金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文時代とメソポタミアでの土器使用開始

日本列島の石器時代
旧石器時代 ~約1万6000年前
縄文時代(新石器時代) 約1万6000年~紀元前10世紀頃(約3000年前)
土器と磨製石器

              縄文時代草創期土器

新石器時代のナトゥーフ文化からヤンガードリアスの期間

 

メソポタミア北部には前6千年紀前半からハッスーナ文化が芽生えており、
その後サマラ文化、ハラフ文化  土器の存在する へと移り変わっていきます。
しかし、やがてこのウバイド文化に飲み込まれていきます。その後がシュメール文明となる。

 

縄文土器は16000年前から使用されていて
メソポタミアでの土器使用開始は縄文時代前期頃に当たる
縄文早期土器は


数 2,4,6 を示す波状突起口縁の土器が作られていて、この数字は特別な意味を持つものと考える。これらの土器は日常使用されるものでは無く、特別なものと思うので、供献土器として祭祀が既に縄文早期には行われていたものと考える。精神的な文化、それの背景となる集落社会が成立して居たと考える。
縄文前期には数 8,12 波状突起口縁の土器が作られていて、8,12 が特別な数字として示されている。

ウバイド文化は灌漑農法を開発して、大きな集落を中心に運河網が広く張り巡らされ、灌漑のための共同体による、運河浚渫に労力が掛けられた。
こうして乾燥地域の農耕が可能となり、メソポタミア南部への居住が可能となり、その後に都市文明のシュメール文明誕生となる。

図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

とにかくこうして縄文時代は1万6千年前あたりから始まり、次の『弥生時代』へと変わっていくのであった。しかし下記の表を見てもわかるように、縄文時代と次の時代の弥生時代の間には700年以上の間がある。この時代は一体何があったのだろうか。次の記事で見てみよう。

旧石器時代 ~約1万6000年前
縄文時代(新石器時代) 約1万6000年~紀元前10世紀頃(約3000年前)
弥生時代 紀元前300年頃(約2300年前)~250年頃
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メソポタミア南部、シュメール地域にはじめて文化の灯がともされたのは、紀元前6千年紀後半のことです。

ウバイド文化と呼ばれたこの文化では灌測農業が行われ、
石器のほかに土器や銅器なども用いられました。

それ以前、メソポタミア北部には紀直前6千年紀前半からハッスーナ文化が芽生えており、
その後サマラ文化、ハラフ文化  土器の存在する へと移り変わっていきます。
しかし、やがてこのウバイド文化に飲み込まれていきます。

このウバイド文化を受け継いで、紀元前3500年頃にはウルク文化が形成されます。
ウルク文化においてなされたもっとも偉大な出来事は、文字の発明だといえるでしょう。
ウルク遺跡からは、紀元前3100年頃のものとされる、世界最古の絵文字を刻んだ粘土版が出土しています。
また文字の誕生と前後して、このウルクを筆頭に、村落は相次いで都市化の様相を呈するようになります。
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ウバイド文化(紀元前5500年ごろ - 紀元前3500年ごろ)はメソポタミアに誕生した先史文化。
イラク南部ジーカール県のウル遺跡の西6キロメートルにあるテル・アル=ウバイドという遺丘(テル)で発見されました。
新石器時代から銅器時代の遺跡が、この文化を代表しており、メソポタミア南部の沖積平野での最古の文化で、紀元前6500年ごろからメソポタミアに広がり始め、紀元前4000年ごろから始まるウルク文化へと引き継がれました。

ウバイド文化は3つから4つの時期に分けることができます。
ウバイド1期、またはこの時期の遺跡の発見地にちなんでエリドゥ期(紀元前5300年 - 紀元前4700年)は、文化の広がる範囲はまだイラク南部の、当時のペルシャ湾の海岸線付近にのみ限定されています。
この時期は北のサーマッラー周辺の銅器時代のサマラ文化と強いつながりを持ち、年平均降水量120mmの限界線よりも南の乾燥地帯に最初の恒久的な集落が築かれた例となっています。

ウバイド2期、または標式遺跡にちなんでハッジ・ムハンマド期(紀元前4800年 - 紀元前4500年)では、大きな集落を中心に運河網が広く張り巡らされるようになった様が見て取れます。
チョガ・マミ(紀元前4700年 - 紀元前4600年)では灌漑農業の跡が発見されており、この時期開発された灌漑手法は速やかに各地に広がりました。

ウバイド3期および4期(紀元前4500年 - 紀元前4000年)では急速な都市化が見られ、文化の範囲も東方のザグロス山脈方向、南方のカタール等ペルシャ湾岸方向、北方のメソポタミア北部方向へと伸び、北ではハラフ文化に置き換わっていきました。
またウバイド文化の遺物は地中海沿いのシリアなどでも見つかっており、交易網が伸展していたことがわかります。

アラビア半島東部やオマーンでの考古学調査では、ウバイド期は紀元前3800年ごろに急激に終焉を迎えたと見られています。
この時期は湖水面の低下、砂丘の活動開始などの直後にあたり、乾燥の広がりによって人間の活動が不可能になったと見られます。
これ以後1000年にわたり、アラビア東部では人間の活動を示す遺跡などは見つかっていません。


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