現在も変ること無く維持し現存している。
金生遺跡は基準点として立春を観測し続けている。
金世生遺跡の配石
石棒の先に立春の日が出る 前の山は見えていない 白井倉庫が邪魔ですね
金生遺跡の写真以外の写真はお借りしました